・考えない人にも色々ある。
何も考えない人。やらかす。
自分で考えない人。やたらと聞いてくる。鬱陶しい。
「考えがない人」。意味は大きく変わる。自分の意見や方針を持っていないという意味。
具体的に考えられない人。実践では学んだことが活かされない。表面的なことしか言えない/わからない。
人のことを考えない人。自分勝手。
目次
「考えない」とは何か
・自分で自分を「考えない」と思うことよりは、他人にそう指摘されることの方が多いだろう。他人から見た時、対象が考えない奴に見えるのは、
- 結果を予測しない
- 取りあえず動く
- 人に聞く回数が多い+内容のレベルが低い(当人の能力的にも「ちょっと考えれば分かること」を聞いてくる)
- 自分からは動かない
- 疑問を持たない
このあたりで、特にこの話が職場で多いのは、それなりに自発的に動いてもらわなきゃ困るからだろう。
ゆうても思ったこと口から垂れ流してて「自分は考えがある」とか思ってるのいるし、割と基準は曖昧である。
・「考えない」という言葉は、正確に表現しようとすれば前後に他の言葉がつくことが多い。自分の考えがないだとか、考えないで行動するだとか、考えないですぐ聞いてくるだとか。
実質的にはその言葉が示すのは、態度か行動である。この点が変わらないのなら、いくら頭で考えていてもそう言われ続けるだろう。
まぁ言ってる側が悪いこともあるが。
考えない人の特徴
わかったふりをする
その場では「わかった」というが、実際にはできない。或いは翌日また同じことを聞く。
思い込みと勘違いでとんでもないことをする
一度「わかった」と思ったら止まらない。その理解が正しいのかどうか、実行したらどうなるかを考えない。
加減を考えない
・3種類ある。
- 「何を考えるべきか」、フォーカスとゴール設定の問題。
- 「何を気にしてどこまで考えればいいか」、考えの広さや深さの問題。
- 「やればやるほどいいはずだ」という加減する気ゼロ。
これらは逆に考えすぎ、やりすぎのリスクも高い。
特に3つ目は、周りが止めても止まらないなどもあり得る。
言われたことしかしない/自分からは動かない
・積極性がない。ある意味従順である。最小限しか動くつもりがない場合と、「言われたことしかやってはいけない」と思っている場合がある。
三種類ある。
- 言われたことしかやってはいけない
- 何をやったら良いかわからない
- 間違えたくない。
これについては環境の責任も疑わしい。
反応がワンパターン
・反応自体は素早いが、反射的、衝動的。一言で言えば「わかってなくてもできる応対」が多い。
例えば指示に対して返事だけは早いが、やらない。
謝罪はすぐにするが、その後で同じことをやらかすなど。
楽観的
・悪いポジティブシンキング。
「大丈夫だと思った」
「いけると思った」
「なんとかなると思った」
「笑ってるんだから怒ってない」
「何も言われないってことは大丈夫ってこと」
自分のことなのに他人事のような態度
・責任を取りたくない。責任感が元からない。「自分がやらなきゃいけないこと」という自覚がないか、できれば他人に押し付けたい。
一方で、当人よりもやる気を見せる熱血サポーターや鬼コーチ気取りの外野とか居ると、一歩引いてしまう人もいる。
何かを極端に盲信する/何かを頭から否定する
・考えない=騙されやすい+人の話聞かない。盲信しやすい。
何かを頭から否定するのも「これは違う」と何かを盲信している状態に変わりはない。
「頑固であること」は、他を知らないし考えてないだけの可能性もある。自分では「意志が強い」と思っているかも知れないが。
額面通りに受け止める
・或いは「言葉通りに受け止める」。要するにこれは「文脈」という概念がないことを示す。勘違いからの大激怒なども。
ただし、緊張が原因でこうなることもある。「言われたとおりにしなければならない」と構えた上で、指示がいい加減だったりだとか。一概に性格や能力の話とも言い切れない。
ただしこのせいで、相手の言葉尻を捕らえる、揚げ足取りにしか見えないなど、どの道かなり攻撃的/挑発的な印象を与えやすい。
考えないと何が困るのか
・事態に対して受身になるしかない。騙されやすい、過剰反応(狂信者)、フェイクニュースの拡散に参加することになる。
・或いはこれらを恐れて意固地になり、話が通じない。総じて狂信者か、アンチかになりやすい。
・この上で散見される無責任に見える態度は大きく懸念材料になるだろう。他人からは厄介事を作り、そして押し付けてきそうに見られる。
・特に仕事上では信頼ができないため、「アイツに頼むより自分でやったほうが安心できる」とはなるだろう。
・何よりも意図せずにキングメーカー(後述)になりやすく、これが結構嫌われる。
何も考えない人
・口癖が「わからない」「知らない」「覚えてない」。
何も考えてないで行動する人。行動力、自信、やる気「だけ」あるタイプ。最初から行動するつもりがあり、考えるつもりがない。
先のことを考えない・考えが浅い
・「どこまで考えるか」という点で不足。
疑問を持たない
・考える必要性の不足。考える目的や動機がない。
対象を自分には無関係だと思っていれば、それだけで考えは浮かばない。
具体的に考えられない
・具体性の不足。厄介なことに、これでもなんとなくわかった気はしてしまう。実行に於いて困ることになる。
自分で調べない
・「聞いたほうが早い」というのが常套句。
・「話のネタ」として疑問をストックしている場合もある。
メモを取らない
・一度聞けば分かると思っている。
・或いは聞いた時の「わかった」という感覚は錯覚だったり一時的なものだったりすることを知らない。
・またこれは、何度も教えたり質問に答える側の手間を軽視した、身勝手な態度。
早合点
・説明開始数秒で結論を妄想すると、後の相手の発言はただの「消化試合」になる。
適当にコクコク頷いて、相手が話し終わったら「わかりました!」と言って飛び出し、わかってないことをやらかす。
・「わかった」と思ったら誰でもそれ以上はあまり考えないだろう。この「わかった」と思うハードルが異様に低い。
行動の質じゃなくて量でカバーしようとするタイプに多い。要はせっかち。
・後述する失敗恐怖に繋がるが、先延ばしグセ、完璧主義の一部は「じっくり/しっかり考える」ことをやらない傾向がある。
これはいくらIQが高かろうが、考える時間があろうが、軽率な結論しか出なくなる。逆を言えば「早くしないと」と思えば誰だってこの傾向は強まる。
何も考えない人はなぜ嫌われるのか
・学ぶべきことを学ばないのなら相手にするだけ無駄だ。毎回同じことで聞いてくるのはもう「介護」に近い。
・現実には考えすぎて精神病み気味な人間のほうが多いから、その分正反対すぎて考えない言動は目立つ。
・時には考え過ぎないことも必要だったりするが、一部は周囲との軋轢が生じているため、やはり考えなさすぎという問題あるだろう。
考えることへの苦手意識について
・特定の分野や考えることそのものに苦手意識を持っている場合もある。
人は苦手なことを考えなければならないと思うと脳に「痛み」が走るらしい。数学嫌いが数学の問題に取り組まなくてはならない時、そのような反応を見せるという実験結果がある。
考えることそれ自体に「痛み」を感じる人間がいたとしたら、考えずに「わからない」は、あるだろう。
・救いとしては、この様に痛みを感じる人でも「実際に数学の問題を説いている時は、ほとんど痛みは発生しなかった」ということ。
「想像するだけで嫌だ」ではなくて、「想像が苦痛をもたらしている」のが現実だということ。
裏を返せば「苦手意識」そのものが苦痛の最大の原因であること。
自分で考えない人
「考えてはいけない」
・自分で考えない人の中には「指示待ち症候群」と呼ばれる自分で考えて行動ができない人もいる。言われたことしかやらない、或いは応用力がないと評価される人の中にも。
・単純に「考える」というのは一種の自発性だ。
「余計なことはするな」「言われたとおりにやれ」「失敗するな」というのはこれまた単純に「教えた芸をアウトプットしろ」というだけで、元から思考の余地はない。
・「考えろ」って言葉もあんまり考えてない言葉で、判断しろ、理解しろ、気を使え、あるいはいちいち聞いてくるなって意味である余地もあるな。
ただ、こんなブレのある言葉に対して「じゃあ考えなくてはならない」とか「自分は考えがないのか」と素直に思うのなら、従順に過ぎるというのはあるだろう。
暇ならエゴグラムって心理分析をやってみると良い。多分「AC」って要素が高いかもしれない。
・環境的に「自分で考えるべきだ」と思えないような要素、または「勝手なことをやってはいけない」と思うような要素はないだろうか。
正直「考えろ」って言葉は、思い通りにならない奴に言う意味のない言葉でもある。「気が利かない」とかもそうだね。気にしなくていいかも知れない。
「責任を持ちたくない」
・厳密に言えば考えないのではない。行動が正解である保証、あるいは失敗した時の保険を欲しがる。
・失敗したら人のせいにするとか、人の「手伝い」じゃないと動けないだとか。自分のことほったらかしてまで人の手伝いしようとするのも居る。
「失敗したくない」
・これも厳密に言えば考えないのではない。緊張や過度の失敗恐怖などで一時的になり得る。
・精度や成功率をあげようとした場合、何度も確認するというのは不思議ではないだろう。確認手段の1つとして「人に聞く」はある。
・特に人に聞かないと不安だという気持ちと、そこから来る思いついた事を片っ端から聞いてくるという行動になりやすい。
聞いた上でもやっぱり動けなかったりもする。そうなるとまた聞いたり確認したり。
言われたことだけやるのは何が悪いか
・一部は「言われたとおりにしたのに何が悪いのか」と不思議に思う人もいる。逆を言えば言われたとおりのことだけをやるのが「正しい」という認識を持っている人はいる。
これは実際「余計なことするな」と言っておきながら「自分から動け」と怒るような奴もいるため、誰が悪いんだか断言できないことが多い。その上で自分が何言ったか忘れてたりね。
言葉だと「加減」がほぼ伝わらないのも原因の一つだろう。
また、この上でも自分から動かないことは正解かもしれない。「無能でやる気がある奴は撃ち殺すしかない」とネットミームで言われるほどには、行動力しか無いことは面倒事を生み出す。
・何が悪いかって話だが、単純に他人が其の者をいちいち「操作」しないといけないからだ。操縦者は自分の仕事が犠牲になる。仕事だったら雇った意味がほとんどない。
・あと盲点になりがちだが、「短期的な」言われたことしかほぼやっていない事が多い。
「今日は/今から」+「これをやれ」には対応できるが、昨日教えたことは今日は無関係であるかのような反応を見せることは多い。
「言われたことしかやらない」というよりは「言われてから動く」という行動パターン。だから次の日も言われてからじゃないと動かない。
これは自分の「役割」を持たない、身軽な「お手伝い」の立ち位置といえる。
他人事に対して、出しゃばらないようにしようとすればこうなる。既に役割が与えられているのなら、「無責任な態度」になる。
わかりやすく「自分からやるべきこと」として明示してやればいいじゃないかと思うが。文句言う側はあまりやらないね、特に口伝で教えるような所は。
なんかこう、いちいち他人が気が利くかどうかを試してるというか、気を利かせてくるのを待ってるようなのもいるしな。
・自分で判断できない、考えてもわからない。或いは自分でそう思っているから初めから考えない。そうなると「人に言われたとおりに動こう」というのは妥当な計算結果ではあるだろう。
状況判断が正しければそれが正解になる。逆に間違いだとされるならば、状況判断が間違っているかもしれない。既に責任はあるかもしれないし、周りは当人が自分でやるべきことだと思っているかもしれない。
・単純に材料不足の場合もある。ボーッとしてたら考えを言うように言われ、そこから考えればまぁ的外れなことが出てくるか、何も考えられないかだろうし。
考え始めるのが遅い
・それが自分に関係ある話だと分かるのが遅れれば、それだけ不十分な思考となる。
「言われてから動かなきゃいけない」と思っている場合、大抵は状況把握の段階で出遅れる。
・考えを示すのは、発言か、行動かになる。頭の中で何を練り上げていたところで他人には知覚できない。逆を言えば、発言や行動が遅れる、あるいは「動かない」という時点で、考えがないとは思われる。
キングメーカー
・kingmaker. 王を創る者。当人は表にでないが、裏方で大きな影響力を与える者。
ゲームではこれは「自分は勝てないが誰を勝者にするか決めることができる者」を指す。
例えば七並べでもやっていて、自分はもう絶対に勝てないが、2を出せば左の奴が勝ち、Qを出せば右の奴が勝つというような状態。
ゲームの勝敗は当人の運や実力に帰属されるべきであり、他人が全て決めてしまうキングメーカーの存在は「興を削ぐ」とされている。
・例えば2つの派閥が対立している状態で考えがない=意見を持っていないというのは、他者から見れば敵にも味方にもなりうるということでもある。
その対立が拮抗状態なら意見がないというそれだけでキングメーカーになってしまう。望んでその立場になりたがるのもいるにはいるが。
もしも望みが「厄介事に巻き込まれたくない」という場合にも、ブラフとして何かしら用意したほうが良いだろう。じゃないと勝手に注目が集まり、余計に巻き込まれる。
最終的にどちらかに決めるつもりがあるのか、それとも関わりたくないのかくらいは考えておいたほうがいいだろう。
興味がないのにスタンスを考えておかなくてはならないという、社会的な面倒くささが詰まった話である。巻き込む奴が悪い。
考えがない人
・考える方針がないから考えが出てこない。考えなきゃいけない理由や目的がない。
・その案件に対して、共感や感情移入をしていない。しなきゃいけないわけでもないが、その状態は完全に受け身なため、考えは出てこない。
端的に言えば対象に介入や干渉する意思がない。深入りしたくない、関わりたくないと思っているとこうなりやすい。
「関わりたくない」というのも意見だし別にいいと思うが、万事にそうだとしたら淡白な性格か、脳がつかれた状態か。
・何か突発的な、難易度の高い仕事が舞い込んだとしよう。活躍したきゃ飛びつく。サボりたきゃ逃げる。スタンスが何もなければ、棒立ちだ。
これは対応の指針がないことを示す。指針は目的、悪い言い方をすればエゴであり、欲でもある。
出世欲があるなら活躍しよう、目立とうとするだろう。自然とそのための手段は考える。
或いはサボりたいなら楽をしよう、目立たないようにしようとするだろう。自然とそのための手段は考える。
・「考える」という言葉は能動的/意識的な印象をもたせるが、実際には勝手に頭に浮かぶ物がスタート地点であることは多い。
頭になにか浮かぶには状況の把握の他に「それに対して自分はどうあるか」のスタンス、一種のエゴが必要になる。
具体的に考えられない人
・考えに具体性がない場合、言ってることは理想論、やってることは泥まみれになる。
思考に実行難易度や共感などは加味されず「AならばBするべき」と言いやすい。
・これは案件にかなり影響を受ける。通常、知ってることなら具体的に考えられるが、知らないことなら考えられない。その前後、因果関係、動機、理由も予測できない。
例えば自称貧困で生活苦の者の出費一覧を見て、食費が多いというケース。内訳は外食やコンビニ弁当。割とあるが、これに対して「自炊しろ」という声は案の定多い。もやしで一ヶ月しのいだ武勇伝とか語り始める奴とか出たりしてな。
で、私も後から知ったんだが、冷蔵庫がそもそもない。電気止まってる。ガス止まってる。と、そういうレベルもあるそうだ。つまり自炊ができない。もやしに火を通すことすらできない。
街中でキャンプカレー作るわけにもいかないだろう。できても多分余計にコストかかる。地区によっては焚き火の時点で通報される。外食したくてしてるんじゃなくて、他に選択肢がない。
で、相手がその状況かもしれないと思ったら、「自炊しろ」と気軽に言えるかどうかという話。
・人間、知らないものに対しては結構、薄情だったり冷酷な意見が出たりする事が多い。共感能力が働いていないなら、意見としてはサイコパスやアスペルガーと同レベルになる。具体的に考えないのは、こう言った意見を連発することになる。
私が彼らの問題が一般の人間に十分当てはまると思うのは(そして大抵の人間が彼らの特徴を見て自分は/アイツはもしかしたらそうかも知れないと思うのは)、瞬間的に似たような状態になり、似たようなことやってるからだ。
ちなみに敵意や軽蔑で共感能力は減衰する。「自炊しろ」ってのもバカへのアドバイスであり、同レベルの人間がそれでも困っているという視点ではないだろう。動機がどうあれ、発言内容はそういうことになる。つまり人は簡単に人をバカだと思うくらいにはアレなのが一般的と言える。
具体的に考えない場合、分かる前に切り捨てる形にほぼなる。めんどくさいからそうするとか、アイツ嫌いだとかで分かった上でやるならまだいいが、意図せずにやるにはデメリットが大きい。
・裏を返せばこの状況で自分の考えがないというのなら、少なくとも悪いことは言わずに済むのだから良いことなのでは。別に無理してコメントする必要もない、というか喋る機会を積極的に伺ってるタイプは大抵失言が多いし。
あるいは「自炊すればいいのに」と思いつつも、「そうしないのは何か理由があるのか」と疑問につながるなら、それは自分で考えていると言える。たとえそれで結論がでなくても、そっちの方が共感的ではあるだろう。
まぁここまで言っておいてアレだが共感能力ありすぎても結構危険人物になり得るが。
人のことを考えない人
・これは大抵、人に迷惑をかけた時の言葉。
自分のことを分かってもらいたい人が、他人にこう言ってケチつけることもあるが。そっちも多いが、実際に人のことを考えない人もいるにはいる。
・悪意や傲慢さがあるなら普通に人格障害かなんかとみなして絶縁すればいいが、それ以外の可能性について。これは予測が不足しているタイプだろう。
例えば後片付けしない人とか。共有物を私物のように扱い、私室のように投げ散らかすが、後で他人が不快な思いをしたり面倒をかけるという考えがないと言える。
基本これは「そこまで考えていない」というタイプで、自分勝手だとよく言われる。言動からしたら自分勝手なのは間違いない。
「人に迷惑がかかるとわかってたら同じことをやるか」と聞けば「やらない」と答える。まぁこれを信じるなら、予測不足。不足というか一切してないようにも見える。わざとなら人間関係の問題。人間関係の問題も多そうだけど。
ただし、ここが一番問題で、迷惑かけられた側は高確率でわざとにしか見えない。普通は学習するので同じことは起きないか、少なくとも軽微で済むだろうし。
「考えない」と言う人
・まず言っておくが、その「考えない人」とやらに過度な要求や期待をしている場合、相手に問題なくても上記諸々に当てはまる考えない人に見えてくる。
要するに文句言ってる側がおかしい可能性もある。
こちらはこちらでかなり多い。「お気持ちヤクザ」とか「繊細チンピラ」とか「モンスタークレーマー」とかそういうの。
・誇大型を含む過敏型自己愛。或いは「自己愛的な甘え」と呼ばれるもの。甘えなので直接的に要求することができないため、間接的に相手が自分の予測/期待どおりに動くように仕向ける。大体こちらのほうが鼻に付く。
特に指摘が「自分に気を使っていない」ことに帰属するなら可能性は上がる。
他者への操作性、支配性など。人格障害は大体これが強い。例外もあるが。
・一部は「考える人」を嫌う。というか自分の意見を持っている人を嫌う。従順で、自分のミスや薄っぺらさに気づかないでくれるニブさを持っている相手を喜ぶ。
そのくせに「お前は考えてない」「お前は考えが浅い」と平気で言う人間は、まぁそこら中に居る。
・まぁそれ以上にアレだったらそんなんにもなんか言われるかも知れんが。
考えるには
・動機、方針、材料が必要になる。これまで述べてきたが「考える」という言葉は意味を多く持つ。方針は特に重要だということ。
予測するのか、自分の意見を作るのか、仮説をたてるのか、計算するのか。
大抵の場合思考能力そのものはある。機会がないだけで。また、同じパターンの思考は次からは早くなる。判断が早すぎると早とちりとなるが。
シミュレート
・「考える」という言葉が示す思考活動には種類ある。計算だったり、分類だったり。推測や予測だったり。
・例えば火薬庫で火遊びしてて「どうなるかくらい考えろ」と怒られたとしたら、これはシミュレートを求めらているということだ。つまり「予測」。
この時楽観的だった場合は「予測」はおめでたいことになり、考えない人になる。
こういった性格的特性が原因の場合、考えても無駄だったりする。当人にとっては現実的なのは「何も起こらない」ことである場合は、考えの問題よりも認知の問題になってくる。
・ともかく、「どうなるか少しは考えろ」と言われる場合、この「予測」が不足しているか、方向が両者でずれていることが多い。
・ゴール設定が重要になる。というかゴール設定が間違っていることが多い。前述の悪気なく片付けない身勝手な人を例にあげれば、道具が用済みになればもう用はなく、関心がなくなっている。
言い方を変えれば、「使うことしか考えていない」。次に使う人が困るとか、文句言われるとかは、片付けていないその道具を見てももう思わない。
思考の素のゴール設定を近場にする癖がある。深読みが苦手なタイプ。これが危険なのは、人はゴール到達時点で分かったとか、できるとか、終わったとか、思っちゃうことだ。時にはゴール前にこうなる。
この手のうっかりミスを連発するタイプは、片付けたらおしまい、みたいに自分に言い聞かせるしか無いだろう。帰るまでが遠足。
過学習に注意
・「頭が固い」系の考えない人。
・人工知能の学習における問題に「過学習」がある。オーバートレーニングとか過剰適合とも言う。
人工知能に同じ問題ばかりやらせすぎて、その問題に適応しすぎて、他の問題に応用が効かなくなる現象。
少しでも学習内容と違うと誤った答えをだすようになる。つまり未知の問題に大して融通がきかなくなる。適応能力の低下。
・人間でもたまにいる。同じ模擬試験やり過ぎて少し言い方や表現が違うだけで全くわからなくなる奴とか。
・これを防ぐための方法を人間で言うと、
1:「学習データ」のバリエーションを増やす
2:学習した内容のいくらかを無効にする
などがある。どちらも「柔軟性」を持たせるためなのがわかる。AIですら柔軟性がないといけない。人間なら尚更だろう。
・反対に辞書が正義、Wikipediaが正義、それ以外は間違いってのも問題としては似たようなものだ。この場合は学習量が少なすぎて相対的にその情報の優位性が高い。状態としては過学習に似ている。ひな鳥の「刷り込み」の方がもっと似ているが。
まぁそれで「わかった」って思ってるんだからこちらのほうが駄目だが。
「わかってない」と言われた
・或いは相手の話をちゃんと聞けない、聞いたつもりでわかったと思ったのに理解できなかった場合。
・「文脈」を気にしたほうがいいだろう。「コンテクスト」とも言う。脈絡、前後関係。或いは状況、環境という意味もある。割とあちこちで使われるが、今回は特に言葉のつながり、言葉同士の関連性、言葉の前後、全体像、背景。
・例えばこのページで「考えない人」と言っても色々あることも、言ってる側が問題ある可能性も説明してきた。これはこのページの文脈だと思えばいい。衝動的な人のことかもしれないし、考えてはいけないと思っている人かもしれない。
別の場所で単に「考えない人」と言ったら大体「トラブルメーカーのアホ」を指す。このページを読んだ上で、こちら側の意味に捉えるなら、まぁ読んだ意味ないね。これが言葉通りに捉えるということだ。
・大体このパターンは単語単位で聞いているか、相手の話の中から「要点」だけを狙い撃ちでピックアップするつもりで聞いている。平たく言うと話をものすごく圧縮する。
これをやると色々すっぽ抜ける。「やること」だけを聞いて飛び出す、というのも文脈は初めから読む気はない。
結果的に相手の話を「辞書に載ってる意味」としてしか理解できないか、思い込み、決めつけが激しいことになる。言葉、文字、単語だけに対しての過剰反応。
・SNSによく見る「言葉狩り」も大体これだ。ツイッターはシステム上、前後の文脈を切り取られやすい上に拡散しやすいから尚更。
- この場面で●●という言葉は不適切だ
- ●●という言葉は悪い
- ●●という言葉を使ってはならない
という「考えない人」がすごい数居る。悪目立ちしているだけだと思いたいが。
まぁSNSは知性よりもスルースキルの方が有効。
・皮肉なことに、「しっかり聞こう」と力むと「言葉だけ」に注意が向くことになる。結果文脈はわからなくなる。顔を近づけすぎて全体が見れなくなってるようなもの。
自分で考えてみる
・ベタだが、必要だ。忠告しておくが、「自分の頭で考える」のは「頭がいい」とは別の話だ。
なんか「頭いいこと思いつかなきゃならない/言わなきゃならない」と勝手にハードル上げてるのが居る。
それ自体は別にいいんだが、その結論が「できそうもないから考えない」じゃ意味がないだろう。
・要点は「自分の頭で考えたかどうか」だけだ。別にそこら中に転がっているありふれた一般論が結論だとしても全く構わない。
それに対してなんとなく知っている奴とは違い、理解は深まるだろう。
・トレーニングだと思えばいい。ジョギングはスタート地点から折り返し地点に行き、またスタート地点まで走って戻るわけだが、無駄ではないだろう。
これが思考だとケチになるというか、なんか成果物求める傾向は高いね。
・結論が出るならなお良い。完走したということだ。
質は問わなくていいだろう。個人的に考え、というか「意見」というモノは、拡張性やら柔軟性やらがないなら窒息死すると思っている。
あくまでも「その思考の結論」であり、その答えが何かを決定的に左右するということはない。自分で考えて結論を出したという実績が身につくだけだ。