・緊張は適度なら良いが、過度なら実力が発揮できなくなる。ここまでは珍しくない話だが、その緊張をどう和らげるかにおいての、珍しい話。
不安と恐怖
・不安と恐怖は明確に分けられる。具体的な対象がないのが「不安」。具体的な対象があるのが「恐怖」。
特にまだ起こっていないことを予期して不安になることを「予期不安」と呼ぶ。
不安は予期される出来事に備える意味では働いてはいるが、人間の場合想像力豊かなせいか度が過ぎて緊張してしまい、裏目に出ることが多い。
・強迫性障害やパニック発作は「不安」に固執し、結果症状が重くなる。
逆説志向
・ヴィクトール・フランクルのロゴセラピーの手法の一つ。
不安に思う、避けようとする対象を自ら望んでみたり、あるいは実際に行うこと。
・例としては、スピーチで毎回緊張して頭が真っ白になるとする。緊張しないようにしよう、リラックスしよう、実力を発揮しよう、練習の成果を見せようと自らに語りかけるが毎回緊張する。
「もっと緊張しろ」とすることで、なぜか緊張が和らぐ。ユーモアを絡めるのがポイントだそうだ。
全く異なったやり方として、患者は逆説的思考を指導されます。
すなわち、できる限り不安感を起こしパニック状態になることが指示されます。
患者は、時にはユ-モア-も交えて、無理に症状が悪化したようにさせられます。
たとえば、卒倒してしまうことを恐れている婦人にわざと卒倒するように指示を与え彼女にその危険が迫っていることを伝える。
”私は倒れるからどいていてください。もう倒れそうだ。あなたが今まで見たうちでいちばん上手に倒れますように。”
しばしばこのような方法で症状を見守っていくと症状はやわらいでいきます。
事実、卒倒しようとか、冷や汗をかこうとか、震えようとしようとする患者はそうするのが困難であることに気づきます。
・一見するとやけっぱちだが。
不眠症が「寝ないで起きていようとする」ことによって、寝ようとするグループよりも先に寝た実験もある。
そもそもこの場合眠れないのが「過剰な自己観察」、要するに自分が思ったとおりになることをガン見して見張っているから眠れないんだよって話らしい。
ちなみに、楽しいこと考えてると寝付きが早くなるらしいので、寝ること諦めて楽しいこと考えまくるつもりのほうがいいかもね。エロいこと考えるのは逆効果らしいよ。残念だね。
・
発汗恐怖の若い医師がフランクルのもとを訪れます。
汗をかくのではないかと「予期不安」にとらわれると汗が流れてきます。
そこでフランクルは「逆説志向」の考え方を伝え
「今後発汗が起こりそうになったら、思いきって、自分はどれだけほどたくさんの汗をかけるかをひとつみんなに見せてやろうと心に決めてください」※1
と指示します。
素直に試してみた患者は、毎回発汗の「新記録」を目指したそうだ。
この一回の面接と4週間の結果、四年続いた発汗恐怖が直った。
・書痙(しょけい)と呼ばれる、人前で字を書こうとすると指が震えてしまい書けない症状のケースでは、
「どれだけ素晴らしい殴り書きの名手か見せてやんよ」
と思うように指示したところ、翌日治り、再発もしなかったとなっている。
フランクル
・彼はフロイトやアドラーと並び称されることもある。『夜と霧』の著者としても有名。
われわれが自分の不安から自由になれるのは、
自己観察やまして自己反省によってではなく、
また自分の不安を思いめぐらすことによってでもなく、
自己放棄によって、自己を引き渡すことによって、
そしてそれだけの価値ある事物へ自己をゆだねることによってである。
・思想、哲学方面の印象が強い人。彼の心理療法として代表的なのが逆説志向と反省除去。
思うこと
・心因的な症状は、時に長期にわたる。数ヶ月、数年、数十年。
「過ぎたこと」での心の傷は、時間が癒やすのは事実かもしれない。だが、癒やされない人々がいる。
その間何をしてきたか、と言えば反芻、予期、それらに備えての緊張、この繰り返し。
一度でも、このような逆の考えをしたことがあるか、と言えば、数年越しの症状と付き合っている人でもなかったりするかもしれない。
逆を言えば、その「備え」が裏目に出ているのに、数年間続けていることになる。
それを当人が一番やめたいのもわかっているが、逆説志向はその「やめ方」にもつながる。
・「緊張」が強すぎてマイナス面が出るのなら、開き直ったほうがいいかもしれない、という話となるか。
効果が出る前提条件は「緊張により自然体になれない」状況と考えられる。強迫観念タイプには有効。
つまり元からナチュラルにダメな奴が開き直ったらもっとダメになると思われる。
と言ってもパーソナリティの話じゃなくて状況により判断しろって話だが。
・心はいくらかコントロールできるが、私達が直感的に思う「操作法」が裏目に出ることは多い。言い方を変えれば私達は心の「使い方を知らない」。
実際バイオフィードバック(自分の精神状態を脳波や脈拍などを機械で可視化し、その操作を学ぶ)によって、感情のコントロールなどは可能になる。
・私達は、意思が万能だと思っている、あるいは全ての問題は意思によって解決するべきだとしているハンマー釘病なのかもしれない。
実際には、今回の逆説志向のように、心は心で何らかの法則がある。意思の一点張りが裏目に出ることもある。
真面目さと緊張
・興味深い意見が。
もうこんな精神療法の一種があることも、「逆説志向」などという言葉を知らない精神科医が多いのではないか?
最近では、上記のような障害には、薬物療法を中心として、精神療法的には認知行動療法、内観療法などが主として行われるが、なぜこの治療法があまり用いられなくなったのか?不思議である。
これね。気になる。
・ちなみに引用先はクリニックやってる人のブログだが、とても興味深いことが書いてある。
強迫性障害、赤面症、吃音、書痙などは「人に知られたくない症状」だと本人は思っている。なんとか隠そうとして緊張し、余計に悪化する。
医者の前だと彼/彼女たちは積極的に症状について話す。隠そうとしていない。治しに来てるんだから当然だ。そして、
そこで、症状の復習、私の前で、患者さん本人の症状を出す練習をしてもらう。
診察室の中で確認:強迫性障害、顔を赤くする:赤面恐怖、対人恐怖、パニック発作:パニック発作、書痙、吃音、閉所恐怖、電車に乗れない、飛行機に乗れない、過呼吸発作・・・・、
多くの場合、出そうとすればするほど、症状は消失してゆく、後は「もっと自信を持って、症状を出す練習を、さらに次回までの宿題としてお願いしておく」、
たいていの患者さんは、数回この様なセッションを行うと、症状は消失するか、軽快する。
フランクルの事例とかなり同じ。
フラットに見れば、「抑えようとするから症状が出る」ことが確認できる。
人は自らにプレッシャーを掛けて、モチベ管理や必須タスクに取り掛からせるなどを日常的に行う。
「緊張」は真面目に振る舞うための「方法/道具」でもある。ただ、ある強さを超えると今度は裏目に出始めるようだ。
・今回紹介した方法に「納得がいかない」人が多いだろう。「自分は自分が思ったとおりに動くべきだ」、と。
どうも人間、「自分をコントロールしている感覚」にこだわるらしく、例えば集中「したくない」心理として、没頭すると自我が薄れるから、というのがあるとの話もある。
怒ってるやつは怒ってないって言うし、酔っぱらいは酔ってないって言うしな。これらも「自分は自分をコントロールしていると思いたい」ようにも見える。
まぁ人間は真面目なんだと思う。私が言う真面目は世間で言う真面目とは違うけど。
・ただ、やり方が間違っている場合(この場合は緊張することでしっかりやることの一点張り)、やればやるほどドツボにはまるのも経験を通して知っているはずだ。
私達の現状は「こうであるはずだ」「この方法でこうなるべきだ」の一点張りなのが問題で、必要なのは、心のシステムへの理解ではないか。
現状の人間の自己コントロール能力は、「自分が言う事聞かない」としてさらに「強く」迫る=強迫することの一点張りで、やり方変えてみる気が全く無いように見えることがある。
「逆説」について
・「逆説」との言葉にも注目したい。私達はむしろ「定説」の方が好きだろう。
逆説的な事象はイレギュラー、何かの間違い、運が悪かったなどで片付け、「学習対象」としない傾向は間違いなくある。
・加えて逆説は「努力の否定」に通じる。
大抵の人は「努力によって目的を果たす」話が大好きだ。
好きどころか努力信仰と言ってもいいほどに。
「頑張ったこと/あれだけ苦しんだことが逆効果だった」ことを人はなかなか認められない。
要するに、単純な話、大抵の人は「逆説的な事象」が大嫌いだ。見たくもない。
・逆説志向って要するに、「結果オーライ」に見えるわけだよ。言い方変えれば「理屈がわからないのになんとかなった」。
先程のクリニックからの引用でも、患者たちは最初は懐疑的、あるいは心配そうにするとなっていた。
緊張しやすいタイプは真面目度が高いから、結果オーライが気に食わない。
「知ってる理屈」で、「思ったとおりの結果」を得たいわけだ。これは拡大解釈すれば完璧主義に近い。無意識レベルで、ほぼすべての人が。
・だがまぁ、じゃあ心の理屈全部知ってるのかよ、と言えばそんな奴は地球上にも歴史上にもいない。いたら心理学は「完成」して終わってらぁな。
大体は「これはこうであるはず」との漠然とした経験則か、「これはこうでなくてはならない」との強い思い込みだ。
それが1つしかないと、それに執着する。処理流暢性とかハンマー釘病とかの話。
加えて「心理」は、論理としてはともかくプレイヤーとしては「主観」、即ち直感的、感覚的、感情的に感じる側面が多い。「理屈」とするには手間がかかる。
「知らない」から「試してみた」、そしたら「結果が出た/出なかった」で十分じゃないか。それを覚えればいい。
どうも人間、成長に伴い段々とアウトプットに傾くな。もっと極端に「やる前からわかっているべきだ」とか。
・テーマの問題で真面目さが裏目に出るような感じにどうしてもなるが、まぁ普段は真面目でいることに問題はない。
今回のような話は、要するに「その方法が通用しない」あるいは「やりすぎ」での問題だ。
「ある日突然会社で字を書いていたらフッと思ったんです。もともとの自分よりチョッときれいな字をみんなに見せようとしている、それをやめればよいと思った」
そしたらふっと楽になった、とのことで卒業とした。
書痙で治療を受けた人の話。先程の例よりも時間はかかったが完治したという。
注目すべきは自分が緊張するような「考え(きれいな字を書こうとしている)」を持っていることに気づき、手放したことだろう。
自分にプレッシャーを掛けすぎていたことに、ここで始めて気づいたのかもしれない。
・真面目さは給食の先割れスプーンみたいなものだ。大体はそれで食える。
先割れスプーンだけでラーメン食うとしたらめんどくせぇわけだ。そうなら別の物使う方がいいに決まってる。
・「北風と太陽」の一言で足りたかもな。