「金槌しか持っていなければ、全ての問題は釘に見えてくる」 ハンマー釘病

「金槌しか持っていなければ、全ての問題は釘に見えてくる」

ゴールデンハンマー(マズローのハンマー、道具の法則):一つの目的に作られた物を複数の用途に使用する行為についての確証バイアスの事。

心理学者のアブラハム・マズローは「興味深いことに、金槌しか道具を持っていない人は、何もかも釘であるかのように取り扱う。」と言ったことから。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E3%81%AE%E5%BC%BE%E4%B8%B8

 ゴールデンハンマー、マズローのハンマー、巷ではハンマー釘病とも呼ばれる。マズローの言が広まり、今では「米国の格言」として紹介されることもある。

 一つの解決法しか持っていない者は、それで全てを解決しようとする。日本語で端的に言えば「バカの一つ覚え」が妥当だろうか。

 ハンマーを使うために問題を釘とすることを含める。手段と目的の逆転。手段を実行するために、認知を歪める。

 医学、ITの分野でこのような専門知識でのゴリ押しな解決(を試みる行為)を懸念する声が見られる。

認知レベル

・自分が保持する解決法から「逆算」して問題の本質や状況認識を歪める傾向。問題が「釘」でないとハンマーは使えない。故に「これは釘である」と無理に決めつける。

・心理的な解釈もできる。怒るしか能がないから怒るべきものに見える。泣くしか能がないから泣くべきものに見える。恐れるしか能がないから怖いものに見える。

或いはすでにハンマーを振り下ろした後で、「これは釘だったから」と思い込もうとする。怒った後であいつが悪い、みたいな。

感情とは言動の方針であり、特に怒りは二次感情と言われ、要するに「手段」の一種だ。これもハンマー。

・もちろんそれしかできないわけでもないだろうが、このような「得意な(慣れ親しんだ)方法」で真っ先に解決を試みるヒューリスティクスというか、認知バイアスというか、そういったものはあるように感じられる。

動揺すればするほど、混乱すればするほど、人間はワンパターンになる。内容の個人差はかなり大きいが、その個人単位で見れば「こういう時にはこう動く」というのはかなり固定されている。

怒る奴は怒る。泣く奴は泣く。人のせいにする奴は人のせいにする。逃げる奴は逃げる。全部自分の責任とする者もいるし、論理的に分析する者もいる。「いつも」。

 特に成功体験はハンマーになりやすい。経験があるか、見たことくらいはあると思うが、ビギナーズラックで初めだけ好成績、後はそれを「再現」しようとして上手く行かず、成長しない、だとか。

これらも一種の「学習」であり、その方法を採用すべきかどうかの判断が間違っている状態だろう。とっさに動ける、というのは決して悪いことではないはずだが、それが不適切であったと気づけ無いままにハンマーを振り回し続けるのは避けたい。

・せめてももう一つ、なにか道具があればそこに「選択」が生まれる気がするが。取れる方法が一つしかない場合、選択肢は発生しない。この場合は結末まで止まらないことが多い。これは自分の言動に意識的に介入する余地が少ないことを示す。止まる余地はあるが、切り替える余地はない。切り替え先がないから。

「いつもこうなってしまう」、「いつもこうしてしまう」というような何かがある人は、そういった状態かもしれない。故に解決法として、それを抑えるだけではなく、「別のやり方を学び、採用する」方針も立てられるだろう。勉強。単に別パターンの解決の実例を知るだけでも良い。

・「その手段を使うべき」と思える情報がピックアップされるため(それ以外はグレーアウトする)、確証バイアス(思い込み、決めつけを強化・保証するような情報しか目に入らない)の一種ともされる。

・何れにせよ、「こうやって解決する」「こう対応する」と決めた上で物を見る傾向。決めたと言っても無意識レベルだが。
自分が「どんなつもりで物を見ているのか」には注意を払う必要があるだろう。決定自体は無意識に、速攻で行われるため、後から気づくことにしか期待できない。

・また、これらが嫌というほどよく分かるのは、「やらかした後」であり「気づけたはずだ」と思いやすいが、実際には無理であることも多い。その感情も後知恵バイアスなんて呼ばれる、答えを知ったあとで問題を見た時の状態だ。

利用可能性ヒューリスティクス

 バイアスの一つ。恐らく人間にとって、非常に身近なもの。ヒューリスティクスは精度が低いが答えが出るのが早い判断法とでも思えば大体合ってる。

心理学では思考や判断、認知の「近道」のことであり、速さと引き換えに精度が犠牲になる。ここまでは別にいい。元からそういうやり方なのだから。問題は時間があっても「近道」を通り、そのまま突き進もうとすること。

端的に言えば、「真っ先に思い浮かんだこと」を過大評価する判断・決定の傾向。
人間の意思決定は「思い出しやすい事柄」の影響を非常に受けること。

想起ヒューリスティックとも呼ばれる。

 ストレスが高まると注意の「範囲」は狭まるとする説がある(イースターブルックの法則)。緊張により慣れた方法=ハンマーに頼る傾向はあるだろう。

 ハンマー釘病は主に職業面での懸念が多いが、対人面でも懸念するべきだろう。ある感情を感じた時、同じ感情を抱いた別の記憶を思い出しやすくなる(感情状態依存記憶)。そのまま思考、判断を歪める材料となるかも知れない。

「ただ思い出しただけ」「ただ思いついただけ」は非常に多い。閃くことは大抵が連想であり、意思でも思考でもない。

 ハンマー釘病は「それしか知らないからそれを使おうとする」わけだが、利用可能性ヒューリスティクスを織り込んで見れば、厳密には大抵の場合は「その時、それしか思い浮かばなかった」だけだと考えられる。

それしか知らないとか、それしかできないわけでは、大体の場合は無いだろう。

加えて言えば、時間制限がない課題に対してこのような早計さが見られるのは、初めに思い浮かんだ時点で「これでいい」と思ってしまうからだろう。こうなればこれ以上可能性や手段を吟味する必要はなくなる。そのまますぐに「することモード」になり、実行に移す。考える時間がいくらあってもあまり意味はない。

見方によって印象は変わるものだが、第一印象自体が判断の核になってしまうことは、見方を固定することにつながる。今後の行動決定や判断材料として影響を与えるだろう。

ABC分析

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 三項随伴性とABC分析(心理学)
 自己目的的について:フロー状態

 一度「ハンマー」というイメージから離れて考えてみる。状態としては「目的のための手段」への執着、その理由は他が見えてないから。

状況Aだが、行動Bをすれば、結果Cになる、という状態。
AだがBすればCになるという認知。

ハンマー釘病は、行動Bの候補が1つしか無いからそれに拘るという話だった。つまり結果Cを望んだ形にするために行動Bを使うことは確定している。この時点で大分無理が出てくる。

「勝ちにこだわる」と言えばなんか勝ちそうだが、「勝ち方に拘る」だと逆にそれが原因で負けそうに見えてくるだろう。

 三項随伴性で考えれば、通常結果Cが目的を叶えなかった場合には行動Bは修正される(その行動の自発的頻度が下がる)。

実際ハンマー釘病と言っても、性格的特性により何度もやらかすというよりは単発的な「判断ミス」に長期的に気づかなかったという形の方が多いだろう。

やらかしたからそこには次は注意することは、大抵の場合は恐らくできる。組織的にインシデントの共有などの対策も取れる。だからこそ長引いている場合に「業界の病」としてハンマー釘病の話がでてきたりするが。

これはその個人、あるいは会社、あるいは業界がアイデンティティを持っているほどその手段に拘るということでもある。それ自体は良いんだが、駄目と分かってもまだ拘るとかだと問題がある。駄目だと認めないケースの方が多いかも知れない。

  もう一つ気になるのは、ハンマーを振り回すこと自体が目的の場合。字面がやべーが、単に覚えたことやってみたいとか、知ったこと話してみたいとか、その程度のものも含める。
ベタだがチンピラがわざとぶつかってから絡むなどの、行動欲求が先にありそのための目的を探している状態というものはある。

この場合も行動Bが先に確定している。行動そのものが目的であり、今回の「手段が目的」という話につながる。自己目的的。

加えてこの場合は状況Aの認識を意図的に歪める。行動Bをやってもいい、使い所だという理由として解釈する。最終的に結果C=欲求を満たすという形を目指しているため、成功するならエスカレートしやすい。こちらは性格の問題として出やすい。

メタハンマー

何でもかんでも馬鹿の一つ覚え扱いするという馬鹿の一つ覚え。こういうのも多いだろう。そもそも馬鹿の一つ覚えは必ずしも悪いことでもない。一芸に秀でるものは多芸に通ずという言もある。

最適解とは言えないまでも、取り回しが結構効く「無難な方法」はあるものだ。賢いことをやろうとするよりはやりなれた無難な選択を選んだほうが大体はリスクがないし。

正直、手持ちのハンマーで後腐れなくなんとかなるなら別に良いのでは。それを「最適解」とか「他に方法はない」とか宣うなら問題だが、ベストじゃなくベター程度のクオリティで解決するなら効率の問題程度で済む。それが気に食わないある意味潔癖症のような者がいるという問題も組織にはある。

 ともかく、マズローの指摘は「なんとかできてないのにハンマーにまだこだわる」とかそのレベルだろう。

話が悪いこだわりと良いこだわりみたいになってきた。

対処法

 正直やりやすい形で事が済み、後腐れもないなら別にそれでよくないかという気持ちはある。だが前述の通り、まず行動が確定しているため成功率そのものがそんなに高くない。結果、問題にはなりやすい。

また、もしも「これを解決するためにはこの方法しかない」と思い込むのなら、暴走する可能性もある。

 何が問題と言えば、結果を迎えるまでフィードバックが一切ないことだ。「放たれた矢」の様に結果まで突き進もうとすること。仮に適切な方法でも、度が過ぎて失敗ということはある。そちら側の危険性も高いかも知れない。

裏を返せば、途中でおかしいと思って路線変更できればそれで済む。良いこだわりと悪いこだわりの違いはここだろう。

 PDCAならCheck、OODAループならObserveと、確認や観察という要素は行動理論には含まれる。これは目標や方針の再確認や修正の余地でもある。

一方でハンマー釘病を初めとして、思い込みが激しいとか頑固とか言われるような状態では修正しない。当たり前ではある。修正するなら「柔軟」であり、頑固ではないのだから。これをやらないからこそ問題となる。

なぜやらないのか、と言えばその道を選んだ自覚が無いからだろう。前述の通りこの状態になるのはそれを行うと一番最初に決まっているか、一瞬で決まったかであり、かなり自覚が難しい。選んだつもりがないから、一本道を進んでいるような気分でいる。分かれ道はとっくに通り過ぎた。目に入らないまま。

 特に目新しい話ではないが、長期的な計画での話なら、その確認と見直しを定期的にやることはハンマー釘病の予防となるだろう。

一方で認知や感情レベルの話となると(例えばまず怒鳴る、まず怒るなど)、ちょっと根が深いが。

メモ

 応用が効く「ハンマー」も当然探せばあるだろう。それどころか全く違う分野をハンマーでぶっ叩くのが有効なこともある。

例えば自動車のエアバッグ。以前はコストが高すぎ、高級車にしか搭載されていなかった。一般レベルに普及したことにはアメリカのブリード社が貢献している。

この会社がある技術をメーカーに持ち込み、結果低コストでのエアバッグが普及するようになったのだが、ではそれは何についての技術だったか。手榴弾だ。

ブリード社は手榴弾を作っており、その技術でエアバッグができると自動車メーカーに持ち込んだ。

一見畑違いにも程があるが、よくよく考えてみれば、平時の安定性と必要な時に機能を果たすことを厳しく求められそうなものだな。手榴弾だし。エアバッグに求める要素に通ずる知識を持っていると考えることはできる。

まぁ「こんにちは! 手榴弾を作っている会社の者ですが、御社に役立つ情報を持ってきました!」みたいなことを言ってくるセールスマンが突然くるわけで、クライスラーやフォードなどの大手には門前払いされたらしいが(当時大手はエアバッグの自社開発に拘った説もある)。拾ったのはトヨタ。

別の話では産後うつが挙げられるだろう。人間の医者が産後うつの存在に気づいた時、獣医はとっくに馬にそのような症状があり、何を投薬すればそれが収まるかを知っていた、なんて話がある。

これらは元の持ち主にとっては使い慣れたハンマーであるが、もう一方にとってはブレイクスルーとなった。

では誰もが、自分のハンマーよりも、その場に用意されたなんかそれっぽい道具しか使っちゃいけないと思ったら、どうなるか。これは他業種のプロがその業種の初心者に成り下がることを意味する。アドバイザーにはなれないだろう。

 この様に、「適切」に拘る必要があるかどうかも正直断言できない所がある。それはそれで象牙の塔となる。ハンマー釘病を極端に避けようとすると、自分の長所を伸ばす機会も活かす機会も恐らく失う。

ただし「別分野の方法や知識を試したり探してみる」ことと、「これで解決できるはずだと思い込んでゴリ押ししようとする」では流石に違う。

逆を言えば、ダメそうだったらさっさと対応するなり別の方法を探すことができるのなら、「初手」としては使い慣れたハンマーをまず試してみるのは悪くないと考える。自分のハンマーを「活かす」ことを考えるのは、多分悪いことじゃない。まぁ余裕があるときになら。

 芯のある柔軟性と言うと、D-OODAループになるか。

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