自分

全部自分のせい・自分が悪いと思ってしまう人

投稿日:2018年8月26日 更新日:

2020/10/05 加筆:自分が至らないせいだ

・本当は自分は悪くないのに何かあると全部自分が悪いと思えて仕方がない人。


「自分が悪いと思うことは自惚れだ」という説について

・たまに見かける「自分が悪いと思うことは自惚れだ」という意見は、ある見方をすると条件付きで正しい。その罪悪感が「できることをやらなかった」であり、実際にはそれが的外れの場合に限る。

自分が悪いというのは、自分に責任があるということになる。勝手に責任者になりきってるような状態になる。

その理由がなすべきことをやらなかったと思うのは、自分がそれをやればこの状況にならなかった、ということであり、自分に影響力があると思い込み、生殺与奪を握っていた気分になっている。

そもそも大前提として「自分になんとかできる事態だった」という考えがなければ出てこない言葉だ。

総じて「自分には責任や権利や力がある。ただし無能だった。ああ自分が悪い」とする態度になる。こう聞こえるから、実際の当事者が割と怒ったりする。

加えて当人が全く部外者だった場合には茶化してるようにしか思えない。


・ただ、後述するアダルトチルドレンにおそらく多いが、何かトラブルがあった時に、本当に自分とは関係ないのに「『自分は関係ない』という態度を取れない」という人がいる。

うろたえたフリ、焦ったフリ、驚いているフリなど。このような人が取る「当人なりの適応した態度」としても、これはあるだろう。



アダルトチルドレン的な思考

アダルトチルドレンは「自分が悪い」という罪悪感を持ちやすい。

根底に親は子を愛するというイメージが有ったとする。しかし自分の親は自分を愛してくれない。この時点で矛盾があり、その「理由」を探す。

この考察のよくある結論として「自分が悪いから愛されない」という形になる。そうか、じゃあ「いい子」でいよう、となる。
同じ理由でアダルトチルドレンは完璧主義的な傾向も持っていることが多い。


更に他者評価を過剰に気にする点がある。これは「問題」だと捉える物事が多いことにもなるだろう。当然「自分が悪い」と罪悪感を感じる場面も多くなる。

後は恋愛関係に顕著だとされているが、相手が離れていかないことを確認するために「自分を悪く語る」傾向もあるとされる。
これは試し行動と呼ばれ、愛着障害と関連付けられて語られることが多いか。

他にもスプリッティング(白黒思考/二極化思考)も多いとされる。つまり、良いか悪いかを決めるつもりで物事を見やすい。


・まぁ日本でのアダルトチルドレンの第一人者が「アダルトチルドレンじゃない人なんていません」みたいなことを言ってるので、該当しててもそれほど深刻に考えなくていいだろう。

ただ、罪悪感が思い浮かぶ思考パターンやその動機としては参考になる。


自他境界

自他境界は自分と他人の境界のこと。ここが怪しいというのは自分と他人の区別をつけていない/つけられないということ。
自分の領域を他者にまで広げるタイプ(支配的、馴れ馴れしい)と、他者の領域を自分にまで広げるタイプがある。

後者は他人の考えをそのまま受け入れてしまったり、嫌だと言って断ることができないなどになる。
中でも「他人の問題や責任と自分のそれとの区別がつかない」、という特徴は、今回とハッキリ同じだろう。

利用されたり、傷つけられたりしやすく、そういった経験から他人が怖い、ともなりやすい。


・正直、人々が「共感」や「理解」と呼んでいるものの内のいくらかはこのような自他境界の歪みだと思う。


認知の歪みで見てみると

・現実を不正確に見せ、ネガティブな思考や感情を強化し、精神病的症状を永続化させるかもしれないとされる「」たる概念がある。それにこの状態を当てはめてみると……

「自分が」

・「自分が」という言葉は個人化。

個人化は自分がコントロールできない結果が起こった際、「これは自分の責任だ」と思い込むこと。

ポイントは思い通りにならなかったら自分の責任だとする点。つまり結果が出る前には何らかの「期待」あるいは「義務感」があった可能性がある。

まぁ単純にみんなと仲良くしなきゃならないと思ってたとか、しっかりやらなきゃならないと思ってたとか。あるいはそうなると予測していたのに結果は違ったとか。

これらが自分には出来るはずだ、出来なくてはならない、という考えが元からなかったか。


「悪い」

・「悪い」という言葉はスプリッティング、マイナス化思考に当たる。

スプリッティングは白黒思考、100点か0点か、ゼロイチ思考、色々な呼ばれ方をしている。身近な考え方だろう。

2つに分けるということ。二極化。中間は存在しない。この思考・価値観は完璧主義者に多い。そして「良いか悪いか」という概念そのものが二極化しているものだ。

マイナス化思考は、マイナスな結果・状況が「当然」であり、何かプラスのものだけ偶然か何かだとして取るに足らない物とする思考。


その他にも

・そして十分な検証をせずに自分が悪いとするのなら「結論の飛躍」であるかもしれないし、本来大したことがないことを問題視している場合には「拡大解釈」に当たる。

悪いところにしか目が行かず、自分が悪いと思う材料しか見えないのなら「心のフィルター」。

自分が悪いと思っているその出来事に何か後味の悪さを感じていて、その理由として自分が悪いとしたのならば「感情の理由付け」だ。

いつだって自分が悪いとするのなら、自分に「レッテル貼り」をしているかもしれない。

自分はいつもこうなんだ、と考えるなら「過度の一般化」。

だから自分はこうしなきゃいけない、とまで考えが続くのならそれは「すべき思考」。これも完璧主義者に多い。

べき論、コアビリーフなどとも呼ばれるが、これらは簡単に強迫的な義務を頭の中に作る。絶対に、いつでも、自分はこうしなくてはならないと脅し続け、自分を見張り続ける。


・少々強引ではあるが、「自分が悪い」という短いフレーズに3つ、可能性として追加で7つの認知の歪みが含まれている。

重要なのは、提唱されている認知の歪みって10個しかないことだ。全部入ったぞ。


「良い」「悪い」という言葉

・根本的な話、「良い」とか「悪い」って言葉が相当に大雑把である。言葉に振り回されちゃいないか。

言葉が指し示す範囲が広すぎる。簡単に言えば大げさ。「悪い」という言葉の意味自体は何らかに付随するものだ。この場合は「自分」になってしまうが、ここからもうおかしい。

「自分」が「悪い」。存在を全否定している。

今回で言えば「自分が悪い」という思考が毒であるのももちろんそうだが、「」が毒な部分もあるだろう。

外言(自分が口にする言葉)も内言(心の中で思う言葉)も、無意識は「聴いている」。自分で自分の言葉を「再解釈」する時がある。時には「言葉通り」に。そしてその通りの「歪んだ現実」をあなたに見せるだろう。

例えばムカつくという言葉でしか怒り・不快を表現ができないから、一部の子供は些細なことでもキレやすいという指摘がある。表現の最低値がそれだから、怒りの最低値もそれになる。

「自分が悪い」という言葉の分析

・「自分が悪い」という言葉。「悪い」と思うのは結構だとしても、「何が」悪いのかが含まれていない。

認知の歪みが過剰に働いている状態だと仮定すると、「自分が」という言葉に該当するのだという意見は許容できない。

自分の存在全否定するようなこと言ってる割には、具体性が一切含まれていない。「何が」悪いのかが。逆に具体性を含まないから拡大して「自分が悪い」にまで広がったのではないか。

もっと具体的に

・「自分が悪い」という言葉がそもそも悪い。極端であり、終着点のように見え、つまりそれ以上は考えない=疑われない位置で毒を垂れ流す。

認知の歪みは恐らく本能由来のものだし、なきゃないでトラブルに棒立ちになるようなことになるだろう。必要ではある。

だが認知は知覚と混同され、なかなか気付けないものだ。ここをなんとかするのはすぐには難しい。

今すぐ改善できるとしたら「言い方」だろう。

・最悪から始めてみる。

「何もかも全部」「自分が」「悪い」から。

まず何もかも全部ってのは何も考えてない奴が使う言葉だ。カット。

「自分が」「悪い」になった。


今度は足りないな。「何について」自分の「何が」悪いのかが入ってない。

「○○について」「自分の」「○○が」「悪かった」になった。


悪いってのも二極化っぽいね。だがここをカットしたら文章にならないから何かに差し替えよう。問題視しているのは事実だから「問題だった」にしようか。

「○○について」「自分の」「○○が」「問題だった」になった。


はて、問題視しているのはわかったが、これだけでは感想に過ぎない。問題だと思う理由は?

「○○について」「自分の」「○○が」「問題だった」「なぜなら○○だからだ」になった。

(一見蛇足に見えるかもしれないが、これは必要だ。なぜなら「AはBでないといけない」「AはBしないといけない」という根拠のない思い込みという形で認知の歪みはあり得るからだ。
本当に問題であるという「説明能力」は求められる。これが存在せず、ただ自分を責めるのなら、何か違うものが本質的な原因だろう。)


だいぶ形になった。テンプレとしては十分だろう。

まぁなんというか。見比べてみれば「何もかも全部自分が悪い」ってフレーズが「空っぽ」な上に「毒性がある」のがわかるだろう。むしろ毒しかないのが。

ここまで形にできれば本当に問題だった場合、方針を立てることは楽になる。軽視されがちだが、「質問をしっかり形にする」こと自体が問題解決に大きく貢献する。

(もしあなたがが死にそうな状況になって、助かる方法を考えるのに1時間あるとしたら、どんな事をしますか?という質問に対して)

「最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」

―アルベルト・アインシュタイン



どこに問題があるか

・さてここからが本題だ。「○○」に当てはまる単語を、自分の悩みを参考にそれぞれ入れることを試みてもらいたい。試みるだけでいい。多分無理な人もいる。

恐らくいくつかのパターンに分かれるだろう。

  1. 全部違和感なく埋めることが出来た
  2. 何も当てはまらない箇所がある/埋めてはみたが文章がおかしい
  3. 入れたくない


全部違和感なく埋めることが出来た場合

・少なくとも「じゃあ次はこうしよう」と考えを進めることができる。おめでとう。

不明瞭な状況把握と分析が罪悪感となっていたということになる。問題解決に「良いか悪いか」の判定は必要ない。「問題だと思うから対処する」で十分だ。

ただそれは、問題なのではなくて「なりたい自分」なのかもしれないけれどね。


何も当てはまらない箇所がある/埋めてはみたが文章がおかしい

・いくつか判断が飛び、理由もなしに自分が悪いと思っている可能性が出てくる。

また、価値観自体が押し付けられたものだったりして「とにかくこれは悪いこと」みたいな認識を持ってる人も多い。この場合も特に最後の部分が書けないか、あるいは「○○がそう言っていたから」のような見りゃわかるレベルのおかしさがあるかもしれない。

ともかく、その入れられなかった部分や文章をおかしくしている部分には「何か」がある。

入れたくない

・問題と対面することを避けるため、対面しなくて済む結論(=自分が全部悪い)を出した可能性。

問題から目をそらすことも怖いため、問題を内包し、なおかつ直視しなくて済むという点では「自分が悪い」は優秀な処置と言える。



今すぐそれを見直してみるというのも早計かもしれない。それは爆発物が入った箱のようなものかもしれず、開けるにしたって準備が必要かもしれない。

あるいは解決しないことが当人にとって一番の解決である可能性もある。目的が「現状維持」だった場合には、全部自分が悪いとして全て終わらせようとする自己犠牲を行うケースはある。特にアダルトチルドレンがそういった感じか。

事体に対しての一種の「諦め」かもしれないが、諦めることは別に悪いとは限らない。諦めは受容に通じる。

さらに言えば、別に後で気が変わってやっぱ解決しようと思うかもしれないし、我慢の限界が来るかもしれない。何も確定はしちゃいない。

「今は(時間的な設定をつけないとまるで「一生の大きな決断」のようになりこれまた毒になり得る)」、「このままの方が良い」と思うのなら、とりあえず様子見でも良いかもしれない。


メモ

自分が至らないせいだ

・こんな話がある。

日本。1800年代後半、駅が出てくるから明治くらいか。
とある物書きが子供の頃、事情があって他所の家で住んでいた。里子のようなものだろう。そういうことにする(うろ覚え)。

ある冬の日に、駅前で手袋を売っているのを見かけた。なかなか良いものに見えた上に、自分の貯めていた小遣いでもなんとか買える値段だった。

世話になっているお礼にと、養母へのプレゼントとしてそれを買った。養母は喜んでくれた。


・程なくして養父の部屋に呼び出された。部屋に座り、腕を組んでいる。その前には、先程養母に贈ったはずの手袋がある。

「この手袋はどうした」

「買いました」

「これはとても子供が買えるものではない。正直に言いなさい」

「でも買ったんです、駅前で。値段は…」

その金額は養父からしてみれば、とても買える値段ではなかった。


・「嘘を付くな」「まさかどこかで盗んできたのか」と養父に怒鳴られる中、彼はこう思ったそうだ。

「これは自分が至らないせいだ。普段の行いがしっかりしていれば、養父も自分を疑うことはなかっただろう」と。そうして疑われることを甘んじて受けると決めた。

後に彼を信じたその家の子供達が、駅を探してくれた。手袋を売っていた商人がいた事、確かにその値段で売っていたことを突き止めてくれた。


・ガチでうろ覚えだから創作入ってるかも。多分夏目漱石だと思ったんだが、確証がない。


・まぁ要するに、事が起こったことじゃなくて、「自分が疑われたこと」が自分のせいだ、と思ってるケース。


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