いつもと同じ景色、同じ道が辛い・逃げ出したい人

 ブログの方に来たメッセージの一つに、以下のような話があった。

  • 毎日同じ景色を見たり、同じ職場に行くと辛くなる
  • この時逃げ出したい気持ちになる
  • 理由はわからない
  • 仕事以外にも、散歩や買物の時に「またあの道を通るのが辛い」となる

とのことで。

関連:いつも同じな景色に対して感じる不快感・不安感についての考察:シンボルとスクリーン

心当たりがない

 ガチでわからんかった。このような話を私は聞いたことがなかった。

架空のストーカーでも想定しているとこのような心境にもなろうかと一瞬思ったんだが、それだと「景色が」なんてノンキしてないで外出恐怖症や視線恐怖症にでもなってなきゃおかしい。文面を見る限りそのような要素はない。

広場恐怖症(広い所の恐怖症ではない)は活動範囲が狭まって行く傾向があり、一見それっぽい。だがこれは本来、発作を恐れて助けを求められない場所を避けるという話で、発作とかないんだからやっぱり違うだろう。

まぁそもそも当人がこのことを「自分の性質」と呼んでいるので、元からお門違いなんだが、一応ね。「怖い」じゃなくて「辛い」と言っているのもポイントだろう。


以下全部仮説なので、カスリもしないかもしれない。

なお、職場については元から色々あり得るので、なんとも言えない。もしも職場の「雰囲気がいつもと同じ」ということなら、該当する。

「くり返し同じ」のストレス


 具体的なキーワードで検索をかけても、該当はない。だが、繰り返される刺激が不快であるという方面で検索をかけると、むしろ大量に出てくる。

同じ話をされるとイライラする、同じ話をさせられてイライラする、カラオケで毎回同じ曲を歌うやつがイライラするなど。

特に同じ話をいつもするというのは、「話がつまらない奴の特徴」でまず挙げられる部分だ。ともかく繰り返される刺激はつまらない。

 「つまらない」と「辛い」は繋がるだろうか。私は繋がると思う。刺身の上にたんぽぽ乗せる仕事は、8時間やるとしたらおそらく「つまらない」ではなく「辛い」になる。菊らしいけどなアレ。

この場合辛いのは、「つまらないことを、やらなくてはならないから」だろう。

刺激特異的順応と呼ばれる、繰り返される刺激には脳の応答が弱くなる現象が、生物にはある。人はもとから「新しいもの」を求め、同じものには退屈を感じる傾向がある。

刺激特異的順応の詳細は判明していないが、どうやら脳神経は「既知」と「未知」を判別しているらしい。これは同じことを見た瞬間や思い浮かべた瞬間に「つまらない」と思うには十分ではないだろうか。

そしてその上で、その道を歩く、その景色がずっと見える場所で過ごすことを考えるなら、「つまらない」は「辛い」になるかもしれない。

依って、「元からいくらかそんなもん」とは言えるのだが、それが極端な状態だとの仮説は建てられる。


刺激と退屈

 一方で、「未知」の刺激や環境に対して、私達の脳はどうなっているだろうか。

例えば見知らぬ場所で眠る時、脳の半分は覚醒状態であり、警戒感を維持する。第一夜効果、ファーストナイトエフェクトなんて呼ばれる。見知らぬ環境は緊張感を生む。

かと思えば「ベッドじゃ眠れない」「ソファだと眠れる」という声もある。

ベッドだと色々と考え込んでしまい、眠れない。ソファではそれがないのは、前述の第一夜効果に近い(少なくとも熟睡する気はない程度の)外部に意識がいくらか向いている状態だからではないか。

いかんせん、リラックスしている時にネガい考えが浮かんでくる話はある。ピアノを引いているとき、シャワーを浴びているとき、料理を作っているときなど馴染みのある時に。


片や散歩が認知症予防に良い理由が、運動効果やら血流やらではなくただ単に「車とかに気をつけるから認知能力が上がる」という身も蓋もない説もある。

うつ病でも散歩の効果は認められており、薬よりも再発を抑える効果があるとの発表もある。そしてうつ病は「ネガティブな方向への考えすぎ」が強い。それが晴れるわけだ。

これらは「外部」に注意をはらうことの有用性と、相対的に度が過ぎて「内部」に注意が向き過ぎると精神衛生上よろしくなくなるタイプの人がいると考えられる。

ストレートに「クラシック聞いてるとイライラしてくる」とか言っちゃうのもいるわけで。

以上から、前述の新しい刺激を求める傾向に加えて、外部に注意が向いている時の方が調子がいいタイプかもしれないと仮説は建てられる。

ここまでをまとめると、

  • 少なくとも「景色」に対して飽きっぽい
  • 外部に意識が向いていたほうが調子がいいタイプ
  • =すぐに景色に慣れてしまい、外部に意識を向けるネタが枯れ、内面に意識が向き、つらい。

みたいな感じになる。なお、あってるかどうかは全く自信がない。

新奇追求性と飽きやすさ

 性格分析のビッグファイブの一つに新奇追求性(経験への開放性)という項目がある。これが高いと、新しく美的な、知的な、文化的な経験を求める。反対に同じパターンを繰り返すのは嫌う傾向がある。

これを主軸に考えると、メッセージの他の内容とも辻褄はあう。辻褄が合うだけだが。


新奇追求性が高いと、飽きやすい。日常の中に新しい刺激を求めている所はあるように感じられる。

ただ、私もこれ高いんだが、景色に対して飽きるというのはない。その追求の欲求がどこに向かうのかは、個人個人で違う。

これに該当するなら、多分バートルテストやったらエクスプローラー(探索者)になると思う。

対策について

 難問ではあるが。いくつか。

  • 深く知ろうとする

飽きる=全てを知ったわけではない。それがもう「出涸らし」とは限らない。

表面上の理解と、全体的な理解とは違う。

ゲシュタルト(形態)心理学では、人は物事を「群」で認知するとされる。

例えばここにペン立てがあるが、これはひと目で分かる。鉛筆とボールペンとマーカーペンとハサミが刺さっている箱だと認知して結論として「ペン立てだ」としているわけではない。

むしろ逆だろう。ペン立てだと認知する(群としての認知)→何が入っているかを認知する(個別の認知)という流れを取る。

この様に、まず大雑把で表面的な理解をするのが自然体なのだが、飽きるのが早い人は、表面的な理解のみで終わり、それ以上注目してない可能性がある。

ペン立てはある、中に何があったかは見ていない、という状態。これでは中身が入れ替わっても特に気づかないか、気にしない。「変わらずにペン立てがある」という認知が続く。飽きる。

「景色」にも同じことは言えると思う。四季に依って違うというのはベタだが、細部の変化を見つけようと心がければ、少しは飽きることを先延ばしにできるかもしれない。車に気をつけたほうが良いが。あとチャリ。あいつらスマホ見ながら走るからな。

  • 解決ではなく対処を試みる

 陳腐なことを言うと、気にし過ぎはよろしくないのは確かだ。この言葉は大抵既に気になってしまっている人に向けられるため、「できてりゃそうしとるわ」と反論されるが。

だが、「解決しよう」という構えを持っていると、「注目しなければいい」というのが答えの場合にドツボにハマる。字を書こうとすると手が震えて書けない「書痙」では精神的な意味での過剰な自己監視が原因だった、という例はある。

「気をそらす」のも一つの手だ、ということ。それが「自分の性質」なら尚更に「付き合い方」を考えたほうが建設的だろう。

景色に拘るのが素のようだから、通行人の顔でも無駄に覚えようとしてみるのも手かもしれない。

まぁ、全部推測なので役に立つのかこのページ。

関連:いつも同じな景色に対して感じる不快感・不安感についての考察:シンボルとスクリーン

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