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褒めて伸ばす 人を伸ばす人、人を枯らす人。

投稿日:2020年5月16日 更新日:

・褒めて伸ばすと言っても2種類ある。一つは特定のスキルを伸ばすこと。もう一つはベースとなる自己効力感を伸ばすこと。自分にそれができるという感覚。特に後者について。

褒めて伸ばす方が好かれはするだろう。じゃあ実際に褒めて伸びるかどうか。まぁ伸びるらしいんだけど。

どこを褒めるかも重要だ。場合によっては逆効果。

 

動機づけ

・行動を始発させ、目標に向かって維持・調整する過程・機能。とwikiではされている。モチベーションのことだね。だが「動機づけ」とわざわざ呼ぶ場合、他者が当人に「動機を与える」またはそれを強化する意味合いが強い。実際には他者が与えられる動機づけは殆どないのだが。

大別して3種類ある。

達成動機づけ

・マレーは「人は独力で高水準の目標を達成しようとする欲求がある」とした。

アトキンソンはそれに加え周囲の期待や価値観が影響を与えるとした。これにより成功や失敗の価値が変わると。

 

・「ゴールが目標、ただし自力で」という欲求。

 

内発的動機づけ

・好奇心や関心によってもたらされる。賞罰に依存しない。わかりやすく言えばやること自体に、経験すること自体に意味がある。

これはフロー状態になりやすい「自己目的的」な動機であり、他者を必要としていない。時に褒めることすら邪魔になる。

よくある「できたらご褒美」ですらマイナスになり得る。内発的な動機で自分から行動しているものに報酬=外発的動機を付与するとやる気が無くなることがある。アンダーマイニング効果と呼ばれる。

反対にそれでやる気を出すのをエンハンシング効果と呼ぶが、これはその次もその次も報酬が約束されないのなら前以上にやる気を失うこともある。どうも内発的動機は一度死んだら復活しづらいようだ。

 

外発的動機づけ

・義務、賞罰、強制によってその者を動かすこと。アメもムチも外発的動機づけってことになる。他人が安直にやるとしたらこれしかないわけだが……。

 

・まず当人自身が外発的動機づけを得ることから。例えば「テストで100点取りたい」は内発的動機でいいが、「テストで100点取って褒められたい」だと外発的動機づけだ。要するに「ゴール」が他者の場合。

この場合100点取ったという理由で他者に褒められることがゴールであり、100点取れても褒めてもらえなかったらゴールじゃない。この違い。昇進とかもそうだね。他人に認めて貰う必要がある。

意外と同じもの目指しているつもりでも、ゴールがこの様に違うことがある。「やり遂げたら満足」か「褒められる所がゴール」か。まぁ性分もあるからいいんだけど、自分のモチベーションがどこから来ているかは把握しておいたほうが良いだろう。再現しやすくなるし。

 

・他人が外発的動機づけを狙うと基本嫌われる。達成動機、内発動機を見れば分かるが、そもそもモチベーションとは「自分がやりたいから」というのが大きい。それ以外は提案すら不快に感じることもある。

 

・人間は自分を「操作」しようとする者を根本的に嫌う。

目の前に餌をちらつかされてもうざいし、それが誘導目的なのが丸わかりならバカにしてんのかと思われてもしょうがない。

 

・義務、罰、強制についてはまぁ嫌われるのは当然だ(不要だとは言っていない)。面白いことにこれらは「短期的には効果がある」という話が多い。もちろん長期的には逆効果だ。後述するが、「自主性」はどんどん死んでいく。だってこれ、「決められたことをやれ、他は許さない」だし。度が過ぎれば自発的行動その物を押さえつけることになる。

 

ちなみにwikiにはこう書いてある。

強制された外発的動機づけが最も自発性が低い典型的な外発的動機づけであるが、自己の価値観や人生目標と一致している場合は自律性が高まった外発的動機づけと考えられる。
外発的動機づけは内発的動機づけと両立しうるものであり、また自律性の高い外発的動機づけは内発的動機づけとほぼ同様の行動が見られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/動機づけ

 

はいまぁ強制ってうんこだねと。で、何が「強制」となるかといえば、当人が望んでいないことを、無理矢理に、ということだ。引用にもあるだろう、自身の価値観や目標と一致している場合はなんかいい感じって。

つまり、外発的動機づけの効果ですら当人の価値観との相性が大きい。モチベーションは内側から沸くのだということを再確認できる。

「褒めて伸ばす」で考えれば、ここがポイントになるだろう。判で押したような対応は意味はなく、相手を知らなければ始まらず、これはコーチングやカウンセリングに近い。

ただ、当然ながら自由に値しないというか、例えば常識がない上で衝動的な人間とかだったら押さえまくる必要はあるだろう。ほぼ犯罪者予備軍だし。反対に推奨されるような物事でも押し付け具合では反発は生まれる。

 

自己効力感を伸ばすことを起点として見れば、実際の当人の行動範囲は内発的欲求と「周囲の目」のバランスで成り立っていると考えることができる。

「褒めて伸ばす」とは他者が影響を与えようとする行為であり、当人の内発的欲求を高めるか、当人が意識する「周囲の目」を適切に調整するか(認める、阻害しないなど)になる。

 

どこを/なにを褒めるか

・受け手がどのように認識するか考えること。基本的に「やったこと」。だから能力よりも努力を褒めたほうがいい。

テストで同じ100点をとったにしても、100点を取った事実を褒めた場合、価値があるのは「100点」であり、その者ではない。

100点を取るまで勉強した=努力したことを褒めた場合、価値があるのは勉強した自分、努力を継続できた自分、工夫した自分、やり遂げた自分、達成した自分などになる。

 

・もっと簡単に言ってしまえば、相手の着てる服を褒めるのと、その服を選んだセンスを褒めるのとの違い。

前者は褒められてるのは服だね。褒められてるの作った人とかだね。
後者はその服選んだ人だね。どっちが自信とかつくだろうね。どっちがもっと能力を伸ばそう、磨こうと思うだろうねって話。

 

・「褒めたあとで何を自主的な目的とするようになるか」という話だ。これはかなり慎重を要する。そもそも思ったとおりに受け取られないかもしれないというのもある。

目的達成以外は考えなくなる傾向が人間にはちょっとあり、目的の立て方次第では問題が出る。テストの話で言えば、100点を取るのが目的の場合は事前に答案用紙を盗んだりカンニングしたりすることは候補に上がる。極端な例、でもない。大人が、仕事で、こういった目的「だけ」果たすような真似をしている例はある。

 

褒められて満足して終わる

・褒められるというのはある種の快楽に属する。他者や社会に認められるという優位性の獲得や安堵に繋がる。またはそれらの「保証」となる。
だが「褒めて伸ばす」のが目的の場合、ただ快楽を与えるだけでは意味がない。帰属先は褒められた者にとっての「やったこと」でなくてはならない。それを伸ばしたいのだから。

それっぽく言えば、褒められる側にとっては「報酬」だが、褒める側に取っては「動機づけ」である必要がある。相手が「次もこうしよう」「これからもこうあろう」あるいは「次はもっと」と思わなければ失敗ってことになる。

まぁここらへんは思うことが在って、まず「このままでいいんだ」と思う必要があるような子もいるのだけど。

 

・他者に認められた部分が「能力」の場合、よくある「その気になればできる」と思いながら何もせず、実際にも何もできない結末にもなりかねない。

「能力」って言ってしまうと永続的な、失くしようがないものとのイメージを持たれる。反面「得ようもないもの」という認識も持たれているな。「才能」って言葉が代表格だろう。個人的に思うが、才能って身につけられるぞ。アレただのメタ知識的ベースの有無だろ。
ともかくそんなわけで、「能力がある」って安心しすぎてしまいやすい。

だから褒める「ポイント選び」を間違えた場合、「褒めて伸ばそうと思って相手を枯らす人」という色々と残念な結果になりかねない。

 

・ただしこれは褒められた側がそれをどこに帰属させるかということでもある。

例えば勉強を頑張ったことを褒めても、当人がその「成果」が褒められたと認識すれば、望んだ通りの伝わり方はしなかったことになる。

また勉強中にそれを褒めたところで、「成果を出すことを期待されている」と思われてはやはり伝わっていないことになる。

裏を返せば相手がどんなつもりであれ、自分の受け取り方で糧にはできるということだが。まぁやりやすい/やりにくいはあるけどね。

 

即時フィードバック

・人間の学習において、即時フィードバック、即ちすぐに反応があることは影響が大きい。「手応え」と言えばわかりやすいか。これは成果もそうだし、周囲のリアクションもそうだし、もちろん「褒められること」というのもフィードバックの一つだ。

「やったことを褒めるべきだ」というのはここから来ている。結構人間単純で、何やって褒められたか、というような因果関係で物を覚えやすい。

それが「100点の答案を見せて褒められた」と
「100点を取れるほど勉強したことを褒められた」では大きく違ってくる。

褒められたと認識することは、そのままその対象に経験値が入り、レベルアップすると思っていい。
これはそのまま「100点を取る動機づけ」になるか「勉強自体への動機づけ」になるかの違いになる。前者は「100点を取れそうなテスト」を望むだろう。それは成長じゃない。

要するに、褒める場所間違えると捻れて伸びる。まぁ今回の話だと褒められる側が受動的に過ぎるんだが。

 

アグレッシブに褒めすぎて腐らせる

・褒めるのは「自発的行動」に対してのフィードバックでなければならない。見ず知らずの人間にいきなり容姿をべた褒めされたらむしろキモいだろう。特に頑張ってもいないことに対して褒められてもこれまたあんまり嬉しくない。

あくまでも自発的行動に対しての「正当な評価」としてのフィードバックが求められるわけだ。人間が抱えるよくある神話だが、「努力が報われた」という形が一番いい。
報われたというのはもちろん何かしらの結果を出した地点となるが、そこに立っていることではなく、そこまで歩んだことを評価する。

 

・べた褒めというか、なんかもう必死で褒めるようなのもいるわけだが、「実力」の領域に踏み出したのに依怙贔屓なんてされたくないわけさ。それは偽金を渡されるような感覚になる。ダメ出しも要らないだろうけどな。

この場合、そもそもフィードバックの体を成していないことも多い。ろくに見てなくても言えるような、無難な誰にでも当てはまるような褒め方。

過剰に褒める人はまぁ、自分から頑張ってる人にしてやれることなんてそんなにないし、下手したら逆効果になることの方が多いということは知っておくべきだろう。

 

・褒めて裏目に出ることの大抵の理由は愛情だ。それ故にしつこい。
植物育てた事があるなら分かると思うが、毎日たっぷりと水をやったら大体は根が腐る。肥料をたっぷりとくれてやったら虫が湧くか、臭い。どの道枯れる。
そういうものだ。適切でなくてはならない。料理に似ているかもな。まぁ素材を知らないと話が始まらないが。

 

 

・さっき「見ず知らずの人間にいきなり容姿をべた褒めされたらむしろキモいだろう」と言ったわけだが、もう1つ理由がある。相手が見ず知らずの他人だからだ。

相手に対しての信頼感と安心感を臨床心理学でラポールと呼ぶ。これは二者の間にあるもので、「ラポールを形成/構築する」なんて使われ方をする。

要するに、褒められても「受け入れられない相手」という立ち位置はあるし、この場合褒めても警戒心が育つだけだ。

 

・信頼関係は、相手をどこまで受け入れるかという距離感に繋がる。褒めるということは相手をよく見ているというメッセージであり、見ず知らずの他人にガン見されたりしたら当然キモいし、内面を褒められたところで「ストーカー?」とか思われても仕方ない。

距離感についてはパーソナルスペースという概念がある。物理的な距離感を示すが、心理的な距離感を含めて使われることも多い。

心理的な分野ならポライトネス(他者の自己決定権、他者評価の欲求などを侵害しないように行う言語的な配慮)という分野で「フェイス」という概念もある。馴れ馴れしい人というのは、この内他者の侵入を許したくないという領域=ネガティブフェイスの侵害になる。
まぁこの考えは、基本交流を持とうとすると何やっても他者の領域を侵害することになる。その上でどうやって丸く収めるかとかそういった方針の話だ。ちょっと後述する。

 

 

・人間不信とか対人恐怖症とかは、他者とラポールを形成しづらい。彼/彼女たちが褒められても社交辞令だと思ったり、何か狙いがあるのかと思ったりするのは、これが原因だろう。まぁ社交辞令だったり何か狙いがある奴も実際いるんだが。

これは仲良くなりたい側からしてみれば「拒絶」に見えてしまったりして、もったいないかもね。

 

・前述の受け手が「どこを褒められたと感じるか」という話も、

 

・よくあるのが上司が仕事で褒めてるパターン。褒める側が、そんなに仲良くないと思ってたらまぁアレだ。あれは操作性を感じさせること多い。「操ろうとしている」感覚。わざとらしかったり、大げさだったりすると尚更疑わしくなる。

アメとムチが心情なら尚更だ。さっきまであんなに怒ってたくせに都合のいい、とか思われたりね。防衛反応が働くわけだ。

 

・後は褒める時に相手が大喜びすることを期待してるタイプ。相手が「はぁ、そうすか」みたいなリアクションだとしつこくなる。しつこいと、疑わしい。

 

・つまりは信頼が実際にないか、なんか怪しいか。まぁなんというか、「さり気なく褒める練習」をしたほうが良いと思われる。あと日頃の言動。

 

どのように褒めるか考えてみる

・フェイス関連で、ポライトネス・ストラテジーという方針がある。5段階あり、

  1. あからさまに言う
  2. 相手の認められたい欲求に配慮する
  3. 相手の踏み込まれたくない欲求に配慮する
  4. ほのめかす
  5. やめとく

の5つがある。基本、下であるほど問題にならない。褒めることに適用するなら、

  1. 自分が思ったとおりに褒める
  2. 相手が認められたい部分を褒める
  3. 相手が自分に褒められて喜ぶかどうか考えてみる
  4. さり気なく褒める/人づてに褒める
  5. やめとく

などになるだろうか。3はアレだな。人によっては凹みそうだな。まぁ別にスキップして4に飛んでも良いと思うが。

 

・これは褒めるだけではなく、人に苦言を呈する時にも、何だったら話しかける時にも使えると言えば使える。

 

毒親と学習性無力感

・一方で気を使わせ、萎縮させ、自主性を殺し、「言うことを聞くいい子」にすることが目的である者もいる。

褒めて伸ばすというのは大体はオペラント条件づけの「強化」の考えに基づいており、その者が元から持ってるものを認め、そして伸ばすという形に落ち着きやすい。

過干渉かつ監視型の親の場合はその時点で「意識させる/気を使わせる」形になるため、萎縮が起きやすい。つまり本来伸ばすべき「望ましい自主的な行動」がまず起きない。ご機嫌伺いをさせてるんだから当たり前だろう。

もちろん学習自体はするから、監視者の気にいるような行動を自主的には取るだろう。それが褒めることに見えるだろう。
ただしこれは「支配と隷属」の強化であり、自主性の強化ではない。永遠に支配するつもりがないのなら、まぁ自主性に注目して育てていったほうがいいんじゃないのか。これからは。

「言われなきゃやらない」というのはそいつのせいで萎縮しているせいだというケースも有る。まぁ本気で忘れてるのもいるだろうけどね。

 

毒親界隈で使われている概念に「呪い」というものがある。上記のような教育のフリした強制/矯正により身についた精神的悪癖を指す事が多い。ネガティブだとか、消極的だとか、自己否定感が強いだとか、誰にも必要とされていない感覚だとか。

あるいは親に言葉のサンドバッグにされすぎて自主性がほとんどへし折れているだとか。あんたは昔っからグズで気が利かなくて要領も悪いし愛想も悪いしなんたらかんたらとかを日常的に浴びせかけられるだとか。

(ちなみにこのような「気が利かない系」フレーズ、できるべきなのにできない奴という扱いをしている。自分が嫌われたり怖がられたりして相手がそのような態度をとっている/そうなっている可能性を一切含んでいない。よくいるブサイクなナルシストの例)

まぁ、伸びるわけがねーな。褒めてないし。踏みつけてんだから当然枯れる。

 

・これをオペラント条件付けで考えてみると興味深く、上記のようなサンドバック状態とは「何もしてないのに罰を受ける」という状態だとする。オペラント条件付けで罰は嫌子と呼ばれ、自主的な行動を抑制するようになる。

普通に考えれば抑制する対象がないはずなのだが、「いるだけで怒られる」のは「存在という行動」に対しての罰だと脳が解釈しても不思議じゃない。理不尽に対して人は何かしらの結論を求める。そりゃ自己否定感強まるな。

 

・一方で、自主的に何かをやりはしたものの、肯定的フィードバックが得られず心が折れる、ということもある。学習性無力感と言い、自分はそれに対して無力であると学習してしまった状態。積極性は出づらい。

こう言った状態の者に対しては、大抵褒めるというよりは「応援」を思いつくわけだが。しかしただ「頑張れ」というのは、全く面識のない赤の他人でも言えるし、何も考えてなくても言えるし、なんだったら社交辞令でも言えるわけだ。というかとっくに社交辞令化している言葉な気がするが。それよりは、できている部分ややったことを「認める」即ち褒めるという方が有効な気がするな。

 

・オペラント条件づけは長期的な目線であることは否めない。だからこそ親や教師は心得たほうが良いと思うが、上司と部下の関係だと微妙になってくる。仕事できなきゃしょうがない。ただ、「腐らせない対応」としてある程度心得たほうがやっぱりいいのではないだろうか。

 

褒めたくない人

・褒める側が「褒めたくない気持ち」を持っていることがある。

  • 褒めることが報酬であると思っており、お高く止まって出し惜しみするタイプ。
  • 褒めることがゴールであると思っており、褒めたらそれ以上の努力をしないと思っているタイプ。
  • 褒められることなんてめったに無いと思っており、褒めることは「甘やかし」だと思っているタイプ。

ちと細かい話になるが、「」というのと「称賛」とをしっかり区別した方がいいだろう。別に褒めることに賞状もトロフィーも宴会もいらん。極端に言ってしまえば褒めるとは、その者のよろしい部分を「自分は認識していると伝える」だけでいいわけで。称賛とは規模が全く違う。

あとは称賛は成果、褒めるのは態度や行動に対してってイメージが個人的にはあるね。

 

・褒められる側に対して「こいつどれだけすごくても褒めたくね―な」と思うこともある。

まぁ当人から見てそいつが人としてアレだというのも大きな要素ではある。関わりたくないからね。この場合は。

一方で実際に褒められること自体がゴールであり「褒められたら卒業」、という認識を持つ者もいる。この場合は教育方針として「あまり褒めないで課題を提示しつづけたほうが良いタイプか」と思われてもまぁしょうがない。

もう1つはものすごく調子に乗る奴。
競争主義で、勝ち負けを常に意識しており、褒められた=認められることは「負けを認めた」と解釈して調子こく。または世界で一番であるかのように調子こく。どの道調子こくタイプ。チンパン脳。これは褒めた側が後悔する。次は褒めてもらえない。

まぁどちらも子供に多いが、大人なんて面の皮が厚い子供だからな。大人でもいる。







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