「本気を出せばできる」と思ってずっとやらない人:シュレディンガーの先延ばしと可能性の溜め込み症


・明日から頑張る。おやすみ。

・本気を出せばできるとか、その気になればできるとか。それは実力への確信ではなく、今やらないことへの理由付けであることが多い。

何よりも、「そもそも本当にできんのか?」というのがある。

本気を出せばすごいと本気で思っている


・緊急中毒。締め切り間際になってドーパミンやらアドレナリンやらが出て、人が変わったように動いて、タスクを片付ける。そんなビジョンを持っている。

当人はこれが実力だと思っている場合、「その気になればできる」「本気を出せばできる」という認識となるだろう。

・実際の所は、焦りによる凡ミスの連発や時間切れ、衝動性の増加など、精密作業とはかけ離れる。暴れ狂うとか肉体労働オンリーとかなら向いてるかも知れんが。

ティム・アーバンは論文を書くにおいてこのような経験をし(先延ばしの果てに90ページを3日で書くことになった)、二晩徹夜やり遂げ、そして論文は「まったくひどい論文でした」と述べている。

・緊急中毒とは締め切り間際のこのバーサーカーモードを意図的に呼び起こそうとする状態を指す。つまり先延ばししまくる。わざとギリギリまで放置する。

自分をスーパーマンだと思うのはやめましょう。

対象が「やったことがないこと」が多い


・つまり「本気を出せばできる」の根拠がない。少なくとも実績はない。
面白いことに、やったことがあることに対してはこんなことは思わずに「めんどくさい」とか「やりたくねぇ」になるね。

認知バイアスが疑わしい。人は自尊心を保つため、自分が心地よく感じるような説明を作るとされている。

不安感に対しての、「本気を出せばできる(はずだ)」という慰めではないのか。

練習や準備でもしてたほうが効果的だ。しかし「できる」と思ってしまってはそれらはやらない。冗談抜きで、スケジュールすら立てないのもいる。おそらく逆効果になっている。

冷笑主義

・頑張ることや慎重であることを見下している傾向は一部にはある。他人の失敗にも当然冷たい。

これをやると「自分は頑張れなくなる」。自分がそのような立場に行きたくないからだ。今まで自分がやっていた他人への「評価」が、そのまま他人の目のイメージとして自分に向くことになる。

結果、観客席から野次を飛ばす以外に人生でできることがなくなる。

本気を「出せない」ことが問題なので本気を出せばできるとかそういう話じゃない

・これは本気を「やる気」って言いかえればすぐ分かるだろう。どれだけの人間がやる気でねーつってのたうち回っているか。あるいはそれを言い訳に別のことやってるか。

このまんまだね。

これで言えば、本気を出せばできると言ってやらないのなら、「本気を出す才能/スキル」は間違いなくない。自分でスタートすることができない。

案外、本気は自力で出せないってのは多い。「締切の力を借りる」とか「他人に宣言して自分を追い詰める」なんて細工をする人もいる。そんなものではあるのだが、今回の場合「本気を出せないこと」に自分で気づかないので問題がある。

・そもそも、別に本気なんていらないことは多い。どうせ計画は立てているだろう。実際に必要なのは「今、手を動かすこと」であることが圧倒的に多い。

だが、どうにも、「今、手を動かさない理由」として、「本気を出せばできるから」と思いこんでいるようにも見える。

自分の限界や「底」を知るのが怖い

・本気を出せばできるというのは、案外根源的なものであることが多い。平たく言えばアイデンティティ。「自分は窮地を切り抜けられる」という人生観。

これは自分の限界や底を知らないからこそ持てる。だからこそ「いざという時にすごい自分になること」を想像できる。

本気を出してできなかったら。限界や底を知ってしまったら。もうイメージは保てない。

・実際には「本気を出さないから伸びない」ことが大きい。できることしかやらないのはコンフォートゾーンと呼ばれ、成長率がガタ落ちする。

無理をする/本気を出す/挑戦するなどはラーニングゾーンやストレッチゾーンと呼ばれ、こちらが最も成長する。

「シュレディンガーの先延ばし」

・「シュレディンガーの先延ばし」は専門用語じゃなくてネットミームに近い。ぶっちゃけて別に流行ってもいない。今後流行るかも知れない。

元はADHD界隈の、「知りたくないから確認しない」という行動をとってしまうという話。

・シュレディンガーの猫は有名だが、まぁ箱があるとする。中に猫が入ってる。

5割の確率でその猫は死んでいて、5割の確率で猫は生きてる。

箱を開けるまではそれは確定しておらず、箱を開けて「中身を確認することで」それが確定する、という話。

なおシュレディンガー自身は、他人の説が不完全であることを証明するためにこれを用いたため、否定する側である。

・シュレディンガーの先延ばしは主観としてはかなり的を射ているだろう。「怖くないから見ない」「見たら現実になる」。問題は見なきゃもっとやばいことになるのに見ないことにある。

・この話でのADHDのコメントでは「車が来てたら道が渡れないから左右を確認せずに渡る」とかかなりの上級者もいた。他にも詳細不明だが「これで最近本当に死にかけた」と言ってるのもいる。

主観的、つまり「気持ちの問題」により、知ることを積極的に避ける。「本気を出せばできる」と言ってやらないのも、かなりこれとダブる。

・この名前考えた人絶対天才だろう。

「可能性の溜め込み症」

・もう一度シュレディンガーの猫から。

これは「観測するまで結果は確定しない」。逆を言えば「観測さえしなければ都合のいい可能性を保持できる」ことでもある。

それこそ窮地に立たされた自分が、英雄的な力を発揮し、奇跡を起こし、物事を八方丸く収めるという妄想すら。あるいはすまし顔でサラっと片付ける妄想かも知れない。

・もうあれだな。やる理由がねーな。「気分」に最大限コミットするならマジでやらん方がよくなるなこれ。現実は厳しいからね。

結末が破滅的なことになるから普通は「気分」なんぞに最大限コミットしないんだが。

ダニングクルーガー効果と「馬鹿の山」、そしてその先

・人間は「馬鹿のほうが自信満々」である傾向がある。ダニングクルーガー効果と呼ばれる。
厳密には、能力が低い者は自分を過大評価し、能力が高い者は自分を過小評価している傾向。
自信と実力の関連性については4段階があるともされる。


馬鹿の山、絶望の谷、啓蒙の坂、継続の台地。

・「本気を出せばできる」は、馬鹿の山にいつまでもいたいことに他ならない。気分は良いだろうが、気分だけだ。他に何もない。何も持ってない。

日本語では夜郎自大が該当するとされる。自信過剰で視野狭窄な様を指す。

やっぱり現実を投げ捨てて「気分」の維持管理にフルコミットしてるアホに見えてくる。

・能力が高い者が自信が低いのは、絶望の谷、啓蒙の坂あたりは見たままだ。継続の台地にしても、このレベルは「生涯勉強」を本気で実践している事が多い。露骨に「専門家にはなりたくない」とすら言うこともある。それよりも勉強したいと。

メモ

・私は明日から本気出す。めんどい。おやすみ。

・総じてこれは山月記にある「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に近い。かなり、「やればできる」という思い込みを維持、強化しようとして、自分自身に嘘をついているように見える。

個人的にはこのような人のある種の情けなさも結構どうでもいい。これらは不安や自己嫌悪への「痛み止め」としては機能するだろう。それが必要なときもあろうさ。問題は初めから最後まで痛み止め飲むことしかやってないことであって。

・今回は自己内部の話だ。実際には、挑発的に「できないんだろう」とけしかけようとする汚いチンパンが相手とか、客観的に全力を出せばできるがそんな価値はない物事に対してとか、そのような理由で「本気を出せばできる」「できるけどやらないだけ」ということは普通にある。

後は、余り健康的ではないが、やたらと他人の意見が自分に向かって「やれ」と言ってるように聞こえる耳を持っている者もいる。実際にそういう圧力がある空気を作るのが生業の輩もいるため、当人が悪いと言えないこともある。そのような場合にもこの言葉は出てくるだろう。

・ここまで酷かないが、楽観主義者にはこのような傾向がある。不安になるから考えないとかは。
そうじゃなくても普通に楽観バイアスというものはあり、やらかしやすい。楽観バイアスは80%の人間が持っているともされ、内容も「実力で達成できる」という過大評価による計画段階での錯誤が多い。

気になることがある場合、サイト内検索をしてみてください。

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