意見が言えない環境:ぼかしコミュニケーションと日本人の主張性―文化的背景とメリット・デメリット―

・日本人には、人との関係を大切にする(過度に意識する)文化が根付いており、その一環として自分の意見を言わない傾向がある。日常生活においてはむしろ有効に働くことも多いが、自分の意見を言うべき場面ではデメリットをもたらすことがある。

このような文化的背景による処世術はあまり自覚がなく行われており、自然と身についている、あるいは身につけられずにわけも分からずハブられてる類のものだ。

・本音を隠し、衝突を避け、問題を表面化させないことで上っ面の一体感を演出する。適度ならともかく、行き過ぎることに依る問題が色々と。まぁ逆方向に全力でもそりゃ問題だが。

意見を言わないデメリット

・自覚があるであろう意見が言わないデメリット。

以下のような問題を引き起こす可能性がある。

コミュニケーションの機会を失う

・自分の意見を言わないことで、会話や議論の機会を失う。必要とあれば自分の考えや感じ方を積極的に表現しないと、相手との意見交換や議論ができない。結果、相手との間に溝ができたり、コミュニケーションの質が低下(社交辞令程度で終わる)することがある。

・相手視点で考えれば意見が言わない人は、意見があるのかないのか、有るならどんな意見かがわからない。「有るのに隠している」と過剰に警戒されたり、「意見がない」と軽視されたりの余地も有る。

つまり「意見が言えない/言わない」と正しく解釈される余地自体が結構少ない。「言いたいけど言えない/言いづらい」ともわかってもらえないことは多いだろう。

・重荷になりたくない、問題視されたくない、迷惑をかけたくないなど、そもそもコミュニケーションもわかり合うことも望んでいない場合もある。反面、「もっと早く話せばよかった」「もっと早く言ってくれればよかったのに」なんてオチも多いわけで。何が正解かわからんね。

誤解や不信感が生じる

・「沈黙」とは他人にとってかなり都合よく解釈されるものでもあるし、あるいは思い切り悪い意味に捉えることもできる。

・自分の意見を言わないことで、相手に誤解を与えたり、不信感を抱かれることがある。相手が自分の考えや気持ちを知らないため(情報を発信していないのだから当然と言えば当然だが)、相手が勘違いしたり、自分に対して信頼できなくなることも。

・相手が自分に何かを期待しているときに、自分の考えを言わないことで、相手が不満を持ったり、失望したりすることもある。少々鬱陶しい話では有るが、まぁ「言ってもらいたい言葉」なんてのを他人に期待することは有るわけで。

今回メインは社会的な文脈だが、この点については個人対個人の交流でも問題となる余地がある。

自己主張ができなくなる

・自分の意見を言わないことが習慣化すると、自分の考えや感情を表現することができなくなる。そもそも「伝える」「わかってもらおうとする」という脳内選択肢が出てこなくなる。これは自動的に黙る、自動的に諦める、自動的に同調するなどになり得る。

・自分が何を望んでいるのか、何に不満を感じているのかを相手に伝えることができなくなるため、自分のニーズを満たすことができなくなる。人付き合いが苦痛になったり、ストレスになったりすることにもつながる。

・意見を言わずに黙っていると、他人に都合の良い解釈をされる余地がある。

  • 自分勝手な奴に肯定や賛同と捉えられる、
  • 被害妄想が甚だしい奴に否定と捉えられる、
  • あるいは「意見なし
  • あるいは無視
  • あるいは服従のサインと捉えられる

このような勝手な解釈や「都合よく利用される」ことへの屈辱と怒りはあり得る。これらへの反論もできないし、する気力も起きなくなるかもしれない。

「あの時言えなかった/思いつかなかった/怒りそびれた」という後悔は人には多い。このような「やらなかった後悔」は引きずることが多いと言われている。


以上のように、自分の意見を言わないことは、コミュニケーションの機会を失ったり、誤解や不信感が生じたり、自己主張ができなくなることがある。
「積極的に自分の意見を表現することが重要です」なんて耳タコではあるが。

意見を言わないメリット

・一方で沈黙は金なり、雄弁は銀なりとも言う。「舌禍」という言葉もある。言わぬが花、口は災いの元、雉も鳴かずば撃たれまい、出る杭は打たれるなども。

教訓としてはこのように、「黙っていた方がいい」「余計なことは言わないほうがいい」的な物の方が多い。つまるところ、「意見を言わない理由」はある程度の正当性を持って存在する。

・このような文化が発生するくらいには、意見を言わなことにはメリットが有る。

衝突を避け、調和を保つ

・コミュニケーションがスムーズに成るとも言える。表面上は、だが。

意見を言わなければ衝突を避け、調和を保つことができる。特に日本人の間では、他人との関係性を重視するあまり、個人の意見や感情をはっきりと表現することが良くないとする見方もされる。

このため、個人的な意見や感情を抑え、相手に配慮することで、意見を言わない。

他者への配慮として

・他者への配慮となるメリットがある。自分の意見を押し付けたり、相手を傷つけたりすることは問題行動であり、時には反社会的ともされる。そのようなつもりはなくとも、そう取られることも有る。

・意見を言わなければ、相手との関係を壊すことはない。
相手の立場や気持ちを考えて、適切な対応をする相手主体の行動も取ることができる。

空気を読む力が育つ

・と言うか空気を読む力が育たないとついていけない。

言葉でちゃんと言わないため、相手の表情や雰囲気からもメッセージを受け取る必要がある(非言語メッセージ)。

要するに「察する」ことが必要になる。時には「言ったこと」よりも「顔色」の方が正解なこともある。

・反面、日本には「はっきり言わない上で察してもらおう」というめんどくさいのも相当数いることになるわけだが。

さらに、空気の読みすぎ、または他人の感情が入ってくるなんて状態にもなったりして、デメリットの方も結構目立つ。ちなみに認知の歪みに「結論の飛躍」があるが、その内の一つは「心の読みすぎ」だ。

ぼかしコミュニケーション

58.6%が自分は「意見を主張しない方だ」と自覚している

・文化庁発表の、平成28年度「国語に関する世論調査」によれば、「考えや意見を積極的に表現する方か」との問には43.1%がYES。41.9%がNO。場合によるのが14.8%。この時点で半々。

※全国16歳以上の男女が調査対象。総数3566人。

さらに「意見が食い違う時、納得行くまで議論したいか」は24.9%がYES。なるべく事を荒立てないで収めたいのが61.7%。場合によるのが13.3%。

そして、友人や同僚などと意見交換をする際では、日頃の人間関係と切り離して考え、自分の意見を主張すると回答したのが21.6%。
日頃の人間関係を優先し、自分の意見を主張しない方だと答えたのが58.6%。場合によるのが19.5%。

・総じて、常に自己主張できないのはよくないが、かと言って無闇矢鱈と自己主張、とするのも間違っているだろう。必要なのは言うべき時に言うべきことが無難に伝えられること。

意見を言うのが割りとめんどくさい

・同じく世論調査から。

「コミュニケーションにはどのような態度が大切か」には「相手によって違うので一概には決められない」が44.5%で一位。

「コミュニケーションを図るために歩み寄る努力をするのがどちらの側(知識等が十分/不十分)か」へは知識等の十分な人が44.3%で一位。

・意見を言うのは相手が聞いてくれることが前提だ。後腐れもなく、誤解を生まず、わかりやすいようにして、と考えるならコミュニケーションの中でも元から難易度は高い。

・裏を返せば意見があっても言えないのは、
 「この相手にはどのような態度であるべきか?」
 「これを伝えるためにはどのような順序、表現をするべきか?」
など、「方針と判断」、または「気遣い」の問題があり、相手によってそれらは都度工夫するという難易度や負担の大きさがある。認知負荷。脳へのストレス。


何れにせよ、大本は「うまくできないかもしれない」とか「リスクがある」とかであるため、伝え方や表現のスキルでの解決も視野に入る。

ぼかしコミュニケーションとは

・上記のような他者への義務じみた気遣いと、それによる脳内タスクの膨張の結果なのか、日本には「ぼかしコミュニケーション」と呼ばれる独自のコミュニケーション文化がある。厳密に言えば、「曖昧でぼかしたコミュニケーション」。

他者への配慮や意識は日本文化では常に“評価懸念”として認識されるほど特別なものであるとの指摘も有る。人にどう思われるかいつも気にしてるってこと。

・もっとはっきりと、ぼかしコミュニケーションは『不一致をぼかして一致を仮構して後は以心伝心で調和を保っていこうとするストラテジー(戦略)』と言われていたりもする。

「一致を仮構」である。想像で組み立てたもの。虚構。
まぁ事実や問題解決よりも、一体感を優先しちゃう感じやね。
日本人って悲観主義なのも事実だが、部分的には「空気読めてりゃオッケー」みたいなチャラいところも有るような気がしなくもない。

まぁ今回はストラテジーとして扱われる。処世術と言ったほうが近いか。

・はっきり言わない、NOと言えない、主張しないなどの日本人的特徴のこと。この文化には意見を言わない(言えないではない)ことが含まれる。

・ぼかしコミュニケーションは、言葉の表現をあいまいにすることによって、コミュニケーション上のトラブルを回避し、円滑な人間関係を保つためのコミュニケーションの手法。

日本の文化に根ざしており、自己主張を抑え、相手に対して配慮を示すことが重要視される。日本社会において、組織内での円滑な人間関係や、家庭内での和を保つためにも頻繁に行われる。

・これらの行動は「相互の一体感を得るために、自他の感情の動きに最大限の配慮を払っている」と指摘される。1

・「相互協調的自己観」、要するに自分は他人と互いに結びついていて個別的ではなく,様々な人間関係の一部(集団の一員)になりきることが大切だとする考え方との関連が指摘されている。
簡単に言えば主張することよりも「一体感」を感じることがコミュニケーションのゴールとなりやすい。

これは、日本人は自己破壊的同調に至りやすいということにもなると思う。それだけの重み付けを、「一体感を獲得すること」に対して行っている。

ぼかしコミュニケーションの特徴

・ぼかしコミュニケーションの具体的な手法は以下。手法も何も多分もうやってるんだろうけど。

  • 「イエス・ノー」を避ける
    • 日本人は、相手に対して直接的に「イエス」または「ノー」と答えることを避け、あいまいな表現を使うことが多い。
    • 例えば、断りたいことに対して「少し考えさせてください」と言ったり、「もう少し情報が必要です」と言ったり。こうやってはっきり言わずに、相手を傷つけることを避ける。
  • 断定した表現を避ける
    • 断定的な表現を避け、あいまいな表現を使うことが多い。
    • これは「強要にならないようにするため」とも言われる。例えば賛同しかねる相手の意見に対して、「多少はそうかもしれません」「どうでしょうね」と言ったりすることなど。
    • これによって、相手に対して自分の意見を強要することを避け、対等な立場でのコミュニケーションを促す。
  • 両義的(どちらとも取れる)・多義的(様々な解釈が可能)な表現を使う
    • 言葉の表現を両義的・多義的なものにするため曖昧で紛らわしい。
    • 自分の真意や狙いを「ぼかす」。

ぼかしコミュニケーションの是非と注意点

・ぼかしコミュニケーションは、必ずしも悪いわけでもないだろう。前述の通り、これを生み出すような文化的背景が先にあり、その結果としてこのような形態に落ち着いただけだろう。

・ある意味「答え」ですらある。意見を言うことに対する、悪目立ちや加害恐怖などの懸念がクリアされることもある。
まぁこれのお陰で打たれ弱い偉そうな輩とか量産されてる気はするんだけどまぁ置いとこう。

・この上で、注意点がいくつか。そもそも一番めんどくさいのが「ぼかしつつも伝えたい」という発話者の都合であり、これは度胸は不要だが技量は相当必要になる。

ぼかしコミュニケーションを行う場合、以下のような点に意識を向けることが必要となるかもしれない。

・相手の反応を注意深く観察すること。
ぼかしの表現を用いると、相手に正確に伝わらない場合がある。そのため、相手の反応をよく観察し、理解してもらえなかった場合には、適宜説明を加えたり、再度確認することが必要となる。

よくこれをやらないで「言いたいことは伝わった(言い切った)」と思っちゃう人がいるが、後で全然伝わってないことがわかったりする。

ぼかそうがぼかすまいが、伝えようとして話してるんだったら、伝わったかどうかは気にした方がいい。

・自分の気持ちをしっかりと把握すること。
ぼかしの表現を用いることで、自分自身が抱えている感情を正確に伝えることが難しくなる場合がある。

元からぼかすために抽象的な、多義的な、つまりどうとでも解釈できる応答を頻繁に使っていれば、これはその内に何も考えなくてもできるようになるだろう。自分の意見が自分でわからなくなってもおかしくはない。「自分の意見」を全く使ってないのだとしたら、自分の意見が出てこなくなる(退化する)のが自然だとも言える。

まとめ

・日本人のコミュニケーションスタイルは、文化的背景により相手からの評価や相手への配慮を重視しており、その一例がぼかしコミュニケーションとなる。

・一方で、意見を言わないことがデメリットをもたらすこともあり、ぼかしコミュニケーションには誤解や曖昧さを生む可能性があるため、状況に応じて適切なコミュニケーションスタイルを使い分ける必要があるだろう。

例えば、自己主張が必要な場面や、誤解や不信感を避けるためには、明確な意見を伝えることが重要となる。

ただし、相手への配慮や調和を保つことが優先される場合には、ぼかしコミュニケーションを活用することができる。

まぁ割とどうでもいいことなら、ぼかしといた方がメリットがあるかもしれない。

・ぼかしコミュニケーションは、コミュニケーションがうまくいっていない状況で特に役立つことがある。
具体的には、相手の立場や感情をくみ取り、自分の意見をうまく伝えることができる(可能性がある)ため、衝突を回避することができる(可能性がある)。

可能性止まりだね。相手の人間性や能力にも依存してるからね。コミュニケーション全般に言えるけど。

・考えられる最大の問題点は、アサーティブで言うところのアグレッシヴタイプ、つまり相手に喋る暇を与えずに自己主張ばかりするとかの攻撃的なタイプ相手には、ぼかしコミュニケーションは無力だと思われることだ。「反論」が必要な時には役に立たないだろう。
まぁ「暖簾に腕押し」って感じでやり過ごせるのかもしれないが。


・親ページ

自分の意見がない/言えない人が、意見を言えるようになるには
会議で意見を求められるのが苦手、大学で今までとは違い自分の考えや思考を開示する必要があるができないなど「役割を果たせないこと」プライベートでも気が進まない用事を断れないなどの「他者に流されること」「自分の...
  1.   非主張性研究の現状と課題 
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