内向的/外向的

内向型について

投稿日:2021年1月8日 更新日:

 内向型と外向型という考えは、心理学者のユングから始まり、大衆化された。一般には対人面において消極的か積極的か、趣味がインドアかアウトドアか程度のイメージにとどまっている。その程度しか他人にはわからないから。

ビッグファイブにも内向か外向かの項目はあるが、「見える部分だけの評価」だという指摘はある。

何よりも2016年の内向型-外向型についての論文ですら「内向、外向という言葉は同じだが、研究者によって異なる意味概念が付与され、ユングの概念からは離れてしまった面がある」と書かれている。
これ故に例えば同じ内向型でも、研究者により人物像が異なるとされる。統一された概念とは言い難い。

 その上での「見えている部分だけでの評価」は致命的だ。幸福感にしても外向型は高いとされるが、その評価基準が「熱意、情熱、元気、社交性」が「見えるかどうか」だけだという指摘もある。
内向型がお気に入りの本を読み、その世界に没頭している状態だとしても、「幸福」にはカウントされないのだとか。

元々心理学の一派にはアンチフロイトというか、「見えないものは扱わない」という考えがある。行動分析学とか。この場合、内向型の特徴である「豊かな内面」は無いものとして扱われてしまう。そうでなくともヒトにはこの傾向がある。

つまりは内向型は、本人には興味ない「外向型の幸福」が見られないからと、勝手に不幸扱いされるという大分失礼な目にあっていることになる。
(だからセリグマンとチクセントミハイが、フロー状態を幸福の1つと数えたことには意義がある)。

 一方で現代では、内向型と外向型は1つの連続的なものだと考えられている。大抵のヒトはどちらかに偏ってはいるが、決定的なものではない。内向的な面と外向的な面を持っている。

つまりは多くがセリグマンが言うところの「ハリウッドのようなわかりやすい幸せ」の他に、フロー状態や豊かな内面といった「他者には分かりづらい幸福」を得られる余地がある。そして現代の価値観では、その余地を自ら捨てることになるだろう。

関連ページ:
 幸福とは何か?
 フロー状態について
_好きなことが見つからない人


一般的イメージの内向型

 大抵は自己主張せず、主に人間関係において消極的で、インドアあるいは文学的な趣味を持ち、一人の時間を大切にし、その分社交的とは言えないというイメージ群だろうか。

ただ、消極的なのは対人面に於いてに限られ、さらに言えばそれは「相手がわかるつもりがあると思っていないから」に見える。内向型でホラー好き、ロック好き、ヘビメタ好きというのは実は珍しくない。

まぁ確かに知られなくていいというか知られたくないと言うか、赤の他人には「わかってもらいたくないこと」というのは内向型の方が多く自覚があるだろう。

(一般で言われる)外向型にもこれにはあるが自覚がない。いきなり指摘されると混乱する傾向がある。

 

ユングの内向型

 内向型、外向型という概念は、心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱した、または大衆化したとされている。

本来はかなりシンプルで、1937年の時点で「あまりに大雑把だ」と批判されたほどである。交流好きの内向型、社交性の無い外向型はユングの内向-外向ではあり得る。

 この時点では対人面に現れるいわゆる「性格」というよりも、当人の性質に近い。ここで強調しておきたいのは「何によって自分が回復するか」だ。

内向型は静かであることで、外向型はにぎやかであることで回復する。これは当人の好みとは関係ない。

遊びに行く約束があると時間が近づくにつれ不安になり、行ったら楽しく、帰ってきたらぶっ倒れる、というパターンは明らかに内向型だ。しかし、社交的であるとも言えるだろう。楽しかったんだし。

ユングによる内向型と外向型の定義は以下。

内向型

  •  内面的な精神活動にフォーカスを当てている
  •  社交によって疲弊する
  •  孤独によって回復する

ちなみに出不精とは違う。釣りを始めとした1人または少人数のアウトドアを楽しむこともある。

論文『外向性・内向性の概念に関する文献的考察』によれば、ユングは内向型と「病的さ」との関連は否定し続けていたとされる。

実際に現代のビッグファイブ/OCEANでも「E=外向性(これが少なければ内向型)」と「N=神経症傾向(精神不安定性)」は独立した概念とされている。

外向型

  •  外部の世界にフォーカスを当てている
  •  孤独によって不安になる
  •  社交によって安心する

両向型

  • 内向型、外向型のどちらにも完全には当てはまらない中間タイプ
  • 多くのヒトはこれだとされる
  • ヒトの中での居心地の良さも感じれば、そこから離れて一人の時間を過ごすこともある
  • 状況や相手によって見せる面が変わる
  • 心理学では、1人の人間の内向性と外向性は、連続的な(つながっている)ものと考えられている

 

ユングのタイプ論

 内向型と外向型は、意識のフォーカスが基本的に内外どちらを向いているかという意味になる。ユングはこれを「態度」とした。

これに4つの心の機能(思考、感情、感覚、直感)を組み合わせ、態度と機能の組み合わせによる計8つのタイプに分けた(ユングのタイプ論)。

内向型で言えば、

  • 内向+思考
  • 内向+感情
  • 内向+感覚
  • 内向+直感

の4つとなる。

思考と感情

  • 思考機能と感情機能は対になっている。
  • この2つは「人が決断を下す時」に機能するとされる。
  • 思考優位は、論理的に物事を捉え、理論や理屈に関心が向く傾向。
  • 感情優位は、好き嫌いや快不快で物事を判断する傾向がある。

感覚と直感

  • 感覚と直感も対になっている。
  • この2つは「物事を捉える時」に機能する。
  • 感覚優位は、あるがままに素直に感じ取る。五感で知る。
  • 直感優位は、物事の本質だけを捉えようとし、全体像を把握しようとする。

ユングの考えた自己実現

 内向と外向、思考と感情、感覚と直感。これらは対となり、片方が優位なら、もう片方は未発達であると考えられた。

ただしこれは宿命論的な、つまり持って生まれて一生変わらないものだとはされていない。むしろユングは未発達な部分を伸ばし、バランスの取れたヒトとして成熟するのが道だとした。

 このような話は、特に「個性」を渇望する者たちには受けが悪いだろう。しかし両向性で述べたとおり、状況に応じた面が出るのがヒトの仕様だとも考えられる。それを伸ばさないのであれば、その「個性」はただの脆弱性となる。

時に欠点を個性だとして大事に抱える者がいるが、それは埋めた方が良い穴であることが多い。

ジョナサン・チークのSTARモデル

 ウェルズリー大学のジョナサン・チークは、ユングとは違う形で内向型を4つに分類した。こちらは外向型については語られていないため、対が存在するとは思わないほうがいいだろう。

  • Social Introvert 社交系内向型
  • Thinking Introvert 思考系内向型
  • Anxious Introvert 不安系内向型
  • Restrained Introvert 抑制系内向型

頭文字をとってSTARモデル。

Social Introvert 社交系内向型

  • ユングの内向型同様に、社交で消耗し、孤独で「充電」するタイプ。別に社交を避けるわけでもない。
  • 純粋に孤独で居たい時にそうするのであって、不安や社会的プレッシャーが動機ではない。

Thinking Introvert 思考系内向型

  • 内省的。思慮深い。関心が内側に向かっている。
  • その分内面が豊かである。

Anxious Introvert 不安系内向型

  • このタイプだけはシャイ。人見知り。
  • 見知らぬ他人がいると自意識過剰になりがちだとされる。これは自惚れるという意味ではなく「見られている」と意識しすぎるということ。
  • このため慣れない状況では他よりも緊張しやすい。
  • 1人でいても、事前の不安感が拭えない傾向があるとされる。

 拒否回避欲求を始めとした「他人の目」を意識する心理は結構ある。ヒトはデフォルトでこれを持っており、それが特に強いとした方がいいだろう。

関連ページ:
 人目を気にする心理について

Restrained Introvert 抑制系内向型

  • じっくり計画を立ててから動きたい。
  • このため行動を起こすために時間がかかる。
  • 直前や思いつきの誘いを嫌う傾向。
  • 考えをまとめてから話す。

 抑制型というか、制御/管理型って感じだな。Restrainedには自制、落ち着いた、などの意味もある。

内向型と成功者

 「静かなリーダーシップ」とも呼ばれ、穏健さと自制心があり、派手さはないが着実に歩を進めるタイプの経営者がいる。

成功者の研究は盛んではあるが、このようなタイプの経営者の話は多い。

【11社のすべてがダーウィン・スミスのような謙虚なリーダーに率いられていたのだ】。そういうリーダーと一緒に働いた人々は、彼らをつぎのような言葉で表現する傾向があった――物静か、控えめ、無口、内気、寛大、温厚、でしゃばらない、良識的。

https://diamond.jp/articles/-/244983?page=4

「この50年間に出会ったり一緒に働いたりしたきわめて有能なリーダーのなかには、オフィスに閉じこもる人物もいたし、超社交的な人物もいた。

せっかちで衝動的な人物もいれば、状況を詳しく分析して判断に長時間かける人物もいた……共通する唯一の特質は、彼らが備えていないものだった。

すなわち彼らは『カリスマ的才能』をまったくあるいは少ししか持っておらず、それを利用することもなかった」とピーター・ドラッカーは書いている。

https://diamond.jp/articles/-/244983?page=3

ここで言うカリスマとは、「口がうまい」とかプレゼンテーション能力とか、社交や交渉の方面を指す。

 彼らはそれを必要としなかった。裏を返せば、他に「有能なリーダー」である何かを持っていた。

反対に、ここでいうカリスマ性がある経営者は、実際には経営手腕は比較的低かったとされている。

フィリップ・テトロックの実験では、テレビで長々と語る専門家たちの、経済や政治の予測の的中率が、素人の予測よりも低いことを明らかにしている。加えて言えば一番「ひどかった」のは、一番自信満々だった奴だそうな。

最悪なことに、ヒトはこのような態度に騙されやすい。さらにこのような態度の者は、自己評価が高い傾向もある。

これは内向型と外向型の話というよりも、消極性と実際の能力、積極的な態度と実際の能力の無関係さ、内向的なスタンスの価値などの話だ。

内向型についてのTED

自分はいったい何者なのか―性格の謎を解き明かす(ブライアン・リトル)

 オチが実感こもってるなーって。

 OCEANは、こちらで言うところの5因子モデル、ビッグファイブのことだ。

関連ページ:
 性格の5大要素 ビッグファイブ 



内向型とカフェイン

 カフェイン。外向型のほうが効果があると。こちらは初耳だが。

外向型は刺激に対して鈍いため、強い刺激を求める傾向があるとされる。

内向型は刺激に過敏な上に、内面に関心が向いている。

一方で、不安障害の対処としてカフェインを絶つことが挙げられていたり(離脱中は不安感は増す)、物質誘発性不安障害の原因としてカフェインの中毒が挙げられているなど、どうも内面を過剰に活発にしてしまう効果はあると考えられる。

多数の研究が、カフェインと不安惹起(英語版)作用、およびパニック障害との間に相関を示している[18][19][20]。不安患者は高いカフェインへの感度を有する[21][22][23][24][25]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E9%9A%9C%E5%AE%B3

カフェインの効果は当人の遺伝子により代謝や効果量も違うため、平気なヒトは平気だろう。ただし内向型は「しっかりするため」にカフェインに頼ると、裏目に出やすいかもしれない。

関連ページ:
 カフェインのデメリット

内向型の表現について

 これに限らずとも内向型は、表現が苦手とか、はっきり言わない傾向はあるとは昔から言われているが。

 言葉の選び方、つまり表現について。ボキャブラリーや知性に違いはないとの前提で考えてみる。

リトル曰くの外向型人間語だと「奴はロクデナシだ」の一言で済む話が、内向型人間語では、

「うーんマイケルには確かに傾向として通常必要とされる以上に主張が強いと 一部の人から思われるかもしれない行動が時に見られるね」

まぁ、たしかに長い。はっきり言ってない。聞いててスッキリした感じがしない。では、情報量と正確性で考えてみたらどうだろうか。

 外向語だと、発話者が対象を嫌っているのはよく分かる。それだけだ。何があったのか推測する材料もないし、個人の主観にしか思えない。ともすれば相手に事情もあるのでは、むしろコイツがアレなのでは、とすら考える余地もある。

 内向語だと、対象が我が強くて余計なことやらかしたアホだと推察できる。はい逆転したね。

外向語がはっきり言っているように見えるのは、情報量が少ない=わかりやすいからと言うのが大きい。裏を返せば内向語は情報量が多すぎる傾向がある。

 とても簡単にしてしまうと、外向語とは「本のタイトル」に近く、内向語は「本の文章」、推敲し洗練されても「概略」に近い。元からカテゴリが違う。今回の場合、外向語→内向語の順番で聞けばよく分かるだろう。

加えて言えば、本で言うとやっぱりわかりやすいのだが、タイトルがわからない本、何についてかわからない本、偉く分厚い本、難しい本というのは、まぁ、あんまり読む気はしないものだ。

ただ内向型の表現が「はっきりしない」のは、いきなり朗読を始め、最後まで聞かなければならないような状況を作るような形になるからだろう。外向語を見習ってタイトルから入るとか、情報の取捨選択をするとか、スキルでなんとかなりそうではある。いわゆる「結論から入れ」というスキル。

なおこの話は、元から最後までヒトの話を聞かない奴の存在は考慮していない。

  さて私はボキャブラリーや知性に違いはないことを前提した。実際知性と発言数は必ずしも一致しない。加えて内向型が通俗的なイメージ通りに消極的なら、むしろ話が長いのもおかしいわけだし。

この違いは見方の違いを意味するのではないか。外向型がトップダウンで、内向型がボトムアップなのではないだろうか。外向型は全体的に見て、一言で言い表す。

内向型は恐らく部分部分で見て、内的に統合したイメージを作ろうとしている。これは物事に対しての倍率が高すぎることにもなり、内向型が相対的に過敏であることとも繋がる。

加えて内向型はイメージを表現することにも拘るだろう。「一言で言い表せること」つまりは記号的な言葉ではなく。つまり「元から言い表したいことが違う」のも大きい。で、全部言いたくなるから聞いてる側にとっては長いしわかりづらくなる。

自由特性

 リトルは自身のコアプロジェクトが教授することであるとし、そのために「外向型的に振る舞う」ことを自らに実行させた。

このような「自分はこうだが、それでもこれをやる」という行動を自由特性とするのだろう。性格に依らない意思と行動。当人曰く「猛烈な内向型」が外向型的に振る舞うように。

「長期間に渡って演じている時はくれぐれもご注意を」としている。これは感情労働でもあり、ペルソナ言うところの「仮面が外れない状態」であり、まぁ端的に行って情緒不安定とか自律神経失調症とかうつ病とかその辺りのリスクは高まるだろう。

「自分自身を大切にしていない」との言も同じくだ。根源的な問題として、社会が外向寄りに作られている点がある。

このため内向型は「合わせる必要」があり、時には孤独で居る=回復することすら罪悪感や恥を感じる。挙句の果てに外向型的幸福が好きじゃない自分がおかしいと、無理をして人格矯正を試みる者すら居る。

これらは全て、自分自身を大切にしてないと言えるだろう。知りもしないのだから当然かも知れないが。どうしたら良いのかわからないのかも知れない。

「私の場合「擬似」外向型人間として しばらく振る舞った後は 独りになって回復する場所が必要です」

世間の疑似外向型人間は、休息とってるんだろうかね。

内向型と外向型の相性

基本的には悪い。が、実際にはそれほど問題にはならない。

これめんどくさい話で、ヒトはベースとして心の機微が、

  • 自分より過敏な奴はヒステリーでうざい
  • 自分より鈍い奴はデリカシーがなくてうざい

というのはある。これらは自分をベースとし、自分からより離れているものに強く感じやすい。自分に近いとこの方面でのストレスはないので、それを「気が合う」「相性がいい」なんて呼ぶ。

外向型は内向型と比べると、

  • 1人でいられない
  • 刺激を求める

この傾向は持っている。内向型から見れば相対的に、大抵は「自分より心の機微が鈍いやつ」に該当する。つまり気が合わない、相性が悪い。だから基本的に内向から見た外向的要素は、ストレッサーにはなりやすい。

まぁ微妙に落ち着かないのはお互い様ではあるかもしれないが、アグレッシヴなのはどちらかといえば外向型なので、その辺りは分が悪いね。

 通常、外向型は社交性でこの点をカバーする。広く浅い付き合い(聞こえは悪いが、後述する例よりよほど健全だ)により、安定して安心感を得られるようにする。なので「さっぱりした性格の外向型」との印象を持たれる形になることもある。

裏を返せば非社交的な外向型、例えば特定の人間にべったりまとわりつく、特定の集団でしか居場所がないなど一点に極度に依存した外向型の場合、内向型から見れば最悪な密度とはなる。
OCEAN(ビッグファイブ)では内向-外向と社交性は独立した項目だ。外向かつ非社交的というのはありえる。

ただこれらは内向型でもあり得る話だ。単純に過干渉でしつこいという自他境界線ぶっ壊れな奴はストレスだ、というだけの話となる。当人のパーソナリティの問題だろう。あんま内向か外向かは関係ない。

一方的に押し付けなきゃ良いってだけの話だし。気遣いできるかできないかの話はしてないしで。内向vs外向という考えはしない方がいいだろう。内外関係なく良い奴はいるし、やばい奴はやばい。

関連ページ:
_パーソナルスペースと心の距離感

-内向的/外向的

HN:nemo

リンクフリー

twitter

 

カテゴリー