完璧主義の完璧な目標はどの時点で発生するか

・まぁ、最初からだよね。

割とよくある完璧主義的目標設定

 

・後に続いているが、実際にはこのあと予定が立て込んでいて、仕方なく乱雑に戻して以降、色鉛筆の並びについてはどうでもよくなったらしい。というかバラバラのほうがかっこいいと思うようになったらしい。割とどっちもわかる。

 

・まぁ元から乱雑でもよかったわけで。必要以上の高い理想(多分その時にはこの自覚はない)、という意味では完璧主義的なものにも見える。

別に珍しいことじゃないだろう。

例えばなんか家電を買って、スイッチのところの保護のためのビニール的な何かをなるべく剥がさないで維持しようとするとか。

もっと身近で言えば「消しゴムのこのカドだけは使わない」とかいうアレ。他人に使われるとむっちゃ怒るやつ。

こういうわけわからん目標設定とその実行、破綻した時の怒りや失望は、割と「あるある」で済む話だ。

ゆるい意味では誰もが完璧主義な気がする。

加えてその「完璧」が破綻した時の開放、まるで「憑き物が落ちたように」、どうでもよくなったりなど価値観や関わり方がガラリと変わるところまで、よくある。

 

・色鉛筆に話を戻せば、買ったときにはキレイに並んでいるわけで。
今回の完璧な目標の動機は、最初きれいに並んでいたからという「維持」に見える。

先程の保護ビニールの例も、消しゴムの角もそうだ。「キレイなものをキレイなままで」みたいな。そんな方針。
実際、子供にいくらかこの傾向は見られると思う。関心がない場合は容赦なく汚すが。

 

アフォーダンス

・めんどくさいんだよなこれ……。

環境が動物に対して与える「意味」や、人と物との「関係性」。

なんのこっちゃなので具体的に言えば、まぁ人とマグカップの取っ手の間には「手に持つ」というアフォーダンスが存在する、とかそういう概念。

「動物とモノの間に存在する関係性そのもの」。本当はもっと細かくて誤用があったりとややこしいのだが今回はこれで十分だろう。
起源はゲシュタルト心理学らしい。

 

・もちろんモノが語りかけてくるとか、なんか発してるとか、そういうスピリチュアルな話ではない。人が過去の経験則や知識などから直感的に「これはこう使う」「こう扱う」と思いつきやすいもの。

扉にノブがついてたら、とりあえず押すか引くかだろう。引き戸とは思わないし、シャッターとも思うまい。

ギャグ漫画的な「ボタンを見るととりあえず押してみたくなるキャラ」とかはボタンとのアフォードを形成している(用途を想起している)と言える。

 

・色鉛筆の話で言えば、「キレイに並んでいる」ということからそれを維持するようアフォードを受け取って/想起して、実行に移っていると解釈することもできるだろう。

(まぁアフォードは言い方が受動的というか、物の言いなりになってる感がしてあまり好きじゃないんだが)

この場合、やはり「見た瞬間にどう扱うか決めている」と言える。かなり直感的に。

交流分析の拮抗禁止令の一つである「完全であれ」というコマンドも、このアフォードに染まる原因になるだろう。

 

・完璧主義者は案件に「完璧であること」をアフォードされている/想起や投影しているといえる。

まぁ実際にはかってに思い浮かべてるんだが、「アフォードされている」と表現したほうが適切ではないかと思えるほどには半強制的にこの認知は行われている。

言い方を変えれば、完璧主義の人は、自分を「対象を完璧に維持/達成する者」として見ている。自分がそれを破るものであってはならないと。

どちらかといえば、この自己認識を前提としてモノを見るから「完璧」が思い浮かび、実行の義務が発生するのではないか。

つまり完璧主義の対象に対して思い浮かべる完璧な青写真は、認知レベルじゃないかと。思考ではなく。

 

推論のはしご

・認知から言動までの経緯を説明するモデルが有る。

推論のはしごと呼ばれるもので、大体は「こいつと会話が通じねぇ」という時にどこで認識が食い違ってるのか探るために言動から認知へ“逆算”するために使われるステップだ。

内容は以下。

Actions:行動/実行
Beliefs:信念
Conclusions:結論
Assumptions:仮定/思い込み
Interpreted Reality:解釈された現実
Selected Reality:事実を選択する
Reality and Facts:現実と事実がある

これは「気づいたら昇っている」状態から始まるものであり、“降りるためのハシゴ”だと思っていい。

なんか食い違いを感じた時、このハシゴを降りていき、どこで間違えたのか探る、みたいな。まぁ思考法、つまり昇るためにも使えそうだが。

 

・これを当てはめてみる。今回は下からやってみよう。つまり事実から行動へ昇っていく。結果が決まっているので出来レースだが。

Reality and Facts:現実と事実がある
・24色の色鉛筆が順番通りに並んでいる。

Selected Reality:事実を選択する(特定の部分への着目)
・24色の色鉛筆が「順番通りに」並んでいる。

Interpreted Reality:解釈された現実(過去の経験などから意味付けを行う)
・これは順番通りに並んでいるのが正しい形だ。

Assumptions:仮定/思い込み
・同上。ただしここで「方針」として決まる。

Conclusions:結論(行動のための意思/目的として)
・順番通りに並べ続けよう。

Beliefs:信念
・自分は立派に順番通りに並べ続ける(自分はそれができる/し続けている)。

Actions:行動/実行
・24色の色鉛筆を毎回順番通りに並べる。

以上のように、目標はピックアップの時点で決まってるように思える。
注目する場所が違うなら、例えば数に固執するなら「なくさないように大事にしよう」とかそっちに行くだろう。

 

・まぁどこかしら注目する必要はある。そうじゃないと情報量が多すぎ、方針も決まらないため、このようなフォーカスする工程は発生する。

逆を言えば、誰だって何かしらに拘る余地はある。損得、効率、完璧か否か、などなど。

これの厄介なところは、何かに注目するほどに他が目に入らなくなるため、切り替えがこの時点で既に困難なことだ。

 

・もう一度いうが、割とこんなこと思いつくのは普通だろう。子供ならなおさら。大体いつか破綻して、折り合いをつける。あるいは別の価値観と比べて、より良いものを選べるようになる。

ただ、一度も失敗せずに成功し続けてしまったら、大人になってもこのままかもしれない。

 

先程の推論のはしごの例、“信念”のところに小細工をした。

“これをやり続ける限り自分は立派だ”と感じるように。

まぁ、これだけに自分の価値を見出すようになってしまっては、よろしくないね。

自分へ対しての条件付き愛情、といったところか。

 

・完璧主義の目標設定自体は高くてもそれほど害はないという研究もある。

完璧主義で精神を病む場合、その原因はこのような高い目標設定が悪いのではなく、達成できなかった時の“自分への失望や攻撃”に問題があるとされている。

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