予定が決まった瞬間にストレスになるタイプや、その期日が近づくに連れ段々とプレッシャーになってくるタイプもいる。
一見、予定の内容にもよるだろうと思える。しかし例え楽しい予定でもストレスらしい。
基本的には「人との約束」が対象の場合が多い。一方で自分で立てた計画や予定がストレスになる人もいる。この場合は目標達成の障害となりえる。
「予定」がストレスになっている人
- 遊ぶ約束でもストレス
- 何日も前からストレス
- 行けば楽しい
友達と遊ぶのがストレスです。というか遊ぶ予定がストレスです。なんか仕事の予定入ってるみたいで…。
どうしたら普通の人みたく楽しみにできますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169624268
計画を立てる方が楽しいから相対的なものではないか、という指摘に対しては、計画中もストレスと答えている。「この日拘束される」と。だが行けば楽しいと。
後述するが、「予定は仕事を連想させる」との指摘があり、この感覚は正しいと言える。
私は予定が苦手です。
友達と会う約束なんかをしていても予定の何日か前からずっと憂鬱になります。
でもこちらからは断る勇気がないので、相手からドタキャンされると
凄く嬉しくなります。開放された気分になります。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0602/186875.htm
予定に対して圧迫感を感じ、それがなくなれば開放感を感じることは全体的に共通している。
一応フォローしておくと、こういった数々の声はほとんどが、予定の内容自体は別に嫌ってはいない。約束した時点では楽しみにしている、との声も多い。
むしろ相手のことも好きだし、予定も楽しみだし、この上でストレスやプレッシャーを感じる自分に戸惑っていることが多い。
物事を「予定」と感じた途端に、プレッシャーだったりストレスになったりしている。
加えて、予定実行まで「常に」その予定を気にかけている傾向が強い。時間に遅れないか、準備は万端か、ミスの余地はないか、予定を忘れずにいられるのか、etc。
端的に言うと「しっかりやろうとしている」。これが予定が決まった時点で気が重くなり始める大きな原因だろう。
時間厳守に苦手意識を感じている人が多い。ただし苦手と言ってもできないわけではない。時間はきっちり守るけど疲れる、という人も多い。
予定があればそれが気になる
- ある程度は、元から人にはそうなる素質がある。
- 脳内でのシミュレートやリハーサルなどにリソースが割かれる。
- 気にしている分、集中できない。
オハイオ州立大学の研究によると、1~2時間以内にミーティングの予定が入っていると、次の予定が何もない時に比べて、こなせる仕事量が22%減少するという。
https://www.dhbr.net/articles/-/7420
この現象は、ミーティングで質問することの洗い出しや、自分が話す時のシミュレートなどを頭でやっている状態だから、とされている。
この上で、もうすぐ「それ」が始まるのだから、今やってる目の前のことはどうせ中断することになる。結果、それほど身が入らなくなる、ということのようだ。
特に意識をニュートラルにしておきたいというか、集中状態を避けようとする心理はたまに見られるものだ。「別の何かに即応できるような精神状態を保つ」とでも言おうか。実際集中状態は不自然だとか、野生だったら危険な状態だとか言われたりもする。
どちらかと言えば、予定よりも「その間、物事に身が入らない状態が続く」ことが問題かもしれない。
もしも予定が決まった時点で上記のような状態が発生し、予定消化まで続くとしたら。気が気じゃないだろう。多分、好きなことをしていても没頭できない。予定が強くストレスになるとしたら、このような反応が強くでている状態かもしれない。
なお対策としては、時間的余裕の確保や、イベントを一纏めにしてストレス場面そのものを減らすことが挙げられている。ここで問題視されているのは、予定が嫌じゃなくて気にしすぎてスペック落ちていることだから。
自由/不自由
- 約束がある限り自由ではない
- 約束自体はしっかり守ろうとしているが、それが緊張を生む
- 早く気楽になりたいと思っても、日時が決まっているためできない
予定がストレスになりやすい人は、「責任感が強い」と呼んでも差し支えない人が多い印象がある。
同時に隠れた願望として、「自由でいたい」「気楽でいたい」というのはあるように見える。
相対的に「約束」を「拘束」と感じているとも考えられる。
予定を断りたいとは思っているが、約束した場合破るつもりは殆どないようだ。予定が潰れてほしいと願うことはあるようだが。
むしろやるからには、絶対に完遂しようとして疲弊している様に見える。おそらくは「結果」だけを見てみれば、無難にこなしている様に見えるか、見事に完遂しているかなのだろう。
総じて『自由(自分のペース)を愛するが責任感も強い』というパーソナリティだろうか。
大抵の場合、一日や一週間単位で自由/不自由のサイクルがある。勤務時間と休憩時間、平日と休みなど。当然ながら自由が嬉しく、不自由は嬉しくない。
不自由を基本として、自由(または不自由からの開放)を得ることをモチベーションとしている人だとすると、予定が入った時点でゴールが潰れることになる。
もしも予定が入った時点で、休日出勤が決まったような心境になるようなら、おそらくこれだろう。
無意識レベルで予定を「自由か不自由か」という価値基準で見ていることになり、当然ながら「予定」である時点で不自由が確定する。楽しいか楽しくないかという判断とは独立しており、「予定」というだけで嫌になる。
日中は不自由であり、せっかくの自由を手放したくない。夜になると寝たくなくなる/寝るのがもったいないと感じるタイプと共通する心理。
また、「早く気楽になりたい」と思ったところで、予定の日時になるまでは完了しない。これもストレスになる。
関連:
_眠いけど寝たくない心理
予定と自分らしさ
- 自分らしさと社会的な自己価値は相対関係にある
- 予定日よりもだいぶ早く、ずっと気になる場合、その間は自分らしさを感じられないことになるかもしれない
心理学では「自分らしさ」を本来性、それを実感することを本来感と呼ぶ。面白いことに、社会的な要素と触れると本来感は失われる傾向にある。これは「みんなに認められた」などの肯定的イベントでも該当する。
これはそれほど不思議なことでもなく、本来感は「自分の考えに率直に動くこと」に近い。当然「自由」と深く関わる。
反面、自己価値や社会的自尊心と呼ばれる、周囲に認められるような評価を得るためには、協調的、社交的であることが望ましいだろう。これは他者を意識して自身の言動を調節する必要があり、有り体に言えば「不自由」に属する。普段は気にするほどでもないだろうが。
「約束」という属性が在る限り、他者を意識することになり、いくらかは本来感に影響を与えるかもしれない。これ多分、同じ人物と現場でばったり出くわして一日遊び倒した場合にはストレスにならない。
今回の「予定」は対人面が多く、人との約束や集団的な予定である話が多い。特に友達との遊ぶ約束。
友人と遊ぶ約束、というのは結構微妙なラインにあるだろう。遊ぶから自由、かつ他者との約束という不自由でもある。楽しみでもあり、拘束でもある。なんなら一番予定がストレスになっていることに気づきやすい場面かもしれない。
繰り返す必要があると思うが、これらは薄く、万人にある心理だと思ったほうが良い。普段は問題にならない。ここで挙げる要素以外にもポジティブな要素も人には混在している。問題視するのは、強く予定を気にしすぎる場合に限ったほうが良いだろう。
- 本来感 自分らしさを実感すること
学生対象の研究では、随伴的自尊感情(人に認められるとかで付く自信みたいなもの)が高いと学校生活の満足度は高いが、不安や抑うつの傾向が高くなるとの結果が出ている。
完了できないストレス
- 「その時」まではずっと続く
- 内容が細かすぎる可能性
- 細かくプランを立てていたなら、もっと柔軟性がある概要だけのプランへ変更する
予定の何が嫌かというのは色々あるが、一つは「気になっていてもその場で完了ができない」からだろう。
「予定」をまっとうに完了する方法は、その時、その場所で、その行動を取る、ということだ。
場所と行動はなんとかなる。しかし時間はどうしようもない。待つしか無い。明日駅前で待ち合わせをしていたとして、今日駅前に行った所で「完了」にはならない。
たまたま相手がそこにいても「じゃあ明日、よろしくね!」となることは想像に難くない。意味ないね。「その時」じゃないと実行しても無駄ってことだ。
当然「その時」に向けて意識して、調整したり、準備したりをすると、「予定」の内容以上に時間も精神力もコストがかかっていることになる。快適とは言い難い。
つまり段々と、予定に対して不快感を感じ始め、さっさと片付けたくなってくる。この上でどうしようもない。これは「日が経つにつれて約束したことを後悔してくる」ことの説明にはなるだろう。
また当人の頭の中の「業務内容」が、見ているだけで嫌気がするレベルで細かい可能性が高い。
たまたま読んでた論文に載っていたんだが、熟練者の作業工程を項目として、新米でも同じクオリティでトレースできるようにする試みがあった。
参照:https://core.ac.uk/download/pdf/70325281.pdf
上記の図1のことだが、頭が痛くなってくる。「旋盤作業の見積」として50近い項目が列挙されている。恐らくだが、実行に於いては数分で終わる話でだ。
例えばの話だが、「予定」に対して同様の細かさを想定していたとしたら。これだけの項目が、頭の中で予定完了まで居座り続けることになる。
頭の中で維持するために常時反芻し続け、本番でそれだけの内容を実行しようとするのなら、そりゃ疲れる。
割と本気で「自分がどこまで考えていたのか」を書き出してみたほうが良いかもしれない。
引くほど細かいのなら、もっと抽象的な形に書き直したほうが良いだろう。
あと根本的な話だが、相手がいる話で自分一人が細かく決めるってのは、大抵うまくいかない。それでうまく行った場合、相手が合わせてくれた以外にはありえない。
完璧主義
- 計画の細かさと計画の絶対視は完璧主義と共通する
- 完璧主義は目標の修正をしない傾向がある
- 完璧な達成→完璧なプラン→プレッシャーとストレス
完璧主義の傾向。強い責任感からくる高い目標とそのプレッシャー。一言でいうとキャパオーバー。
能力的な話ではなく、やろうとしていることが細かすぎる/多すぎるせい。
・プランに対して完璧にしようとするなら、常に意識して万全でいなければならない。実際ストレスに感じている割には、真っ先に集合場所に集まるという話も多い。
この場合「完璧に実行する」ことへのプレッシャー/ストレスであり、予定に対しての嫌悪感などではない。逆を言えば何に対してもストレス感じてそうだけど。
・
例えば、両親が私たちの家に遊びにくるという予定があるとします。
そういうとき、みなさんってどこまで予定を考えますか?
私の場合、
「何時に駅まで迎えに行って、そのあとドコドコでご飯を食べて買い物をしてだいたい16時くらいに帰ってくることになると思うからなんかちょっとしたお菓子が必要になるな、じゃあご飯からの帰りに買うとなるとその道中にあるお菓子屋さんってあそこであれこれファーーーー!!!」
https://kaishayameruzo.com/archives/4479
おもろい。
おかげで非常に伝えやすいが、プランが細かい=やること多いということになる。タスクの細分化は常套手段でもあるが、こうして見ると度が過ぎると「タスクの数」がプレッシャーになるのだろう。単純に考えてもやること多い=忙しいだし。
・誰でも頭の中に完璧主義者がいる。頭の中の「そいつ」が反射的に張り切ると、人に依っては一瞬で細かく思いついてしまい、なおかつ半強制的な効果を持つ。
完璧主義者に限らず多くの人が、予定に対して「○○しなきゃ」みたいな使命感や義務感めいた言い方をするのは、予定自体が強制力を持つからだろう。
肯定的に見れば才能でもあるかも知れない。プラン自体は大体において悪くないのだし。「可能だが最大限キツイ」感じになるのは、自らにとって難点ではあるが。
繰り返しになるが、勝手にこのあたりまで思い浮かぶ事自体は珍しくない。思い浮かんだ後に、改めて「調整」を行う必要はあるだろう。
予定とヤックシェービング
- 大抵は計画通りには進まない
- 緻密な計画=トラブルが起きたらお終い
- 対応するだけのバッファは必要になる
流れを見ると、
- 予定が決まる
- 計画を考える
- ストレス
というように思える。この場合直接的には、予定がストレスというよりは計画がストレスになっている可能性はある。前述のように緻密過ぎるだとかで。
「計画通りに物事は進まないものだ」なんて言ったり聞いたりもあるかもしれないが、だからといって無計画もよろしくないのは確かだ。
後からこれをやる必要があるとわかったりするのをプログラマー界隈では「ヤックシェービング」と呼んだりもする。
ヤクという動物の毛をウールにするのはめんどくさいことから。単に「手を付けてから思ったより手間がかかってめんどくさいとわかること」程度の認識で今回は構わないだろう。
今回言っている「計画」はほぼ無意識に立てられ、几帳面な性格ならばやらねばならぬと思ったりもしているだろうが、当人一人の頭の中で決まっていることが大半だと思われる。
実際にうまくいくかどうか、他にも人がいるなら理解や協力をしてもらえるかどうか、その辺りでうまく行かずに「対応」をする必要は出てくる可能性がある。そうなるとそれに当てるバッファ(緩衝)のための時間は必要になり、ここで「緻密な計画」が自分の首を絞める。既にギチギチだから。
とまぁ、そうなる「計画」を組んでいたら、既にこの時点で普通にストレスになる。平たく言えば、緻密な計画とは「何かあったらお終い」ってことだ。それをやるつもりに自然となってしまうなら緊張もする。
反対にヤックシェービングは計画ではなく目標を持って事に臨む時なら(時間制限がないなら)、正道ともなる。目標AのためにBが必要だからBをやる、BのためにCも必要だったとわかったからそれもやる。
一見手際が悪いが、確実に目標のために進んでいると言える。他人からは計画性皆無で東奔西走しているように見えるのが難点だが。
関連ページ:
_難易度が高い/計画の不透明性への対策
_fragments 威力偵察
「予定」に仕事を連想する
- 予定に仕事のスケジューリングを連想する
- きっちりしてるとなおさらに
- 付き合いには少し、実際に不自由さがある
米オハイオ州立大学の研究によると
「時間を決めて待ち合わせといった休日に予定を立てる行為。これは、仕事でのスケジューリングを連想させる」
ということで、本来なら楽しいはずのプランを面倒に感じてしまうのだそう。
また、きっちりした旅行のプランを立てる際にも同じことが言えるそうです。
https://news.infoseek.co.jp/article/tabizine_125960/
やりたいことを「予定」とすることにより、それが「仕事」になってしまう、ということのようだ。予定がある時点で自由じゃなくなると。
予定を入れることができる隙間ってのは、要は空いていた時間だ。そこに「仕事」をねじ込む。あるいは他の予定を押しのけて決定されたかも知れない。嫌になっても不思議じゃない。
その分自由は減る。その時間は「休日」じゃない。「拘束時間」になる。
義務というか、作業感というか、事務的というか。そうじゃなくても、責任感がある。
例えば遊ぶ約束したとして、クソつまらんかったとしても、「つまんないからやっぱ帰るわ」とは普通は言えない。よほどじゃなければ「付き合い」で区切りが良い所まではいるだろう。
約束事に対して、人は大抵気楽ではいられない。反対に、やたらと約束をすることで人を縛り、孤独を埋めるようなのもいるが。
楽しみにしていた約束は、実行する時には「消化作業」になる。
「終わるとホッとする」のはこのためだ。肩の荷が下りたから。
これは予定が好きでも嫌いでもなる。好きな遊びや趣味に手が伸びない理由の1つは、「ちゃんと楽しむだけの時間や気力がないから」というのはあるわけで。つまり好きでも嫌いでも疲れはするし、好きでも嫌いでも緊張する。
予定が終わった時の開放感と、仕事が終わってさぁ帰るぞ、って気持ちと比べてみたらどうだろう。同じ気持ちだったとしたら、まぁそういうことだね。
ただ、当人も楽しみにしていたり、実際に楽しめる内容に対してこう感じるのはもったいない。必要なのは当日を楽しむことよりも、当日を楽しみなまま「待てること」のような気もする。
対策
- 避ける
- 気にしない
- ストレスのない予定にする
予定を立てない
予定がストレスになるタイミングは大別すると、
- 予定が決まった時点でストレス
- 予定が近づくと段々とストレス
の2種類がある。1はできるだけ予定を立てないほうがいいだろう。
人間には「展望記憶」と言って、予定実行機能が備わっている。こうなったらこうしよう、この時間になったらこうしよう、みたいな。
面白いことに、トリガーとなる刺激(その時間になる、用がある相手と会うなど)になると自然と思い出すことができる。まぁど忘れもある。
この間はトリガーさえあれば思い出すように意識に「常駐」していると考えられる。アプリみたいに。常駐している間負担となるのなら、なるべく起動しない=予定を立てないほうがいい。
予定がストレスになるタイプの人間だ、と周知されたほうが早い。だがそう思われたくない人もいる。誘われなくなるかも、それはそれで寂しいとか、なんかそんなんで。予定がストレスなんであって、人付き合いがストレスというわけでは今回ないからね。
また、エピソード的未来思考と呼ばれる「未来を思い描く機能」もある。展望記憶との違いは、行動意図があるかないか。こちら側はシミュレートに近く、行動意図はない。
今回こちらはかなり怪しいな。緊張し、真面目になるべき未来を思い描いているのかもしれない。何度も。
遠い約束はしない
約束の前日あたりが最もプレッシャーだという声は多い。一方で遠い約束の方が、その時に至るまでの自分が「そのために動いている」感じがして嫌いだ、という声もある。
ここでもやっぱり「自由さが失われる」と感じるのが問題だという点は共通する。「精神面での自由」は思った以上に重要なのだろう。
「一週間以内の約束しかしない」などのルールによって、これを避けている人もいる。
ストレスにならない予定の立て方について
細部まで決めずに余白を残す、選択肢を残すなどの回避策が挙げられている。要するに「ゆるめの予定」にすること。あるいはバッファ(スケジュールでのバッファは、何かあった時に割り当てるための空白の時間を指す)を用意する。
細かすぎる予定が真っ先に頭に思い浮かんでしまうことはある。完璧主義の傾向が強いなら、直感レベルで模範解答的な「完璧」を思い浮かべてしまうことも珍しくない。
ただそれは、反射的に「連想」しただけであり、無意識からの提案の一つに過ぎない。それをそのまま採用することもできるが、もうちょっと自分が楽になれるように後からアレンジしてもいい。ともかく直感への盲信はよろしくないだろう。見た目がいくら真面目でも。
緊張やプレッシャーは、リスクを軽減する必要コストかもしれない。
成功率を少しでも上げたり、キャパオーバーなタスクをそれでもやり遂げる補強かも知れない。
保険料や設備投資のような。だからゼロにするには正直惜しい。危険ですらある。
だとしたら予定に対して緊張やストレスを感じ、当日までがしんどいというのはコストが「過払いじゃないの」って話になる。まぁそうじゃなくてもなるべく節約はしたいわけだ。だからやることは保険料の見直しになる。
予定を細かく決めない。大筋だけにする。要点だけ抑えた形。
逆にプレッシャーになりやすいタイプは、予定を細かく決める上に全て優先度が「最優先」となっている状態が多いように見える。どれ1つ切り捨ててはいけないと思っているかのように。このあたりが完璧主義。
元から人は、後でストレスになることを忘れて、予定を細かく設定しがちではある。予定を立ててからそれにストレスを感じるまで、若干時間差があるから失念しやすい。予定を立ててる時はテンション上がってたりもする。
休日の予定に対して特に言えることだが、「充実していなければならない」という強迫観念のような思いがある人も多い。
冗談抜きで「リア充である義務」みたいな強迫観念を持っている人はいる。多分多いはずだ。
このためスケジュールを自分からあんまり好きじゃない予定でギチギチにする傾向は、持ってる人は持っている。単純に予定が開いてると不安になってくるという人もいる。
「細かく考えてはいけない」とするのは単純に難易度も高いし、それもまたストレスになる。切り捨てられないなら、せめても優先度をしっかりつけたほうがいいだろう。
最低でも主目標と「ついで」は分けたほうがいい。
ドタアポ専門になる
・多分ドタキャンの逆だろう。土壇場でアポイントメント。面白いなこれ。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0602/186875.htmの解答欄にあった。
要するに「今日暇?」って誘い方してほしいってこと。
尤も、今度はそういう誘い方ができない人ってのも出てくるが。約束してから予定通りに動きたい人もいる。あとは急に誘われるのが嫌って人も、もちろんいるわけで。
このあたりは自分がどのタイプかさっさと自己申告しといた方が良いだろう。
うつ病で、人と会う約束をしてもプレッシャーとなり、当日ドタキャンを繰り返していた女性の話がある。このせいで病院にもなかなか行けなかったようだ。
彼女もまた「予定がプレッシャーに感じる」としているのだが、苦肉の策として自分の調子がいい時に「今から会えませんか?」と打診する方針とした。
相手にも都合があるから、いつでも会えるわけではなかった。だがこうすることによりプレッシャーにはならず、約束どおりに会えるようにはなったとのこと。
興味深いことに予定を立てないと決めてからは、少しずつ動ける日も増えてきたようだ。
苦肉の策ではありましたが、外に出るというプレッシャーから解放される方法として「予定を立てない」と決めたことは私にとって、とても有効でした。
http://www.utsu-s.jp/aruaru/appointment_150918/
もちろん、予定がストレスだからうつ病だというのは早計だろう。
元からこういう心理がある。うつ病だとそれが大きくなる。そう思っておいたほうがいいのではないか。
ドタアポも嫌だって人も結構いると思うが、この上で予定もストレスならいっそ「受付時間」でも設定して宣言したらどうだろうか。「休日の午前中に連絡有れば遊びに行けるけど、午後になったら別の予定入れる」みたいな。
メモ
「気持ち」への対処についての考察
まずこれらは認知に対しての干渉を試みる考察であり、効果があるかも知れないし、茶番に終わるかも知れない。
初めに
「本当に気持ちの問題だけか」は確認しよう。準備が必要なのに何もやっとらんかったなんてのはよろしくない。
問題は、
- ストレスを感じるのが早すぎる
- ストレスが強すぎる
この2点になる。
モラトリアムを認識する
モラトリアムは一時停止とか猶予期間の意味。
「いつから気にしたら良いか」を考えること。
今回の(気持ちの)問題は、予定が決まってから予定が終了するまで永続的に緊張状態が続くことに有る。この上で、緊張そのものは(程度の問題は有るが)あっちゃいけないわけじゃなく、しっかり予定を果たすにはそこそこは必要だ。
「全く気にしない」ということが仮にできたとしたら、逆方向でアレな感じになることは目に見えている。目指すところは必要なタイミング、必要な量の緊張感だ。
例えば日曜日に軽く遊びに行く約束を月曜日にしたとして、せいぜいが土曜日に着ていく物に悩む程度でいいはずだろう。だったら月~金にこの予定にストレスを感じるのは損でしかない。土曜日になってから悩めばいい。
逆を言えば「月~金まではこれをストレスに感じる必要はない」ことは割り出せる。
ダミー予定を用意する
狙い自体はモラトリアムと同じ。それでも気になってしまう場合。
何かしら予定を気にする性分を逆手に取る。それより前の時間帯で、そこそこの重要度の予定をでっち上げる。時間が前である限りそちら側を気にするだろう。
なんならモラトリアムをそのままスケジュールにしてしまえる。前述の例で言えば土曜日に「明日来ていくものを考える」とでも書いておけばいい。そちらは気にするだろうが、日曜日はその分は気にしない。
根本的な解決ではない、ダメージコントロールに近い話だが。
ちょっと関連した話として、予定やタスクを前倒しにして達成感感じる性癖を持っている人間もいるとの指摘が有る。その性分の場合は向いてないだろう。
ついでに言えば、「十分な準備をすれば自分は安心できるはずだ」というイメージがあるのかもしれないが、ここまで述べてきたとおり予定を果たすまで多分無理。
裏を返せば十分な準備をしたらそれ以上安心できる余地もないので、「あとは待つだけ」の時間が最も苦痛となりかねない。約束した月曜日に服装を決めたら、その性分では多分毎日「これで本当に良いのか」と悩むようになるだけだ。
「自分の100点」にこだわっていると気づく
完璧主義用。綿密な計画の内容と実行に注意が向きがちだが、そもそもその「目標」自体が自分が勝手に立てていることは結構ある。100点なおもてなしやら100点な対応やら。
ここは確認しておかないと、根本的に方向性がずれていて、当人含めて誰も幸せにならない100点を求めることになる。対人場面では、相手が望んでいないことで必死に100点を取ろうとしても意味がない。相手を喜ばせたいなら尚更だ。
「範囲」も見直す余地があるかも知れない。その範囲内で合格点ならベターなのに、それより狭い範囲で100点満点を必死に求めているようでは、やはり根本的にズレていることになる。
全く見落としていた、すなわち局所的に「0点」をどこかで出すかもしれない。それよりは全部ベターのほうがずっと良いだろう。
本当に求められているものはなんだろうか。そもそも「完璧」なんて求められているだろうか。なんなら、相手と相談して決めても良いのではないか。メリットは2つ。
- 「自分と相手の計画」を作れる。独りよがりではなく。
- 計画を相手が知っているから協力してもらえる。
注意点は、完璧主義は細かく決めたがるから、大雑把な計画を初めから着地点とすることだろうか。
関連ページ:
_完璧主義をやめるには
義務自己と責任感
義務自己は「あるべき自分像」。予定に対して遂行、達成を「しなくてはならない」みたいな。
割ととんでもないなこの機能。社会に適応するのが存在意義なのかもしれない。義務自己=責任感とも言えそうだし。
予定自体が勅令になってるケースと、義務自己からの「べき論」をベースにプランが立てられてるケースとあるか。
前者はプレッシャーが強い。当日になるまでがしんどい。「行ったらなんてことなかった」ってタイプ。
後者は1つの予定が過剰に細分化し、全てが必須事項となり、「精密作業」となる。目的は高精度で達成されるが、疲れ果てる。常識的、模範的、理想的、かつ完璧主義っていうと、社会規定型完璧主義か。
関連:
_完璧主義の3つのタイプ
予定がストレスになる人とビッグファイブの神経症傾向
性格分析のビッグファイブでは神経症傾向(精神不安定性とも)という項目がある。名前がアレだが、これは「高いと真面目、低いと適当」になる傾向でもある。
高い場合は一言で言えば「リスクに敏感」なので、それを念頭に置いてしっかりやろうとする。低い場合はリスクの軽視によるトラブルの可能性が上がる。
この「真面目さ」はネガティブ感情によって作られる。失敗への恐怖や、緊張などで。
同様に「侵入思考」というものがヒトには有る。ネガティブかつ勝手に沸き起こる思考であり、しつこいので反芻思考と呼ばれることも有る。
これは内容がかなりエグく、一般的なモラルに反する内容が少なくない。この上で普通の人間が経験する。
これが起こる理由の一説として、ダニエル・ウェグナーは、
- 頭の中に「やってはいけないことを列挙したブラックリスト」のようなものがあり、
- やらないためにはブラックリストにアクセスする必要があり、
- アクセスしたらそれが脳内に浮かぶ。
- また、「常に気をつけるため」には常にアクセスする(反芻)必要もある。
とした。
今回の、予定がストレス、ずっと頭に残っている、終わってからの開放感、全部このへんで説明がつく。しかもこれが発生する理由が「ちゃんとやるため」である。
一番わかりやすい例はこれだろう。
85人の子を持つ親の内、89%が侵入思考を経験、内容は乳児の窒息、事故、誘拐、攻撃されるなどであったという。
嫌な考えが頭から離れない 侵入思考について
これらは被害の懸念と言える。これを意思(自分がそれを望んでいる)だと取り違える例もあるが、正しくは「しっかりしないとこうなるぞ」という自分を脅迫するためのシステムとして働いているように見える。
神経症傾向としても、侵入思考としても、動機は「ちゃんとやるため」であり、その手段として、むしろ「ストレスを意図的に発生させている」とすら言えるかも知れない。で、どの道やりすぎだ。
逆を言えば、ちゃんとやろうとする意欲が高い、あるいは反射的に完璧にやろうとするなどの傾向が高いのなら、予定に対して全て「この手段」を用いる癖がついていても、それほど不思議じゃない。
関連ページ:
_精神不安定性 Neuroticism
_嫌な考えが頭から離れない 侵入思考について