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予定があると落ち着かない/予定を立てるのが苦手な人

投稿日:2019年5月14日 更新日:

・予定が決まった瞬間にストレスになるタイプや、その期日が近づくに連れプレッシャーになるタイプもいる。

一見、その予定が嫌なだけかと思える。しかし楽しみな予定でもストレスらしい。

「人との約束」が対象の場合が多い。例えば遊ぶ約束をした前日に憂鬱になるなど。一方で自分で立てた計画や予定がストレスになる人もいる。この場合は目標達成の障害となりえる。

 

「予定」がストレスになっている人

  • 遊ぶ約束でもストレス
  • 何日も前からストレス
  • 行けば楽しい

友達と遊ぶのがストレスです。というか遊ぶ予定がストレスです。なんか仕事の予定入ってるみたいで…。

どうしたら普通の人みたく楽しみにできますか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169624268

 計画を立てる方が楽しいものだからその落差じゃないか、との指摘に対して計画中もストレスと答えている。「この日拘束される」と。だが行けば楽しいと。後述するが「予定は仕事を連想させる」との研究があり、この感覚は正しいと言える。

 

私は予定が苦手です。

友達と会う約束なんかをしていても予定の何日か前からずっと憂鬱になります。
でもこちらからは断る勇気がないので、相手からドタキャンされると
凄く嬉しくなります。

開放された気分になります。

https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0602/186875.htm

予定に対して圧迫感を感じ、それがなくなれば開放感を感じることは全体的に共通している。

 

・一応フォローしておくと、こういった数々の声はほとんどが予定の内容自体は嫌ってはいない。話の殆どは遊ぶ約束だし、約束した時点では楽しみにしている場合も多い。

相手のことも好きだし、予定も楽しみだし、この上でストレスやプレッシャーを感じる自分に戸惑っていることが大半。

 

・物事を「予定」と感じた途端に、落ち着かなくなる。その状態が予定の期日まで続くから疲れる。そういうことのようだ。

加えて、予定実行まで「常に」その予定を気にかけている傾向が強い。時間に遅れないか、準備は万端か、ミスの余地はないか、予定を忘れずにいられるのか、当日やらかしたりしないかなど。

過剰な意気込みがある。これが予定が決まった時点で気が重くなり始める大きな原因だろう。

 

・予定があると落ち着かない人は、時間厳守に苦手意識を感じている人が多い。できないわけではなく、人よりも時間はきっちり守るけど疲れる、という人が多い。時間や予定に対しての責任感が人一倍強いようだ。このため表面上は問題にならない。

 

予定があればそれが気になる

  • ある程度は、元から人にはそうなる素質がある
  • 脳内でのシミュレートやリハーサルなどにリソースが割かれる
  • 気にしている分、集中できない

オハイオ州立大学の研究によると、1~2時間以内にミーティングの予定が入っていると、次の予定が何もない時に比べて、こなせる仕事量が22%減少するという。

https://www.dhbr.net/articles/-/7420

この現象は、ミーティングで質問することの洗い出しや、自分が話す時のシミュレートなどを頭でやっている状態だから、とされている。

この上でもうすぐ予定の時間だから、今やってる目の前のことはどうせ中断することになる。結果、それほど身が入らなくなる、ということのようだ。

・予定が決まった時点で上記のような状態が発生し、予定消化まで続くとしたら。多分、好きなことをしていても没頭できない。予定が強くストレスになるとしたら、このような反応が強くでている状態かもしれない。

・ここで問題視されるのは、予定自体ではなく「その間、物事に身が入らない状態が続く」ことだ。対策としては、時間的余裕の確保や、イベントを一纏めにしてストレス場面そのものを減らすことが挙げられている。

「予定」に仕事を連想する

  • 予定に仕事のスケジューリングを連想する
  • きっちりしてるとなおさらに
  • 付き合いには少し、実際に不自由さがある

米オハイオ州立大学の研究によると

「時間を決めて待ち合わせといった休日に予定を立てる行為。これは、仕事でのスケジューリングを連想させる」

ということで、本来なら楽しいはずのプランを面倒に感じてしまうのだそう。

また、きっちりした旅行のプランを立てる際にも同じことが言えるそうです。

https://news.infoseek.co.jp/article/tabizine_125960/

やりたいことを「予定」とすることにより、それが「仕事」になってしまう、ということのようだ。予定がある時点で自由じゃなくなると。

 

 予定を入れることができる隙間ってのは、要は空いていた時間だ。そこに「仕事」をねじ込む。あるいは他の予定を押しのけて決定されたかも知れない。嫌になっても不思議じゃない。

その分自由は減る。その時間は「休日」じゃない。「拘束時間」になる。
義務というか、作業感というか、事務的というか。そうじゃなくても、責任感がある。

例えば遊ぶ約束したとして、それがつまらんかったとしても、「つまんないからやっぱ帰るわ」とは普通は言えない。よほどじゃなければ「付き合い」で区切りが良い所まではいるだろう。

約束事に対しては元から、人は気楽ではいられない。反対に、やたらと約束をすることで人を縛り、孤独を埋めるようなのもいるが。

 

 楽しみにしていた約束は、実行する時には「仕事」になる。
「終わるとホッとする」のは肩の荷が下りたから。

これは予定内容が好きでも嫌いでもなる。好きでも嫌いでも疲れはするし、好きでも嫌いでも緊張する。

予定が終わった時の開放感と、仕事が終わって「さぁ自由だ」って気持ちと比べてみたらどうだろう。同じ気持ちだったとしたら、好き嫌いとは別に「緊張」はしていたことになる。

 

ただ、当人も楽しみにしていたり、実際に楽しめる内容に対してこう感じるのはもったいない。実際にその時になったら楽しかったという声も多いのだし。必要なのは当日を楽しむことよりも、当日を「楽しみなまま待てること」のような気もする。

「嫌なことがこれからある」と考えると脳が激痛のシグナルを発する

 今回楽しみな予定だったりも含まれているのだが、その扱いは「嫌な/苦手なことがこれからある」かのような緊張感に似ている。

 数学嫌いに「数学が卒業の必修科目だと気づいた時」などを思い浮かべてもらい脳波を測ったところ、肉体的な痛みと同じような反応が見られた。
心理学教授シアン・ベイロック曰く「例えば燃えているストーブの上に手を載せたときと同じです」。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/434/”]

・最も重要なことが、実際に数学の問題を解いている時にはそのような反応はなかったこと。
「苦手なことを実際にやっている時」は、「嫌なことがこれからある」と思った時よりも遥かにストレスがない結果となった。

彼らは自他共に認める数学嫌いであり、数学が嫌いだと勘違いしていた人とかではない。直感的には本番こそが地獄の苦しみを味わいそうなもんだが、少なくとも脳はそのような反応をしていない。

・今回の話は、かなり先の予定に対して不安感を感じていることもある。その間「苦痛」が続くのだとしたら、まぁ平和ではない。

ペシミズム(悲観主義)は慎重かつ精密に物事をこなすために必要ではあるのだが、限度がある。心配すればするほど良い、なんてことはないのだろう。気にし過ぎだと思ったのなら、気を楽にする様心がけたほうが良い。具体的には気を逸らすのがベターか。

気晴らしをすることを勧めたい所だが、予定がストレスになる人は気晴らしを「問題から目をそらす悪いこと」と認識しているかもしれない。

自由/不自由:予定を立てるのが苦手な人

完了できないストレス

  • 今すぐに動けない
  • それまで気になり続ける
  • 前倒しで消化したい、さっさと片付けたい性格かもしれない

・予定の何が嫌かというのは色々あるが、「気になっていてもその場で完了ができない」点がある。

「予定」をまっとうに遂行する方法は、その時、その場所で、その行動を取る、ということだ。

場所と行動はなんとかなる。しかし時間はどうしようもない。待つしか無い。明日駅前で待ち合わせをしていたとして、今日駅前に行った所で「完了」にはならない。

たまたま相手がそこにいても「じゃあ明日、よろしくね!」となることは想像に難くない。意味ないね。「その時」じゃないと実行しても無駄ってことだ。

・当然「その時」に向けて意識して、調整したり、準備したりをすると、「予定」の内容以上に時間も精神力もコストがかかっていることになる。快適とは言い難い。気疲れしてくる。

これは「日が経つにつれて約束たことを後悔してくる」ことの説明にはなるだろう。

先延ばしの反対で「前倒し」が好みのタイプかもしれない。それができないストレス。

気が変わるリスク

  • 気が変わるかも知れないから、予定を立てたくない
  • もしかしたら、もっとやりたいことができるかも知れない
  • もしも気が変わったら、当日は苦痛となる

・予定を立てるのが苦手な理由として結構多い声が、「今は乗り気でも、当日は気が変わっているかも知れない」というもの。確かにそうなった場合、当日は我慢して行う義務/仕事となる。

後から「もっとやりたいこと」「もっと楽しいこと」があった場合に、それをやりたいのにやるわけにはいかないという不自由。

・大体が好奇心は強かったり、多趣味だったり。このタイプは予定を立てることが「束縛」と感じることは多いだろう。

これだけ見れば自分勝手そうだが、この上で責任感が強いため気が変わっても予定/約束は守ることが多い。ただし本人にはストレス。

自由が好きだが責任感も強い

  • 約束がある限り自由ではない
  • 約束自体はしっかり守ろうとしているが、それが緊張を生む
  • 早く気楽になりたいと思っても、日時が決まっているためできない

・自由とは何か。道徳的哲学的な意見が様々あろうが、確実に含まれるのは自己決定権だ。自分で予定を決めても、その時の自分は過去の自分が決めた内容に従うことになるため、やはり不自由になる。自由不自由だけで見ればの話だけどね。

・予定がストレスになりやすい人は、「責任感が強い」と呼んでも差し支えない人が多い印象がある。 

同時に隠れた願望として、「自由でいたい」「身軽でいたい」というのはあるように見える。

自由をベースに考えれば、予定や約束は「拘束時間」と感じる余地はある。

・予定を断りたいとは思っているが、約束した場合破るつもりは殆どないようだ。予定が潰れてほしいと願うことはあるようだが。

むしろやるからには、絶対に完遂しようとして疲弊している様に見える。結果を見てみれば、無難にこなしているか、見事に完遂しているかなのだろう。

総じて『自由(自分のペース)を愛するが責任感も強い』というパーソナリティだろうか。

 

・大抵の場合、一日や一週間単位で自由/不自由のサイクルがある。勤務時間と休憩時間、平日と休みなど。当然ながら自由が嬉しく、不自由は嬉しくない。

不自由を基本として、自由(または不自由からの開放)を得ることを報酬としている人だとすると、予定が入った時点で報酬が潰れることになる。予定が入った時点で休日出勤が決まったような心境になるようなら、おそらくこれだろう。

このためか、自分からは予定を立てないようにしていることも多い。

 

・無意識レベルで時間を「自由か不自由か」という価値基準で見ていることになり、当然ながら「予定」である時点で不自由が確定する。「拘束時間」に近いイメージ。
これは「楽しいか楽しくないか」とは別であり、「予定」というだけで嫌になる。

これには自分で立てた、自分がやりたい予定が苦痛になる余地もある。

・日中の大半は不自由であり、ようやく訪れた自由な時間を手放したくない。自由な時間とは自分の時間、または自分だけの時間ってことだ。これには多くの人が魅力を感じる。

特に意味もなく夜更かししたいという心理にもつながる。この動機が、日中に不満があり夜に自由を取り戻そうとするから。

 

関連:
_眠いけど寝たくない心理

 

人に合わせるつもりがありすぎる

・小さな用事が休日入っただけで、丸一日潰れるような気分になる人はやっぱりいる。特に人相手の約束で多い。

名目としての用事の他に、その後であれこれあるかもしれない、それに備えないと、と考えていたりする。

このため本当にその用事だけで解散する場合、肩透かしを食う気分になったり。

・予定に対しての時間見積もりには個人差がある。例えば休日の午前中、amazonから荷物が届くとする。

この時に、午前中が丸つぶれになると思うか、数分のイベントが発生すると思うかは人によって違う。

気合の入り方も違う。万が一にも見逃さぬように意識を常に玄関に向けておくタイプがいる。かと思えば全く気にせずに時間を過ごし、気づけたら受け取る、または後で不在通知に気づいて再送を依頼しておしまい、というタイプもいる。

まぁ今どき宅配ボックス使えよって話だが、このように「かかる時間」と「その間どれだけ注意力を向けるか」が全然違う。

・ここでも相手に全て合わせるつもりでいるかのような、全てに対応するつもりであるかのような「気合」がやはり見られる。

「ちょっと空いた時間でお茶をしよう」という誘いに対して、日が暮れるまで人生相談を受ける気構えで行ったり。

そう言うのが生きがいな人もいるので、これ自体は問題ないとしておこう。ただしこの上で本当は自由でいることが好きならば、やはり負担になる。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/2959/”]

予定と自分らしさ

  • 自分らしさと社会的な自己価値は相対関係にある
  • 予定日よりもだいぶ早くから、ずっと気になる場合、その間は自分らしさを感じられないことになるかもしれない

 心理学では「自分らしさ」を本来性、それを実感することを本来感と呼ぶ。面白いことに、社会的な要素と触れると本来感は失われる傾向にある。これは「みんなに認められた」などの肯定的イベントでも該当する。

これはそれほど不思議なことでもなく、本来感は「自分の考えに率直に動くこと」に近い。当然「自由」と深く関わる。

 反面、自己価値や社会的自尊心と呼ばれる、周囲に認められるような評価を得るためには、協調的、社交的であることが望ましいだろう。これは他者を意識して自身の言動を調節する必要があり、有り体に言えば「不自由」に属する。
普段は気にするほどでもないだろうが、元から「窮屈」と感じる余地はある。

「約束」という属性が在る限り、他者を意識することになり、いくらかは本来感に影響を与えるかもしれない。多分、同じ人物と現場でばったり出くわして一日遊び倒した場合にはストレスにならない。

雑な言い方をすれば、自分自身のコントロールとペースが手の内にあるなら自由。そうじゃないなら不自由。「予定」は目的が決まっており、それに向けて意識的に動く必要があるため、自分で立てようがなんだろうが「不自由」の属性がある。

 今回の「予定」は対人面が多く、人との約束や集団的な予定である話が多い。特に友達との遊ぶ約束。

友人と遊ぶ約束、というのは結構微妙なラインにあるだろう。遊ぶから自由、かつ他者との約束という不自由でもある。楽しみでもあり、拘束でもある。なんなら一番予定がストレスになっていることに気づきやすい場面かもしれない。

繰り返す必要があると思うが、これらは薄く、万人にある心理だと思ったほうが良い。普段は問題にならない。ここで挙げる要素以外にもポジティブな要素も人には混在している。問題視するのは、強く予定を気にしすぎる場合に限ったほうが良いだろう。

  • 本来感 自分らしさを実感すること
    学生対象の研究では、随伴的自尊感情(人に認められるとかで付く自信みたいなもの)が高いと学校生活の満足度は高いが、不安や抑うつの傾向が高くなるとの結果が出ている。

完璧主義

  • 計画の細かさと絶対視は、完璧主義と共通する
  • 完璧主義は目標の修正をしない傾向がある
  • 完璧な達成や完璧なプラン→実行へのプレッシャーとストレス

当人の頭の中の「業務内容」が、見ているだけで嫌気がするレベルで細かい可能性もある。

たまたま読んでた論文に載っていたんだが、熟練者の作業工程を項目として可視化、新米でも同じクオリティでトレースできるようにする試みがあった。
参照:https://core.ac.uk/download/pdf/70325281.pdf

上記論文内の図1のことだが、頭が痛くなってくる。「旋盤作業の見積」として50近い項目が列挙されている。恐らくだが、実行としては数分で終わる話でだ(下ろす、外す、持っていくなどのレベルの項目が多い)。

 例えばの話だが、「予定」に対して同様の細かさを想定していたとしたら。これだけの項目が、頭の中で予定完了まで居座り続けることになる。

頭の中で維持するために常時反芻し続け、本番でそれだけの内容を実行しようとするのなら、そりゃ疲れる。

「自分がどこまで考えていたのか」を書き出してみたほうが良いかもしれない。
自分で引くほど細かいのなら、もっと概要だけとか、要点を絞った形に書き直したほうが良いだろう。

あと根本的な話だが、相手がいる話で自分一人が細かく決めるってのは、大抵うまくいかない。それでうまく行った場合、相手が合わせてくれた以外にはありえない。自分勝手とすら思われるかもしれない。

逆を言えば、その予定に対しての「落ち着かなさ」を打ち明けることができる、同じ予定を持った相手とかに相談している間は安らげるかも知れないが。


 プランに対して完璧にしようとするなら、常に意識して万全でいなければならない。そのためか予定がストレスに感じている割には、真っ先に集合場所に集まるという話も多い。

この場合「完璧に実行する」ことへのプレッシャーやストレスとなる。要は試合直前の緊張感に近い。もしかしたらスポーツ心理学などは役に立つかもしれない。

 

例えば、両親が私たちの家に遊びにくるという予定があるとします。

そういうとき、みなさんってどこまで予定を考えますか?

私の場合、

「何時に駅まで迎えに行って、そのあとドコドコでご飯を食べて買い物をしてだいたい16時くらいに帰ってくることになると思うからなんかちょっとしたお菓子が必要になるな、じゃあご飯からの帰りに買うとなるとその道中にあるお菓子屋さんってあそこであれこれファーーーー!!!」

https://kaishayameruzo.com/archives/4479

おもろい。

おかげで非常に伝えやすいが、プランが細かい=やること多いということになる。タスクの細分化は常套手段でもあるが、こうして見ると度が過ぎると「タスクの数」がプレッシャーになるのだろう。単純に考えてもやること多い=忙しいだし。

 

・誰でも頭の中に完璧主義者がいる。頭の中の「そいつ」が反射的に張り切ると、人に依っては一瞬で細かく思いついてしまい、なおかつ半強制的な効果を持つ。

完璧主義者に限らず多くの人が、予定に対して「○○しなきゃ」みたいな使命感や義務感めいた言い方をするのは、予定自体が強制力を持つからだろう。

 肯定的に見れば才能でもあるかも知れない。プラン自体は大体において悪くないのだし。「可能だが最大限キツイ」感じになるのは、自らにとって難点ではあるが。

勝手にこのあたりまで思い浮かぶ事自体は珍しくない。思い浮かんだ後に、改めて調整、または選択を行う必要はあるだろう。

・簡単に言ってしまえば、感情も思いつきも「下書き」に近い。書き物すれば分かるかもしれないが、下書きの方が文章量がアホほどあることは珍しくない。その上で無駄を省くなどの「仕上げの作業」が残っている。それはこれからやることだ。

 

予定とヤックシェービング

  • 大抵は計画通りには進まない
  • 緻密な計画=トラブルが起きたらお終い
  • 対応するだけのバッファは必要になる

・予定がストレスになる流れを見ると、

  1. 予定が決まる
  2. 脳内で計画とシミュレートが始まる
  3. ストレス

というように思える。この場合直接的には、予定がストレスというよりはシミュレートがストレスになっている可能性はある。前述のように緻密過ぎるだとかで。

「計画通りに物事は進まないものだ」なんて言ったり聞いたりもあるかもしれないが、だからといって無計画もよろしくないのは確かだ。

・後から「これをやる必要がある」とわかって、思った以上に手間がかかるのをプログラマー界隈では「ヤックシェービング」と呼んだりもする。
ヤクという動物の毛をウールにするのはめんどくさいことから。単に「手を付けてから思ったより手間がかかってめんどくさいとわかること」程度の認識で今回は構わないだろう。

今回言っている「計画」はほぼ無意識に立てられ、几帳面な性格ならば「やらねばならぬ」と思ったりもしているだろうが、当人一人の頭の中で決まっていることが大半だと思われる。

実際にうまくいくかどうか、他にも人がいるなら理解や協力をしてもらえるかどうか、その辺りでうまく行かずに「対応」をする必要は出てくる可能性がある。そうなるとそれに当てるバッファ(緩衝)のための時間は必要になり、ここで「緻密な計画」が自分の首を絞める。既にギチギチだから。

とまぁ、そうなる「計画」を組んでいたら、既にこの時点で普通にストレスになる。失敗するわけにはいかないなら、予定は「ものすごく緊張する時間」を指す言葉になる。平たく言えば、緻密な計画とは「何かあったらお終い」ってことだ。それをやるつもりに自然となってしまうなら緊張もする。

反対にヤックシェービングは計画ではなく目標を持って事に臨む時なら(時間制限がないなら)、正道ともなる。目標AのためにBが必要だからBをやる、BのためにCも必要だったとわかったからそれもやる。遅延評価勉強法とかパラシュート勉強法と呼ばれる。先ずやってみて、その後で何が必要か知り、それに対処する形。

一見手際が悪いが、その実効率的に「何をするべきか」が分かる。まぁ体を張ってだけど。

関連ページ:
_難易度が高い/計画の不透明性への対策
_fragments 威力偵察

 

「予定」に仕事を連想する

  • 予定に仕事のスケジューリングを連想する
  • きっちりしてるとなおさらに
  • 付き合いには少し、実際に不自由さがある

米オハイオ州立大学の研究によると

「時間を決めて待ち合わせといった休日に予定を立てる行為。これは、仕事でのスケジューリングを連想させる」

ということで、本来なら楽しいはずのプランを面倒に感じてしまうのだそう。

また、きっちりした旅行のプランを立てる際にも同じことが言えるそうです。

https://news.infoseek.co.jp/article/tabizine_125960/

やりたいことを「予定」とすることにより、それが「仕事」になってしまう、ということのようだ。予定がある時点で自由じゃなくなると。

 

 予定を入れることができる隙間ってのは、要は空いていた時間だ。そこに「仕事」をねじ込む。あるいは他の予定を押しのけて決定されたかも知れない。嫌になっても不思議じゃない。

その分自由は減る。その時間は「休日」じゃない。「拘束時間」になる。
義務というか、作業感というか、事務的というか。そうじゃなくても、責任感がある。

例えば遊ぶ約束したとして、それがつまらんかったとしても、「つまんないからやっぱ帰るわ」とは普通は言えない。よほどじゃなければ「付き合い」で区切りが良い所まではいるだろう。

約束事に対しては元から、人は気楽ではいられない。反対に、やたらと約束をすることで人を縛り、孤独を埋めるようなのもいるが。

 

 楽しみにしていた約束は、実行する時には「仕事」になる。
「終わるとホッとする」のは肩の荷が下りたから。

これは予定内容が好きでも嫌いでもなる。好きでも嫌いでも疲れはするし、好きでも嫌いでも緊張する。

予定が終わった時の開放感と、仕事が終わって「さぁ自由だ」って気持ちと比べてみたらどうだろう。同じ気持ちだったとしたら、好き嫌いとは別に「緊張」はしていたことになる。

 

ただ、当人も楽しみにしていたり、実際に楽しめる内容に対してこう感じるのはもったいない。実際にその時になったら楽しかったという声も多いのだし。必要なのは当日を楽しむことよりも、当日を「楽しみなまま待てること」のような気もする。

「嫌なことがこれからある」と考えると、脳が激痛のシグナルを発する

 今回楽しみな予定だったりも含まれているのだが、その扱いは「嫌な/苦手なことがこれからある」かのような緊張感に似ている。

 数学嫌いに「数学が卒業の必修科目だと気づいた時」などを思い浮かべてもらい脳波を測ったところ、肉体的な痛みと同じような反応が見られた
心理学教授シアン・ベイロック曰く「例えば燃えているストーブの上に手を載せたときと同じです」。

そして最も重要なことが、実際に数学の問題を解いている時にはそのような反応はなかったこと。
彼らは自他共に認める数学嫌いであり、数学が嫌いだと勘違いしていた人とかではない。「苦手なことを実際にやっている時」は、「嫌なことがこれからある」と思った時よりも遥かにストレスがない結果となった。

今回の話は、かなり先の予定に対して不安感を感じていることもある。その間「苦痛」が続くのだとしたら、まぁ平和ではない。

ペシミズム(悲観主義)は慎重かつ精密に物事をこなすために必要ではあるのだが、限度がある。というか思った以上に限度を超えてしまう。心配すればするほど良い、なんてことはないのだろう。気にし過ぎだと思ったのなら、気を楽にする様心がけたほうが良い。具体的には気を逸らすのがベターか。

予定がある・約束の日が近づくと憂鬱になる病気はあるか

・予定がストレスになる余地もあるが、症状により予定をストレスに感じることもある。

まぁ極端な例と捉えてもらって構わないが、方向性は同じなので注意は必要かもしれない。

自分でかなり深刻だと思うなら、医者に見てもらった方が良いだろう。

 

出社拒否症

・出社拒否症が結構近い。出勤困難症とも呼ばれる。予定というより日課に対してのことが多いが。
特徴は、

  • 憂鬱になる(身体的には吐き気や下痢などがある)
  • 「出社」という条件に対してのみ拒絶反応が出る(「予定」と差し替えれば同じ)
  • ストレス源から開放されると症状は治る(今回では予定の消化や予定がなくなるなど)
  • 昇進などの世間的にポジティブな内容でも発症することがある(楽しみな予定でもストレスなことと類似する)

行方不明になって1000km離れた別の県の海岸でボーっとしてる所を発見されたとか、会社の玄関に来ると身体が動かなくなるとかの例もある。
ちなみに勤務態度は「真面目」だったケースが多い。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/2411/”]

彼らは休職や配置換えで治ったり、医者に「行くだけでいい、途中で早退しても良い」「いつもの3分の1くらいの力で働きなさい」とアドバイスされたりしている[efn_note] ただし患者は性分的に「力を抜く」ことをかなり嫌がる傾向がある。完璧主義が多い。だからこそ力を抜けってアドバイスされたんだろうけど。 [/efn_note]。

今回はここまで酷くないだろうが、方向性自体は似通っている。このような症状と無縁かと言えば正直怪しい。人間関係全部が嫌になっても不思議はない。

 

適応障害

・適応障害は適応できないと言うよりは、適応しようとしすぎて壊れた感じ。国際分類では出社拒否症は適応障害の一種だとされる。

  • 強いストレスで日常生活が送れないほどの不調が現れる
  • うつ病の手前と考えられている
  • 憂鬱な気分、不安感、焦燥感
  • ストレスとなる出来事が明らかなのが特徴
  • 原因となるストレスからうまく距離を取るのが改善、回復のポイントとされる
  • 原因となるストレスは人間関係や、結婚や昇進など客観的にはポジティブな出来事もなり得る

・ご覧の通りに出社拒否症と被る。

基本的に「ストレスで悪化し、ストレスから離れると改善する」とされている。
ここまで述べてきた通り「予定」自体にストレスと感じる余地があるのだが、それに対してかなり「強い反応」を示す。ここが通常と違う。

 

過剰に適応しようとしていないか

・俯瞰的に見れば予定がストレスになる人は、

  • 予定を完璧にこなそうとする
  • 相手に完璧に合わせようとする

などの傾向は見て取れる。言い方を変えればこれは予定や相手への「適応」を過度にしようとしている。適応障害とつながるね。
出社拒否症も昇進から始まるエピソードは多く、与えられた責任を果たそうと無理をし続けた結果となっている。

このため、症状というよりも心理的な状況がかなり今回と似ている。

・「過剰適応」という心理がある。「自分を犠牲にして周りに合わせる/期待に応えようとする心理」。無理をしてでも周りに合わせすぎること。

論文に於いて多く使われる過剰適応の定義は「環境からの要求や期待に、個人が完全に近い形で従おうとすることであり、内的な欲求を無理に抑圧してでも、外的な期待や要求に応える努力を行うこと」。

行動としては、

  • 優秀な良い子として振る舞う
  • 迷惑をかけないよう大人しくする

などがある。

・なお心は一枚岩ではないため、このような無理をしてでも張り切る気持ちと、純粋に予定を楽しみにする気持ちとは同時に存在し得る。

過剰適応はいくらか肯定的要素も認められるため、「全くあってはならない」という類のものではない。今回は多分、悪さをしているが。

・「自由を愛する」+「自分を抑圧して予定に全力で合わせてしまう性分」かもしれない。
過剰適応には「自分らしさを実感しているが過剰適応しているタイプ」がある。

・過剰適応がエスカレートすれば自己破壊的同調となる。これは適応障害一歩手前だろう。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/1608/”]

対策

  • 避ける
  • 気にしない
  • ストレスのない予定にする

予定を立てない

 まぁ出来たら苦労はしないし、「付き合い」の場合は無理があるが。

 予定がストレスになるタイミングは大別すると、

  1. 予定が決まった時点でストレス
  2. 予定が近づくと段々とストレス

の2種類がある。1はできるだけ予定を立てないほうがいいだろう。

 人間には「展望記憶」と言って、予定実行機能が備わっている。こうなったらこうしよう、この時間になったらこうしよう、みたいな。

面白いことに、トリガーとなる刺激(その時間になる、用がある相手と会うなど)になると自然と思い出すことができる。身近な例で言えば、カップラーメンにお湯を入れて時計を見たとする。次に時間が気になって時計を見れば、大体丁度いいタイミングであることは多いだろう。

この機能は「タイマー」として、またはトリガーさえあれば思い出すように意識に「常駐」していると考えられる。アプリみたいに。常駐している間の「負荷」が、当人としては緊張し、真面目になるべき未来を何度も思い描いている状態として感じられているのかもしれない。

なるべく起動しない=予定を立てないほうがいい。

 予定を立てないためには、予定がストレスになるタイプの人間だ、と周知されたほうが早い。だがそう思われたくない人もいる。誘われなくなるかも、それはそれで寂しい、そんなんで。予定がストレスなんであって、人付き合いがストレスというわけでは今回ないからね。

 予定を立てないのが無理なら、せめても「細かすぎる予定を立てない」くらいは心がけで実行可能かもしれない。精密なプログラムではなく、トラブルに対応したりアドリブを効かせる余地は残したほうが。

 

遠い約束はしない

 約束の前日あたりが最もプレッシャーだという声は多い。「本番」が近いのだからそりゃそうだ。
一方で遠い約束の方が、その時に至るまでの自分が「そのために動いている」感じがして嫌いだ、という声もある。

ここでもやっぱり「自由さが失われる」と感じるのが問題だという点は共通する。「精神面での自由」は思った以上に重要なのだろう。

「一週間以内の約束しかしない」などのルールによって、これを避けている人もいる。

 

ストレスにならない予定の立て方について

 細部まで決めずに余白を残す、選択肢を残すなどの回避策が挙げられている。要するに「ゆるめの予定」にすること。あるいはバッファ(スケジュールでのバッファは、何かあった時に割り当てるための空白の時間を指す)を用意する。

細かすぎる予定が真っ先に頭に思い浮かんでしまうことはある。完璧主義の傾向が強いなら、直感レベルで模範解答的な「完璧」を思い浮かべてしまうことも珍しくない。

ただそれは、反射的に「連想」しただけであり、無意識からの提案の一つに過ぎない。それをそのまま採用することもできるが、もうちょっと自分が楽になれるように後からアレンジしてもいい。ともかく直感への盲信はよろしくないだろう。一見すると真面目でも。

 

 緊張やプレッシャーは、リスクを軽減する必要コストかもしれない。
成功率を少しでも上げたり、キャパオーバーなタスクをそれでもやり遂げる補強かも知れない。
保険料や設備投資のような。だからゼロにするには正直惜しい。危険ですらある。

だとしたら予定に対して緊張やストレスを感じ、当日までがしんどいというのはコストが「過払いじゃないの」って話になる。まぁそうじゃなくてもなるべく節約はしたいわけだ。だからやることは保険料の見直しになる。

 

 予定を細かく決めない。大筋だけにする。要点だけ抑えた形。

逆にプレッシャーになりやすいタイプは、予定を細かく決める上に全て優先度が「最優先」となっている状態が多いように見える。どれ1つ切り捨ててはいけないと思っているかのように。このあたりが完璧主義。

 

 元から人は、後でストレスになることを忘れて、予定を細かく設定しがちではある。予定を立ててからそれにストレスを感じるまで、若干時間差があるから失念しやすい。予定を立ててる時はテンション上がってたりもする。

 

 休日の予定に対して特に言えることだが、「充実していなければならない」という強迫観念のような思いがある人も多い

冗談抜きで「リア充である義務」みたいな強迫観念を持っている人はいる。多分多いはずだ。
このためスケジュールを自分からあんまり好きじゃない予定でギチギチにする傾向は、持ってる人は持っている。単純に予定が開いてると不安になってくるという人もいる。

 

 「細かく考えてはいけない」とするのは単純に難易度も高いし、それもまたストレスになる。切り捨てられないなら、せめても優先度をしっかりつけたほうがいいだろう。

最低でも主目標と「ついで」の区別はつけたほうがいい。案外、何も考えずに「全部やらないと」となる人はいたりする。

 

ドタアポ専門になる

・多分ドタキャンの逆だろう。土壇場でアポイントメント。面白いなこれ。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0602/186875.htmの解答欄にあった。

要するに「今日暇?」って誘い方してほしいってこと。

尤も、今度はそういう誘い方ができない人ってのも出てくるが。約束してから予定通りに動きたい人もいる。あとは急に誘われるのが嫌って人も、もちろんいるわけで。
このあたりは自分がどのタイプかさっさと自己申告しといた方が良いだろう。

 

 うつ病で、人と会う約束をしてもプレッシャーとなり、当日ドタキャンを繰り返していた女性の話がある。このせいで病院にもなかなか行けなかったようだ。

彼女もまた「予定がプレッシャーに感じる」としているのだが、苦肉の策として自分の調子がいい時に「今から会えませんか?」と打診する方針とした。

もちろん相手にも都合があるから、いつでも会えるわけではなかった。だがこうすることによりプレッシャーにはならず、約束どおりに会えるようにはなったとのこと。

興味深いことに予定を立てないと決めてからは、少しずつ動ける日も増えてきたようだ。

苦肉の策ではありましたが、外に出るというプレッシャーから解放される方法として「予定を立てない」と決めたことは私にとって、とても有効でした。

http://www.utsu-s.jp/aruaru/appointment_150918/ (リンク先消滅)

もちろん、予定がストレスだからうつ病だというのは早計だろう。
元からこういう心理がある。うつ病だとそれが大きくなる。そう思っておいたほうがいいのではないか。

ドタアポも嫌だって人も結構いると思うが、この上で予定もストレスならいっそ「受付時間」でも設定して宣言したらどうだろうか。「休日の午前中に連絡有れば遊びに行けるけど、午後になったら別の予定入れる」みたいな。

 あとこれはある意味微笑ましい話だが、土壇場で誘われて、行きたいのに予定的に無理、あるいは土壇場で動くの嫌いだから嫌で、「なんで事前に言ってくれないのか」とやや不機嫌になるようなめんどいこともあったりなかったり。

メモ

 「気持ち」への対処についての考察

 まずこれらは認知に対しての干渉を試みる考察であり、効果があるかも知れないし、茶番に終わるかも知れない。

初めに

 「本当に気持ちの問題だけか」は確認しよう。準備が必要なのに何もやっとらんかったなんてのはよろしくない。

問題は、

  • ストレスを感じるのが早すぎる
  • ストレスが強すぎる

この2点になる。

モラトリアムを認識する

 モラトリアムは一時停止とか猶予期間の意味。
「いつから気にしたら良いか」を考えること。

今回の(気持ちの)問題は、予定が決まってから予定が終了するまで永続的に緊張状態が続くことに有る。この上で、緊張そのものは(程度の問題は有るが)あっちゃいけないわけじゃなく、しっかり予定を果たすにはそこそこは必要だ。

「全く気にしない」ということが仮にできたとしたら、逆方向でアレな感じになることは目に見えている。目指すところは必要なタイミング、必要な量の緊張感だ。

例えば日曜日に軽く遊びに行く約束を月曜日にしたとして、せいぜいが土曜日に着ていく物に悩む程度でいいはずだろう。だったら月~金にこの予定にストレスを感じるのは損でしかない。土曜日になってから悩めばいい。

逆を言えば「月~金まではこれをストレスに感じる必要はない」ことは割り出せる。

「いつから予定を気にし始めれば十分か」を割り出すこと。ギリギリじゃなくていい。性分的にそれは無理だろう。余裕は持たせればいい。今よりは多分マシだろうし。

 

ダミー予定を用意する

 狙い自体はモラトリアムと同じ。それでも気になってしまう場合。

何かしら予定を気にする性分を逆手に取る。それより前の時間帯で、そこそこの重要度の予定をでっち上げる。時間が前である限りそちら側を気にするだろう。

なんならモラトリアムをそのままスケジュールにしてしまえる。前述の例で言えば土曜日に「明日着ていくもので悩む」とでも書いておけばいい。そちらは気にするだろうが、日曜日のことはその分は気にしない。

根本的な解決ではない、ダメージコントロールに近い話だが。

ちょっと関連した話として、予定やタスクを前倒しにして達成感感じる性癖を持っている人間もいるとの指摘が有る。その性分の場合は向いてないだろう。待てないから。

ついでに言えば、「十分な準備をすれば自分は安心できるはずだ」というイメージがあるのかもしれないが、ここまで述べてきたとおり予定を果たすまで多分無理。
裏を返せば十分な準備をしたらそれ以上安心できる余地もないので、「あとは待つだけ」の時間が最も苦痛となりかねない。約束した月曜日に服装を決めたら、その性分では多分毎日「これで本当に良いのか」と悩むようになるだけだ。

「自分の100点」にこだわっていると気づく

 完璧主義用。綿密な計画の内容と実行に注意が向きがちだが、そもそもその「目標」自体が自分が勝手に立てていることは結構ある。100点なおもてなしやら100点な対応やら。

ここは確認しておかないと、根本的に方向性がずれていて、当人含めて誰も幸せにならない100点を求めることになる。対人場面では、相手が望んでいないことで必死に100点を取ろうとしても意味がない。相手を喜ばせたいなら尚更だ。

「範囲」も見直す余地があるかも知れない。その範囲内で合格点ならベターなのに、それより狭い範囲で100点満点を必死に求めているようでは、やはり根本的にズレていることになる。
全く見落としていた、すなわち局所的に「0点」をどこかで出すかもしれない。それよりは全部ベターのほうがずっと良いだろう。

 本当に求められているものはなんだろうか。そもそも「完璧」なんて求められているだろうか。なんなら、相手と相談して決めても良いのではないか。メリットは2つ。

  1. 「自分と相手の計画」を作れる。独りよがりではなく。
  2. 計画を相手が知っているから協力してもらえる。

注意点は、完璧主義は細かく決めたがるから、大雑把な計画を初めから着地点とすることだろうか。

関連ページ:
_完璧主義をやめるには

 

予定がストレスになる人とビッグファイブの神経症傾向

 性格分析のビッグファイブでは神経症傾向(精神不安定性とも)という項目がある。名前がアレだが、これは「高いと生真面目、低いといい加減」になる傾向でもある。
高い場合は一言で言えば「リスクに敏感」なので、それを念頭に置いてしっかりやろうとする。低い場合はリスクの軽視によるトラブルの可能性が上がる。

この「真面目さ」はネガティブ感情によって作られる。失敗への恐怖や、緊張などで(防衛的ペシミズム)。

 同様に「侵入思考」というものがヒトには有る。ネガティブかつ勝手に沸き起こる思考であり、しつこいので反芻思考と呼ばれることも有る。
これは内容がかなりエグく、一般的なモラルに反する内容が少なくない。この上で普通の人間が経験する。

これが起こる理由の一説として、ダニエル・ウェグナーは、

  1. 頭の中に「やってはいけないことを列挙したブラックリスト」のようなものがあり、
  2. やらないためにはそのブラックリストを見る必要があり、
  3. 見たらそれが脳内に浮かぶ。
  4. また、「常に気をつけるため」には頻繁に見る(反芻)必要もある。

とした。
今回の、予定がストレス、ずっと頭に残っている、終わってからの開放感、全部このへんで説明がつく。しかもこれが発生する理由が「ちゃんとやるため」である。

一番わかりやすい例はこれだろう。

85人の子を持つ親の内、89%が侵入思考を経験、内容は乳児の窒息、事故、誘拐、攻撃されるなどであったという。
嫌な考えが頭から離れない 侵入思考について

これらは事故や被害の懸念と言える。これを意思(自分がそれを望んでいる)だと取り違える例もあるが、正しくは「しっかりしないとこうなるぞ」という自分を用心させるためのシステムとして働いているように見える。

 神経症傾向としても、侵入思考としても、動機は「ちゃんとやるため」であり、その手段として、むしろ「ストレスを意図的に発生させている」とすら言えるかも知れない。どの道やりすぎだが。

逆を言えば、ちゃんとやろうとする意欲が高い、あるいは反射的に完璧にやろうとするなどの傾向が高いのなら、予定に対して全て「この手段」を用いる癖がついていても、それほど不思議じゃない。

関連ページ:
_精神不安定性 Neuroticism
_嫌な考えが頭から離れない 侵入思考について

 

毎日予定がある人、予定を入れないと不安な人

 予定がストレスになる人の正反対で、スケジュールが予定で埋まってないと不安になる人というのもいる。

空白恐怖症や隙間不安シンドロームと呼ばれる。どちらも「病気」というわけでもないが、それになぞらえて表現されるくらいには目立つ。

空白恐怖症は他人に暇人だと思われたくなくて、忙しく見せかけようと偽のスケジュールや予定を入れると説明されている。2018年の「大辞泉が選ぶ新語大賞」で大賞に選ばれている。

隙間不安シンドロームもスケジュールの空白を恐れるが、こちらは「予定のない自分には価値がない」かのような認知を持っているようなニュアンスで語られる。

どの道、何かしら役目を果たしている、あるいは人と接触している時にしか自分に価値がないと思う/思われるという恐れと考えられる。このため偽のスケジュール、偽の忙しさにより、偽の充実感を味わい、時間を無駄にする例もある。まぁそれで気づいたら金貯まってたとかもあるので、エネルギーとしては一目おける。方向性に自分が納得がいくなら、もう偽物じゃなくて本物だろうし。

 

 余談だが、本当の強迫性障害には「巻き込み」という行為が見られることがある。他者を自分の不安解消に巻き込む。例えば潔癖症が触れられないものを片付けるように他人に頼むなど。

隙間不安シンドロームがその隙間を埋めるため「約束」を他者と取り付けようとするのなら、「巻き込み」だとは言えるだろう。

 

 まぁこれ、似た者同士で時間を過ごすべきだろうね。隙間不安は隙間不安と、予定がストレスだけどほっとかれると寂しい人同士でドタアポとか。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/2599/”]

予定があると落ち着かないHSP

・過敏で繊細な人、「繊細さん」なんて言われるHSPだが、ここで上げているような傾向がやっぱり高い。約束前日に憂鬱になるしプレッシャーだしで、「約束」って概念がやっぱり苦手だとか。

「気にしすぎ」は例えばパニック障害の二次的な障害としても現れる。人前で発作が出たらおしまいだ、と思うあまり緊張し、症状が出てしまうなど。

このような逆説は起こり得るため、気にすりゃ気にするだけいいってもんでもない。目安としては、もう充分に準備したのにまだ思考がループしているようなら、気にするのはやめた方がいいだろう。

意図的に何かを気にしないのも難しいんだが、何かしら没頭できることに打ち込むのがベター。

[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/2609/”]

関連ページ:

完璧主義について

-ストレス, 人間関係, 完璧主義, 性格・人格・傾向・嗜好, 時間, 自分
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