予定が決まった瞬間にストレスになるタイプや、その期日が近づくに連れ段々とプレッシャーになってくるタイプもいる。
一見、予定の内容にもよるだろうと思える。しかし例え楽しい予定でもストレスらしい。
基本的には「人との約束」が対象の場合が多い。一方で自分で立てた計画や予定がストレスになる人もいる。この場合は目標達成の障害となりえる。
目次
「予定」がストレスになっている人
- 遊ぶ約束でもストレス
- 何日も前からストレス
- 行けば楽しい
友達と遊ぶのがストレスです。というか遊ぶ予定がストレスです。なんか仕事の予定入ってるみたいで…。
どうしたら普通の人みたく楽しみにできますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169624268
計画を立てる方が楽しいから相対的なものではないか、という指摘に対しては、計画中もストレスと答えている。「この日拘束される」と。だが行けば楽しいと。
後述するが、「予定は仕事を連想させる」との指摘があり、この感覚は正しいと言える。
私は予定が苦手です。
友達と会う約束なんかをしていても予定の何日か前からずっと憂鬱になります。
でもこちらからは断る勇気がないので、相手からドタキャンされると
凄く嬉しくなります。開放された気分になります。
予定に対して圧迫感を感じ、それがなくなれば開放感を感じることは全体的に共通している。
一応フォローしておくと、こういった数々の声はほとんどが、予定の内容自体は別に嫌ってはいない。約束した時点では楽しみにしている、との声も多い。
むしろ相手のことも好きだし、予定も楽しみだし、この上でストレスやプレッシャーを感じる自分に戸惑っていることが多い。
物事を「予定」と感じた途端に、プレッシャーだったりストレスになったりしている。
加えて、予定実行まで「常に」その予定を気にかけている傾向が強い。時間に遅れないか、準備は万端か、ミスの余地はないか、予定を忘れずにいられるのか、etc。
端的に言うと「しっかりやろうとしている」。これが予定が決まった時点で気が重くなり始める大きな原因だろう。
時間厳守に苦手意識を感じている人が多い。ただし苦手と言ってもできないわけではない。時間はきっちり守るけど疲れる、という人も多い。
自由/不自由
- 約束がある限り自由ではない
- 約束自体はしっかり守ろうとしているが、それが緊張を生む
- 早く気楽になりたいと思っても、日時が決まっているためできない
隠れた願望として、「自由でいたい」「気楽でいたい」というのはあるように見える。
相対的に「約束」は「拘束」と感じているとも言える。だから多分、責任感は強いだろう。
予定を断りたいとは思っているが、約束した場合破るつもりは殆どないようだ。予定が潰れてほしいと願うことはあるようだが。
むしろやるからには、絶対に完遂しようと意気込んで疲弊している様に見える。
総じて『自由(自分のペース)を愛するが責任感も強い』というパーソナリティだろうか。
大抵の場合、一日や一週間単位で自由/不自由のサイクルがある。勤務時間と休憩時間、平日と休みなど。当然ながら自由が嬉しく、不自由は嬉しくない。
不自由を基本として、自由(または不自由からの開放)を得ることをモチベーションとしている人だとすると、予定が入った時点でゴールが潰れることになる。
もしも予定が入った時点で、休日出勤が決まったような心境になるようなら、おそらくこれだろう。
無意識レベルで予定を「自由か不自由か」という価値基準で見ていることになり、当然ながら「予定」である時点で不自由が確定する。楽しいか楽しくないかという判断は元からしていないから、「予定」というだけで嫌になる。
日中は不自由であり、せっかくの自由を手放したくない。夜になると寝たくなくなる/寝るのがもったいないと感じるタイプと共通する心理。
また、「早く気楽になりたい」と思ったところで、予定の日時になるまでは完了しない。これもストレスになる。
完了できないストレス
- 「その時」まではずっと続く
- 内容が細かすぎる可能性
- 細かくプランを立てていたなら、もっと柔軟性がある概要だけのプランへ変更する
予定の何が嫌かというのは色々あるが、一つは「気になっていてもその場で完了ができない」からだろう。
「予定」をまっとうに完了する方法は、その時、その場所で、その行動を取る、ということだ。
場所と行動はなんとかなる。しかし時間はどうしようもない。待つしか無い。明日駅前で待ち合わせをしていたとして、今日駅前に行った所で「完了」にはならない。
たまたま相手がそこにいても「じゃあ明日、よろしくね!」となることは想像に難くない。意味ないね。「その時」じゃないと実行しても無駄ってことだ。
当然「その時」に向けて意識して、調整したり、準備したりをすると、「予定」の内容以上に時間も精神力もコストがかかっていることになる。快適とは言い難い。
つまり段々と、予定に対して不快感を感じ始め、さっさと片付けたくなってくる。この上でどうしようもない。これは「日が経つにつれて約束したことを後悔してくる」ことの説明にはなるだろう。
また当人の頭の中の「業務内容」が、見ているだけで嫌気がするレベルで細かい可能性が高い。完璧主義。
たまたま読んでた論文に載っていたんだが、熟練者の作業工程を項目として、新米でも同じクオリティでトレースできるようにする試みがあった。
参照:https://core.ac.uk/download/pdf/70325281.pdf
上記リンク先の図1のことだが、頭が痛くなってくる。「旋盤作業の見積」として50近い項目が列挙されている。
例えばの話だが、「予定」に対して同様の細かさを想定していたとしたら。これだけの項目が、頭の中で予定完了まで居座り続けることになる。
頭の中で維持するために常時反芻し続け、本番で「完璧に」実行しようとするのなら、そりゃ疲れる。
割と本気で「自分がどこまで考えていたのか」を書き出してみたほうが良いかもしれない。
引くほど細かいのなら、もっと抽象的な形に書き直したほうが良いだろう。
あと根本的な話だが、相手がいる話で自分一人が細かく決めるってのは、大抵うまくいかない。それでうまく行った場合、相手が合わせてくれた以外にはありえないだろう。
完璧主義
- 計画の細かさと計画の絶対視は完璧主義と共通する
- 完璧主義は目標の修正をしない傾向がある
- 完璧な達成→完璧なプラン→プレッシャーとストレス
完璧主義の傾向。強い責任感からくる高い目標とそのプレッシャー。一言でいうとキャパオーバー。
能力的な話ではなく、やろうとしていることが細かすぎる/多すぎるせい。
・プランに対して完璧にしようとするなら、常に意識して万全でいなければならない。実際ストレスに感じている割には、真っ先に集合場所に集まるという話も多い。
この場合「完璧に実行する」ことへのプレッシャー/ストレスであり、予定に対しての嫌悪感などではない。逆を言えば何に対してもストレス感じてそうだけど。
・
例えば、両親が私たちの家に遊びにくるという予定があるとします。
そういうとき、みなさんってどこまで予定を考えますか?
私の場合、
「何時に駅まで迎えに行って、そのあとドコドコでご飯を食べて買い物をしてだいたい16時くらいに帰ってくることになると思うからなんかちょっとしたお菓子が必要になるな、じゃあご飯からの帰りに買うとなるとその道中にあるお菓子屋さんってあそこであれこれファーーーー!!!」
おもろい。
おかげで非常に伝えやすいが、プランが細かい=やること多いということになる。タスクの細分化は常套手段でもあるが、こうして見ると度が過ぎると「タスクの数」がプレッシャーになるのだろう。単純に考えてもやること多い=忙しいだし。
・誰でも頭の中に完璧主義者がいる。頭の中の「そいつ」が反射的に張り切ると、人に依っては一瞬で細かく思いついてしまい、なおかつ半強制的な効果を持つ。
完璧主義者に限らず多くの人が、予定に対して「○○しなきゃ」みたいな使命感や義務感めいた言い方をするのは、予定自体が強制力を持つからだろう。
肯定的に見れば才能でもあるかも知れない。プラン自体は大体において悪くないのだし。「可能だが最大限キツイ」感じになるのは、自らにとって難点ではあるが。
繰り返しになるが、勝手にこのあたりまで思い浮かぶ事自体は珍しくない。思い浮かんだ後に、改めて「調整」を行う必要はあるだろう。
「予定」に仕事を連想する
- 予定に仕事のスケジューリングを連想する
- きっちりしてるとなおさらに
- 付き合いには少し、実際に不自由さがある
米オハイオ州立大学の研究によると
「時間を決めて待ち合わせといった休日に予定を立てる行為。これは、仕事でのスケジューリングを連想させる」
ということで、本来なら楽しいはずのプランを面倒に感じてしまうのだそう。
また、きっちりした旅行のプランを立てる際にも同じことが言えるそうです。
やりたいことを「予定」とすることにより、それが「仕事」になってしまう、ということのようだ。予定がある時点で自由じゃなくなると。
予定を入れることができる隙間ってのは、要は空いていた時間だ。そこに「仕事」をねじ込む。あるいは他の予定を押しのけて決定されたかも知れない。嫌になっても不思議じゃない。
その分自由は減る。その時間は「休日」じゃない。「拘束時間」になる。
義務というか、作業感というか、事務的というか。そうじゃなくても、責任感がある。
例えば遊ぶ約束したとして、クソつまらんかったとしても、「つまんないからやっぱ帰るわ」とは普通は言えない。よほどじゃなければ「付き合い」で区切りが良い所まではいるだろう。
約束事に対して、人は大抵気楽ではいられない。反対に、やたらと約束をすることで人を縛り、孤独を埋めるようなのもいるが。
楽しみにしていた約束は、実行する時には「消化作業」になる。
「終わるとホッとする」のはこのためだ。肩の荷が下りたから。
これは予定が好きでも嫌いでもなる。好きな遊びや趣味に手が伸びない理由の1つは、「ちゃんと楽しむだけの時間や気力がないから」というのはあるわけで。つまり好きでも嫌いでも疲れはするし、好きでも嫌いでも緊張する。
予定が終わった時の開放感と、仕事が終わってさぁ帰るぞ、って気持ちと比べてみたらどうだろう。同じ気持ちだったとしたら、まぁそういうことだね。
ただ、当人も楽しみにしていたり、実際に楽しめる内容に対してこう感じるのはもったいない。必要なのは当日を楽しむことよりも、当日を楽しみなまま「待てること」のような気もする。
対策
- 避ける
- 気にしない
- ストレスのない予定にする
予定を立てない
人間には「展望記憶」と言って、予定実行機能が備わっている。こうなったらこうしよう、この時間になったらこうしよう、みたいな。
面白いことに、トリガーとなる刺激(その時間になる、用がある相手と会うなど)になると自然と思い出すことができる。まぁど忘れもある。
この間はトリガーさえあれば思い出すように意識に「常駐」していると考えられる。アプリみたいに。常駐している間負担となるのなら、なるべく起動しない=予定を立てないほうがいい。
予定がストレスになるタイプの人間だ、と周知されたほうが早い。だがそう思われたくない人もいる。誘われなくなるかも、それはそれで寂しいとか、なんかそんなんで。予定がストレスなんであって、人付き合いがストレスというわけでは今回ないからね。
遠い約束はしない
約束の前日あたりが最もプレッシャーだという声は多い。一方で遠い約束の方が、その時に至るまでの自分が「そのために動いている」感じがして嫌いだ、という声もある。
ここでもやっぱり「自由さが失われる」と感じるのが問題だという点は共通する。「精神面での自由」は思った以上に重要なのだろう。
「一週間以内の約束しかしない」などのルールによって、これを避けている人もいる。
ストレスにならない予定の立て方について
細部まで決めずに余白を残す、選択肢を残すなどの回避策が挙げられている。要するに「ゆるめの予定」にすること。
細かすぎる予定が真っ先に頭に思い浮かんでしまうことはある。完璧主義の傾向が強いなら、直感レベルで模範解答的な「完璧」を思い浮かべてしまうことも珍しくない。
ただそれは、反射的に「連想」しただけであり、無意識からの提案の一つに過ぎない。それをそのまま採用することもできるが、もうちょっと自分が楽になれるようにアレンジしてもいい。ともかく直感への盲信はよろしくないだろう。見た目がいくら真面目でも。
緊張やプレッシャーは、リスクを軽減する必要コストかもしれない。
成功率を少しでも上げたり、キャパオーバーなタスクをそれでもやり遂げる補強かも知れない。
保険料や設備投資のような。だからゼロにするには正直惜しい。というか、危険がある。
だとしたら予定に対して緊張やストレスを感じ、当日までがしんどいというのはコストが「過払いじゃないの」って話になる。まぁそうじゃなくてもなるべく節約はしたいわけだ。だからやることは保険料の見直しになるね。
予定を細かく決めない。大筋だけにする。要点だけ抑えた形。
逆にプレッシャーになりやすいタイプは、予定を細かく決める上に全て優先度が「最優先」となっている状態が多いように見える。どれ1つ切り捨ててはいけないと思っているかのように。このあたりが完璧主義。
後でストレスになることを忘れて、予定を細かく設定しがちではある。理由としては、予定を立ててからそれにストレスを感じるまで、若干時間差があるから失念しやすい。予定を立ててる時はテンション上がってたりもする。
休日の予定に対して特に言えることだが、「充実していなければならない」という強迫観念のような思いがある人も多い。
冗談抜きで「リア充である義務」みたいな強迫観念を持っている人はいる。多分多いはずだ。
このためスケジュールを自分からあんまり好きじゃない予定でギチギチにする傾向は、持ってる人は持っている。
「細かく考えてはいけない」とするのは単純に難易度も高いし、それもまたストレスになる。切り捨てられないなら、せめても優先度をしっかりつけたほうがいいだろう。
最低でも主目標と「ついで」は分けたほうがいい。
ドタアポ専門になる
・多分ドタキャンの逆だろう。土壇場でアポイントメント。面白いなこれ。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0602/186875.htmの解答欄にあった。
要するに「今日暇?」って誘い方してほしいってこと。
尤も、今度はそういう誘い方ができない人ってのも出てくるが。約束してから予定通りに動きたい人もいる。このあたりはさっさと自己申告しといた方が良いだろう。
あとは急に誘われるのが嫌って人も、もちろんいるわけで。
うつ病で、人と会う約束をしてもプレッシャーとなり、当日ドタキャンを繰り返していた女性の話がある。このせいで病院にもなかなか行けなかったようだ。
彼女もまた「予定がプレッシャーに感じる」としているのだが、苦肉の策として自分の調子がいい時に「今から会えませんか?」と打診する方針とした。
相手にも都合があるから、いつでも会えるわけではなかった。だがこうすることによりプレッシャーにはならず、約束どおりに会えるようにはなったとのこと。
興味深いことに予定を立てないと決めてからは、少しずつ動ける日も増えてきたようだ。
苦肉の策ではありましたが、外に出るというプレッシャーから解放される方法として「予定を立てない」と決めたことは私にとって、とても有効でした。
もちろん、予定がストレスだからうつ病だというのは早計だろう。
元からこういう心理がある。うつ病だとそれが大きくなる。そう思っておいたほうがいいのではないか。
メモ
義務自己だな。予定に対して模範的な振る舞いを「しなくてはならない」みたいな。
割ととんでもないなこの機能。社会に適応するのが存在意義なのかもしれない。義務自己=責任感とも言えそうだし。
予定自体が勅令になってるケースと、義務自己の「べき論」をベースにプランが立てられてるケースとあるか。
前者はプレッシャーが強い。当日になるまでがしんどい。「行ったらなんてことなかった」ってタイプ。
後者は1つの予定が過剰に細分化し、全てが必須事項となり、「精密作業」となる。目的は高精度で達成されるが、疲れ果てる。常識的、模範的、理想的、かつ完璧主義っていうと、社会規定型完璧主義か。