フロー状態 集中力

フロー状態について

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フロー状態とは

フロー状態概要

 

(英: Flow) とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。

ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)

・えらく雑に「集中力が高い脳の状態」とも言われることがある。

・「没頭」の状態。「我を忘れて夢中になっている」「時間を忘れて集中している」状態。
かと言って体育会系な賑やかなものとは限らず、「静かな集中」を含める。というかそういった静かで強い集中状態として言われることも多い。

身近な例えをするのなら、新しいゲームを始めて気づいたら数時間経っていただとか、昼過ぎから本を読み始めて気づいたら日が暮れていただとか。

・フロー状態で重要な要素は、「その行動と一体化している」という感覚。上記の例えで言えば「我を忘れて」「時間を忘れて」という部分。

Csikszentmihalyiにより提唱されたフロー理論は,人間がフロー(Flow)という体験を通してより複雑な能力や技能を持った人間へと成長していく過程を理論化した「人間発達のモデル」であり,「モティベーションの理論」である。

Csikszentmihalyiは,「全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚」を “” と定義している(Csikszentmihalyi,1975)。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190325064205.pdf?id=ART0010074322

・Csikszentmihalyi=チクセントミハイ。健康な人がより良く生きるためには、というポジティブ心理学の人。

彼は「人が最も楽しい時、どの様に感じているのか」を調べるため調査面接を行った。

面接対象者の多くが体験を語る時に「流れているような感じだった」「流れに運ばれた」と表現したため、この体験を流れ=(flow)と名付た。

 

いったんフローに入ればきわめて集中した状態になり、活動に没入できる。意識と動作が一体化し、自動的に動いているかのように感じる。

それでいて突然の変化にも反応することができ、それが功を奏した場合は心の底からの喜びがもたらされる。

https://tocana.jp/2018/11/post_18665_entry.html

 

弓道では、達人の域になると「的が自身と一体化する」感覚になるそうだ。

遠くにある小さな的が、まるでもう目の前に大きくあるように見え、さらには既に的に矢が刺さっているという、未来が「今」生じている感覚から、矢を放つのだとか。

だから、矢が的を外すことなどありえない、そういう確信の中、自然体で弓から矢を放つという。
これもまた達人が、ゾーンに入った状態である。

https://www.yaruken.com/flow1/

・後述するが、ゾーンとフロー状態は同じものとして扱われることが多い。

 

フローに入ればパフォーマンスが上がる

彼はフロー状態を「ある活動に熱中していて、他のことが重要だと思えない状態」と定義し、その特徴に「自我の消失」「時間の速度が速い」「行動の連続性と不可避性」そして「それに対する没頭」をあげている。

そして、身体、心理、知力、社会性、創造力、意思決定力のスキルが最高度の高まった状態になる、としている。
https://www.yaruken.com/flow1/

 

「フロー」を学際的に研究しているシンギュラリティ・ユニバーシティのFlow Genome Projectによれば、フロー状態に入ることで、

・創造性・課題解決能力は4倍になる

・新しいスキルの学習スピードが2倍速になる

・モチベーションを高める5つの脳内物質(ノルアドレナリン、ドーパミン、エンドルフィン、アナンダミド、オキシトシン)が放出される

・痛みや疲労を感じなくなる

としています。辛い辛いと感じながら長時間働いていては疲れますが、フロー状態に入ることで「疲れずに」「短時間で」「高いアウトプット」を得られるようになるのです。

https://zuuonline.com/archives/185319

・フロー状態に限らず「集中力」に求めるものは大概これだろう。パフォーマンスの上昇。効率は圧倒的に上がる。

・一方で、一度フロー状態が途切れてしまうと、戻るのに少々時間がかかる。邪魔は入らないに越したことはないだろう。

いったんフロー状態が途切れると、戻るには最短でも15分間かかることもわかっています。

これは皆さんも経験的におわかりだと思います。せっかく「ノって」仕事をしているのに、別の仕事を言いつけられてリズムを崩されるということはよくあります。

プログラマーなどをはじめとした現代の知識労働者は、1日のうち30~50%は邪魔の入らない時間を持つことが理想だとされています。

https://zuuonline.com/archives/185319

 

マイクロフロー

・かなり「特殊な集中状態」に思われるかもしれないが、日常的な「小さなフロー状態」も存在する。

チクセントミハイは、自身が「マイクロフロー」と呼んでいる、日常的な浅いフローの存在も説明しています【註1】。

考えごと、テレビ番組の視聴、音楽鑑賞、読書、たあいもない会話、いたずら書き、喫煙、ウインドウショッピングなどの活動は、チャレンジ性が低く高いスキルも必要としませんが、人によっては楽しく感じ、フローが生じるようです。

https://biz-journal.jp/2017/06/post_19329.html

・これらもフロー状態として数えられる。

・入りやすい条件があり、「自らが積極的に行動する」タイプの行動では入りやすい。
逆に、上記引用の例に挙げられているようなテレビ視聴などの「受動的な活動」では比較的フロー状態は体験しにくいとされている。

後述するが、これは「自己目的的かどうか」が関係している。

フローとゾーン

・フロー状態はスポーツ心理学で言う所の「ゾーン」や「至高体験(ピークエクスペリエンス)」と同じ意味として使われている事が多い。例えば上記のように「フロー状態とはゾーンの別名である」とされるなど。

だが、アスリートとオフィスワーカーではやることが違う。集中の度合いも違うし、求められる集中の継続期間もだ。また、フロー状態はチェスプレイヤーでも入ることが確認されている(インドアな行為)。

加えてチクセントミハイ自身もチェス、絵画を描くことに対してのフロー体験を経験している。前述のマイクロフローも含めて「あらゆることでフロー状態になる可能性がある」と言えるだろう。

フロー状態はゾーンや至高体験と同系統であるが、より広義であると考えられる。アスリートが集中するのは、その競技中や練習中であり、比較的メリハリがあり、その分集中は強く、そして短い。毎日数時間、継続した集中状態が欲しいオフィスワーカーとは違う。

・フローの提唱者、チクセントミハイがアスリートを対象にフロー状態の調査をしたこともあるため、ゾーンの要素はフロー状態として再取り込みされている可能性がある。

・少なくともここでは、スポーツ的と言うよりは、日常にありえる行為でのフロー状態についてまとめる。スポーツ的な集中について調べたいなら「ゾーン」として調べたほうが良いだろう。あちらはあちらで研究されていたはずだ。

フロー状態への入り方

集中の阻害要因

・フロー状態の入り方だが、まずフロー状態に入ることを「邪魔するものは何か?」からにする。

好きなことやってたら時間を忘れて夢中になってた、というのは子供の頃ならよくある経験だろう。集中状態だね。

つまりは集中するのは比較的「自然体」であるとするなら、成長するに連れ「集中力がなくなってくる」ことになる。

 

また,Csikszentmihalyi & Nakamura(2001)は,オートテリックなアメリカの若者グループの方がノンオートテリックなグループより平均して幸福感が高く,より優れたフロー体験を持つことやオートテリック・パーソナリティな人々はフロー体験時にストレス,緊張,欲求不満をそれほど感じないのに対し,ノンオートテリックな人々はその逆の傾向を示すことが報告されたと記している。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190325064205.pdf?id=ART0010074322

・オートテリックは後述する。ここで注目すべきはノンオートテリックな人々=大抵の平均的価値観の人はフロー状態に対してストレス、緊張、欲求不満を感じる傾向があるということだ。

フロー状態は「充実して物事に取り組んでいる」ことだと言える。その状況でこの感情は不釣り合いだろう。

そしてこれは珍しい話ではない。休日や休憩時間に罪悪感や焦燥を感じる、効率、時間を常に考えて動くのが常になっている人間などから見れば(これらはフロー状態とは真逆の価値観だ)、フロー状態を始めとした集中状態自体が「非日常」である。

これらは成長とともに獲得した何らかが、私達から「」を遠ざけているとも考えられる。

 

弓道では、的に当てるため、矢の放れを執拗に習得しようと念ずると、ますます中あたりから遠のいていく。

射手が「あまりにも意志的な意志をもっていること」が、彼の心身の障害になってしまうと考えられている。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

・はいつまり理性的な意識が邪魔。

冗談抜きで、「夢中になる能力」が大人より子供のほうが上なのもこれで説明がつく。

理性的な意識で普段何をしているか? 社会性の維持だろう。時間を守る、期日を守る、順番を守る、約束を守る、規則を守る、etc。子供は大人ほどにはこれらを守らない。知識や性格だけの問題とは限らず、社会性を完全には「獲得」していない状態。

大人になるに連れ、子供の時のような集中力が失われることは事実だろう。だがこれは見方を変えれば集中「してしまう」ことがデフォルトで、大人は後天的に「社会性=周りをある程度気にして適応するため集中しすぎない能力」を獲得しているのではないか。

・特に私達は期日、期限に依って予定を意識する。「次の予定」は大体は常に頭にあるといってもいい。人に依っては厳密ではないが、人はスケジュールに沿って行動する。我々にとって現在時刻とはすなわち「Xまで後どれだけの時間か」或いは「今やっていることの残り時間」を割り出すための基準である。

どちらも「次の行動に備えて」だろう。
このためにはそもそも「時間を忘れて没頭する訳にはいかない」。
ある程度は現状の周囲への注意力と、スケジュールに対しての意識は必要だからだ。
こうやっていつも「次」を考えているから、「今」に没頭できない。
だから逆にそれができた時には、こう表される。「『時間を忘れて』没頭していた」と。

「集中したおかげで一つの仕事が素晴らしい仕上がりになりました。おかげで急ぎの仕事2つが間に合いませんでした」じゃいかんだろ。この問題が露骨に出るのが「」だ。

過集中とフロー状態の違いは最低限の周囲への注意力は残されることだ。非常に都合のいい集中状態。脳内リソースの全てが適切に分配されているかのような。このため実際には「フロー状態なら」、過集中のような「時間的失敗」は起こらないとも言える。「ただの集中」ならその限りではない。

・つまりは集中する=時間を忘れる=危険である、との認識は別におかしくない。大抵の人間がフロー状態に不安やストレスを感じたとしても同様に不思議はない。

すなわち、フロー状態に入ろうとする前にタイマーをセットするなり、没頭しても構わない時間を確保するなり、或いはいくら時間を注いでも問題のない事柄を選ぶなりはしておいたほうが良い。フロー状態に入れば確かにパフォーマンスは上がるが、「スケジュール実行能力」自体はフェードアウトする。1つのことに夢中になっている状態だからね。

ポモドーロテクニックユージンの33分33秒など、集中法と言えばまず「時間を設定する」ことが視野に入るのは、「その間までは余計なことを気にする必要はない」からだろう。フロー状態に入りたいのなら計画的に時間を忘れる必要がある。

まぁ現実には集中状態になろうと思ってもなかなかなれないものだが、上記の理由からこれはむしろ「ありがたい」。ある意味この普段は極度の集中状態にはなれないという「能力」は、人の予定実行能力が損なわれないための「安全装置」として働いている。

・大人にとっての集中とは、無意識的に働いている数々の「安全装置」を、外していい時に外すことに他ならない。

・以上から、フロー状態は「管理された集中力」とも言えるかもしれない。社会性は維持されるからね。

フローの構成要素

チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。

明確な目的(予想と法則が認識できる)

専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)

自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。

時間感覚のゆがみ – 時間への我々の主体的な経験の変更

直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)

能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)

状況や活動を自分で制御している感覚。

活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。

フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)

明確な目的

・何やったらいいかの逡巡は邪魔になる。迷う必要がない状態。

専念と集中

・気を散らさずに注意を向け続けられる対象がある。それが邪魔されない環境がある。

自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合

・私達の意識は普段「自我」が強い状態である。

自我はセルフ1とも呼ばれ、自身を叱咤激励したりダメ出ししたりしてしっかりやらせようとする傾向がある。大抵これはやりすぎで裏目に出る。そんなセルフ1が大人しくしている状態。

 

時間間隔の歪み

・フロー状態における時間の歪みは、大体が「時間がゆっくりと流れているように感じる」+「あっという間に時間が過ぎていた」の矛盾した2つ。

フィードバック(直接的で即座の反応)

・手応えを感じられること。自分がやったことの反応が即座に確認できること。

能力と難易度のバランス

・難易度が高ければ緊張し、低ければ退屈すると言われている。フロー状態はその中間、全力を果たすが緊張はしていない心境から生まれる。

・ゲームにおけるフロー状態の実験として面白いものがある。

参照:https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=110394&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1

これによると難易度が被験者の実力と同等のゲームは「面白い」と感じた。それと同じくらい難易度が実力を上回る=難しい状態も「面白い」とする人がいた。

逆に一番「面白い」とする声が少なかったのは難易度が実力を下回る=簡単なゲームだったという。思いの外「退屈」は物事をつまらなくさせるのだろう。

以上から難易度は少し高めが良いと考えられる。

状況や活動への制御感覚

・自分は駒ではなくプレイヤーであると感じられること。このため「やらされてる感」があるとフロー状態には入りづらい。だが皆無でもない。

・後述する「自己目的的」な動機であること。

活動に本質的な価値がある

・行為そのものが目的の状態。このため行為そのものと一体化できる。その分結果は意識しない。これも「自己目的的」のセクションで後述する。

 

好き嫌いは問わない

フロー経験は、遊び場面において生じやすい現象であるとされる一方、外科手術のような医療や芸術、科学を含む、創造的活動一般においても生じうるといわれる。

また、フローに対立するとされる不安や退屈の感情的要素が、遊びのうちにしばしば生じることも事実である。

すなわち、ある者の行為過程における課題水準が、当人の技術水準(行為能力)を上回ったときには不安、心配といった情意が生じ、反対の場合には、退屈、不満が生じるという図式がここに確認できよう。

これを踏まえて考えると、「不安」と「退屈」の感情が互いに釣り合った地点に、自他への過剰意識の喪失、身辺環境に対する支配感、そして、確実でスムーズなフィードバックが発生し、実在感に満ちた楽しい状態、いわゆるフローが感得されるものと考えられている。

人に、ある一連の行為を長期間、継続的に行わせしめる要因は、「不安と退屈という二つの変数の彼方にある行為の経験」、つまりフロー経験なのだといえなくもない。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

・好きなことなら集中できるのは、多くの人が経験している。このためタスクを好きになれだとか、楽しめだとか、そんなアドバイスも多い。

フロー状態に関してはそのようなことはあまり言われていない。問われるのは難易度のバランスだ。

・難易度が適切である必要は、楽なら退屈に、難しければ不安になり、そしてフロー状態はそれらのバランスが取れた状態だからだ。

同様に即座のフィードバック=「手応え」が没入感を与える。

ストレスとリラックス

すでに、古典的な研究から、ある一定程度のストレスがあったほうがパフォーマンスは高まることが知られていました(ヤーキーズ・ドッドソンの法則)。しかし、ストレスは高まりすぎてしまうと、今度は逆効果になってしまいます。

「ストレスのよい部分だけを取り出すことはできないだろうか?」

そう考えたベンソン教授は、実際に調べてみることにしました。その結果、ストレス時にリラックスすると、体内には大量の酸化窒素が流れ込み、それがストレスの悪い側面を抑えてくれることを見出しました。

https://cakes.mu/posts/15441

力を抜く

・フロー状態とは別の研究で「恥ずかしかった過去をカミングアウトするとアイデアのパフォーマンスが上がる」というものがある。

最初の実験では、1つ目のグループには過去半年間で恥ずかしい思いをした経験を、2つ目のグループには誇りに感じた経験を述べてもらった。

その後、各参加者にクリップの新しい使い方を10分間考えてもらった。我々の立てた仮説はこうだ。量を目標にすると逆説的に良質なアイデアも生み出せるのと同様に、「恥ずかしい話」をすれば心理的に「抑制」が取り払われ、いっそう創造的になるのではないだろうか。

http://www.dhbr.net/articles/-/5080?page=2

・この上で「クリップの新しい使い方」を考えてもらった。スコアは以下。

・恥ずかしい経験を話したグループ:

アイデアの量:7.4
アイデアの柔軟性:5.5

・誇りに感じた経験を話したグループ:

アイデアの量:5.8
アイデアの柔軟性:4.5

ご覧の通り。発想の量、幅ともに伸びた。これらは実験の目論見通りに「抑制」が取り払われたと取れる。

プライドが高い=頭が固いとも取れるな。

・世間体を気にするのも人間だ。この実験で言えば私達の心理的な自然体は「誇りを感じた経験を話したグループ」に近い。この様に「最初から」、抑制は掛かっている。

・フロー状態との関連を考えればこの実験は、人は気にすることが色々ありすぎて、元から「没頭」が難しい状態であることが汲み取れる。意図的に「力を抜く」ことは必要になってくるだろう。

流れに身を任せる

フランスの哲学者ベルクソン H.L.Bergson(1859~1941)は、彼自身、青年期に打ち込んだ乗馬での経験をもとに、「神の恩寵」ともいうべき神秘なる体験について、こう語っている。

「それまで努力しておこなっていたことを努力しないでしようと決心した。緊張状態からゆるりとした無理のない信頼の状態に移ったとき、結果はずっとよくなった。

だれの手、なにものの手だかは知らないが、身をまかせきる信頼だったのだろう。神の、とはあえて言わないが、乗馬の精神の、とでもしよう。

柔軟さやゆとり、さらにその上のなにものかをわたしに許すことになった一連のすべての努力に、ほとんど瞬間的に匹敵する絶対的な信頼だ」

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

・重要なことだが、実際にフロー状態に入っている人間は交感神経(興奮)と副交感神経(リラックス)が「同時に」活発になっていることが確認されている。

これは仕事よりもプライベートのほうがフロー状態に入りやすいことの理由ともなる。

大きな失敗が許されるかどうか、という社会文脈上の点において、仕事にはない「ゆとり」が遊びにはあり、そこにフロー経験を発生させうる、少なからぬ要因が見出せるのである。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

 

自己目的的

自己目的的とは

・何度か既に出ている「自己目的的」という言葉について。

文字通り、タスクが自身の目的になっていること。

「自己目的化」の場合「手段が目的になる」という本末転倒な意味で使われる。

・フロー状態に関して言えば、外的な報酬などのメリットではなく、「自分がこれをやりたいからやる」というタイプの目的感のこと。

自己目的主義者は人間の主な性格特性であるビッグファイブ(神経症的傾向、外向性、経験への開放性、協調性、誠実性)の外向性と誠実性のスコアが高く、神経症的傾向と協調性のスコアが低いと考えられるという。

外向的なのに協調性が低いというのが気になるが、それこそが自己目的主義者の特徴で、ある程度の自己中心性と傲慢さを備えているのだ。このパーソナリティーは「ひねくれ者の創造性(cantankerous creative)」ともいわれている。

https://tocana.jp/2018/11/post_18665_entry_2.html

・好きなことのほうが集中しやすいというのは誰しも経験があるだろう。この様な「好き嫌い」と集中力のパフォーマンスの比例も自己目的的であるか否かで説明できる。

好きなこと=
行為そのものに個人的価値がある=
行為を楽しめる=
「一体化」が起きやすい=
フロー状態に入りやすい

嫌いなこと=
価値があるのはやり遂げた後の成果・結果・報酬などの「行為の副産物」=
行為自体は楽しめない=
「一体化」が起きにくい=
フロー状態に入りにくい

・行為そのものが目的の場合「没頭」しやすくなる。

オートテリック・パーソナリティ

・「自己目的的」の要素はオートテリック・パーソナリティとの名前で扱われることもある。

それが困難で危険なものであっても,そこから得られる利益についてほとんど考えることなく,それ自体のためにその活動は自らすすんで行われる。

このような行動傾向によって特徴づけられる性格特性をオートテリック・パーソナリティ(autotelic personality)といい,Csikszentmihalyi(1990)は,オートテリック・パーソナリティな人々は平均的な人々よりもより頻繁にフローを経験しやすいと述べている。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190325064205.pdf?id=ART0010074322

 

効率・結果主義の逆

それは、「目的-手段」という功利的連鎖性の枠組みではとうてい理解しえず、あらゆる意味での危険性が高く、費用対効果もきわめて低いというほかない。

この行為のもつ性質は、功利的原則をまさしく超え出るものであり、「行為それ自体を目的にする」行動と考えられる。

「プレイとしてのスポーツ」(「商業的スポーツ」とは一線を画す)は、本質論的にいえば、この「自己目的的」なる行動の典型例である。

そして、そこでのプレイヤー(主体的参加者)の幾人かは、「自分が一つの流れに入った」という、ある種の神秘的感覚(フロー経験)を、当該活動の大いなる魅力として享受するのである。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

 

 

チクセントミハイの論理的主張の一つは、「結果がすべて」という立場の徹底的な否定にある。

繰り返しになるが、フローとは、人間が全人的にある行為へ没入しているときに感受しうる包括的で神秘的な「感覚」のことをいう。

人がフローの状態にあるとき、その一連の行動は、「内的な論理」internal logicともいうべきものに従って漸次的展開をみせ、自我と環境、刺激と反応、過去-現在-未来の時間的経験といった、種々の区別的要素は消滅するとされる。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

・ここでフロー状態や集中力がほしい人間は躓くことになる。

これらの結果として欲しい「パフォーマンスの上昇」自体が効率やクオリティと言った結果/成果を意識したものだからだ。

そうである限りフロー状態には入り辛いというジレンマが発生する。

・コスパを気にするのは結構だが、TPOを弁えた方が良いだろう。それができないならバートランド・ラッセルが言う所の「効率性のカルト」にハマっている状態と言える。

前述の「集中しないためのシステム」もそうだが、社会性に限らず人は何かをやる際に結構結末まで想像したり、それらがどの様に評価されるか、何かメリットはと考えたり「計算」が多い。

これらはフロー状態になるには邪魔だ。そして長い目で見れば必要な場合もある。まぁ自分で考えるしかないね。

自己内報酬

プレイヤー(学習者)の技能と彼が挑戦する課題のレベルが一致したとしてもなお、そこにフローが生起しない場合がある。

なぜなら、そのプレイヤー自身が、自己目的的なる「内的報酬」に感応しやすいという性質をもつことが必要だからだ。

つまり、自己目的的である、とは、外的報酬(金銭、地位、評価)を得ることがなくても、長期的にある活動を継続させられる内発的動機をもっている、ということである。

すなわち、ある特定の経験そのものを、「自己内報酬」the self-rewarding として受け取ることに満足の基礎を置こうとする心的構造が整備されていなければならないのである。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190320103127.pdf?id=ART0010105882

・自分が思ったとおりにできた、自分がやりたいことができた、それ自体を報酬としてカウントできるセンス。

・数学得意な人間は問題を「倒す」「やっつける」「●す」などと表現する傾向がある、なんて与太話を見かけたことがある。

これは好き嫌いとフロー状態が必ずしも関係はないことの理由でもある。言い方を変えれば「そういった楽しさ」の形にするのもアリだろう。

・感情的な好き嫌いでもなく、功利主義的な損得でもなく、「自分にとって意義を感じられることか否か」が問われる。

だからフローに入りやすい傾向の一つに「挑戦」がある。「やることに意義がある」から。

 

メモ

・この様にフロー状態について知っていくと、「それって何が楽しいの?」という無粋な質問に答えられない、というのはある意味正しいと分かる。行為そのものに「直接」楽しさを感じているわけで、他に理由なんてない。お前が納得しようがしまいが私は楽しい、で終わる話だ。

・効率性のカルトはフロー状態と相性が悪い。充実感が休日にすら得られないこととも関係している。

・個人的なゲーム作成者たちがプレイヤーにフロー状態に入ってもらうには、と相談している所を見たことがある。「内的経験」あるいは「自己目的的」という点では、「ゲーム」は有利だと言えるだろう。
反対に、特にRPGに言われることだが「義務っぽい」という理由で離れられる/飽きられるというのは内的経験や自己目的的なプレイではなく「やらされ感」があるためだと思われる。

 







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