アダルトチルドレンの6つのタイプ

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・アダルトチルドレンは現在は「機能不全家族で育った子供」というような意味で使われている。

この6つはタイプ、役割、性格などと言われるが、細分化すればもっとあるだろうし、一つに留まらないとも言われている。

また、これは「どのような役割を『担わされてきたか』」として本来は言い表されたもののようだ。

アメリカのセラピスト、クリッツバーグ(Kritsberg,W)が1985年に出した『ACOA症候群(The Adult Children of Alcoholics Syndrome)』という本の中で、成人してアダルトチルドレンとなった人々が、子ども時代に機能不全家族のなかで、どのような役割を担わされていたかについて言い表したものです。

https://www.just.or.jp/?terminology=000877

ヒーロー hero

英雄、活躍、「頑張り続ける」。

世間や社会など「家族の外」の他者に評価される・成果を出す子供。勉強・スポーツなど。家族がそれを喜び、熱中することでの関係の一時的な改善。

この家族が機能するためには、この子供は頑張り続けなければならない。

その頑張る対象は、自分の夢とは違うのかもしれない。

スケープゴート scapegoat

犠牲、生贄、「わかりやすい原因」。

ヒーローと反対に問題を起こすことで、自らが「家族機能が不全である原因」であると「演出」する。

問題行動を起こす、あるいは病弱である。悪役か、手を焼かせるか。

迷惑をかけ、心配をさせ、苦労をさせ、手間を掛けさせ、「この子さえ居なければ」という仮初の原因で居続ける。

これにより本当の問題から家族が目をそらすことを援助する。

ロストワン lost one

孤独、迷子、「居ない子」。

大人しく、手のかからない、存在感の薄い子。

家族とのコミュニケーションにおいて一種の諦めがある。また、自分の感情を自分で処理する傾向が強く、このため人を避けようとするとも。

目立たず、ひっそりと、自分はここに居ないかのようにやり過ごす。「家族」を。

クラウン clown

ピエロ・道化師・マスコットとも。

clownは道化師・ピエロのこと。王冠(crown)ではない。

空気が悪くなりそうになれば、おどけてふざけて空気を変える。おかしなことを、言ったりやったり。

ただしその動機は「自分が何かやらないとみんながどんどん不機嫌になっていく」という恐怖からだとされる。

幼少期に他人の機嫌に気を使うことを強要された結果である可能性が高いと見られている。
例えば離婚の話が出始めた夫婦の間にいる子供が、そういう空気にならないようにふざけるだとか。こうしてみるとスケープゴートとも似ていると言える。

可愛がられることも多いが、自己評価は低い。

プラケーターの亜種とされている。

プラケーター placater

励まし、慰め、「カウンセラー」。

気分が落ち込んでいる、疲れているような家族をいつも慰めている。これ以上疲れないために気遣ったりもする。一見無私の奉仕に見えるような、「母親の愛情」に似た無条件の愛情を多くの人に向けるとされる。

女性に多いとされる。「悲嘆に暮れる母親を慰める娘」の構図で語られることが多い。この時点で、親と子の役割が入れ替わっている機能不全家族と言える。
このような関係を続けて来たため、成人後も親のほうが子離れできていないことは多い。

他者から感謝や愛情を向けられると、戸惑う。時には逃げる。「自分が相手に与え続けること」が自身の存在理由だと思っているからとされる。一方で、自分から離れてほしくはない=相手が立ち直ったり自立してほしくはないという念はあり、共依存になりやすいともされる。

おうちのちいさなカウンセラー。この子は誰が慰める?

イネイブラー enabler

援助、励まし、「偽親」。

相手の世話を焼く、相手の心配をすることで自分の問題から目をそらす。偽親と呼ばれることも。

問題から目をそらすと言うよりも、アダルトチルドレン全てに当てはまるが「自分のことを考えない」傾向のため、その分相手しか見えていないのかもしれない。

同情心が強く、甘えてくる相手を突き放すことができない。

・「enabler」は他人の目的達成を可能にする人、救済者との意味があるが、心理学では「助けるつもりで相手のためにならないことをする人、身近な人の犯罪や悪癖を黙認あるいは放置する人」とされている。https://eow.alc.co.jp/search?q=enabler

特にアルコール依存症に於いて、イネイブラーが深刻な問題になる。彼/彼女たちがやることは、依存症患者がそのままで居続けることの援助になってしまっているからだ。

イネイブラーとなり得るのは、「家族・友人や上司」「牧師・神父・僧」「医者(特に精神科医)」などです。共依存者もイネイブラーです。こうした人々が行動を変えることが依存症回復の第一歩となることがあります。

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/alcohol/ya-056.html

メサイアコンプレックスや共依存を連想させる言葉の意味だ。実際にここでのイネイブラーも依存されやすい/させやすいとされる。

同情的な協力者という点ではプラケーターと似ているが、イネイブラーは積極的な協力、プラケーターは消極的(寄り添うような)な励まし、と分かれる。

親代わりが熱心すぎて、本当に親に成り代わったような情緒的関係を相手と結ぶ可能性もあるとされる。

6つ全てに当てはまる要素

 自分の都合ではなく、親(を代表とする身近な他者)の機嫌、顔色、家庭内の雰囲気を察し、それを優先しての行動決定を行う。

自己犠牲というよりは、自分が見えておらず、代わりに相手しか見えていないかのような。

これらが無意識的、非言語的に現れ、当人は自分が何かの役割を背負っていることに自覚がないのが通例とされる。

 これは自他境界で言えば、「他者の領域を自分にまで広げる」タイプに該当するだろう。他者の影響を受けやすく、自分がないような言動になる。

自分の責任と他人の責任の区別がつけられず背負う、相手の要求に嫌だと言えない、そうして傷つけられすぎて、人が怖くなるなどがある。

 こういった、自分を犠牲にしてまで他者に合わせる/適応しようとする傾向は「過剰適応」と、さらに度が過ぎると「自己破壊的同調」と呼ばれる。

関連ページ:
_人に合わせすぎる心理:過剰適応/自己破壊的同調について
_他者の領域を自分にまで広げる

自己主張のスタイル

  アサーティブという、自他尊重のコミュニケーションの概念がある。その中で問題のあるコミュニケーションの態度は大きく3つに分けられる。攻撃タイプ、受動タイプ、作為タイプ。

アダルトチルドレンは、攻撃タイプにはほぼ該当しない。
子が親に対しての態度というのを念頭に置けば、攻撃タイプは「甘やかされてワガママになった」みたいな人物像になるが、アダルトチルドレンは基本的に「良い子すぎて問題」みたいな所がある。スケープゴートすら「ワガママ」ではない。

作為タイプははっきり言わずに回りくどい自己主張(陰口とかを含める)わけだが、これもあまりない。

6タイプ全部受動タイプにも見える。真面目で責任感が強く、嫌われたくないから自己主張ができず、尊重しているのは他人だけで、自分の意見は尊重しない。時には自分の意見がわからない。

何よりも「自分のせいだ」と思う傾向は、受動タイプのものだ。作為タイプの傾向すら弱いのは、「(都合の)良い子になること以外に道がない」という先入観だろうか。

スケープゴートはその逆をやっているように見えるが、「それをやれば注目が集められる」と判断できるのは、「正道」のイメージを持っているからだろう。それを逆手にとって注目を集め、家族の現実逃避というニーズを満たしている。

 個人的にアサーティブの3つの「タイプ」も、アダルトチルドレンの6つのタイプも、本来は相手によって変わる表面的なもののはずだ、と思っている。ただアダルトチルドレンの場合は、「性格」と呼んで差し支えない程に染み込んでいるようにも見える。「仮面が外れない」状態。

関連ページ:
 アサーティブについて

メモ

・どれかにある程度自分は当てはまる、と感じたと思われるが、「6つもありゃそりゃそれっぽいのもあるわ」程度にまずは思っておいていい。いつものことだが、バーナム効果の可能性。あと心当たり自体は絶対に誰にでもある話だし。

・齊藤學曰く、

「AC(アダルトチルドレン)じゃない人なんていないからね。大体の人の親は、変でしょう。問題のある親で、だからこそ個性ができてくる。不満が無いと、欲求が生まれないじゃないですか。欲求不満が自分を創る訳でしょう」と述べ、誰もがアダルトチルドレンであり、母親は子供の欲求をすべて満たそうとしてはいけないと語っている[9]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤学_(精神科医)

まぁ正直な所、問題があることによる個性なんざドブに捨てろと思うが。「個性だ」って開き直ってる連中見てると、どうしてもね。

ともかく、大体の親が子供から見ればアウトとなる。完璧超人なんていやしない。相対的に子供が「傷つきやすい」という意味でもある。真に受けやすいというか、オーバーに捉えやすいと言うか。

大抵の「子供の頃の恨み」を、親の方は覚えてはいない。ただの何気ない言動であることが多いからだ。子供は親に対してある意味ノーガードであり、その分時々グッサァとくるわけだ。こじれるほどに。

 正直な所、親は「どんなことがあろうとも」子供へ必ず無償の愛を注ぐべきなのかについては疑問がある。子供は親へ無償の愛を求め過ぎではないのかとも思う。アダルトチルドレンの側から見ればそれらは確かに足りなかったものだが、多けりゃ多いで人格面での問題がある。

高い自尊心が有害だって説はある。「温かな養育態度が過剰適応を強める」ともされる。ぬるま湯過ぎてもいかんのだろう。

「母親は子供の欲求を完全に満たそうとしてはいけない」というのも頷ける話だ。それ自体が親が子へ「過剰適応」しようとしてると言えるし、それは自己犠牲、つまりは「自分を尊重しない態度」でもあるし、それを見て子が育つことを前提としたら、教育にもよろしくないだろう。

関連:
_人に合わせすぎる心理:過剰適応/自己破壊的同調について
時に「献身的な親」の態度は、自己破壊的同調にすら見える。アダルトチルドレンと立場が逆。
_ノンアサーティブタイプ
他者ばかり尊重し、自分を尊重しない態度。

 

生存

・子供がこのような行動・意思決定として役割を演じるのは、家族に対する自己犠牲精神とも限らない。アダルトチルドレンの性格的な問題は「そうでなくては自分に居場所・存在価値がない」との考えに基づいていることが多い。

居場所。人の世における居場所は、人の輪の中だ。まぁ大体は。そのベースとなる「家族」において適応する、つまりは「居場所を作る」ことは重大な案件と言える。生存権を確保すると言っても良い。

最悪なのは「家」からは子供は逃げられないということだ。本来安全地帯であろうはずのそれが問題があっても、そこに適応するしかない。

例えばネット上にグロ画像を崇めるコミュニティがあったとして、自分がグロ嫌いだったとして、そこに参加して耐えようとするだろうか。するわけがないだろう。行かないし、見ないはずだ。参加するなんてとんでもない。

では「参加するなんてとんでもない」所に生まれ落ちてしまったら。他に行くところなんてなかったとしたら。そこが全てだとしたら。

加えて人はストロークを求める。人との交流を。まぁあれだ、集団の中であなただけ話し相手がいなかったら悲しいだろう。そうならないために話を合わせようと(適応しようと)見たくもないドラマみたり、流行りの歌を抑えたりとかね。

だからこそ、何かしら「存在価値を感じることができる」振る舞いを探す。適応、つまりは「馴染むため」に。結果、この6つのような結論にたどり着くことが多い。

何かしらの貢献をするか、あるいは全てを諦め自らを守るかに。

アダルトサバイバー

・そもアダルトチルドレンは「病気」とかそういうものじゃない。

自覚用語、つまりは「自分はこうだったんだ」というスタート地点に立つための考えだったのだが、そこら辺がよくわからんままに広まりすぎて他人へのレッテル貼りに成り下がった感があるとされている。

レッテル貼りに反発してなんか間違った方向で自己主張始めるアダルトチルドレンまで出始めて混乱を極めたとか。

また、言われる側や自覚した人が「だから自分は一生このままなんだ」と運命論・宿命論のような考えに陥り、スタート地点に立つためのものだったはずが、諦めや絶望、人によっては開き直りさせる概念になってしまったとも。

それがそのまま広めた人へのクレームにまでエスカレートしたともa)ただこれは1990年代の話で、ネット環境を誰もが持っているわけではなく、新聞かテレビがメインの情報源だった時代。メディア(と、それに出演した専門家や知識人までも)がすごい適当な使い方というか、意味わからないまま文字だけでイメージ固めて番組まで作るノリだったらしい。今でもこういう話はあるのでお察し。

タチの悪いことにこの一連の流れは「ブーム」と呼んでもいいほど大きなものだった。間違った観点からの本もいくつも出版されたそうな。

そのため、この言葉を日本に導入するのに大きな役割を果たした齊藤學はあいそをつかし、自らこの言葉を使うことをやめてしまいました。

https://www.just.or.jp/?terminology=000755

代わりに「アダルトサバイバー」との言葉を使い始めたそうだが、広まったとも言われているし、そうでもないとも言われている。まぁ多分広まってない。月間検索数とか調べると「アダルトチルドレン」にボロ負けしている。

ちなみにアメリカの方では、

酒害家庭で育ちながらも今はいっけん問題を起こしていない子どもたちは、機能していない家族システムに適応することで何とか生き延びているものの、思春期を過ぎてから感情や行動の面で、ある特徴を持った障害をおこす傾向があり、これに対してしかるべきケアが必要であると訴えました。

1980年代後半には、そのような特徴を持った障害は、酒害家庭に育った子ども以外にも見られることが発見され、アメリカではそのような子どもを Adult Children of Dysfunctional Family(機能不全家族で育ったアダルトチルドレン)と呼ぶようになり、ACODと略されました。ACODによってACOAの範囲が広がったのでした。

https://www.just.or.jp/?terminology=000856

リトルナース プリンス・プリンセス ケアテイカー

分類について、ネットを見るとこれとは違うものが散見される。ヒーロー、スケープゴート、ロストワン、クラウン(ピエロ)までは共通しているが、イネイブラーとプラケーターがなく、「リトルナース」と「プリンス・プリンセス」が追加されていることが多い。

また、イネイブラーとプラケーターが「ケアテイカー=リトルナース(世話役)」に包括されているケースもある。

これについての出典は不明。ただ、昔Wikipediaのアダルトチルドレンの項目で私も見かけた覚えはある。該当記事に現在その部分は見られない。wikiの編集議論もチェックしたが、記述なし。他のサイトでもここからの引用・参考としているところはあったので、記憶違いではないようだが。b)無断転載の可能性を指摘されていたので、その該当部分だったから削除した、とも考えられるが、根拠はない。

そんなわけで出典が(比較的)はっきりしているクリッツバーグの6タイプを今回は採用した。c)この概念に3世代ある? クリッツバーグの6つ、プリンス・プリンセスがあった世代、イネイブラーとプラケーターがケアテイカーに統合されている世代=これが最新だと思うし、最も整理されているとも思うが。

前のブログで自分が書いたものによれば(信頼性はお察し)ケアテイカー(親が親として役立たずだから自分が親の役割をするしかない)の内訳でリトルナース(家庭の問題のサポート)、イネイブラー(家事担当者として)、プラケーター(仲裁役、慰め役、愚痴聞き係)となっている。

プリンス・プリンセスは「親の言いつけを守る/親の期待通りに生きる子」と書いてある。自分の意志を持たず(あるいは意志表示せず)周囲の期待に応えることで認められ、それを存在理由とする。ヒーローに該当?

出典がこちらにとって不明だと言うだけで、モデルとしてはこれらも悪くないと思うんだけどね。ケアテイカーは分けたままのほうが良いような、まとめちゃって良いような。

アダルトチルドレン?

アダルトチルドレン(日本では誤用が広まりすぎてる言葉らしいが)に限る話だろうか、との疑問も湧く。

いや、機能不全家族自体が相当数あるって話はあるんだが。そう考えれば別におかしくはないか。

割合は、日本で8~9割とも言われている。機能不全家族の割合が。「機能している家族とはなにか」の定義にもよるだろうけれどね。「子供が子供らしくいられない家庭」としてはそのくらいだそうだ。

で、割とこれは子供も、それ以外も、自覚がない。生活であり、ベースの価値観そのものだから。温度計が狂ってたって体感温度と大きく差がなければ気付けないだろう。これも「温度計側」の話だから、気付けない。だが世界との「温度差」は感じる。それが「生きづらさ」になる。

まぁともかく、誰もがこれらの要因を含んでいても全くおかしくないし、色々な心理的な症状とかなり相性が良いと言うか、ベースとなっていそうと言うか。

例えば完璧主義の原因の一つに、親の期待に応えるのが自分の存在価値だと認識していることが挙げられるが、これはヒーローやプリンス・プリンセスに該当するだろう。

「アダルトチルドレンのタイプ」としての外枠を取っ払って、認知の歪み(特にアイデンティティに向けた認知)や思考の癖として改めて見たほうが使える幅が広がりそうな気がする。

そもそもアダルトチルドレンは「生きづらさ」という問題の解決のための出発点、という立ち位置だったと言われている。日本では「原因」として捉えるべきこれを「結果」として捉えてしまい、誤解が広まっているとも言われているし。

機能不全家族の後遺症とするより、病前性格と捉えた方が話が早くないか。いや、歪みや傷というよりは人生脚本に近いのか。あるいは「コミュニティ内での役割」としての社会的アイデンティティとして捉えれば、何かしらは誰もが必ず持っている。ここの6つに該当しなくても。

ロストワンについて

ロストワンが気になる。バーンアウトのような燃え尽きた果てだとしたら、全部最終的にロストワンにならんか。

実際バーンアウトになる前の人はヒーローに当てはめることは出来るだろう。加えてバーンアウトが多いとされる対人サービス業だったら仕事としてイネイブラー、心理的なケアも仕事の内だったらクラウンとしても振る舞わなければならない。

当てはまるだけならなんてことないんだが、こう言ったことの問題はその面ばかり酷使することになる点だ。

あるいは見方を変えれば「これ以上キチガイ共に付き合ってられるか」的な情緒的エネルギーの節約・温存としての防御機構にも見える。そうだとすると、ロストワンだけが機能不全家族に迎合せず、戦っている、あるいは見限っている。

あるいは手間がかからない良い子を演じれば、ヒーローかつロストワンとも言える。

あるいはロストワンでいることでスケープゴートとしての役割を果たすこともできるだろう。

ロストワンの内心は様々であるはずだ。

完璧主義との関連について

 特にヒーローはわかりやすく「望まれている自分」を演じている。他もロストワン以外は概ね「役割」を察知し、あるいは見出している。そしてそれらを果たすべき義務のように為す。

これらは社会規定型の完璧主義に似ている。アダルトチルドレンは高確率で完璧主義だ、との意見もある。当人が完璧主義や白黒思考を自覚することも多い。

ロストワンもそうかも知れない。「あの家族」に完全な適応は出来ない、自分には無理だ、だから、というのなら。

 概ね「自分のせいだ」という自責の念は強い傾向にあり、自分が完璧なら問題は起きないはずだと考えるなら、たしかに完璧主義になる理由は持つことになる。

どの道これらは「ありのままではいられなかった」ということにはなるのだが。

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自分がないこと

 全体的に、かなり他者評価が自分を認める基準になっている。他者を意識した行動決定を行っている。その分、自分らしさを感じるような機会がない。

心理学の方面で見ると、「個」は「社会」と相対的であることもある。例えば自分らしさである「本来性」は、他者に認められることで感じる「自己価値」と負の相関を示す。片方が上がれば片方が下がるということ。

見方を変えればこれは、他者の中に居場所を求めすぎると、自分を失うとも考えられる。今回のアダルトチルドレンのように。

本来性を取り戻し、その実感である本来感を感じるためには、一人になり、「頭から他人を追い出す」ことが推奨されることもある。ただ、それも難しそうに思える。

そもそも、一人になること自体が、彼らはとても怖いのではないだろうか。というか、見捨てられ不安が動機だとしたら、そういうことになる。

まぁ、事の軽重を問わなければ、誰にでもある心理ともされるが。逆に後天的に重くなることもありえるかもしれない。

脚注

脚注
本文へ戻るa ただこれは1990年代の話で、ネット環境を誰もが持っているわけではなく、新聞かテレビがメインの情報源だった時代。メディア(と、それに出演した専門家や知識人までも)がすごい適当な使い方というか、意味わからないまま文字だけでイメージ固めて番組まで作るノリだったらしい。今でもこういう話はあるのでお察し。
本文へ戻るb 無断転載の可能性を指摘されていたので、その該当部分だったから削除した、とも考えられるが、根拠はない。
本文へ戻るc この概念に3世代ある? クリッツバーグの6つ、プリンス・プリンセスがあった世代、イネイブラーとプラケーターがケアテイカーに統合されている世代=これが最新だと思うし、最も整理されているとも思うが。

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