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「帰属」と「自分が悪い」

投稿日:2018年11月20日 更新日:

なんでも「すぐに」自分のせいにする人と、帰属やバイアスについて。

帰属とは、原因や責任の所在を考えること。既に起きたこと(結果)から逆算して原因を見つける心理的機能。

原因が分かれば対策もわかる。つまりは現状打破や解決、適応に繋がるわけだ。

分類は色々ある。わかりやすいのは自分の能力と努力、外的要因と運の4つに分かれるとか。もっと単純に、自分=内的要因か、他人=外的要因かで今回はいいだろう。

すぐに自分のせいにする人ってことは、内的要因に速攻で帰属するってことになるね。努力か能力かはそれぞれだろうけれど。

いつもながら正常に働けば問題はないが、これらにはバイアスがかかる余地がある。というか、変な癖が付きやすい。そのうちの一つは「自分に原因がないかまず探す」ことであり(ここまではまだいいんだが)、ひどい時には「見つかるまで探す」ことだ。反対に何でもかんでも人のせい、って奴もいるけどね。

例えば4:6で相手のほうが悪くても、自分の4が「全て」に見える。相手の6まで勝手に抱える。相手からしたら便利かもな。実際そうやって「飼われてる」みたいな人間関係もあるけど。

根本的な帰属の誤り/対応バイアス

基本的帰属錯誤、あるいはエラーとも。
名前が「過度に挑発的で多少誤解を招いている」とも指摘され、後に「対応バイアス」という言葉も同じ意味として生まれた。

社会心理学の根底をなす概念ともされる。なんでも自分のせいにしてしまい、そしてそれが苦しい/おかしいと思うのは、その場に「他人」がいるってことだね。じゃあ「社会」としてみるのも一興だろう。個人的には人間が3人以上いたら社会扱いしていいと思ってる。本人、相手、第三者が揃うからね。

「行為者―観察者バイアス」も同じ意味で使われるようだ。

他人の言動はそいつの性格や能力的なものが原因としてあり、自分の言動は状況が原因であるとしやすいおめでたバイアス。

簡単に言えば、同じミスを犯してもそれが他人だったら「あいつは無能」あるいは「あいつはいい加減なやつ」として、自分だったら「◯◯で◯◯だったからこれは仕方がないんだ」とかに帰属すること。

人は素の状態で、他人に厳しく自分に甘い、とも取れるが。まぁ多分情報量の違いだろう。
他人のミスはミス発生の時点から、あるいはその後から注目/観察が始まる。当然ながら過去は見えないし、内面も見えない。一方自分の場合、まぁ常に見てるわけだから、そうなった「原因」は見つけやすいだろう。そこに至るまでの経緯、心理的葛藤、etc。
他人は能力、性格のせいと見やすいから、これらは「言い訳」に取られやすいだろうけどね。このバイアスに問題があるとしたら、まぁ決めつけてるから、ってのが大きい。

今回とこのバイアスとはつながらないが、逆を言えば「大体の人間は自分に甘いから自分のせいにはあまりしない」とも言える。

自分のせいだとすぐ決める人は「他人」をどう見ているかが気になる。何でも自分のせいだなんて、まるで自分が居なければ他人は物事万事うまくいくみたいじゃないか。

明らかに他人のミスなのに自分のせいだとした場合、まぁこれは出来ると言えばできる。自分がいるせいで緊張でもさせてしまい、本来の実力が出せなかったんだ、だとか。だとしたらこの場合、むしろ自分の影響力をかなり過大評価しているということになる。疫病神的な意味でだが。

ブレーマーから見る自責の念

blamer。非難する、咎めると言った意味のblameの比較級。クレーマーとはちょっと違う。ブレーマーはなんていうか「イカれたクレーマー」に近い。ここで言うブレーマーと、正当性のある批判や苦情を言うクレーマーと一緒くたになっててよろしくないとは思っている。まぁブレーマーが自分はクレーマーだと思い込んでるケース多そうだが。

ともかく、何かにつけて他人を非難する者をブレーマーと呼ぶ。交流分析の内のミニ脚本という概念にもこれはありa)(ミニ脚本を提唱したのはエリック・バーンではなくテイビー・ケーラーとヘッジス・ケーパー)、本来自分に向くはずの禁止令、つまり「やってはならない」とか「やらなきゃならない」という意識が他人に向いている状態とされる。当然結果として他人が自分の思い通りじゃないってケチつける形になる。「攻撃的な批判性」とも呼ばれる。他者志向型の完璧主義者に近いだろう。

※引用

その日、ブレネーは家にいた。白いパンツにピンクのセーターを着て、キッチンで2杯目のコーヒーを飲もうとしたところ、ガシャーン!カップをタイル張りの床の上に落として、コーヒーをぶちまけてしまった。

カップは粉々に割れ、私の洋服はコーヒーまみれに。そこで最初に出た言葉は 「スティーブのバカ!!!」

スティーブはブレネーの夫である。なぜ夫を責めたのか?その時の彼女の頭の回路はこうだ。

夫の趣味は水球である。前の晩、彼は友達と水球をした。夫には「10時までに家に帰ってきてね。あなたが帰ってくるのを確認しないと、私は眠れないから」と言っておいた。

ところが、夫の帰宅は10時半。それによりブレネーの寝る時間も遅くなった。つまりはこうだ。

「もし夫が時間通りに帰宅していたら、ブレネーは時間通りに寝れたはず。そしたら、今朝こんなに眠くなかった。だから2杯目のコーヒーを飲む必要がなかったんだ。そしたらこんな悲劇も起こらなかった。」

ブレネーはカップを落とした途端、夫のせいにするストーリーが完全に出来上がっていたのだ。

http://karapaia.com/archives/52185943.html

こういった「状況認識」が一瞬で行われる。雑さはまぁヒューリスティクスとしては良いとしても、このように志向性がある、つまり「どういったゴールにするか」が既に決まっており、そのために帰属先を探すパターン。これは状況の分析ではなく、シナリオの構築だろう。まず「誰かのせいにしよう」というのがあるように見えるね。

ただ、少々懐疑的と言うか、とりあえず人のせいにしてから理由考えてるんじゃないかなー、そういう奴見たことあるんだよなーと思わなくもない。何かあった→あいつのせいだ→なぜなら(ここで初めて理由を考える)。

一瞬で自分のせいと判断するってのは、これを反対にすればいい。一瞬で、強く、「ああ! 自分のせいでまた!!」みたいな。その理由もぞろぞろでてくるんだろうが、本当にそのせいだろうか。ゴールが決まってて、そこに入る形の「答え」を詰め込んでるだけかもしれない。

端的に言って、状況分析を本当にしているんだろうか。何かあった→自分が悪い→なぜなら(ここで初めて理由を考える)、という流れなら、状況分析は一切せずに結論を出していることになる。

何でもすぐに自分のせいにする人は、ブレーマーや対応バイアスの「逆」をやっている。やっているというのもよろしくないか。それが頭の中で「起こっている」、と推察できる。

帰属は本能だろうか

どちらとも取れるな。例えば犬の躾けで、畳の上で粗相をして叱った場合、次からは限界まで我慢した上で漏らすような形でまた粗相をする様になるケースがあるらしい。

要するに、叱った側からしたら「畳の上で排泄をしたから」叱ったわけだが、犬からしてみたら「排泄をしたから」叱られた、じゃあしちゃいけないんだ、って解釈をしてしまうそうな。だから限界まで我慢してしまう、と。小学生男子でもあったな。学校のトイレでう◯こしたら社会的に死ぬという強迫観念。そのせいで我慢した結果漏らしたやつもでたことあるな。阿鼻叫喚。今どきの子もあるのかねあれ。

叱るってのは終わった後での話であり、当然垂れ流しながら叱るってのはないだろう。気づいたらやってました、って方が多い。つまり「過去やったこと」に対して「いま」叱られ、その原因を「排泄したこと」と解釈し、その後の認識に反映されているため、これは帰属と言えるんじゃないだろうか。

まぁ犬も子供も「その場で短くわかりやすく言え」ってのが躾として言われてたりする。犬の場合はオペラントの強化を重視して、叱ることをそもそもやめよう、って方針も結構あるようだ。好ましい行動の強化優先。つまりトイレでちゃんとやったらうんと褒める、と。犬の話ぞ。

ブレーマーの例を挙げれば帰属は直感レベルだ。条件反射のように人のせい/自分のせいにする。この犬の例はある意味「思考」だろう。「問題意識」が自前じゃない。ご主人に怒られたから、って所からスタートするから。そこから、なんでおこられたんだろう、もうおこられたくないな、との「思考」。

この時に過剰防衛というか、やりすぎな対策になるのもまた本能的なのかもしれない。つまり帰属からの「極端な対策」、あるいは帰属そのものが極端になりがちなのは、「二度とこんな目に合わないために全力を尽くす」ためだったとしたら。

だとしたら、まず帰属先を「間違える」あるいは「やりすぎる」のは仕方がないだろう。本能的、習慣的、認知的で大いに有り得ることであり、「どうしようもないこと」ではあるのかもしれない。ただ、それは自動的に「浮かんだこと」であり、信憑性については……、前述の通り、いまいちだ。何より「癖」が付く可能性がある時点でちょっと。また、当たってたところで「全てが」というのも少々怪しい。つまり加減とか規模についての問題。

この当りも不思議だな。もしかしたら「全部自分のせい」なんじゃなくて、「これから全部自分のせいにされる」という予期とその対応なのかもしれないが。もちろん人によるだろう。

まぁともかく、ただ「浮かんだこと」なのだから、「まだ」考えてもいない状態だろう。それなのに「結論」とするのは、少々気が早いね。

メモ

直感レベルの帰属は言ってしまえば、当てずっぽうの決めつけでもある。当人にとってそれが「最もありえること」ではあるのだろうが、そもそも状況分析の前に結論に飛びついているのだから論理的なものではない。緊急時には役に立つ可能性もあるが、一人で思い出してアレは自分のせいだったとか反芻してるような時には、「直感」はあまりいらないだろう。

ヒューリスティクスとしてみれば、自分のせいだと思った「直後の行動」も注目に値するだろう。何をやっただろうか。謝ったのだろうか。逃げたのだろうか。どちらも「すぐにやったほうがいい」ことではあるね。前者は心象が違うだろうし、後者は言わずもがな。それとも自分のせいだと思った上で、人のせいにでもしただろうか。これにしたって早い方がいいな?

謝り癖とか、逃げ癖とかあるなら、そちらが原因の可能性もあるだろう。すぐに(つまり効果的に)謝る/逃げるためには、「自分のせい」であるとの認識をさっさと持つ必要がある。むしろアクシデントに対して初めから謝るつもり/逃げるつもりで見ている可能性。自分のせいかどうかを考える「前」に。

ブレーマー達もこれ系のがいるな。全く関係ないことに腹を立て、全く関係ない人間のせいにして、そもそも「参加した意味がわからない」奴が。この場合も「人のせいにするのが目的」の目で物事を見ているのかもしれない。

脚注

脚注
本文へ戻るa (ミニ脚本を提唱したのはエリック・バーンではなくテイビー・ケーラーとヘッジス・ケーパー)

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