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交流分析のラケット感情(偽物の感情)について

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エリック・バーンの交流分析の概念。「ニセモノの感情」とされる。

 

本物の感情

交流分析において本物の感情は4つとされる。喜び、悲しみ、怒り、怯え。それぞれが「問題」に対しての対処のための意味を持つ。

  • 喜びは解決するべき問題がない状態
  • 悲しみは過去の問題を解決するため
  • 怒りは現在の問題を解決するため
  • 怯えは未来に予測される問題を解決するため

怯えは恐れや不安とも言える。

この4つ以外は「代用感情」とされる。

代用感情

流石に大の大人が泣いたり怒り狂ったりしてるわけにはいかないわけだ。根本的本能的な「本物の感情」よりも、より社会的な「代用感情」が必要となる。

これを交流分析ではラケット感情(racket feelings)と呼ぶ。racketとはテニスなどのラケットとスペルは同じだが、その他に騒ぎ、騒音、道楽、恐喝・ゆすり・詐欺などによる不正な金儲け、密売買などの意味を持つ。

簡単に言えば、幼少期からして男のくせにとか、女なんだからとか言われて「キャラ」を強制させられる。素直に泣けない、素直に怒れないように大抵は「躾けられる」。ああ、別に躾が悪いとは言わんよ。無条件の肯定だけで育った子供は自己愛になりやすいと言うし。犬の躾とかでもそうだね。「お犬様」にしてはいけないと言われている。

ともかく結果的には泣くべき時に怒り、怒るべき時に泣くようになるという話。個人差があるが。

後は、いまさっき私が言ったが「大人は泣いたり怒ったりしちゃいけない」と思ってるなら「平気なフリ」という感情がラケット感情としてあると思うね。これに近いのが「処刑台の笑み」か。

まぁ想像してみりゃわかるが、いまさら人類に感情に素直になられても阿鼻叫喚だろう。人格がまともである保証がそもそもないんだし。

共感能力が高い者が感情労働で過労死し、ヒステリーだけが騒ぎ続けることになる。感情のアウトプットそのものに依存性があるぞ。「本能の開放」だからね。

ラケット感情は偽物、ペテンと呼ばれるし確かに問題もあるのだが、これはある意味人間の持つ社会性そのものでもある。ないならないで別の方面が酷くなることは忘れないほうがいいと考える。

だから問題は「オンオフのコントロールを当人が持っていない」ことに集中する。

そして知るべきは、「今更本物の感情が人の世で役に立つとは限らない」ことだ。怒りに任せて暴れてみるが良い。即ポリス沙汰だろう。

役に立たないくせに優先度高いっていうめんどくさい立ち位置なんだよな、特にネガティブな感情は。ポジティブなものだったら実感を伴った喜びとなるだろうけどね。

本物の感情の現代的な解釈は、自身の状態のシグナルとして察知することだろう。

ネガティブな方は上手いこと処理する必要がある。少なくともそれを「表に出さないa)ポジティブな感情を表に出してはならないと自らに課す人も居る。」という仕事はしているラケット感情は、一定の価値があると思うね。

ラケット感情の特徴

  • 本物の感情とは異なる
  • 本物の感情を覆い隠す
  • ストレスに対して使用される
  • 幼少期より身につけたものである
  • 馴染み深い繰り返し使用してきたものである
  • 反射的に使用される

以上から、社会的(家族などに対しても含める)な適応として身につけた感情的振る舞いだと言える。

問題は、ラケット感情のほうがトラブル起こしやすいということ、本物の感情が持つ問題解決能力(とまでは言えないがその予兆としての役割)が一切発揮されないこと。

現代的な問題解決に感情を利用するとしたら、本物の感情を察して方針を決める形になるだろう。これ自体が行えないということは、感情的な(しかも偽物の感情の)処理に終止して問題解決が一歩も進まないということである。

この上で尚、ラケット感情そのものが問題だとは思わない。問題はこれが認知バイアスのように反射的で、そして一瞬で行われるため「自覚ができない」ために、問題の所在に気づけない、あるいは全くの見当違いの手法で問題が解決するわけがないのに当人がこれが正しいはずだと思い込む可能性。

逆を言えばゴールはラケット感情をラケット感情と認識することであり、ラケット感情をやめることではない。あくまでも社会という名のクソゲープレイヤーであることは忘れないほうが良い。顔芸・腹芸は必要だ。

怯えに対してのラケット感情は尚悪いと言える。ラケット感情で覆い隠し、予測できたはずの事に気づけず、必要な対策を取ることができない。

つまり解決か、少なくともいくらかは対策を取り安心できたはずの不安が永続する可能性。

要するに、ラケット感情への嫌悪がそのまま本物の感情への「信仰」になり、そのまま何か見失うことを私は危惧している。

お気に入りのラケット

その者が使うラケット感情はワンパターンであることが多い。とりあえず怒るとかとりあえず泣くとか。バイアスと言うよりはヒューリスティクスだろうか。

同じく交流分析にゲーム、あるいは心理的ゲームと名付けられた交流パターンがある。お互いが、あるいは片方が「嫌な感じ」で終わるパターン化されたやり取りだ。

この際の嫌な感じも「」と呼ばれる。この心理的ゲームが割と構築しやすいのは、このような「お気に入りのラケット」がワンパターンだからじゃないだろうか。「注意のひったくり」達からしてみればプランを練りやすい。

反射的でワンパターンということは、ラケット感情が「場違い」であることも当然増える。それを反射的についやってしまうという時点で、まぁ大抵は邪魔なのは確か。

大抵は男は怒りを、女は悲しみのラケット感情が多いと言われるが、隠れたカリキュラムかねこれも。かくあれかし、と。

 

メモ

要するに全員ツンデレ。以上。

素直になれる時間は必要だろうが、常時それなのは感情知能が低いとかそういう状態を自分から目指すことになるから正気じゃない。

「怒り」が基本役に立たないのは、大抵済んだことに対して感じるからだ。眼の前のことに対して怒るのはともかく、出来事そのものは過去のことであることが多い。本来は「悲しみ」の時に怒っている。

この分類だと役割分担はできてるように思える。ここで言う怒りは個人的に「戦うか逃げるか反応(FIGHT OR FLIGHT)」だと思う。つまり「逃走」もまた含める。それらが「今」に対して、共感能力が「過去」に対して、ネガティブな予測が「未来」に対して。

また、「現在」が問題がないことが喜びであるということは、瞑想時の禅僧などの精神状態に類似する。彼らも「現在」に集中し、多幸感を得るという。

レスリー・グリーンバーグが提唱した「二次感情」とは別物と心得た方がいいだろう。あれは「感情に対しての反応としての感情」という意味だが、ラケット感情はペルソナに近い。認知バイアスくらいの「気づけ無さ」があるが。

「怒りは二次感情」というのはちょっと拡大解釈かな。必ずとは限らない。一次感情として怒りを感じることも当然あるはずだ。

ちなみにレスリー・グリーンバーグのこの分類では一次感情、二次感情の他に道具的感情、つまり「手段としての感情」がある。アドラーの目的論はこれに当たるか。逆を言えばアドラーの目的論は一部しか語っていないことになるが。

個人的にはラケット感情はどれも該当しない。ラケット感情は「義務自己」のような、「自分はこのときはこうでなくてはならない」という後天的に習得したスキーマだと思う。

社会的スキーマの中の自己スキーマ、役割スキーマ、事象スキーマに該当するように思える。ラケット感情がどの位置にあるのか、個人差があるかもしれない。

脚注   [ + ]

a. ポジティブな感情を表に出してはならないと自らに課す人も居る。







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