作業興奮:やり始めたらやる気が出る/やる気は初めた後で出ること

  • 行動するからやる気が出る現象
  • 脳の一部はやる前には働かず、現実に動いてから働き始める

作業興奮とは

・作業興奮は、簡単に言えば「手を付けてからやる気が出てくる」「行動するからやる気が出る」という話。
頭を使う、手足を動かすなど作業をしている内に、脳が「やる気」を出す。

この現象自体は非常に身近に、誰でも経験したことがあるだろう。初めはやる気がなくても、手を付けたら段々とやる気が出てくる。中断させれたら不快に思うくらいに。そんな経験。

 「作業興奮は存在しない」という意見があるが、あれは提唱者とされるクレペリンはそんなこと言ってない的な意味だ。「初めた後でやる気が出てくる」という現象の否定ではない。後述。

なので、当人視点で見れば「そのような現象はある」し、活かすことに支障はない。

依ってここでは「そのような現象」を並べることにする。

作業興奮のメカニズム

・巷で言われている作業興奮のメカニズム自体は、脳科学的な説明がされる。
(このため作業興奮という単語は、理屈は妥当だが由来だけ怪しいというめんどくさい立ち位置にある)

手足や頭を使うと脳の側坐核という部分が刺激される
側坐核は刺激されるとやる気物質のドーパミンを分泌する
ドーパミンが分泌されることでやる気が湧いてくる
やる気が出るので作業がはかどるようになる

https://k-3110.com/not-work-excitement

ドーパミンが出るか出ないかは、特に海馬(記憶)や扁桃体(好き嫌い)からの影響を受けやすい。
ベタな例では嫌いなものにやる気が出ないとか、キツかった記憶があるからやりたくないとか。生物としてみればこれはむしろ有能ではあるが。

この扁桃体、不安や恐怖の感情との関わりが大きく、「ブレーキ」の役割のほうが強い。このため「嫌なことにやる気が出ない犯人」である可能性のほうが高い。


脳は基本的に状況への対応に優れている。加えて変化を嫌い、維持を選ぶ傾向がある。嫌いなことを自分からはやりたくないのも、「今よりも状況(気分)が悪くなるから」だと言える。

逆に既に初めてしまった場合、脳が「嫌がることを諦めて順応する」ということは、期待できる。5秒ルールなどで「まず手を付ける」ということを試みても損はないだろう。

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既に初めてしまったら、今度はやり遂げたくなるような「一貫性の原理」的な心理もある。

待っていてもやる気は出てこない

やればやる気が出てくる以前に、「待っていてもやる気は出てこない」という話の方が多い。前述の5秒ルールでもそのあたりの話は出てくる。

結局の所、やる気というのがドーパミンなどの脳内物質の分泌であり、これは何らかの刺激に対して発生する側面が強い。よって受動的な「待ち」の姿勢では毛ほども出ない。美しいまでに裏目に出ている。

大体やる気が必要というのはやりたくないか、覚悟が必要か、一気にやり遂げる気満々かで、「勢い」が欲しいというのに近いだろう。
つまり、止まった状態で、助走をつけようとしていることになる。無理。(後述するが、このため別の軽いタスクで「助走」をつけることは有効なこともある)

この上で頭で考えることは「自分にとって如何にこれが重要で、どれだけこれをやるべきか」なんて論理的説得に近く、これやると余計やる気が減るという研究もある。やるべき理由よりも「手順」をイメージした方がやる気がでるそうな。前者は「やらなきゃいけない」と思わせ、後者は「やれそうだ」と思わせるわけだから、当然だな。

総じてスタート時点が頭の中がほとんど「やりたくない」に傾いている状態だから、手順をイメージするなり、実際に手を付けてしまうなりで抵抗する理由を消してしまえば、邪魔している要素が消せる。この状態をやる前と比べれば、「手を付けたらやる気が出てきた」ように見える。

先ず状況を作る(=手を動かす)。次に、頭/心が状況(作業)に適応する。

先ず状況を作る(=手を動かす)。次に、頭/心が状況(作業)に適応する。

簡単な話、やる気がでないという状態は気持ちが作業に向いていないことを指す。これに対して人は先ず気持ちを作業に向けてから手を動かそう=やる気が出てからやろうとしがちだが、さっさと始めれば嫌でも気持ちは作業に向くため、やっていればやる気が出る=作業興奮の状態になる。


私達の自発的行動のイメージは、先ずやるべきこととやるべき理由があって、それに従いそのために手を動かす、というものになりがちだ。

そして自発的な行動へのモチベーションは、低いことが多い。それよりも対応的な、自発の対となる外発的/適応的な動機で動いていることが多い。朝だから起きる。仕事だから出社する。夜だから寝る。

一方で自分で動くのには追い風となるこれら「外圧」が無い。いちいち覚悟や思い切りが必要で、状況や変化への適応や対処よりも初速が遅い。

わかりやすいのが平日起きる時間と休日起きる時間か。寝た時間が同じでも、起きるモチベーションは違う。リスクが違うからそりゃそうなんだが、自発的、自己目的的な動機による行動は、リスク/ペナルティが殆どない。やらないでいい理由は多い。なので基本モチベーションがかなり低い。

 ここまでの話は「作業に手を付けるのにやる気が必要である」ということが前提となるのだが、実際にはなんも考えんでも手をつけることはできる。そして考えすぎにより動けなくなる。

「手だけ動かす」こと。これにより状況は開始される。こう、スッと入るとかそんな感じの。

試してみれば分かるんだが、脳が嫌がってても身体は動かせる。思考と動作ではチャンネルが違う。思考は意志ではない。思考は身体を直接には動かせない。やる気がないから動けないのは、やる気を出さないという提案を採用している状態と言える。裏を返せば無視することもできる

状況が開始されれば、頭はその内諦めて適応しようとする。これをサポートするような心理現象もある。

一度始めたらやり遂げようとする一貫性の原理。
中断したものは脳に残り続けるツァイガルニク効果。
達成/完了を求める完了バイアスなんて心理もある。

そもそもやる気なんてものが存在しなくて、「やる気が無いと出来ない」と思っていることが問題だ、とする話もあったりする。
何かをするにはやる気が必要だと思うようになったのはいつからだろうか?

やる気の有無に拘らずに重要度で仕事を片付けるようになったら捗った、という話も結構ある。

仕事に取り掛かるときにやる気がある、ないなどを全く意識せずに、優先度をつけて、それに合わせて順番通り行うだけにする、というものがあります。
次のタスクはこれね、はいやろう。といった形で、どんどん進めていくかたちです。
大抵の場合、着手してしまえば仕事に意識が向いてくるのでどんどんすすみます。

https://note.com/st0317skmt/n/ne9aceafdafcf

同様に、todoリストのタスク処理のコツが「上から片付けること」なんて話もある。好き嫌いせずに片付けること。先ず手を付けること。
要するにやる気が無いんじゃなくて「やりたくない」という気持ちに敏感かつ忠実であることが手を止めてる。

「やる前の邪魔な気持ち」がものすごくあり、やればそれが消える

  • 脳は嫌なことや苦手なことをやる前は死ぬほど嫌がる
  • その嫌がりっぷりは尋常ではない
  • 実際にそれをやっている時は脳が大人しくなる

・シカゴ大学の研究チームによる実験では、数学嫌いの者の脳は、「これから数学の問題が出る」と思っている時に痛みや驚異を感じているシグナルを発していた。

この痛みのシグナルはかなり強く、燃えてるストーブに手をおいた時と同じ、あるいは指でも火傷したかのようだったと言われている。

・この症状は障害や病気などではなく、心理的なものだと考えられている。

彼らが実際に数学の問題を問いている時には、この痛みのシグナルは出なかった
このことから嫌なことそのものではなく「これから嫌なことがある」との予期が苦痛を発していると考えられている。

この「嫌なこと」は負担が大きそうだとの予測、過去にロクな目に会わなかったという想起なども含まれる。

・我々は「嫌なことを前にした気持ち」を、それが終わるまでこの気持はずっと続くのだろうと思いがちだ。

だがこの話から見ると、その気持ちは元から入り口にあるだけで、通過すればいいだけの存在だったことになる。

手を付けた(通り過ぎた)ことにより脳が大人しくなることを「やる気が出てきた(作業興奮)」と認識している可能性はあるのではないだろうか。

陳腐な言い方をすれば、「案ずるより産むが易し」となる。

・この研究チームの一人であるライオンズ氏曰く、
「始めの一歩は不安を克服すること」
「計算に対してもっとリラックスして構えられるようにすることが肝心」
とのこと。


関連:
https://embryo-nemo.com/434/

完了バイアスと作業興奮

やることによりやる気が出る、それが続く、という点で作業興奮と類似している心理。

一般の作業興奮のイメージと違うのは、「別のタスクでやる気を出してから、本命に乗り換える」事ができる点だ。この点「良いからやれ」と言わんばかりの従来の作業興奮の話よりは心理的ハードルは低い。

  • 認知バイアスの一種で、タスクの完了・達成を喜び、それを求める傾向。このため、簡単に終わるタスクを好む無意識的な嗜好と選択。
  • 楽なタスクを片付ける内にドーパミン(モチベーションを高める)が出る=やる気が出るため、それをめんどくさいタスクに対しても向けることが出来る。

認知バイアスなので、狙ってやると言うより「普段好んでそうしている」という可能性がある。
このリスクは、

  • やるべきか・重要かではなく、「楽に終わるかどうか」でタスクを選び、緊急度・重要度が低いタスクに好んで飛びつく傾向がある。
  • 無駄な作業に依る消耗のリスク。簡単なタスクを大量に(最悪いつまでも)消化することになり、重要なタスクに対して時間や体力などのリソースが残らない。
  • 重要なタスクの先延ばし(最悪放置)のリスク。
    (Todoリストにおいて、簡単なものばかり手を付けて、いつまでもリストに残っている「常連」が発生しやすいなんて話がある)

総じて、「たくさん動いているのに、成果は出ない」という状況に自ら向かう事になりやすい。達成感や充実感は感じるので、気づくのが遅れる可能性も高い。

活かし方としては、

  • 重要度・緊急度での予めのタスクの整理(アイゼンハワーマトリクス
  • 「今はやらないこと」を決めておく(行動範囲を限定することでリソースの拡散を防ぐ)
  • やる気が出てきたと思ったら、意識して本命に乗り換える
    (この時、切りが良いところで終わる必要がある。中断するといつまでもそれを気にしている状態(ツァイガルニク効果)になり、脳のメモリを無駄食いする=気が散る)

などの、準備や自己管理が挙げられる。

一貫性の原理と作業興奮

 作業興奮に似ているものとして、一貫性の原理がある。一貫性の法則とも。自分の言動に一貫性を持たせたい、または他人に一貫性のある人間だと見られたい心理。

これが作業に手を付けた後で発生した場合、「後からやる気が出た」と言える状態になる。

これを当てにして、「手を付けてしまえば脳がやり遂げようとするからやりましょう」なんて言ってるところもあるわけで、話の内容が今回の作業興奮と重複している。

また、「目標を他人に話す」というのがモチベーション管理として言われている。
これも他人から一貫性のある人間に見られたい心理、自分の言動に責任を持つ(一貫性を持ちたい)心理だ。
一方で人に話すことでなんかもう適った気分になってしまい、言わなかったグループよりも手を抜いたなんて研究結果も有る。恐らく個人差がある。


 一貫性の心理を単品で見れば結構なことだし、容易に利用できそうに見える。しかしこれはそのまま「やめるにやめられない」原因でもある。

むしろ、「ここまでやってきたのがもったいない」として、負け戦を続けるというサンクコストの誤り、コンコルド効果なんて呼ばれる認知バイアスも発生しうる。

そのような経験を何度か積めば、「始める前に躊躇する」ということになる。始める前に「完走できるかできないか」を考え、できないなら手を付けなくなっても不思議はない。

 これはめんどくさいとか大変なタスクを「少しでも削る」という発想ができないことを意味する。始めたら最後まで走らなければならないと。これは完璧主義に近い。

これを予防するためにも、タスクの細分化やマイルストーンは個人的な作業でもあったほうが良いと思うし、ヤックシェービングはそれほど悪いことには思わない。

むしろ「やめようと思えばいつでもやめれる」ということを自分に保障し続ければ、手を付ける前に「やりたくない」という気持ちが生まれる回数も強さも減るのではないか。


必要なのは気楽に手を付けることであり、そのためには気楽に止められることは保証されているべきだ。じゃないと「次」は始めることそのものの難易度が上がる。

こうなると正直、一貫性の心理は邪魔な気がする。「何でもやり遂げようとする人」は殆どの場合、「できないからやらない完璧主義者」になるだろう。

作業興奮に対しても、「始めるためのやる気がでねーよ」という声はあるわけだが、そういった人々は一貫性の心理が裏目に出ているのではないか。

殆どの場合は「始める程度の気力」はある。出ないのは「完走まで一気に続ける気力」だろう。それが無いとやっちゃいけないと思っている。一貫性がないから。

要するに、一貫性の心理のせいでリタイアや中断する気がゼロになる。このせいで「始めたら最後まで走り続けなければならない」ルールが勝手に出来上がっている。別に中断したところから後でまた始めてもいいのにね。まぁタスクにもよるが。

脳のやる気を司る部位は

・側坐核は「やる気=モチベーション」に関わるとされている。「やる気の脳」と呼ばれることも。

Wikipediaの側坐核の記事から引用。

1950年代、OldsとMilnerは、ラットの中隔領域に電極を挿入し、ラットがレバーを押すことで電気刺激するという実験を行ったところ、摂食や飲水もせずに押し続けるという行動がみられた。

これにより、この領域が脳の「快楽中枢」であることが示唆された[6]

・側坐核に電極を刺して、レバーを押したら刺激する。結果、言葉通りに「寝食を忘れて」レバーを押し続けた。

つまり側坐核が刺激されていると熱中・夢中な状態になる。

快楽中枢が強く活発になっている場合、飲み食い=本能的な欲求を上回る「やる気」を見せる、とも言えるだろう。

これは作業興奮に留まらず、過集中にも当てはまるかもしれない。

・側坐核が活発になるのは、「ある程度の刺激が来た時」とされている。これが作業興奮の条件である「実際に始めること」につながる。

・また、側坐核は線条体という脳の部分の一部。これは無意識的な行動、例えば卵を掴む時に潰さないようにする力加減などを司る。

頭でやらなければならない、と考えているだけよりも、実際にやっている時の方が線条体も働く。結果、側坐核も働く。

作業興奮が発生しない可能性がある状況

・嫌なものを我慢して、なんとかやり遂げる経験は多くの人があったりする。最後まで嫌々に。

作業興奮は脳の反応だとしたら、そこに何かあるかもしれない。

側坐核への主な入力としては、前頭前野、扁桃体、海馬、腹側被蓋野。

・側坐核は海馬(記憶を司る)の影響を受ける。このため好ましくない記憶がある物事には働かない可能性。つまり、苦手意識など。

・扁桃体(快不快の感情を司る)の影響を受ける。このため「嫌い」「不快」とのイメージが強い場合には働かない可能性。そう言ったブレーキの側面のほうが強いという話もある。

・前頭前野は「人を人たらしめる部分」とされ、理性に近いため、恐らく今回は問題ないと思われる。

むしろ、やる気が起きるわけがない嫌いなものに対して、やる気を出させようとする側か。

・腹側被蓋野(ふくそくひがいや)は神経伝達物質を生み出す所とされる。ここがドーパミンを作る。

・何れにせよ、当人がそのタスクをどう思っているのかの影響は受ける、と見ていいだろう。精神論というよりは認知的な話だが。

嫌でもやってりゃやる気が出るんだったら、世の中の小学生は皆、勉強大好きになってるだろうさ。

・ただ、目的を小刻みにして進捗を実感できるようにする、気楽にやれるところだけやるつもりで手を出す、取り掛かるハードルを徹底して下げるなど、工夫の余地はある。

苦手意識とフロー状態

 作業興奮という言葉を使わずに「手を付ける前はやる気がなかったのに、後では止めたくないほど集中していた」などの現象を説明するならば、苦手意識とフロー状態で可能であると考えられる。

フロー状態とは、何かを続けていて没頭・没我と呼ばれるほどの集中状態、タスクとの一体化状態のこと。

フロー(心理学)の状態とフロー状態への入り方
フロー理論とは フロー理論をわかりやすく言えば、食事も忘れて作業に没頭してるような状態だよ 何かに夢中になって気づいたら時間が経っているような状態でもあるよ ポジティブ心理学では幸福の一つに数えられてるよ・フローは一種の集...

タスクの可視性(予測と法則が認識できる)、専念できる環境、楽すぎず難しすぎない難易度などが構成要素としてあげられている。

これも即座になるわけではなく、「やってる間に、自然とそうなっている」。気づいたら集中していた、というような状態。「入り方」が作業興奮に類似。

・やる前の「タスク難易度の過大評価」と、「継続することで没頭する強く長い集中状態」と。

これらのコントラストが「作業興奮」に思えるのではないか。

やる前にはやる気がない=困難/めんどくさいと思う、

やってる間にできること/大したことないことを実感として思い出す、

軽い集中状態に入る、の3段階。

・スラスラとタスクをこなしている自分に気づいた時に、なぜ始める前はあれほどやるのが嫌だったのだろう、と感じたことはあるだろう。
このやる前と後との変化は「やる気が出た」と感じられても不思議じゃない。

単純に手順が不明瞭な場合、初手が重くなることはある。一方で「行動イメージを思い描く」ことで難なく着手できるとも言われている。

集中状態に入ることは、捉え方に拠っては「やる気」と言えるし、初めの「やる気の無さ」とのコントラストで大きく「やる気がでた」と感じることもあると思われる。


 後は単純に、脳のモードはやる前とやってる最中とで違うと思われる。状況も違う。

コタツに入って掃除をすることを考えることと、コタツから出て立ってる状態で掃除することを考えることでは、感じる難易度(というか嫌さ加減)はおそらく違うだろう。

コタツの中で、掃除しないといけない嫌だ寒い眠いめんどくさいってミカン食ってお茶飲みながら漠然と思ってる状態から、
具体的に「掃除道具取ってこよう」と考える状態へ変化したら、「やる気が出た」とは思えるだろう。

これは簡単にそうなれる。コタツから出ればいい。快適すぎていわゆる「ケツに根が生えてる」状態だからやる気が著しく沸かないだけであり、そこから脱すれば通常に戻るだろう。

このコタツから出る→やろうかと考え出すというのも、コタツから出るという一歩を行ったことから始まるわけで、これまた作業興奮に見える。

この様に「手を付けたらやる気が出た」というのは非常に身近に溢れている。

作業興奮存在しない説

 作業興奮は心理学者クレペリンが提唱したと言われている。いるのだが、作業興奮なんて言葉は心理学の分野にはない、とする話があったりする。

実際論文とかは検索かけても殆ど見つからない。せいぜい小中学生を対象とした学習塾や学校のコラム程度。

ここが詳しい:https://note.com/mybrain_record/n/na6e3d21c43a9#HmiRj
「心理学者のクレペリン」自体は存在する。しかしクレペリンが作業興奮なんて言ったかどうかからして怪しいそうだ。


 エミール・クレペリン(1856-1926)、弟子にはアロイス・アルツハイマー、フレデリック・レビーがいる。それぞれアルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症の名前のもとになった人物。

彼が行った研究の一つに「作業曲線」がある。単純作業を連続して行った時に、時間の経過に応じて作業量が増減する折れ線グラフ。

これが大抵の人間の場合、初めは上り、次に高いところで横ばいになり(或いは徐々に下降)、次第に下がっていく、という形だとされる。

そして作業の性能には意志緊張、興奮、慣れ、疲労、練習の5因子が影響すると考えられた。

作業興奮とは作業量が「初めは上がる」ことと、5因子の一つの「興奮」とを関連付けて、「どこかの誰かが言いだした」のではないか、という疑い。

また、クレペリンの作業曲線が、100年以上前というのも結構な問題だろう。「バイアス」なんて概念なかった時代だし。

 「クレペリンが言った作業興奮」は、そもそも言ってない可能性すらある。しかし「作業興奮」という言葉で連想される、「なんとなく気が乗らなかったけど、やっているうちにやる気が出てきた」みたいなことは、多くの人が経験している。

作業興奮の概念が結構広まった事自体、多くの人が、己の経験により受け入れやすかったとも考えられる。

総じて「なんかそれっぽいもんは起こり得る」くらいは言えるわけだ。結構身近に。

メモ

・やる気の有無を気にするより無心で手を動かしてたほうがマシ。

・痛みの話から見て、恐らく「逃げ道」または「先延ばしにできる余地」がある限りはその是非を脳が勝手に考えている。やらなくて良いんじゃないか。やる気が出てからにしよう。締切が迫ればちゃんと動ける「緊急中毒」とかの話もいい例だろう。

これはヘタレ根性ではなく、恐らく「完璧にやろうとしているから」の方が理由として多いだろう。万全ではないから。今やるのは得策ではない、と。

そしてこの感情には、万全な準備なんていつまでも終わらないとか、そんなコンディションになる日なんて永遠にこねーよとかよく言われており、結局の所「いいからさっさと手を動かせ」という話に戻ってくる。

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