「形にしただけでも偉い」なんて言われる分野もある。特に自主的にやらない限りは進まない界隈では。
質はともかく、形にすることだけで考えれば誰でもできそうに思うかも知れないが、実際には考えただけ、アイデアだけ、というのは多いらしい。もちろん途中まで作って凍結中、というのも。
作品に限らず成果の質はもちろん問われるだろうが、それ以前に形にならなきゃ質を問うことすらできない。マラソンに例えれば、完走が第一。速さが問われるのはその次だ。
目標の達成というのは、長期的であり、予想外の事が起きたり、自分のモチベーションが付きたりも有り得る。計画段階にも大いに罠が含まれる。実行中にも気の迷いが生じる。まぁ、そんなに簡単なものでは元からないのだろう。
目標と計画について
目標の規模
達成したいことと言っても、規模の大小がある。
目標は一つの作業ならタスク。一連のタスクの連なりなら、GTDではプロジェクトと呼ぶ。もっと大きく、人生において果たしたいこともありえるだろう。
同様に、達成にも大小がある。そのタスクをやり遂げる、その計画を完了させる、その目標を達成すると。
基本的には小が大を兼ねる。大きな目標でも細分化され、「今日やるタスク」に変換されるからだ。どのみち目の前のことを片付けられないのなら、何も達成はできない。
どこまでを目標にするか
作業でなら、すでに終わりは決まっているから楽だ。だがそれだけでもない。「自分がどこまでで終わりとするか」が問われるケースはある。
「形にする」ことを例にあげれば、それは完成だけではなく、お披露目だったり、提出だったりするかもしれない。ゲームやプログラムだったら動けばいいかもしれないし、「製品」として完成している必要があるかも知れない。
完璧主義はここを高く決めてしまうが、大体はその分気が重くなる。取り掛かりやすさというか、気楽さを意識するならば、もうちょっとハードルを下げてもいいだろう。彼/彼女たちはどうも「終わりとしたら二度と修正できない」ような心構えに見えるが、全てがそうとも限らない。
例えばシカは生まれて1~2時間もすれば歩き回れる。草食動物は襲われるリスクが有るため、この傾向が高いそうだ。
一方カンガルーは生まれたばかりでは体調2センチ、体重1グラム程度。未熟児にも程があるが、有袋類だから後は母親の袋の中で育つため、さっさと生まれてくる。
これらは「生まれた後」を気にした結果の違いだろう。生まれて終わりの話ではない。
人間も未熟児寄りらしいね。ただ成長途中のこの間に多くの情報に触れることで、急速に脳が発達するなんて説もある。仕事や作品で言ったら、さっさとお披露目してフィードバックを得ることに当たるか。
2ちゃんねるも最初は、ひろゆき曰く「誰でも作れるレベル」のものを、後から手入れしていったとの話だ。完成までお披露目しなかったのなら、軌道に乗るほどに人は集まらなかったかも知れない。
好みやスタイル、ペースの問題もあるし、必ずしもそうするべきだとは言えないが、完成が目標とも限らないこと、まだ先があるかもしれないことなどは気にしたほうが良いかも知れない。方針も取り組む姿勢も変わってくる。
計画能力
やる前に綺麗に青写真を描けるタイプと、手を付けながらイメージを固めるタイプがいる。これはまぁ、各々のスタイルで進めるのが最も効率がいいだろう。
どちらも弱点はある。前者は青写真が緻密すぎて窒息する傾向がある。後者は気づいたら、やろうとしてたことと違うことをやってたりする。
バッファ
簡単に言えば時間的な予備/余裕を持たせておくこと。
バッファ本来は緩衝の意味。梱包のプチプチとかみたいな衝撃を和らげるもの。転じてコンピュータでもトラブルを吸収するための「余裕」としての意味を持つ。
前後の相互干渉による悪影響を隔離することや時間的差違を補正する遅延や一時記憶など整合を図り矛盾を解決する機能や手段となっており、これらを緩衝と呼んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1
計画やスケジュールにおいても同様の意味で結構使われている。
想定外のことはありえるし、想定外なんだから想定するのは無理なわけで。こういった余裕は必要になる。何事もなく終了したのなら、次の計画を前倒しにすればいいだけだ。
見直し
これは何度か強調することになりそうだが、やる前とやり始めた後とでどっちがそのことについて詳しいか。当然後者であり、「より正確に計画を立てることができるのは手を付けた後」というのは事実だ。
特に深く考えないで「初志貫徹」なんてスローガン掲げてると損をする。損で済めばいいけどね。
危険なのが、特に自分のことで頑張ってる時。タスクに集中して、全体を見直す機会を設けないと、いつまでも計画の不備には気づけ無いかも知れない。徒労を積み重ねることは避けたい。
どうもタスクやってる時と計画考えてるときで頭が働く場所が違うっぽいし、タスク終わったらやり遂げた感があってそれで終わってしまいがちになる。
進捗確認の体で見直すくらいは、した方が安心できるだろう。
また、工程もtodoも長く運用していれば膨れ上がる傾向がある。定期的に再構築をしないと、重荷となるだろう。
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やらないことを決める能力
関連ページ
やらないことリスト やらないことを決める
ユージン・シュワルツの33分33秒
計画段階である程度決めておいたほうがいいが、実際に自分がどんな脱線をやらかしたかも良いデータになる。
警戒すべきは「一見真面目臭い脱線」だ。それをやらないと手抜きに思えるような、何かチャンスを逃したかに思えるような、そういった脱線もある。
作業における時間管理法の一つにユージン・シュワルツの33分33秒がある。時間は今回どうでもいいが、そのルールは結構異質である。
- 席を離れてはいけない
- 目的以外のことをしてはいけない
- 目的のことをやってもいいしやらなくてもいい
個人的にはポモドーロ・テクニックよりもこちらの方が捗る。ルーツがポモは勉強、33分は執筆だからかもしれないが。
何れにせよ、このように「目的以外のことはやらない」と割り切ることでも捗ることがある。
優先順位や着手の順番について
これも「やらないこと」に関連する。
「最終的には全部やる」のと、「今(今日)それをやる」のとは分けて考えたほうが良い。理由はいくつかある。
先述したが、それが終わってからのフィードバックなどは、計画や目的を変化させるかも知れない。この場合早いほうがいい。遅いと間に合わないかも知れない。特に計画変更の場合、それまでがいくらか無駄になる。積み上げるのは、崩れない確信を持ててからのほうがいいだろう。どこで確信持てるかって話もあるけど。
タスクは多いほうがストレスになる。同じ労力を払うなら「数を減らす」ことに使うのは有効だ、というのも一つ。
「どうせ全部やるから」の最悪な可能性は、全部に半端に手を付けて、何一つ達成しないことだろう。これは「風景」がいつまでも変わらず退屈で、そのうちやる気がなくなる。
長期的な行動の最大の敵は退屈だと思う。これは「刺激がない」ということだ。で、人は結構適応力高いため、割と慣れるのは早い。タスクを片付けて別のタスクへ行く、というのは「風景が変わる」とも言え、刺激になる。いくらかはこのようなことを気にしてもいいだろう。
楽な方から片付ける、というのはやりたくない時には有効である。一方で難しいものから片付けたほうが全体的な満足度は高いという話もある。
実行と達成について
大抵の場合、遂行する能力はすでに持っている。それを補って余りある何かが阻害していることが多い。それは思い込みだったり、盲信だったり、逃げ癖や負け癖と言われる認知的習慣かもしれない。
実行力
関連ページ
継続させる学習法として: バラス・スキナーの「プログラム学習の5つの原理」
ティム・アーバン:先延ばし魔の頭の中はどうなっているか
やり遂げる力ではなく「着手する力」としたほうが良い。この点、出来ないかも知れないからまだやらないってタイプの完璧主義は分が悪い。
残念なことに、「手をつける」ことは全体のうちで最も難易度が高いと言われることは多い。それだけ大変で、軽視するわけにはいかない。軽視されがちだが。
初めを屈辱的なほどに軽くするスモールステップやベイビーステップという手法もある。大抵はやる気がない時に手を付ける方法として紹介されるもので、「イスに座る」「ノートを開く」などのレベルをまず目的とする。
これが有効なのは、必要なのは行動の開始や切り替えであり、やり遂げるエネルギーではないからだ。
ポモドーロ・テクニックの実践者に多いが、流れに乗ればむしろやめたくないと思うことすらある。曰く「休憩しなくてはならないのがストレスに感じる」と。
これもまた、「行動の切り替え」の負荷を物語る一つだろう。
必要な方向に舵を取れず、先延ばししてしまう心理的な要因は、ケリー・マクゴニガル曰く2つ。
- 重要/難しいから万全の体制で挑もう、と先延ばし
- 重要じゃない、忘れてた、それよりも今はこっち、と先延ばし
完璧主義者と快楽主義者みたいな感じに分かれる。加えて言えば、ティム・アーバンの言う「頭の中のおさる」のような、緊張するから快楽に耽りたいという1→2が実際のところかも知れない。そうだとすると実質的には、ほとんどの源流は1となる。
1は真剣であるほどにプレッシャーを自らに掛けてしまい、尻込みする点は問題になる。
「着手したら切りの良い所までやり遂げなければならない」という実際以上に消耗するイメージもあるだろう。気楽に始めるわけにはいかなくなる。
両者に使える方法として、彼女が提唱している15分ルールというものがある。
「15分ルール」とは、やるべきことを「15分間やり、15分たったら作業を必ずやめる」という方法です。タイマーをセットして行います。あなたが完璧主義者だったとしても、働く時間は15分だけです。きりが悪いからと言って、15分以上作業を続けることはできません。
https://business.nikkei.com/atcl/interview/15/230078/111700057/
たしかに完璧主義者は止まらないことが多い。自分でもそれをわかっていて、気楽に初められないタイプも多い。このような「終了条件」をしっかり設定することは有効だろう。
習慣化とペース配分
昨日一日全力を尽くしたので、今日は全く頑張れません、では意味がないわけだ。
習慣化が難しい場合、大抵計画段階で無理がある。それは定期的に続けることが難しい「頑張り続けないと出来ないプラン」であることが多い。裏を返せば頑張れなかったらお終いなプランを最初から組んでいる。
三日坊主の方が、厳しいプランを組むものだ。厳しいプランを組むから、三日坊主になるというのもある。習慣的に進めるなら、ペース配分をしなくてはならない。
判断力/決断力
計画通りに実行できない理由の一つは、邪魔が入ることを織り込まないからだ。まぁ織り込みようもないからバッファを用意するなどが妥当ではあるが。
予定外、予想外のことは「降って湧く」という表現がふさわしい、突発的なものだ。これに適切に対応し、再び計画を進める能力は必要になる。
やらないことリストのような、予めのルール化も重要だが、現場でそれを守れないなら意味はない。if-thenルール(もしXなら私はYをする、と予め決めておく)のような実行イメージレベルでの心構えも役に立つだろう。
時間を限定してから悩み、それ以上掛かるなら次に移るという手もある。
ウォーレン・バフェットの5秒決断ルールは「5秒悩んだら答えはNO」というものだ。
他にも5分考えてわからないなら、10分使って問題を整理し、5分使って人に聞けという20分ルールなんてのもある。
忍耐力
関連ページ
勉強してると部屋片付けたくなる症候群について
自制心とマシュマロ・テスト
人の自発的な行動を動機から大別すれば、2つに分けることができる。今が楽になるためか、後で得するためか。
このページで言っている「脱線」とは、後で得するための「計画の実行」を、なんか別の「今楽に、今楽しくなりたい」という動機で上書きされた状態だと言える。
一言で言えば「今得している気がしないから」。基本的に「後で得する」行動は、今楽しくない。地味だったり退屈だったりする。それこそ「勉強よりも掃除のほうが楽しい」くらいには計画的な行動はつまらない。
農業で言えば「収穫まで待てない」ということであり、まぁ長期目標の達成に適切な心理状態だとは言えないだろう。
一口に忍耐と言っても、我慢をすればいいとも言えない。苦手意識や嫌悪感はむしろ強まることが多いし、単純にストレスだし、何より成功率が結構低い。
例えばマシュマロ・テスト(子供の目の前にマシュマロ置いて、食べるのを我慢できたらもう一つもらえる)では、我慢ができなかった子どもの中には、それこそ「我慢」をしようとして、じっとマシュマロを睨みつけながら自制を試みた者もあった。
一方我慢できた子どもの中には、目を逸らすことで意識しないように努めたものもいる。
まぁマシュマロ・テスト自体は、いつでもマシュマロ食えそうな金持ちの子供のほうが我慢できました、というクソしょうもないことが発覚してダメじゃんとか言われてるんだが。子どもたちが考えた「方略」は今回参考にはなるだろう。
if-thenプランニング
計画を既に立て、後はやるだけという状態で尻込みする場合。これは、考えすぎによる部分が大きい。
if-thenプランニングは、予め「手をつけるトリガー」と行動内容をセットでルール化し、実行する。もしもこうだったら、こうする、という形。
相当にシンプルだが、効果はかなり高い。
関連ページ:
if-then プランニングと習慣化
阻害要因について
思いつく限り並べてみたが、すごいことになった。
計画立てただけでやったつもりになる心理
あるらしい。
計画立てただけなのにやり遂げた気になって満足とか。
緻密で完璧な計画を立ててそれを全く見ずに実行するだとか。これの理由が「頭に入ってるつもりだった」、というもの。
最近見かけた話だと、完璧主義者がむりだーやりたくね―って思うのが「自分の立てた計画を見た時」だそうな。作業工程表レベルで細かくてめんどくさいものが出来上がったのかもしれない。
原因は色々考えられる。
計画を立てることを「頑張った」から自分はもう報われていい、という心理。類似したものに「さっき良いことしたからちょっとくらい悪いことしてもいいだろ」と思うライセンシング効果というものがある。
計画を立てることでもう「燃え尽きた」のかもしれない。達成感は「開放感」に近いと個人的には思っている。計画を立てるというタスクから「開放」されたので、もう終わった気分になっちゃったのかも知れない。
この2つは計画を立てることを張り切りすぎたという点では共通している。
また、自分がやるべきことをやる方法として「目標を人に話す」というのがあるが、これをするとやったつもりになってむしろ怠ける者は一定数いることが明らかになっている。話してる間にもう達成した気分になっちゃうらしい。
計画を立てるということは、開始から終了までを考えるということだ。一種のシミュレーションとも言える。もちろんこれは達成して終了する。
その後に、ハイ現実で一からやってみよーってのはまぁ、萎えるかもしんない。これもそこまで張り切った細かい計画立てるせいに思えるが。
どのくらいの細かさで「考えちゃう」かは、個人差があるのは確かだろう。人によっては最初の計画は、意識的に抽象的な状態に「直す」べきかもしれない。
計画/予定そのものがストレスになる心理
関連ページ
主に計画に対しての気構えをしすぎていて、なんだろうが重大ごとになってしまっている。このため長期的に緊張し、疲弊する。
遊ぶ約束を楽しみにしていたが、だんだん嫌になってきて、前日には相手からキャンセルしてくれないかなと思ったりとかそういう話。
で、行ったら楽しい、という。
邪魔な習慣
バフェット氏は、フロリダ大学で2007年に行った講演で次のように述べている。
「ほとんどの行動は習慣化されている。そして、習慣という名の鎖は、軽すぎて存在を感じとることができない。それが、断ち切れないほど重くなるまでは」。
https://newspicks.com/news/1311450/body/
特に「時間がない」という形で出る。習慣的な、意識していない形での僅かな時間の浪費が積み重なると、大きな遅延となる。
日常の中に、カットできる余地は隠れている可能性はある。まぁ潤いも大事だけど。
機会に対しての貧乏性
人間は「損」に対して耐えられないところがある。それに操られて「ついでにこれやっといたほうが得」ということをやりまくると、失敗するかも知れない。
知的障害や精神障害が原因とされているホーディング(溜め込み症)では、患者は物を溜め込みはするが、別に大事にはしない。結果ゴミ屋敷になる。
人は大抵物を捨てられない時にもったいない、まだ使えるとか言うが、やっぱり特に大事にはしない。実態としては「捨てる決断ができない」という表現が近い。
存在忘れてたくせに、捨てるかどうかとなると「まだ使える」、じゃあ使うのかと言ったらまた仕舞い込んで忘れるなど。
まぁゆうてもこういうののおかげで、コロナ禍に於いてマスクが押し入れから大量に出てきて助かったなんて話あるから世の中わからんが。
これらは無形のものに対しても全く同じことが言える。これも勉強しておこう、これも調べておこう、これも用意しておこう、の準備準備準備で日が暮れるとか。
やるつもりはあるが、実際の行動は知識を集めるだけのノウハウコレクターと呼ばれる行為だとか。
別に悪くはないのだが、これらは「横に広げる活動」と言える。積み上げるとか、掘り下げるとかではない。何より準備止まりで実行がないから進捗はない。
だから準備段階としてはアリである。実行段階ではナシ。
後から計画の不足に気づく
まぁ仕方ないね。計画段階の過去の自分を呪うかも知れないが、割とこれは発生する。手を付けてようやく気づくものもあるだろう。
こういった後からやることが見つかることを、ヤックシェービングとも呼ぶ。
問題Aを解決しようとしたら問題Bが出てきた。BのためにはCが、CのためにはDがと延々と続いて終わらない現象を指す。
プログラミング界隈の言葉で、「ヤクの毛刈り」という意味。ヤクは牛の仲間で、毛は衣類の材料になるが剛毛で刈るのも加工もめんどくさい。
https://embryo-nemo.com/1346/
これは悪いことではない。
主観的にはゴールが遠のいているようにしか見えないが、理解度が上がる、ゴールまでの透明性が増す、難易度もわかってくる、と事実だけ見れば明らかに進んでいる。
https://embryo-nemo.com/1346/
結構、緻密な計画は立てるだけ損な気もしてくる。ヤックシェービングが発生するのは織り込んだほうが良いだろう。対策は保険としてバッファを用意することと、計画の定期的な見直しとなるか。
自力に拘る
一見するとご立派だが、あんまりよろしくもなかったりする。
以前にちょっと書いたが、プランに自身の成長を織り込む者と、織り込まずに自分の「運用」に割り切る者がいる。後者の方が成果を出しやすい。
ウォーレン・バフェットやピーター・ドラッカーなども「知らないことに手を出すな」的な事を言っているし、これまたそういう話は多い。
要するに、自分のゾーンとかペースとかを守っている方が成功者に多い。「無理をしない」し「得意分野で戦う」からだ。
成長を織り込むのは養育的な視点だが、達成に必要なのは、できたかできないかという「厳しい」視点だろう。
簡単に言ってしまえば、いつまでも自力に拘るのは「本番」で「練習」したがるようなものだ。目標達成の観点から厳しくそれを評価するなら……、後はまぁご自分でどうぞ。
どうも殆どの場合はこのような「ズレた真面目さ」が、人がクレバーになることを阻害し、目標達成の邪魔になっている気がする。
手段に拘る
「やる気」が時に足を引っ張る。足というか、悪路に引き込もうと腕を引張る感じか。
「ハンマー釘病」という概念がある。「金槌しか持っていなければ、全ての問題は釘に見える」とも言う。手段にこだわりすぎて非効率的なことをやること。
かと言って、柔軟を自称しながら優柔不断、というのも普通にいるわけで。
目的に拘る
これはもはや達成能力とは離れてくるのだが。計画に間違いがある可能性は今まで述べてきた。同様に目的自体が間違いなこともそりゃあるさ。
基本的に最終目標である「目的」は、割と雑に決まる。「目指すもの」なので、この段階ではあまり計算が必要ない。進捗や計画と同じく目的も見直す余地はあるだろう。
加えて言えば、超正常刺激のように「できるわけがないが全力を出させるために大きな目標を立てる」、ということをやる者も多い。大抵はプレッシャーが大きくなって裏目に出るが。
更にこれらの本能的な「よろしいこと」を追求した結果として、シオマネキのハサミやオオツノジカのツノのような「意味のない進化」が見られる生物もいる。やりすぎと言うか、度が過ぎる形で。
つまり頑張るためだけの目標は、達成しても価値がない。ゴールを通り過ぎているか、逸れている。難易度が高く達成できないからそれがバレてないだけだ。
「達成するつもりの目標」なのか、「頑張るために作った目標」なのかは改めて考えたほうがいいだろう。前者なら達成することに割り切るべきだ。後者の場合、目標をまだ絞れていない。
手段や目標に拘ってしまう理由は、結局の所は計画→実行を一方通行だと思っているせいだと言える。放たれた矢、撃ち出された弾丸のように、止まるつもりも戻るつもりも、もうなくなっている。