人間関係リセット症候群

人間関係リセット症候群

・ネット上で自然発生した言葉であり、心理学上の言葉ではない。だから別に病気じゃない。

総じて今の人間関係を全部投げ出したい気持ちになることを指す。リセットと名前にあるが、「やり直したい」という気持ちが必ずしもあるとは限らないようだ。

人付き合いのストレスが溜まった結果であることが多いが、唐突にそんな気分になることもある。

 

症状

症状としては以下。

SNSのブロック、削除、退会。どれも前兆はない。

アドレスやアカウントの変更時にそれを伝えない。

転職や引っ越しへの衝動。

実際に転職や引っ越しをした場合、以前の人間関係とは一切連絡を取らない。

 

・また、大学時代の同期たちとの関係をリセットしたい理由が、今の人間関係で手一杯だから、という声もある。このようにちょっと拡大解釈と言うか、珍しくないことを特殊に捉えているケースもあるだろう。

 

・嫌いな奴ブロックしても普通だろう。話が通じる相手だと思わなければ予告もしないだろうし。
これが「人間関係の全てに対して」というのが人間関係リセット症候群ということになる。

 

動機や理由

・様々なことが語られている。

今まで無理をして相手に合わせていたから

価値を感じる人間関係ではなかった

人目を気にしすぎる/気を使いすぎる性格で疲れた

一人の時間が好き

自分を出せない

嫌われるくらいなら自分から(特に恋愛面)

自分の過去を知っている人間と縁を切りたい

 

目的を持った人

・何らかの目的を持っている人は、人間関係をそのために構築しようとする、という話がある。

まぁ恋人がほしければ異性がいるところに積極的に向かってもおかしくないだろうし、好みのタイプがいたら積極的に人間関係を構築しようとしてもおかしくないだろう。

例えば受験や資格取得などの勉強をしたいと思っている人が、毎週飲み会だ~バーベキューだ~と誘ってくる知人を疎ましいと思っても別に不思議はない。同じように勉強している人たちと情報交換したいだろうし、他のことに時間は割きたくはないはずだ。

このような、新たな目標を持つことによって既存の人間関係が「邪魔」になった場合。だとしたら脱皮のようなものかもしれない。

 

人間関係の維持コスト

・内向型、外向型、という大雑把な性格分類がある。大体は消極的/積極的と混同されてるが、違う点もある。

そのうちの一つが、「どうすると心の充電ができるか」という点だ。外向型は友人と遊んでいれば充電ができるが、内向型はそうではないため、「楽しくても疲れる」。

よく聞くのが、

・遊ぶ約束をする→

・当日までやたらプレッシャーを感じる/遊ぶ約束をしたことを後悔する→

・行ったら楽しい(でも疲れる)

というのを毎回繰り返しているという話。

これを友人サイドで見てみると、遊ぶ約束をする→楽しく遊んだ、でしかないので仲が良くても気づけないことは多い。また、当の本人も楽しんでいるため、なぜ自分が疲れているのかよくわからないことも。

えらく簡単に言ってしまえば、「遊びに行く」というのが気晴らしになる人と、ならない人がいる。「楽しいかどうかとは別」というのが重要だ。

 

・ともかく上記の通り、内向型の場合は人間関係やその交友で「充電する」のが比較的難しい傾向にある。対人面ではあまり充電ができないため、内的な静かな時間が必要になる。

それは一人、あるいは少人数であり、静的な必要がある。逆に外向型にはこれは退屈なことこの上ないのだが。

 

・一部のゲームでは行動を取るたびにAP(アクションポイント)とかそんな名前ポイントを消費する。ゲームによって名前違ったりするが。

これで言えば、外向型の人間にとって人付き合いはAPが補給されるが、内向型にとっては消費する。内容は問わない。

人付き合いはAPを「支払う」ものであり、この上で大抵の場合は維持する必要がある。

もちろん、気心がしれた相手とならばこの負担は減るだろう。本質的にはこの「消耗」は気遣いや気配りといったことに由来している部分が多い。

もしも内向型の人間が疲れた時や人に会いたくない時に、APはない、誘いを断るという「交渉」をする気力もない、というのなら、まぁ全部壊れてもらいたくもなるかも知れない。

 

・ただ上記の遊びに行く時の例のように、相手側の視点からすれば「普通に仲良くやってる」ようにしか見えないことも多い。まぁなんというか、相互理解が必要だろう。

ただ、社会は外向に傾いているため、無理解やデリカシーのない人間に遭遇する可能性があることも事実ではある。

普通に「引きこもりたい気分だからしばらく引きこもります」って言える人もいるけどね。こっそり教えてもらったけど、この時一番キライなのが「何かあったのか」としつこく聞いてくる奴だそうな。

 

無理はするものではなく「してしまうもの」

・「もっと気楽にやっていけばいい」とは言うものの。

内向型もそうだし、後述するいくらかもそうだが、やろうと思って無理して人付き合いをしているというよりは、人の前に立つと自然と無理をして自分の考える「普通」を演じている、というタイプも多い。

この場合、やろうと思ってやってるわけではないので、やめようと思ってもやめれるわけでもなくなる。「ひと目を気にする/気を使いすぎる性格」。

こうなると、負荷を感じる人付き合いの時間と、負荷のないそれ以外の時間とで二極化する。

 

考えられる素質/要因

・まず仕分けするべきことは、「全員と絶縁」レベルと「(現社会人が)惰性で付き合ってた同級生たちといい加減縁を切りたい」レベルが混在していることだ。

前者は人間関係リセット症候群と呼んで差し支えないが、後者は腐れ縁だろう。後者に対しては「自然とフェードアウトしろ」とはよく言われたりすることだ。以下は前者について。

 

うつ状態

・ベタだが外せない。なお、うつ状態が長く続くのがうつ病であり、うつ状態そのものはうつ病じゃなくてもなる。「気が沈んでいる状態」だと思えばいい。

 

・「人に会いたくない」という気持ちになることがある。他にも「今までやっていた日常的なことがしんどい」など。

 

疲労

 

・基本的には後で寂しくなるらしく、一時的な状態として扱い、リセットではなく「休憩」を目指したほうが良いと思われる。ほとんどのことに当てはまる鉄則だが、「疲れたら休め」。休んでもいけないと思っていると、こうなりやすい。

で、何を休むんだって話だが、多分自分の「キャラクター」だろうね。これは呼応的に引き出される人格面であり、つまりは人の輪そのものが発生源だ。だからキャラクターを休みたいなら、人間関係を休むってことになる。

転じて「キャラリセット」にも通じる話となる。自分の扱い、或いは自分の振る舞いに嫌気がさすなどして。

これらは多くが悩むであろうことであり、はっきり言えば珍しくない。表向き誰もが「普通」の振りをするからそうは見えないだろうけどね。

どちらかと言えば極端な手段、つまりは全員と絶縁したいほどにストレスを貯まるまで我慢してしまうことだろう。ガス抜きを考えたほうが良い。

 

スキゾイド型/創造的夢想家

・性格分析の一つ、人格適応論でスキゾイド型/創造的夢想家というのがある。感情を表に出さず、一人でも平気。むしろ一人の時間を大切にする哲学者タイプ。

加えて「他者に対して優しく、思いやりがあり、自分の意見/欲求は後回しにする」性格とされる。今回の「理由」にほとんど該当する性格。

そしてこの性格特性は、ストレスが溜まりやすい人のそれと一致する。というか、ストレスを感じるような目に会いやすいと言うか。

ネットではスキゾイドパーソナリティ障害と混同されているが、それが自己診断なら性格としてのスキゾイド型としたほうが無難だろう。

 

・スキゾイドパーソナリティ障害は性格としてのスキゾイド型がエスカレートしたものであり、わかりやすい特徴の一つが

「自分から結婚を望むことはない。するとしたら結婚願望の強い相手に押し切られることに拠って」

と言われていることだ。

私が読んだ別の本だと加えて

「あるいは、同情から相手と結婚し、不幸な結婚生活を送る」

ともしてあった。どの道、他者に振り回されやすい。

 

・本質的に「一人で平気」な人間であり、この上で表面上とは言え人間関係を維持することは、基本疲れる。その限界が来た可能性。

特に距離感は人それぞれで、メールも電話も大嫌いだって人もいたりする。逆になんぞ思いついたら夜中だろうが電話かけてくる人もいる。そこら辺の温度差があればあるほど、人間関係は苦痛になるだろう。

 

クレッチマーの性格分類:S型

・人格適応論のスキゾイド型に類似するもの。分裂質タイプと呼ばれるS型は、第三者に理解されにくい物静かさ、非社交的であり、デリケートであり、自分の世界を持つ。芸術、文学タイプ。

人の好き嫌いは激しく、第一印象で嫌なイメージを持ったらその後興味をもつことはない。「自分の世界」を共有できそうな相手なら興味を持つとされる。

重要なのが、「一部は過剰なサービス精神を持つ」とされていることだ。

 

・芥川龍之介、三島由紀夫、太宰治、彼らにこの特徴がある。
三名ともクレッチマーの分類で言えばS型だとされ、彼らは突飛な行動を行い、注目をあびることもあったそうだ。

太宰、三島はサービス精神旺盛であり、道化的な振る舞いもじさなかったという。
芥川も木に登り、カメラに向かってふざけた仕草をする様子(本来そんなキャラではないのに)がフィルムに残っているという。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%E7%B2%BE%E7%A5%9E

ただ、本来の気質とはかけ離れた行動は、やはり「他人に気を使いすぎる」ため、精神的な疲労は否めない。

恐らくそのような振る舞いは、当人にとって感情労働に近い。この三人、自殺してるからな。

 

過敏型自己愛

・また、人目を気にすることに疲れることは、過敏型の自己愛にも似ている。

別名過剰警戒型。日本人には誇大型(世間のイメージ通りの自己愛と思えばいい)よりも比較的多いとされる。

「恥」の感情が強く、他者が自分をどう見ているかを非常に気にする。また、容易に「傷つけられた」との感情を持つ。これらの特徴を自己愛的脆弱性と呼ぶことも。

 

・この場合「自分はもっと評価されるべきだ」という潜在的特権意識があるともされる。加えて不安や情動に対して自分でなんとかする力が弱い。

どの道それらが叶わない現在の人間関係はストレスの元か、「不要」となるだろう。リセットした所で次が当たりとも限らないが。

 

社会規定型完璧主義

・同じく、過剰に人目を気にすることは社会規定型完璧主義にも共通する。

「義務自己」という一種の理想像が関わっている。自分はこうでなくてはならないという、「目指す」理想ではなく「果たす」理想。

礼儀正しくなければならない、フレンドリーでなくてはならない、優しくなくてはならない、親切で共感的でなくてはならない、嫌な顔をしてはならない、落ち込んでいる人間は慰めなくてはならない、拒絶してはならない、ならない、ならない、ならない、ならない、と一種の強迫性を持つ。

まぁ、疲れる。字面見てるだけで疲れるしな。この理想像は社会が自分に求めているものと当人は思っており、「義務」に近い。これができない場合自分に価値はない、という思いが強迫性を持たせるとされる。

つまり、「疲れていようがやめてはいけない」と思わせる。限界が来たら全てを投げ出したくもなろう。

 

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