意識

認知バイアスについて

投稿日:2021年2月24日 更新日:

認知バイアスとは

 広くは、勘違い、早とちり、思い込みなどの間違いをしている状態を指す。事実と異なる認識。あるいは適切ではない材料に依る推論・結論。

「バイアスがかかる」等の使われ方をする。

ここでの認知は理解・判断などの知的機能を指す。例えばこの文章は日本語として認知されている。記号や絵とは認知されないし、ランダムに配列された意味がない文字列としても認知されていない。このくらい自然に行われる。

バイアスは「偏り」を意味する。この言葉自体が、英語で偏見・先入観との意味を含む。

総じて偏った理解・判断。この上で、ひどく自然に行われ、自覚するのが難しい。もちろん偏った理解・判断の後は、それに基づいた偏った意思決定、偏った行動がある。

認知バイアスのシステム自体は、必ずしも悪いものだとは考えられていない。「速さ重視の推論システム」としては優秀だ。問題は、ほぼ自覚がない点にある。つまり推論を「事実」と認知しやすい点。

多くのバイアスの元となるもの

ヒューリスティクス

  発見的手法とも呼ばれる。先入観や経験則に基づいての判断。
「必ず正しいわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法」とされる。「認知的な近道」と呼ぶのが一番わかり易いかもしれない。

必ずしも悪いわけではない。メリットとデメリットが有るという話。

精度よりも速さ優先。生物としては、適切な行動よりも生存のほうがよほど大事である。茂みの中に何かいた場合には、「とりあえず」で身構えるか逃げるかする者が生き延びるだろう。正しく確認しようとするのなら、最悪死ぬ。

この場合、身構える・逃げるはヒューリスティクスと言える。似たような反応は人間にも残されている。闘争逃走反応、戦うか逃げるか反応と呼ばれる状態。

つまり人の脳の少なくとも一部は、元から素早さ優先の意思決定と行動をしようとする部分がある。
動物的・直感的な部分が。つまりは「第一印象」の時点でバイアスがかかっている可能性はある。


人がヒューリスティクスを使用する場面は、

  • 情報が足りない時の推論
  • 情報が多すぎる(処理能力が追いつかない時を含む)時のフィルタ
  • 時間がない

などが挙げられている。

ヒューリスティクスには4つの代表的な例がある。

利用可能性ヒューリスティック

 あるいは想起ヒューリスティック。根本的な話、直感レベルで判断がされる際には、情報をいちいち精査なんてしていない。思い出しやすい、入手しやすいなど「手近な情報」を元に行われる。この傾向は時間に余裕がないほど強くなるとされる。

類似したアインシュテルング効果(構え効果)は、すでに知っていることや、事前に経験した物事に対して、「新しい方法を探さずに知っている方法を行おうとする」傾向を指す。

まずチェスの熟練者に盤面を見せ、最少手で解決するよう指示する。

この時に使った譜面は、一見すると定石(最善とされる決まった打ち方)が最適解だが、実際にはそれより少ない手でクリアすることが可能だった。

チェスプレイヤーの目線をカメラで追跡すると、定石に関わる部分しか見ていなかった。そこしか見てないから、本当の最善手には気づけなかったようだ。

アインシュテルング効果について

多くの認知バイアスは、アインシュテルング効果の一種だと考えられている。

代表性ヒューリスティック

 。簡単に言えば、個人の先入観や経験則に依る「自分のものさしで測ること」そのもの。これ自体が偏見や決めつけの元とも成り得る。

だが確実に人の直感的な判断基準にはなっている。道に迷って誰かに聞くとしても、スキンヘッドでタトゥーをしていて顔面ピアスだらけの者が第1候補とはならないだろう。

アンカリング効果(係留と調整ヒューリスティック)

 最初に得た情報が基準(アンカー)となり、推論がそれに引っ張られること。

簡単に言えば、1万円の商品に「2万円が50%オフ」と書かれていたら、「1万円安くなっている」と見るだろう。この場合元値が2万円という印象に引っ張られた判断となっている。

これを利用した交渉テクニックとしてドア・イン・ザ・フェイスがある。まず過大な要求をして、断らせる。次にハードルを下げた要求をして、通らせる。もちろん最初から2番めの要求が本命だ。人としてどうかと思うけど。

これは本来、返報性の原理を用いていて、初めの要求を断った後ろめたさを利用する(借りを返そうとさせる)とされている。だがこの手順を踏むことで、本来の要求が単発での提示より容易に見える点は間違いない。人としてどうかと思うけど。

シミュレーション・ヒューリスティック

 先入観や経験則に基づいた未来予想。特定の事項が起こる確率を実際以上に評価する。大抵の場合はネガティブなことが連鎖的に起こる形の想像。

また既に起こったことに対して「どのようにすれば結果が変わったか」を考える時にも発生する余地があるとされる。

例えば、普段からよく使う道で事故に遭ったときと、普段は通らない道で事故に遭ったときを比較する。

この例では、後者の場合のほうが事故に遭った原因として普段とは違う行動をしたことが想起されやすいために、どちらの道を通るかという選択に対する後悔の程度が大きくなる。

『熟慮-実行マインドセットがヒューリスティックスの使用に及ぼす影響』

これらは「思い出しやすい情報を過大評価する」ことから生まれるとされる。


これらは単品で見れば仕事はしている。速さ重視の中で使えるものをとりあえず使っている印象は受けるだろう。問題はこれが推論ではなく「事実」として認知されることだ。

確証バイアス

 ヒューリスティクスは即断のためのものだが、これとは別に自分の世界観(思い込み)や考えを肯定するように働く認知バイアスがある。自分の考えを肯定するものだけが見えたり、否定するものが見えなかったり。

確証バイアスは、自身の考えなどを肯定するための材料しか集めず、反証する情報に注目しない傾向を指す。

確証バイアスはいくらかのバイアスの総称として使われる場合があり、そのとおり自己奉仕バイアスなど、確証バイアスに入るものがある。依ってここに記した。


例えば医者が、担当している患者が治った場合。患者の自然回復ではなく、自分が治したのだと思うなど。

おめでたいとも限らない。「自分はだめだ」という考えの肯定のため、自分がだめである理由ばかりが目に入ることにもなり得る。もちろんダメじゃない理由は目に入らないことにもなる。

アーロン・ベックによれば、このような偏った情報処理は、抑うつの原因とされる。

一般的な確証バイアスの例として、「血液型と性格」が挙げられることもある。

認知バイアスは無いほうが良いのか

 定義に寄る。認知バイアスを「認知の偏りから来る判断の誤り」とした場合、誤りなんだから大体は無いほうが良い。結果論で語るなら話は別だが、認識・判断・意思決定としては失敗扱いが妥当だろう。

一方で認知バイアスを「認知の偏り」そのものとした場合、必要な場面もある。大抵の認知バイアスは精度よりも速さを優先することによる雑さがあるが、状況も「精度より速さが求められる」ということがある。この場合妥当。

車に跳ねられそうな時、右に避けるか左に避けるか熟考していたら「答えが出る前に失敗が確定する」。右でも左でもどちらでも助かる可能性があるが、この時「どちらがより良いか」などと考えていたらミンチになるだろう。

実際に認知バイアスにより、状況に対して「即応」でき、命が助かった例がいくらかある。同時に危険をもたらすこともあるが。

一部の科学者は、全てのバイアスが誤りなのかという疑問を持っている。デビッド・ファンダーとヨアキム・クルーガーは、バイアスと呼ばれるものの一部は「近似ショートカット」であり、情報が不足しているときに人間が物事を予測することを助けるものだと主張している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/認知バイアス

 人にとっての認知バイアスが問題になるのは「間違いの元」だからであり、その大きな問題の一つは、「予測」である自覚がない点だろう。
それが正解だと思う、それが答えだと思う、それが事実だと思う。思ってしまう。推論として扱うべきだが、「思い込み」になる。

ヒューリスティクスとして見れば、限られた材料でベストは尽くしている。ただ、生きるか死ぬかの状況なら良いが、人の日常は基本的に、それよりは考える時間がある。

熟考する頭も時間もあるのに、「間違ってもいいからすぐ動こう」とするシステムはお呼びじゃない。この上で推論と事実を混同したら、やらかすのは時間の問題となる。

総じて、必要だが、でしゃばりである。結論としては、「自分にバイアスがかかっていた場合すぐに気付ける」というのが望ましいことになる。

認知バイアスの例

説明だけ見ると割と頭がおかしいか人格障害者みたいなことになるが、性格の話ではない。これらは脳というOSにデフォルトである機能だと思ったほうが良い。

基本的には「最初に思い浮かぶこと」程度の立ち位置であり、いつまでもそれに気づけない点が問題となる。

自己奉仕バイアス

 自分で自分の太鼓持ちをするバイアス。何かに成功したら「自分の実力」、何かに失敗したら自分以外の誰かのせい。

ちなみに行為者のせいとすることを内的帰属、それ以外のせいとすることを外的帰属と呼んだりもする。

人は自尊心を保つため、「自分が心地よく感じるような説明を作る」とする説がある。

集団単位で働く場合がある。集団奉仕バイアス。

前後即因果の誤謬

 一言で言えば、偽の因果関係を見出すバイアス。

  1. 事象Aが起きる
  2. 次に事象Bが起きる

この場合に「AのせいでBが起きた」と安直に思い込む。

「私はあなたが問題の原因だと思わずにはいられない。あなたがこのアパートに引っ越してくるまで暖房設備には何の問題もなかった」

このアパートの大家は、新しい入居者が入居してから問題が起きたという前後関係のみを根拠として、暖房設備が故障したことと因果関係があると仮定した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/前後即因果の誤謬

とまぁ、普通に失礼になる。

状況から考えて、第一容疑者とするのは結構だろう。「推論」としては十分なのだが、上記の例はもう「確定」している。間違ってた場合に、菓子折りでも渡してなかったことにできる態度だ、とはとても言えないだろう。

認知バイアスは全体的に、その内容よりも「確信の強さ」の方が問題が大きい。

現在バイアス・現在志向バイアス

 「今」と「未来」を比べた場合、「今」を過大評価し、「未来」を過小評価するバイアス。簡単に言えば、目先の安楽や利益を優先し、後で困る傾向。

未来を重視する場合は将来バイアスと言われる。それで基本的に問題がないため、スルーされる。

現在バイアスに振り回されるか振り回されないかは、自覚の有無にかかっているとされる。特に「未来の自分が、今の自分に従うとは限らない」ことを織り込んで、予定や計画を立てられるか否か。

生物にとって本来、エサにいつありつけるかわからない状況が日常とすると、今を最重要と見て問題はなかった。むしろそれで正解だった。ただ、人間のように長い目で計画を立てる場合、それがことごとく裏目に出る。

コントロール幻想バイアス

 干渉できない事象に対して、自分の能力や意思でコントロールすることが出来ると思いこむバイアス。

主に偶然の出来事に対して「自分がコントロールできる」と考える。ポジティブかネガティブかは問われず、雨男、晴れ女なんて概念もこれに該当する。

また、完全な操作ではなく、「影響を与えられる」程度の認識である場合も多い。お守りやジンクスがわかりやすい例か。

人によっては宝くじが外れたのは、確率通りでも、運が悪いのでもなく、「コントロールの失敗」と捉えるということ。

帰属(何が原因だったかの推論)のエラーともされる。

イケア効果

 自分が関わったものを過大評価する。自分が苦労したり、手間をかけたものは、価値あるものだと感じるバイアス。この時「自分にとって価値がある」のではなく、「客観的に価値がある」と感じている。

 IKEA effect。ダン・アリエリー、マイケル・ノートン、ダニエル・モションの計3名が2011年に論文で発表している。

彼らの研究では、まず折り紙の初心者に、折り紙を折らせる。自分で作ったそれをいくらで買うか、値段をつけさせた。

同時に観察者のグループを用意した。彼らもその折り紙に値段をつける。

結果、作った者は、観察者の5倍の値段をつけた。しかもこれは個人的な努力を織り込んだ値段ではなく、客観的な評価のつもりで(他人もこれくらいの値段をつけるだろうと)その値段としていた。

 次に折り紙の折り方のマニュアルをいくらか雑にして、難易度を上げてみた。それ以外は前と同じ。

結果、製作者はなおさら高い値段をつけた。もちろん観察者は低い値段をつけた。

 ひどく個人的である「努力の価値」が、客観的な評価と混ざってしまっている。しかも自覚がない。

なお、自分の関与が限定的だった、または失敗したものではイケア効果は表れにくいとされる。

 イケア効果のイケアは、家具を売ってるイケアで間違いない。組み立ては自分でやるのだが、そのせいか家具に愛着が湧くことから、この名前がつけられたらしい。

自分が作ったものに愛着が湧くこと自体は、よろしいことだと考える。イケア効果の問題は、「客観的な価値」と混同する点のみだろう。

スポットライト効果

 「心当たり」があると、現実以上に注目されていると感じるバイアス。

トム・ギロビッチが行った実験では、

  1. 研究室で多人数がアンケートを書いている。
  2. そこに遅刻者が入ってくる。
  3. 遅刻者は「大物歌手のTシャツ」を着ている。このTシャツは、その大学の大半の者が「絶対に着たくない」と答えるものである。
  4. 遅刻者は50%の人間が、自分の着ているTシャツに気づいたと感じた。
  5. 部屋の中に居る者で、実際に遅刻者のTシャツに気づいたものは20%だった。

ちなみにそのTシャツは、1980年代に流行った歌手の、顔面ドアップの似顔絵のTシャツだったらしい。

  • 人目を気にする心理について
    自分自身の自己認識(ダサT着てる)を、そのまま「他人が自分にするであろう認識の推論」に応用している可能性。

マズローのハンマー・道具の法則

 心理学者のアブラハム・マズロー曰く、「興味深いことに、金槌しか道具を持っていない人は、何もかも釘であるかのように取り扱う」。

一つの目的に作られたものを、複数の用途に使用する行為についての確証バイアス。

転じて現代では「ハンマー釘病」として、他にいい方法があるのに特定の手段にこだわる/他が思いつかないことを指したりもする。

医学、ITの分野などではこの点を懸念する声もある。ITでは、いらない場面で新技術をやたらと使いたがるとの話も。が、どうもどの業種でも、それぞれのハンマー釘病が結構あるらしい。

大抵の場合、「実際それでなんとかなるが、最善ではない」と言った答えを実行することになる。拘っているのが「手段」なので、場合によってはそれが原因での失敗もあり得る。

一方で、例えばエアバッグに使われている技術は手榴弾の技術である。手榴弾を作ってるブリード社が各自動車製造会社に売り込み、トヨタが拾った。この様に長所を活かそうとすること自体は、否定されるべきではないだろう。

サンクコストの誤り/コンコルド効果

 サンクコスト=埋没費用という、「既に投下した戻ってこない費用」の概念がある。よくある例としては、

  1. 映画館に行き、チケットを購入する。
  2. 10分後に「この映画はつまらない」と感じたと仮定する。
  3. この時チケットの代金、映画を見た10分という時間は、その後映画を見ようが帰ろうが、何をやっても「戻ってこない」から埋没費用となる。

という説明。

サンクコストの誤りは、この「戻ってこない費用」を「取り戻そうとする」ことを指す。サンクコストをサンクコストだと思ってないという誤り。映画の例を続ければ、選択肢としては、

  1. 映画を見続けて1時間50分を失う
  2. 途中で切り上げることで、これ以上の損をせずに済む

この2つが考えられる。サンクコストの考え方としては、この2つの選択肢ではチケット代は「絶対に戻ってこないため、判断基準から取り除くべき」だとされる。

例えば、
「チケット代の元を取らないと」:サンクコスト(金)
「せっかく映画館に来たんだから」:サンクコスト(移動の手間)
「もう10分見たんだから」:サンクコスト(時間)
などの考えは、引き続き映画を見る見ないではなく、「判断材料」が間違っていることになる。

この場合の判断材料は、「映画がこれから面白くなる可能性があるか」と「1時間50分という時間」であり、その比較で判断するべきとされる。


 サンクコストの誤りと同じ意味として、「コンコルド効果」と呼ばれることもある。旅客機コンコルドの商業的失敗(続けても損だと計算では出ていたのだが、今までの投資を惜しみ続行した)から。

ただこちらはオイルショックも要因の一つだったり、「やめた所で誰が責任を取るのか」の問題があったともされ、サンクコストとは別の要素も大きいと思う。

 なお、アナバチの一種にもこのサンクコストの誤りが見られる。この場合には限定的な情報に対しての有効な判断とも考えられ、生存戦略として十分に機能しているとの主張もある。

後知恵バイアス

 結果が出てから、「これは最初から予測可能だった」と感じる認知バイアス。無駄な後悔を捏造することにもなるし、無駄に他人を責めることにもなる。

また、「それがわかる俺すごい」と自惚れに繋がったり、思考停止に陥るともされる。

なお私が知ってる限りで後知恵バイアスを示す言葉は、

  • 火事場の跡の賢者顔
  • 下衆の知恵は後から
  • 事後諸葛亮(中国語のネットスラング)
  • 後出し孔明(事後諸葛亮を見た日本のネットスラング)
  • MMQ(マンデー・モーニング・クォーターバック:土日のスポーツ放送を見て、月曜日に「俺だったらこうしてるね」とか言う結果論者)
  • そもそも後知恵って言葉が後知恵バイアスを示していないか

など。後は「コロンブスのたまご」の逸話もそうか。この逸話も「物事がなされた後ならば、誰でもその方法を知っている」という話だ。

転じて、物事が失敗に終わったなら、誰でもそれが失敗するとわかる。まぁ、「自分なら上手くやれる」とか考えるのも居るが。

正常性バイアス

 大丈夫じゃないのに「大丈夫だ、問題ない」としてしまう認知バイアス。異常な事態に対して、「正常の範囲内だ」と修正して認知する。

「自分は大丈夫」「まだ大丈夫」など。正常化の偏見、恒常性バイアスとも呼ばれる。

 人は予期せぬ出来事に対して、パニックになるよりもむしろ「鈍感」である傾向の方が高いとわかっている。理由としては心を守るためだとか。

災害に対して直ちに避難をしない傾向などが見られ、その原因として正常性バイアスなどが考えられている。東日本での震災の時も、警報が出ているが避難せず、津波が見えてからようやく避難して間に合わなかったという例が多かったそうだ。


 ビジネス都市伝説だと「茹でガエル」って概念がある。カエルを水を張った鍋に入れて、火にかける。だんだん熱くなってくるわけだが、カエルは逃げずにそのまま死ぬという話。当然最初から熱湯だったなら、カエルは慌てて逃げ出しただろうと。

これも正常性バイアスのように、危機を察しそこねた例と言える。なお実際には、カエルは普通に跳んで逃げるそうだ。

(別に試したわけじゃなく、気にはなるけどカエルを茹でたくない人が学者に質問した所、巡り巡って爬虫両生類学者のハッチソンに話が届いた。
彼は「別の調査絡みでとっくに調べられている」として、1分間に2℃ずつ温度を上げる実験を例に挙げた。
その実験では温度が上がるにつれカエルが暴れたため、逃げるだろうと答えたらしい。)

 ただし正常性バイアスのような「認知の修正」が、高度な認知機能であると仮定した場合、カエルよりも人間のほうが「茹で上がって死ぬ可能性」が高いことになる。

感情バイアス

 感情による認知と意思決定の歪みとされる。

認知バイアスとは別物とされることもある。その推論の根拠が感情である点から。

  • 例え否定する証拠があっても、心地よい感情をもたらす選択を選ぶ
  • 苦痛を感じる事実を否定する

などが挙げられる。ただし、過度に悲観的な結論を出す説明にもなるとされる。人は時に「不幸な状態のほうが不安がない」「希望を持たなければ落胆せずに済む」という形の安全欲求を持つことがある。このあたりが原因だろうか。

当人の恐怖や欲望が原因としてあるとされ、「本人に都合よく認知を歪める」という意味では自己奉仕バイアスに近い。だがそれよりももっと当人の欲求が反映されており、意思に近いとも言える。逆を言えば、他のバイアスよりも言い訳にならない。

一般的な人間に、これは働いている。ちなみにサイコパスは感情バイアスの働きが弱いらしい。

 認知バイアスへの警戒心は、アホなことしたくないという考えからだと思われる。ただしその正反対として全てに合理的判断をしようとするのも無理があるし、逆方向の問題も出てくる。

実際、認知バイアスを全力で避けようとしている様は、今度は完璧主義の悪い面が出始めているように見える。あるいは自分に対してのコントロールフリークとも言えるか。

何れにせよ、問題点はほぼ「その結論が直感的推論だという自覚がない」という一点であり、自覚がありその「推論」を必要に応じて手放せるならば、問題にはならないだろう。

以下は認知バイアスとはされないが、関連がありそうなもの。あと雑感。

すっぱいブドウと甘いレモン

 認知バイアスとはされていない。が、正常化バイアスに近い。個人的には認知的方略と言ったほうが正しい気がする。

すっぱいブドウは、目標を無価値と思い込むことで、その欲求を消す形で機能する。

甘いレモンは、手に入ったものを素晴らしいと思いこむことで、不満を消す形で機能する。

個人的にこれらは心の内で済ませる限りは問題視していない。口に出したら問題になるとは思う。

  • すっぱいブドウと甘いレモン
    フェスティンガーの実験では、つまらない作業+報酬が少ないグループは、報酬が多かったグループよりも、より熱心に次の作業者に「作業の面白さ」を伝えたという。

偽陽性と偽陰性

 コロナでちょっと有名になったかもな。認知バイアスではなく統計学の言葉。内容は認知バイアスに多々通じる。

コロナかどうか調べるPCR検査が、デンプンにヨウ素液垂らすレベルで一目瞭然だと思っていた者は多い。実際にはそれほど確実でもなかった。感染の度合いでわかりやすさは変わるし、間違いが出ることもある。

「間違った検査結果」とはすなわち、

  • コロナじゃないのにコロナ判定が出る(偽陽性:第一種過誤、α過誤、慌て者の誤りとも)
  • コロナなのにコロナ判定が出ない(偽陰性:第二種過誤、β加護、ぼんやり者の誤りとも)

の2種類がある。裁判で例えれば、偽陽性は無実の人を有罪にすること。偽陰性は真犯人を無罪にすること。

検査を大々的に行うこと自体に批判的意見が出たのは、偽陽性(実際には感染してない)でも自宅待機or入院でベッドが健常者で埋まる、加えて偽陰性が出た者(実際には感染している)が「自分はコロナじゃない」と安心して出歩いてコロナをばらまく可能性を危惧してという部分もある。

偽陽性はほとんどのバイアスに見られる。偽陰性は確証バイアスや正常性バイアスなどに見られる。

 重要なのは、その物事が確実ではない限り、必ず偽陽性・偽陰性の結果が出る余地があることだ。認知バイアスもヒューリスティクスも未確定または未知の段階、状況、要素に対して発生しているだろう。まぁ感情バイアス以外は。

つまりは「予測と推論」を人が行う限り、この可能性は必ずつきまとう。絶対はない。 この上で、バイアス特有の「確信」の状態になると大体アレになる。

 「何が原因だったとするか」の推論を帰属と呼ぶ。研究者が「ヒトが成功や失敗の説明をする時によく使う言葉」を抽出した結果、

  • 能力
  • 努力
  • 課題の困難度

の4つの要素が多かった。つまり成功や失敗の帰属先は、この4つが多い。

一方でヒトを見てみれば、能力主義者、努力主義者、出来ることしかやらない、運任せ、なんてキャラはいるわけで。結構世界観、つまりは「物事を見る構え」の形成に関わっているかもしれない。

認知の歪み

 これはまぁ、ほぼバイアスかな。ただし場面限定的ではなく、かなり広範囲に働く。人間の認知の傾向と心得たほうが良いかもしれない。

推論である点、事実であると思い込みやすい点は認知バイアスと共通している。基本ネガティブ。

  • スプリッティング:白黒思考。完璧主義者に多い。
  • ~すべき思考:べき論。自他に対して「こうするべきだ」と思うなど。
  • 行き過ぎた一般化:一本の木を見て「この森は全部この種類の木だ」と思いこむ。すぐにこれが普通とかみんなこうしてる、と解釈する。
  • 心のフィルター:フラットに物事が見れない。大抵は良いものが見えず、悪いものばかりが目につく形。
  • 結論の飛躍:確認もしないで結論に飛びつく。早とちりなど。
  • 拡大/過小解釈:自己奉仕バイアスとは反対に、ネガティブなものを大きく、ポジティブなものを小さく見る。
  • 感情の理由付け:感情のみを根拠として、自分の考えが正しいとすること。
  • レッテル貼り:自他を問わず、決めつける。一つの失敗を見て、その者を存在悪とするなど。行き過ぎた一般化の深刻なケースとされる。
  • 個人化:無関係な物事を自分と関連付けること。コントロール幻想に近い。

たまに認知の歪みを、精神病の人間の心理状態みたいな捉え方をされているが、実際の所は一般の人間が持ち合わせているものだ。

例えばTwitterでよくあるが、「○○が嫌い」との発言を見て自分のことかと思い、「○○が好き」との発言を見て自分のことじゃねーな、と思うなど、割と直感的な認知はネガティブ依りに過敏なのが一般的である。

ハンマー釘病と後知恵バイアスについて

 相性が良いと言うか悪いと言うか。

  1. 何か終わらせる
  2. もっといい方法が今更思い浮かぶ
  3. 後知恵バイアスで「初めから気づけたはずだ」と思いこむ
  4. 自分はあの時ハンマー釘病だったと結論づける

というコンボはあり得る。

後知恵バイアスはかなりたちが悪い。スタートからゴールへは、数多の可能性と選択がある。ゴールからスタートを見ると、その無数の可能性は見えず、一本道に見える。

ファントムバイブレーションシンドローム

 またの名を幻想振動症候群。

厨二心をくすぐるが、実際の所は「スマホに通知が来たと思ったけど気の所為だった」というものである。

原因としては、心的ストレスも挙げられている。筋肉は元から時々振動することがあり、それを通知だと脳が勘違いするという説もある。

また、「いつ通知が来るのか」という不安感が、些細な服の擦れなども通知だと取り違える原因だとの説もある。何れにせよ、

  1. 振動=通知という認知的ショートカットが形成されている
  2. 通知・着信があり得るという心構え(予期)はスマホを持っている限り生まれる

この時点でアインシュテルング効果に近い。そして勘違いするという意味では、これもヒューリスティクスと言えるかもしれない。

アメリカでの調査では、学生の80%が一度は経験があると答えたという。

ポジティブ感情の表出抑制傾向

これは現状ではその疑いがある、程度。日本人に見られる、とされる。

日本人にはポジティブな感情を表出することに抵抗があるバイアスがあるのではないか、という疑い。

うつ病チェックのような心理テストに於いて、「毎日が楽しい」という質問には、うつ病と同じくうつ病でない日本人も「あてはまらない」としてしまう。
質問を変えて「毎日が楽しくない」とした場合、従来の期待値通りにうつ病とうつ病でない人との差が現れた。

 

0

-意識
-