人付き合いは嫌いではないが、疲れる。特に下手というわけでもなく、そこそこ無難にやれている。ただ、誰が相手でも疲れる。
じゃあ一人の方が良いのかと言うと、それで大正解な人もいるし、一人じゃ今度は寂しいって人もいる。
今回は、相手に問題はないとする。まぁ、特別な問題は無いとする。並みにはある。相対的な問題だし。
人付き合いで疲れる人の特徴
他人にそんなに関心がない
人付き合いで満たされるものがあまりないタイプ。
興味がないことやってりゃ誰だって疲れる。人によってはそれが「無難なコミュニケーション」の場合もある。
なぜなら無難なコミュニケーションは、ゴシップのような人によっては嫌悪感を覚えるグロテスクなものか、ただひたすらに無難で全く退屈だからだ。
ゴシップ嫌い
相手側が「他人に興味がありすぎる」というゴシップ好きな可能性もある。まぁ一般の範疇ででも。
ゴシップはコミュニケーションツールとして多用する者は多用する。
直接関係ない(少なくともこの場にいない)人間の、
刺激的なトピック
であるため、特に話題のない人間にとっては万能のネタとしてのポテンシャルを持つ。人としてどうかと思うけど。
聞き手が誠実かつ共感的だった場合はこの「コミュニケーション」は大分不快で苦痛となる。一方これを使ってくる側は、ゴシップを誰もが好きだと思っていることが多く、まぁキッツイ。
当然、自分のこともゴシップとして他所で「有効活用」しそうだ、という警戒感もある。
視野が狭い
この言い方も微妙に適切ではないと思うが、人付き合いが苦手な人が視野が狭いという指摘はある。自分が関心がないことには興味を示せない。
別に真っ向から拒絶したいわけでもないため、聞いてるフリ、関心があるフリなどの「演技」をすることで疲れる。
性格の要素に「経験への開放性」というモノがある。好奇心が強い分、退屈には弱く、飽きっぽい。同じく毎日繰り返すような低刺激な物事に耐えられない、という人はいる。
まぁ要するに、人付き合いが割とつまらない。つまらないことやってるから気疲れする。
ただ、視野が狭いとの表現から分かる通り、反対に視野を広げる=何らかの関心を持てば、退屈しなくても済むかも知れない。
譲れない趣味/領域がある
人付き合いの優先度が本当は低い。やりたいことがある。過ごしたい場所がある。在りたい時間の過ごし方がある。
でもそこそこ人付き合いはする。自分の時間が「出血」していくのを感じる。辛い。
その内容は様々あるが、完全に「自分の領域」の話のため、他人に全く用がない。それどころかマイナス要素にしかならない。そういった物事はある。この視点からだと「人付き合い」は、リスクとデメリットがかなり高い。
今回全体を通して共通するが、「社会」と「個人」はほぼ相対関係にある。片方を活かせば片方は萎える。これはかなり根深く、例えば社会的に肯定されると、「自分らしさの実感」が減る。極端な話、褒め殺しでうつ病になる可能性は、ある。
一人の時間が好き
別に趣味や個人的なやるべきことなんてないが、一人の時間を過ごすのが好きな人。元からの場合もあれば、人に疲れて一時的に休憩したいという気持ちもある。
現実主義
現実主義。非生産的な「馴れ合い」がとにかく苦痛。いつも同じ話題でいつも同じ終わり方をするとか本当は耐えられない。
この上で空気は読めるし、合わせられる。平気ではない。疲れる。
雑談が苦手
「コミュニケーションにおける弱者は正解を探し、強者は生贄を探す」、なんて言もあるそうな。
現実主義の場合は正解を探す傾向は高い。話題に対しての「答え」は出てくるかも知れないが、それはもう相談と回答であって「雑談」ではなくなる。要するに、やろうとしている/やりたいことからして雑談ではない。
そうと気づかず「回答」すれば雑談としては失敗、それが続けば緊張し、雑談というだけで疲れるだろう。
気づいて回答にならぬようにして、雑談をするとしても、それは自己コントロールを要する、疲れる「作業」だ。
話題に興味がない
単純に興味がない話題に興味あるふりして参加するのは疲れる。大抵はよほど嫌じゃなければこれをやる。
相手もなんとなく空気読んで話題を変えたりはするのだが、相手が空気読めないか、当人が演技うますぎるかで繰り返される場合がある。
あるいは話題に乗りたくない。ゴシップなどの嫌悪感を感じるものが頻繁であるなど。
結構多いが、表面的な振る舞いが上手すぎて、あるいは相手が鈍すぎて、改善されるか終了するべき話題が続いてしまうという問題はある。
人見知り
見知らぬ人や親しくない人、大勢の前などで緊張する傾向。
社会心理学では一つの個性とされ、シャイネスと呼ばれる。これは他者が存在することで生じる不快感と抑制と定義される。
緊張や気後れといった対人不安の特徴がある。
今回はすでに人付き合いをしていること前提の話だが、心を許していない、実際にあまり親しくはない相手であればこれは強まるだろう。
周囲に流される 自分の意見を伝えられない
対人面において消極的、ってことになる。臆病と言うよりは、気を使い過ぎなことが多い。
人間には他人にそう見られたい/保ちたい自分のイメージや承認欲求(ポジティブフェイス)がある。一方で触れられたくないことや邪魔されたくない/踏み入られたくない(ネガティブフェイス)領域がある。これら全て、言ってしまえば「地雷」だ。めんどくさい。
この地雷を踏んづけることはフェイス侵害行為と呼ばれる。厄介なのはポジティブフェイスの方で、これは交流によって満たされる。例えば遊びに誘った→相手は都合で断った場合に、ポジティブフェイスは「侵害」される余地がある。この豆腐メンタルが。
この当たりを肌感覚として理解している人は多い。「断ったら悪いな」って思いだとか。
要するにフェイス侵害行為を極度に避けようとするならば、「人付き合いとは地雷原で過ごすことと同じだ」、と解釈できる側面は実際にある。対応した生存戦略として意見を主張しない、無難にやり過ごすというのはおかしくない。まぁ神経使うから疲れる。
周りの目が気になる
「人にどう見られているか」を、人は気にするものだ。これはまっとうな一人前として見られたい欲求としてもあるし、注目を浴びたいから見られてるかどうかを気にしているってのもいる。あるいはこっち来んなと思いながら人目を避けるためにも、周りの目を意識することは必要になる。
人見知りの場合は警戒感が多いが、そうじゃない人もかなり人の目を意識する動機は持っており、疲れる余地はある。特に無意識に自分と他人を比較し、調子に乗ったり凹んだりだとか。
自分の意見が言えない
意見を言うのは一種の自己開示と言える。自分の考え、感情の表現など。
人は自己開示に対しては、抵抗感をいくらか持っている。理由は様々。自分を知られたくない、自分のイメージを損なう、相手の負担になるなど。
何から何までオープンにするのも異常だ。開示するしないの選択は常にある。この判断だけでも疲れるし、一切自己開示しないまま人付き合いするのも防衛的な意味でかなり疲れる。
この場合フォーマルな付き合いの方が気楽でいられることが多い。何かしら役割があり、それに忠実でいればいいから。
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二度見知り
症状自体は人見知りと似たようなもんだが、こちらは見知った仲だと緊張する。初対面はむしろリラックスしてフォーマルに振る舞えることが多い。
親しくなることで相手が「疲れる相手」になる可能性がある点が人見知りと正反対。
殆どの場合は自己開示抵抗感で説明がつく。「深く/これ以上は知られたくない」みたいな。
また、やはり自他のフェイスを気にしているような要素は多い。傷つかぬように。傷つけぬように。
初対面の方が話せる 大勢は苦手
人が多い場面だと脳(前頭葉)が処理落ち(負担がかかって処理が遅れること)している説がある。4人以上だと特に。
つまり人数増える=判断材料が増える→脳に負担。相手の話を聞くこと、自分は何を話すのか、誰に話すのか、などなど。当然疲れる。
選択の多さと実行に移るかどうかについて、コロンビア大学が行った実験がある。
ジャム売り場の種類が24種類の時は、客がその場に立ち止まる時間は長かった。しかしその中で購入した人は3%。種類が6つしかない場合、立ち止まる時間は少なかったがその中で30%が購入した。
選択肢が多いと無駄に迷い、結局行動には移らないことになる。そもそも「迷うべきかどうか」の判断からして迷う。
なんかもう、疲れない奴の方がどっかおかしいんじゃないかという気がしてくるが、平気なのは自分が喋りたいだけで人の話は聞いてないタイプが多い気がする。裏を返せば疲れてしまう人は、やっぱりよく気がつくタイプであるし、その分負担が大きいのではないか。
深い付き合いが疲れる
深い付き合いは、トラブルが合った場合に後を引くこと、自分を過度に知られることの2つのリスクがあるといえる。まぁ後者は気にするならだけど。
例えば離婚した相手と、結婚前の仲くらいには戻れるかというのは、大抵は難しいだろう。フラれたら今まで通りでいられなくなるから告白しない、みたいな青春的な何かもよく聞く話だ。
また過去の黒歴史を知っている相手に対しては、まぁ頭が上がらないというのもあるかも知れない。
真面目な話、「仲」と言ってもそれは「縁」であり、相手の人間性などに納得ずくで付き合い初めたわけでは、殆どの場合はない。時には人として嫌い、あるいは信頼できないようなのと、腐れ縁ができてしまうこともある。
イメージの問題ではあるが、このような「失敗するわけにはいかない人間関係」と認識している場合、細心の注意を払い、当然疲れる。
「深い付き合い」のイメージは2通りある。一つはこのような「失敗するわけにはいかない」というもの。もう一つは「何やっても壊れないだろー」みたいに調子こいた感じ。お互いのイメージが違っている場合、一方がストレスフルになる。
素の自分を取り繕う
これも二度見知りなどの切れない縁が苦手なタイプ。別に悪いとも限らんが。無駄に個性を発揮しようとする奴の方が迷惑なのは炎上系YouTuberとか見りゃ分かるだろ。
「取り繕う」というのは、背伸びをしてよく見せようとするか、自分を隠すために無難に見せようとするかの2つがある。
どちらも緊張を生むため疲れる。
また、そのような振る舞いは社交的であり、つまりは自分らしさがなく、本来感(自分らしさ)が失われる。人によってはこれに危機意識すら感じる。
人と話すとあがってしまう
これも「2度見知り」が多い。店員となら普通に話せるが、店員に顔を覚えられて話しかけられようものならもう無理みたいな。アドリブ的なものが基本的に無理。素の自分を出せない系。
これも殆どの場合フォーマルな場面の方が平気。台本持って壇上でスピーチする方が、美容院で店員に話しかけられるよりもマシなタイプ。フォーマル=自分を出さなくて済むから。
自分の話が苦手/プライベートの切り売り
・まぁ秘密のない人間なんていない。秘密がないと言っている人間は最も信用できない。仮に本当に秘密がないのだとしても、他人の「秘密を守りたい気持ち」が実感として分からないのだから相当ヤベー奴となる。
やましくなくても「知られたくないこと」はあるわけだ。プライバシーやプライベートの定義の一つには、「自分の情報をコントロールしていること」がある。プライバシーの場合はこれに加えて「口出しされないこと」を含めることもある。知られるだけで何れも脅かされる余地はある。
・些細な私的事実でも、通常は知られたくないと思う面がある。名前覚えられることすら「不快」ってこともあるからな。
これは本能的なものだ。初対面の赤の他人が、自分の住所氏名誕生日を知っていたら、相当気持ち悪いだろう。
ソーシャル的に無難に振る舞い、かつ秘密を守らなくてはならない状態。侵害してもならない。まぁ疲れる。
サービス過剰/気を使いすぎ
気を使いすぎってのは、そのように緊張させる相手が実際にいる場合と、想像上の「相手の気持ち」に対応しようとして自分が振り回されている状態とがある。
誰の相手をしてても気疲れするのなら、後者だろう。
沈黙に恐怖する
相手が黙っている、あるいはスマホでもいじっている、なんなら今時計をチラ見した程度で「退屈させているのではないか」「つまらないと思われてるんじゃないか」と不安になる。
このため沈黙を発生させたくない。とにかくなんでも良いから喋ろう、何でも良いから質問しよう、何でも良いから相手に喋っていてもらいたい、みたいな感じ。
レアな重症例だが、「相手がなにかを考えているのが怖い」と感じて積極的に注意を奪おうとする者も居る。
相手の顔色や機嫌を伺う/自分がどう思われているか気になる
気遣いができる反面、注意力を使いすぎている。疲れる。
相手の顔色を伺う理由も色々あるが、誰が相手でもそうである場合は「自分がどう思われているか」あるいは「自分は他人を不快にしないか」を気にしていると思われる。
「普通のフリをしてることが見破られていないか」ってのもあるが。まぁわからない人にはわからない。分かる人には分かる話。
クラウン
アダルトチルドレンのタイプの一つに「クラウン(道化)」がある。
重い/暗い雰囲気に耐えられないため、ふざけたり笑わせる/笑われるようなことをやって空気をごまかす傾向がある。
動機は「自分がなにかしないと、みんながどんどん不機嫌になっていく」との思いから。
クラウンを始め、アダルトチルドレンのタイプには「気を使いすぎ」の傾向は多い。
頼まれごとを断れない
サービス過剰というかNOと言えない。
これは「言うだけならタダ」とか「ダメ元で頼んでみる」みたいなことをよくやるタイプが天敵になる。
これはむしろマシな方で、同調圧力みたいな「遠回しの強制」とか逃げ道塞いでから「お願い」するようなのとかもまぁ多い。案外自己愛やソシオパスはそこらにいる。
天敵が結構いるわけだ。これを「人」とはこんなもんだと認識すれば、イコール人付き合いとは疲れるもの、とは成りやすい。
まぁこういう人はそもそも好き嫌いを主張しないで、内心はどうあれ笑顔で応対してしまうため、相手が平均的な人間でも「疲れる相手」になっちゃったりする。
人に頼れない。自分で抱え込む。
一方で、自分のことは自分でやる。というか、人に頼れない。あるいは頼ろうという発想が全く無い。
頼まれごとが「嫌なこと」だと認識し、他人に迷惑をかけないようにしているのかもしれない。あるいは「自分が頼んでも引き受けてはもらえないのだろう」と諦めているのかもしれない。
この場合、搾取されるのみとなる。相手がたとえ借りを感じていて、機会があればそれを返したいと思っていても、「借りを返す隙がない」。
周りは「奪う者」のみとなる。疲れる。
人前で無理をしてしまう 頑張りすぎ
よく見られたい。あるいは悪く見られたくない。そういう思いの表れとして、人前では無理をする。無意識と言うか、自然とそうなってしまうタイプが多い。
これはどちらも承認欲求。よく見られたいのはわかりやすいが、悪く見られたくないとか、自分の評判を維持したいという形のものもある(拒否回避欲求)。
どの道、緊張し、無理をするという点では変わらない。疲れる。
テンション合わせるのに疲れる
うぇーい。
自分よりテンション高い奴はまぁ、見てるだけで疲れるものだが。低いのに合わせるのも結構疲れるものだ。
これは相対的なものだ。自分を絶対値として、それより上だろうが下だろうが離れていれば離れているだけ合わせることに疲れる。
そもそもテンションまで合わせる必要も無い気がするが。周りが盛り上がってても自分にとってつまらんもんはつまらんのだし。無難な応対程度で良くないだろうか。
それを完全同調しようと自然と思うのなら、やっぱり空気壊しちゃ悪いみたいな自己犠牲的な面はあるだろう。
人付き合いに疲れる理由
総じて、緊張すると疲れる。人付き合いに対して、当人なりの緊張する理由がある。
この緊張は好き嫌いとは別だし、自覚がない場合もある。いい例なのが「予定がストレス」という話だろう。楽しみな予定、好きな相手でも、「予定」ってだけでマジきっついとなる。
偽りの自分
人付き合いは社会性に属する。これは独自性とは相性が悪い。周囲に合わせて自分の欲求やら意見やらを調整する必要がでてくるから。
たまに見かける「ありのままの自分を受け入れてもらいたい」みたいなのは、取り方次第では大分無理がある話で。ありのままの自分が「社会」に受け入れられることはほぼ無い。それは社会と対を成すからだ。場違いということ。
取り方次第ではね。特定の相手にくらいなら望みはあるだろうが。
反対に人付き合いにおいて、自分が本音で接してはおらず、なんか嘘ついたり隠し事してるみたいで、そんな自分が嫌だし、疲れるって人もいる。
ただこれは裏側を見れば社会性(ここでは群れや全体を意識していることとする)を発揮しているからこそであり、動機が調和のためならば、別に自分を責めることもないだろう。
みんなちょっと我慢/自制している。関西だと、例えば大皿に盛られた唐揚げとかで最後に残った一個のことを「遠慮のカタマリ」なんて言うそうで。このような「事象」は発生しやすい。名前が付く程によくある話。多くは無意識に社会性を発揮している。
まぁ全体への貢献というよりは、意地汚く見られたくないとかそういうのが多いが。
心の読みすぎ
心の読み過ぎは認知の歪みの一つ。他者の言動からネガティブな可能性を予測すること。例えば自分は嫌われているのではないか、馬鹿にされているではないかなど。
実際には被害妄想に近い。類似した例としては、敵意帰属バイアスがある。
曖昧な、確信を持てない他者の言動を「敵意」として解釈する。児童の認知様式だが、成人でもあるとされる。
何れにせよ、これらの「認知」に当然「対応」しようとする。マイナス評価を受けたと思いこんで取り返そうとする、バカにされたと思い込んでやり返そうとする、などなど。
実行の有無はともかく、頭の中はそんな感じになる。当然疲れる。
外向型の方が人にどう思われるか気にする
ちょっと面白い話としては、外向型と内向型で「相手と目があった状態」から目をそらすのがどちらが早いかという実験を読んだことがある。
仕切りの前で顔を固定して、その仕切りを取ると他人が同じようにこっちをガン見している状態でご対面、という状況を作る。そこから目をそらす時間を測る。
結果、外向型の方がいち早く目をそらした。これは他人が自分をどう思っているか連想してしまい、ストレスだったからという解釈がされている。
自己評価が低い
常連のトピックであるが。
自己評価が低いと、他者も自分に低い評価を下しているだろうと思ってしまいやすく、卑屈になったり臆病になったりする。「心の読みすぎ」の原因ともなる。
自分の中の嫌いな所、悪い所、至らない所を意識しすぎているため、他人からもそれが丸見えだと思っている。実際には言うほどじゃなかったり、興味がなかったりで気づかれていないことも多いのだが。
一方でこれが動機で見栄を張ったりすることもある。人前では常に背伸び、というならそりゃ疲れる。攻撃的になり、誰かを批判/侮辱したりするのも居る。
楽しくない/自由じゃないから
まぁ、うん。シカタナイネ。人付き合いの、恐らく絶対に解決しないだろう問題がこれだ。
「自分の時間じゃない」。一人で、あるいはその場では叶わないことをやりたいなら特に。
別に周りが悪人じゃなかったとしても、気になってしまったりで集中できないなどもある。
何かやりたいことがあるのだろう。あるいは、それを探したいのかもしれない。
自覚なくストレスが溜まる不快な交流:ゲーム(交流分析)
交流分析という人間関係の心理学には「ゲーム」という概念がある。「必ず決まった形で終わる、お決まりのやり取り」。殆どが不快感を相手に残す形で終わる。
人間関係の病に近い。例えば「Yes But(はい、でも)」のゲーム。相手に相談し、相手からのアドバイスには「はい、でも…」と返すことを続ける。これで相手は無力感を抱えて話は終わる。
Yes But を仕掛ける側の目的が「相手に無力感を味合わせる」「相手の時間を奪う」ことだともされている。私が見た限りは、ただ単に自分が他人にかまってもらえる唯一の方法で、それにより交流し、できるだけそれを長引かせたいくらいに思ってそうだが。性格の悪い独居老人がクソクレーマーになるみたいな。
これは交流(ストローク)への飢えから初められる。寂しい、かまってもらいたい、不安や不満がある。これらを満たすために半強制的に相手をせざるを得ないような事態を起こしたり、そのような話題や文脈で相手を「捕まえる」。
このような「やり取りのクセ」がある人間との付き合いはそりゃ疲れるし、過去のそのような経験から人付き合いに対して過剰に警戒している「警戒疲れ」の可能性もある。
気質として人付き合いに疲れやすい人
気質が外向/外交と相性が悪いタイプもいる。この場合、当人の好き嫌いとは関係なく疲れる。
内向型は人付き合いに疲れやすい
ここでの内向はキャラの話(内向的)ではなく、脳的な話。刺激に対しての感受性と「何が充電となるか」とする。
・内向型は「その他大勢」との付き合いで疲れる。ソーシャルで疲労し、プライベートで回復/.充電する。
反対に、相当に心を許した相手とならくつろげる。元から人付き合いの好みが「深く狭く」であり、広く浅い人付き合いは疲れる。
・そもそも、ビッグファイブでは内向外向は一つのラインでどのあたりに位置するかで表される。例えば9:1でかなり強い内向だとか、4:6で微妙に外向型だとか、そのような感じ。このため大体の人間は内向型の気持ちも外向型の気持ちも理解できる。
HSP
ハイリー・センシティブ・パーソン。繊細過ぎる人。最近世間では「精細さん」なんて呼ばれてたりもする。生まれつきの特性とされている。
刺激を脳が重要視しすぎるため、頭の中が忙しい。情報量が多いと基本的に疲れる。些細なことに気が付くことが多い。
他人の顔色がよくわかってしまうし、それを問題として重要視しすぎてしまう余地もある。
HSPは5人に1人の割合だと言われている。このため「人付き合いに疲れる人」も相当数いると思われる。
HSPの第一人者であるアーロンは、この敏感さの表出は抑えることができるかもしれないとは考えているようだ。
自己犠牲的な人付き合いが自然体。サービス精神がありすぎる。滅私奉公。
・サービス精神旺盛な傾向がある。基本、相手に合わせる。沈黙が怖くて話題を常にストックしている。
・認知の歪みの一つに「心の読みすぎ」がある。実際には読めるわけなんてなく、想像/推論しているわけだが。これが思い込みならよろしくない。
相手に気を使いすぎる人も、相手が何を考えているかを必死に推論しようとしている。そういった心のモジュールが過剰に働き、それに対応しようとするから疲れる。
これらは時に、自分自身は尊重しない、相手に合わせすぎた態度ともなる。適度に主張もして、バランスを取るべきだが、それをしない/できない人はいる。
いい人のフリに疲れた
これも人によく見られたい心理と、「嫌われたくない」という心理の2ケースがある。後者の場合はいい人のふりを「してしまう」という形になりやすい。
感情労働を自主的に行うようなクセがついている。サービス業でよく見られる、「愛想」とかの商品化をそう呼ぶ。アーリーラッセルによれば「心の商品化」。
感情労働には表層演技(愛想笑いなど表面的)と深層演技(心からそう思い込もうとする)がある。
深層演技は感情が生成される段階でコントロールされており、習慣化されれば休日でもオンオフが切り替えられなくなる。ラケット感情(偽物の感情)に近い。
自分でも「心を許せるはずなのに」と思うような相手の、顔色を過剰に伺うようなら、そうかもしれない。
相手にどう思われているか気にしすぎ
人には「どう見られているか」を意識する機能がある。平たく言うと、心の中に「他人の目」がある。これも一種の本能で、これによりそこそこ妥当な振る舞いが人前ではできるわけだ。
別に称賛獲得欲求とか持ってないんだったら、この時に意識するのは拒否回避欲求であり、つまりは「無難な振る舞い」となる。常識のない人間だ、変なやつだと思われないように振る舞う。
「どう見られているか」は、それができてるかどうかの自己監視モジュールだと言える。意図的に「見られている意識」を強めてしっかりやろうとしている状態とも言えるので、当然緊張して疲れる。
一方で、「過剰な自己監視」が精神を病む原因とする説もある。ヴィクトール・フランクルなど。
例えば「書痙」。きれいに字を書こうとすると手が震えて書けない。これが、「今までにない下手な字を書こう(逆説志向と呼ぶ)」とか思ったら治ったという例もある。
つまりは自分を客観視する能力が過剰に働いていると、常に自分が品評会のステージに上げられている気分になる。
気を使いすぎて消耗する
気を使うといえば聞こえは良いのだが、気にしすぎて空回りってのも多い。独り相撲。読んでいるのが空気なのか、他人の顔色なのかは自問自答したほうがいい。
人間関係、または対人的な振る舞いという「分野」に於いての完璧主義とも言える。
相手に合わせて振り回される
光があれば影があると言うか、気を使いすぎる人の裏には、気遣いをタダだと思ってる頭が幼稚園児並なのとかがいることが多い。
自分が思いつきで突っ走り、後ろから誰もついてこないと不機嫌になるなど、自己愛と言われそうな言動が目立つ。こういうのは誰だって相手にしたくない。
一方で断れない、気を使い過ぎが過剰だと、どうでもいいことを重要ごとと汲み取り、対応してしまうことになる。この場合も「相手に合わせて振り回される」形にはなるが、この場合問題があるのは相手ではないね。
他人の都合に巻き込まれる
相手が他者を利用して屁とも思わないようなアレな人間である場合もあるが、反対に過剰に気遣いをして即座に他人の都合に対応しようとしてしまう人もいる。
後者の場合、良く言えば常に周囲に気を配っている、悪く言えば常に周囲を警戒している状態であることが多い。じゃないと即座には動けないし。
さらに言えば、トラブルが発生しないように先回りの気配りもしているだろう。特に騒ぎそうな奴に警戒して。
相性というものもある。特に他人に何も期待せず(かと言って影響も考えてないが)に、思ったから不満を口にした、程度の人もいる。そういうのにまで気を使ってしまっていれば疲れる。
知ってほしいこと
人付き合いに疲れることに罪悪感を、あるいは自分がなんか変なんじゃないかと思う人も多いが、どうも調べてみると大体の人間が人付き合いがそんなに好きじゃない。
心理的にも最も警戒する距離が「世間」であり、人付き合いとはその当たりの距離感であることが理由として大きい。
半分以上は人付き合いが面倒
・「人付き合いを面倒に思っている」人の割合が、58.1%だそうな。(ニュースサイトしらべぇによる10~60代の男女1789名からのアンケート。)
女性の方がそう感じていることがやや多く、20代と40代でそれが目立つ。なぜか30代は男の方が多い。仕事がらみだろうか。
・この上で、人に向かって「人付き合いが面倒」なんてなかなか言えないわけだ。大体は言われた相手は「オマエ、めんどい」と言われたような心境となるだろうしな。
そうじゃなくても、ステレオタイプとして「人付き合いはよろしいこと」というイメージがあるせいで、これをカミングアウトすることは「自分は普通じゃない」と告白するのと同じとなる。我慢することを選ぶなら、疲れはするだろう。
そんなこんなで、この悩みは隠されやすい。だが案外、共感されやすいトピックでもある。言い方とか場面とかは考える必要あるけど。
「セケン」という距離感が一番めんどくせぇ
実は人付き合いが必要な仲とは、元から一番めんどくさい距離感だという話。
人との距離感といえば「身内」と「社会」などの、内と外みたいな二分が一般的だと思われる。
一方で「ミウチ」「セケン」「タニン」という3分類されることがある。
ミウチは身内や仲間内。これはそこそこの「深い仲」なので、いちいち「人付き合い」とは言わないだろう。
タニンは赤の他人を指す。別に死んだところで「死者一名」でしかない。どう思われたところで知ったこっちゃないレベルの距離。付き合いはない。
「セケン」は中途半端な距離感であり、そして最も羞恥心が強く働く距離感でもある。半端にこっちを知っているし、その縁もしばらくは続くことが想定されるしで、自己開示などには最も慎重を要する。
「下手に知られたくない」「下手なことを知られたくない」という距離感。当然緊張感があり、疲れる。
要するに微妙な仲の相手との「半ソーシャル、半プライベート(プライベートという名のソーシャルかも知れんが)」的な関係が一番疲れる。
悪いことではない
特定の相手がどうこうでもなく人付き合いが疲れるというのは、おかしかないし、悪くもない。
人付き合いは自分の時間が犠牲になる。人付き合いが生きがいの人間はむしろ一人の時間に耐えられないことが多い。
といっても、大半はずっと1人でもそれはそれでしんどいので、人付き合いのペースを落とすとかが現実的なところだろう。今回あくまでも「疲れた」であって、嫌で嫌でたまらないとかではないのだし。
みんなに好かれるのは無理。
もうあれよ。「みんなに好かれてるから嫌い」とかあるからな。「人気者」にケチつける奴ってのは珍しくないだろう。
好かれたいと言うよりも、敵意を向けられたくない、ってのが正しいところだと思う。ただ、敵意帰属バイアスみたいな勘違いして殴りかかるモジュールが人間の頭の中にあるため、まぁそれも難しい。
せっかく疲れるほどに他人を気にする能力を持っているんなら、一緒にいたい相手に気を使った方が良いだろう。それ以外はベストじゃなくてベターで。
人付き合いで疲れることの対処法
理由が色々だから対処も色々。
取り除く(ストレスとして扱う)
疲れるのが我慢しているからの場合。人付き合いでストレス溜まってる場合。
ストレス発散をする
まぁ好きなことを。自由な時間で。
その時間が奪われるから人付き合いが疲れるってのもあるので、断る時には断るなどの時間を確保する立ち回りも必要になる。
人付き合いのストレスは緊張と抑制による窮屈さに近いため、「自由」がその対抗手段となる。だから特に意味や意義もなく蟻の行列眺めてて幸せなんだったらそれでいい。
真面目な話、人の意義や意味を求める心理自体が窮屈さを生み出しているところがあるので(このせいで休日の方が苦しい人もいる)、清々しい顔で「時間を無駄に過ごした!」と言えるくらい無駄でも別にいい。
あまりこのストレスに対して「解決」をしようとしないほうが良いかもしれない。人間関係のストレスを解決するというのは、相手に何かしら主張し、飲み込ませる必要も出てくるか、あるいはその場に近づかない形になる。
これらは今まで維持してきたことと毛色が違う行動であり、恐らく本望ではないだろう。白か黒かの極端な考えではなく、少ししんどいから減らしたいくらいの方針のほうが良いと思われる。
充電する(疲労として扱う)
「消耗」として扱う。内向型の「充電」や、HSPで言えば刺激から避難して回復すること。
一人の時間を作る
自分に一人の時間が必要だと知ること。一方でエリック・バーンによれば、人はストローク(交流)を得るために生きるとも言われており、ずっと1人でもよろしか無いが(平気な人もいるけど)。
ともかく、内向型やHSPなどは「ずっと人付き合いをしている」という状態では摩耗する一方となる。社交によって消耗し、1人で過ごすことによって回復する体質。
信頼できる人との関係は大切にする
内向型の主観としては、今回のような「浅い人付き合い」は誰が相手でも疲れるものと感じているだろう。ただ、反対に「この人となら疲れない」という相手が恐らくいる。まぁ居なくてもできる余地はある。
内向型の人付き合いの好みは「狭く深く」のため、相手を知って気に入れば、疲れなくなってくる余地もある。大人数はやっぱり疲れるままだが。
人付き合いが疲れるというのは確かにそうだが、この場合は「よく知らない相手と接していると疲れる」という面も大きい。人見知り。反対に、よく知っている相手、この上で信頼できる相手との縁は大切にしたほうが良い。その相手とは基本疲れないのだから。
消耗を抑える
人付き合いを「疲れること」として認め、この上で消耗を抑える。
この点はあまり割り切れない人もいる。「疲れないはずなのに」と思ってる人。現実には人類の半分は人付き合いでそこはかとなく疲れるので、誤信念と言えるが。
一見冷たい感じになるが、スタート地点が「サービス過剰」とか「気にしすぎ」なんだからこれで丁度いい。
苦手な人とのコミュニケーションを最低限に抑える
酷い時には、自分がその相手を苦手としている自覚がない場合もある。無難に振る舞おうとしすぎている場合は。
「交流のクセ」のようなものが人にはあり、それが合わない相手の場合は疲労感も強い。相性はあるということ。
克服しようとか、より適応しようとする場合もあるが、基本無理なものは無理だし、相手は変わらないしで、コスパは悪い。これを続ける限りは疲れるだろう。
関わらなくていいのなら、その方が良い。
苦手な話題は極力避ける
人生経験なんてそれぞれなので、他人が愉快でこちらは不愉快なトピックなんていくらでもある。一般的なヒューマンは振った話題がアタリかハズレかが分かる程度の知能はあるため、それほど問題にはならないが。
ただ、ここまで述べてきた通り、人付き合いを苦手としている人は「自分が我慢すれば丸く収まる」みたいなイメージを持っている場合が多い。だから調子を合わせてしまう。
この場合、一般的なヒューマンでも振った話題がアタリかハズレかがわからない。個人としてのフィードバックをせず、無難に笑顔ですべて返すのならそうなる。
弱みを見せたくないから、「その話題はちょっと」とすら言えない、という面もあるのだが。それでも「もっと面白い話題はないの?」とプレッシャー掛けてやる事もできるし、まぁ手段は色々。
周囲からの評価を気にしない。そんなに注目されてないと知る。
人目を気にして「お利口」に振る舞おうとする心理が人にはあるのだが、人が感じる「人目」は現実以上に多めに見積もられていることが発見されている。スポットライト効果。
被験者に超ダサいTシャツを着せて、わざと講義に遅刻させた。この時に「他の生徒がどれだけ超ダサいTシャツに気づいたか」が、被験者の主観では平均して50%だった。実際には20%。2倍以上の「悪い注目」を集めてしまったと感じているということ。
つまり人前での緊張度は、本来の適量の2倍以上である可能性。コスパが悪い。当然疲れる。その緊張感は、半分以下で良いのかもしれない。
まぁゆうても絶対に恥をかきたくない、絶対に失敗したくないとうので意識的に過度に緊張させている面もある。それで正解な場合もあるが、もうちょっと周りに心許せると良いね。まぁ許して大丈夫かどうか考えてから決めることだけど。
「最低限の人付き合い」だけはしっかりやる
挨拶、応対、身なりとか。
人がなんでベタベタしたがるかと言えば、「仲間意識の再確認」みたいな面がその一つとしてある。このため人付き合いを避けた時点で敵対視するような問題児もいる。
後は、ぶっちゃけ女に多いが、つまらない女子会に参加しないと「自分の悪口を言われそう」として、嫌々参加しているのとかはいるね。まぁ参加している時にはそいつもいない奴の悪口言ってんだろうなとも思えちゃうが。
参加しないだけで敵対視してくるようなら確実に「不良集団」と言えるが、まぁそうじゃなくてもマイナス印象を持たれやすい。最低限の人付き合いは、可能ならば維持したほうが良い。
仕事と割り切って接する
給料は出ない。タダ働きだ。真面目な話、完全に損だからやらない、やりたくないという人もいる。
例えばクソつまらん飲み会(大体メンツのせい)でも、参加すれば自分に何らかのメリットが有ると見出せるなら、「仕事」として割り切ればいい。
これは感情的報酬、「交流」としての手応えみたいなものに期待をしないということ。自分はもっと実利的なモノのために動いているのだと自覚すること。
顔面キャッチしない
何でも真に受けると疲れる。加えて、どうせ人は変わらない。
人を動揺させて楽しむサディスティック人格障害とかもいるし。
自覚がないことも結構多いが、何でも真に受けてる人は大抵即座に対応しようとする。このため客観的には落ち着きがなく見える。
見てるだけで疲れるような動きをしているということ。やめれば疲れない。わかりやすいね。
スルースキルを磨く
相手との間に気になることがあっても、案外ほっといたらその内どうでもよくなったりはする。これは特徴があり、その人間とその件以外では日常的やり取りが継続すること。ない場合はその悪いことで相手の印象が固まって尾を引きやすい。
相手の気に食わない点に「反応」してしまうと、相手は「反応の反応」をしてドツボになる。他人がデリカシーが無いのは珍しい話じゃない。こちらが触れられたくないことなど知らないのだから。
【ハンロンの剃刀】という概念がある。「無能」で十分説明できることに悪意を見出すなという内容だ。大抵の他者の不快な言動は悪意ではなく、まぁ交流の上での「ミス」に近い。センスがクッソ悪いこと由来の意識的行動の場合もあるが、これはこれで大体一生治らない。どの道、反応して特をすることはないだろう。
ハンロンの剃刀は、「ただし、悪意の存在を除外してはならない」と続くことがある。まぁそうだとしても尻尾を掴んでから動く方が望ましいだろう。それまでは表面上はスルーで。根には持っていい。
メモ
・つまり人付き合いはめんどくて疲れる。それが半数以上の人間の感想だし、その理由も十分にある。 相手次第な面も大きいだろうけどね。
むしろ平気なやつがおかしいようにも思えてくるし、もしかしたらその「平気なやつ」が疲れる原因かも知れない。
平気な理由がどう考えても「性格が雑だから」な例とか。外向型は人付き合いに疲れはしないが(上手いとは言ってない。本当に社交性と外向性は別物である)、刺激に対してニブイと証明されている。
・まぁ、この上で「楽しいかどうか」ってのが別枠にある。
今回の内向型がいい例だが、「好きだけど疲れる」とかはある。後は「楽しみな予定なのにストレス」とかそういう心理もある。
好きだけどめんどくさいというのもある。積みゲー積本も楽しみすぎて手がつけられないなんて意見もある。元から「真剣なレジャー」は気力体力を使うものだ。
楽しさが勝るならそれでいいだろう。ただし疲れている時にはそういうのも無理かも知れない。
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