合理的な判断と行動を生む「精神状態」についての考察:サイコパス、扁桃体、マインドフルネス

前から目について気になってたんだが、「サイコパスになりたい」なんておもしろい願望も世の中にはあるようだ。

単にシリアルキラーにでもなりたいのかといえばそうでもなく、どうも結構知ってる上で、その様な「精神状態」が羨ましいようで。

サイコパスのメリットとは何か

・理由としては、超合理的だから、冷静で感情を表に出すことがないから、情に流されないから、あたりが並ぶ。

相対的に、自分の感情に煩わしさを感じているのだろう。感情的に動じることがなく、為すべきことを為せる点がよろしいようで。

恐怖や不安を感じないため、度胸と行動力があるように見られる。反面非サイコパスは心配や不安で萎縮することとの対比。

・まぁこれがそのままサイコパスが「サラッと嘘をつける」理由とされるが。

反社会的ではないがサイコパスの特徴を持つ「マイルドサイコパス(成功したサイコパスとも)」でも、ハラスメント行為に「ほぼ間違いなく」及ぶとされている。

要するに道徳的にグレーゾーンの連中。これは所詮「現状では社会に黙認されている」という甘えであり、そこらのハラスなおっさん共と区別をつける必要もないと思うが。

悪意があるというよりは、天然で人間の脆弱性を突いている感じ。この上で良心の呵責は無いか薄い。

一方で、「適応したサイコパス」「向社会的サイコパス」などの言葉もあり、マイルドサイコパスに含まれるのかどうかはこちらでは不明。

・別に「サイコパス」に拘らなくてもいいとは思うんだがな。サイコパスは悪性自己愛やサディスティック人格障害とイメージがごっちゃになってることが多いし(実際に併発していることもあるんだが)、何よりもただの「天然」なので、意識して目指すもんじゃないだろやっぱ。

スタート地点が違うから、同じことしても多分無駄。もっと欲張って「いいとこ取り」を狙ったほうが健全ですらある。

サイコパスになりたいと言うよりも自分の感情に振り回されたくないというニーズではないか

・サイコパスは超合理的だと言われているほどだし。

トップドッグ、アンダードッグの例のように、自分が自分の言うこと訊かない、あるいは感情や反芻思考が邪魔して超うざい、なんてのはよくある話だ。

卑近な例としては「やる気が出ない」ってのがある。殆どの場合明らかに「やりたくない」「これやめたい」って心理だろあれ。つまり思考や感情が邪魔してる。

非サイコパスはこれに対してのコントロールに悩まされるが、サイコパスは元からこれが少ない。

こういう時に、「為すべきこと」として淡々と為せるなら、そもそもふざけた「やりたくなさ」が沸かないような精神をしているのなら、これは非常に役に立つ。
 

そう考えれば、なるほど確かに羨ましい。

ただし改めてサイコパスと見比べてみれば、どうもこれらの煩わしさこそ、我々が我々の道徳に(それほど)反しないでいられる仕組みではないかと思う。

まぁ逆方向の規範的キチガイっているけど。

『ファンクショナルサイコパス』

・サイコパス研究は犯罪者の研究から始まったと記憶しているが、研究が進んでいくに連れいくらかの「社会で成功するために役立つサイコパス特性」が見いだされている。

なお我々の現状の社会が我々にとって正しいかどうかは言いたいことが山ほどあるが置いておく。
 

・「社会で役立つサイコパスの特質」をファンクショナルサイコパスと呼ぶ。別にサイコパスしか持ってないわけではないので注意。

※functional = 実用的、機能的。
 

ファンクショナルサイコパスには以下が挙げられている

1:ポジティブ感が強い

2:不安感が少ない

3:集中力が高い

4:成果・報酬志向

5:自分の感情と行動を分離して扱える(これ故に感情的な失敗がない)

・1~4はマインドフルネスで言われる「いま、ここ」の心境、すなわち目の前の事に専念し、過去や未来を憂うことがない状態と非常に似通っているとされている。

これらは前頭葉前半部が活性化しており、大脳の機能に偏りがないため。なお、一般的な人間でも精神性が高まればそうなる。

5はメタ認知そのものだ。自覚は大抵ないが、人の普段の精神状態は認知や感情や欲求に揺さぶられ、突き動かされ続ける。メタ認知の視点ではそれらを客観視して扱える。

サイコパスと扁桃体

・実は、一時的になら機械使ってサイコパスになれる。

経頭蓋磁気刺激法(けいとうがいじきしげきほう)で扁桃体を刺激すると、恐怖や不安が薄れ、サイコパスの疑似体験が出来るとされる。また扁桃体か

サイコパス研究者のケヴィン・ダットンは自分でこれを試して「素晴らしい体験だった」と語ったとか。

サイコパスは扁桃体の働きが「弱い」とされている。

扁桃体は不安や恐怖、怒りなどのかなり原始的な感情と関わる。

経頭蓋磁気刺激法は、磁気使って脳にパルスを発生させて間接的に脳をコントロールする。wikiを読んでみると、「刺激」によって脳を興奮させるだけではなく、抑制させることもできるようだ。

扁桃体の担当とサイコパスの症状からみて、扁桃体を抑制させたのだと考えられる。

ここで話がマインドフルネスとつながってくる。マインドフルネスも扁桃体を沈静化できるからだ。

サイコパスとマインドフルネス

マインドフルネスは元から不安や恐怖を和らげる効果があるとされている。

マインドフルネスを行う前よりも、行った後は扁桃体が大人しくなっている。

・修行を積んだ仏教僧とサイコパスのファンクショナルな部分とは類似点があるとされる。

「世界一幸せな男」と呼ばれた者は僧侶であり、彼が深い瞑想状態になった時には脳波は幸福に満たされていたという(マチウ・リカール:チベット仏教僧)。

・また、マインドフルネスは基本的に「いま、ここ」に意識を向ける行為であり、この状態自体が「マインドフルな状態」と呼ばれたりもする。

つまりサイコパスが天然で持っている都合のいい精神状態を、人為的に再現することが出来る。習熟により容易にもなる。

マインドフルネスやって悪いサイコパス的な人間になるか

・知らん。仮説としては2つ立てられる。

1:今現在「おとなしすぎる人」は、相対的にマインドフルネスをすることで積極性、自発性が増し、それを自他が「エゴ」と認知する可能性。

これは「慣れてないだけ」なのでどうでもいいんだが。他人を「自分勝手だ!」と糾弾するやつが一番自分勝手なこともあるしな。

2:脳的/精神的特性は道徳自体とは関係がなく、問題はない。

多分こっち。考えを書いておく。

・サイコパスと僧侶の共通の精神面が以下。

・冷静
・マインドフルネス(今に集中する感覚)
・恐怖心の欠如
・精神の強靱さ
・新しい経験への開放性
・功利主義
・一点集中力/意識変容(フロー)
・精神力
・独創性
・執着のなさ
・非情さ
・共感
・利他的
https://ideanotes.jp/psy43/

で、サイコパスの非社会性が以下。

ナルシシズム
・衝動性
・良心の欠如
・他人を操る
・病的な嘘
・冷淡

要するに、反社会的なサイコパスは「手段を選ばない」ために反社会的なのであり、ファンクショナルサイコパスと反社会的な部分とはほとんど関連がない。内面的要素は「冷静さ」と言う方が適切であり、そして外面的要素が反社会的になっている。

つまりファンクショナルサイコパスだけを身につける=マインドフルネスをやることと、反社会的サイコパスになることとがそもそもつながらない。

・ただ単に価値観や性格が悪いから性格悪いことをやる。反社会的サイコパスと向社会的サイコパスの違いもこれだとしてみる。衝動性以外はそれで片付く。

衝動性は彼らが「直感的に善悪の判断をしない」ことが理由だった場合、一つの懸念材料に一見見える。扁桃体が反社会的行為のブレーキの役割をしていると仮定すると、それを弱めることは確かに不安に感じるかもしれない。

・サイコパスは生まれつきの脳特性であり、一般と比べると「認知的な人生経験」が違う。

通常はフロイトでいうところの超自我(規範的な本能)が親や教師など規範的役割を持つものをベースとして育ち、また社会経験を通して洗練されていくため(サイコパスじゃなくても育たない奴いるが)、「本能」的にいくらか社会的な意味での道徳的価値観は身につく。

人の良識は理性ではなくこのような本能レベルだということ。つまり未熟な道徳観念や、コントロールできてない「道徳/規範の暴走状態」もあり得る。

・逆に言えばサイコパスは生まれつき良心が痛まないため、恐らく本能的道徳の学習効率が著しく悪い。フィードバックが得られない。つまり、育ってない。非サイコパスが衝動性が高くなった所で衝動の内容が違う。

また、マインドフルネスはセルフモニタリング能力を上げる。簡単に言えば衝動的欲求を客観視出来る。自動運転ではなく、自分をしっかりとコントロールできる。このため衝動性がそもそも高まらないと思われる。
 

以上から、非サイコパスがマインドフルネスにより反社会的サイコパス的になる懸念はそれ程必要ないと思われる。

・マインドフルネスはドロップアウトの確率が高い。じっとしていることが多くの人間にとって苦痛だから。つまりそもそもそれを心配する領域まで行けるかどうか怪しい。いらん心配だろう。

ソロで失敗する理由は大体が、やることが単純すぎる→面倒くさい方法とか余計な工夫をやりだす→迷子。

ケヴィン・ダットンの問いかけ

・彼はサイコパス研究を通して、自分がポジティブ感情に意識的に目を向けるようになったとのこと。

また、恐れや不安に対しては以下のように自らに問いかけるようアドバイスしている。

・今の気持ちが消えた場合、自分はどう行動するだろうか?

・人にどう思われるか気にしなくなったら、自分はどう行動するだろうか?

・今やっていることが大したことじゃなかったら、自分はどう行動するだろうか?

・「何かをするにはやる気が必要だ」と思うようになったのはいつからだろうか?

などなど。どれも「この感情がなかったら、自分はどう『動いて』いるか」であり、これらは結果至上主義のサイコパスの思考トレースだと言える。

サイコパスの精神状態のトレースじゃなくて考え方から学べってことだな。

結局の所、「感情の対処法は感情を気にしないこと」みたいな感じになる。感情を相手にするほどドツボにはまる傾向は確かにある。為すべきことがあるのなら、行動を意識したほうがよろしかろう。

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