プラシーボ効果 心理学 

■プラシーボ効果とは

プラセボ効果(フランス読み)、偽薬効果とも呼ばれる。簡単に言えば、薬じゃないのに「頭痛薬だ」と言って飲まされると本当に頭痛が治まる現象。人の思い込みで本当に効果が発生する。一見オカルト臭いが、実際にある。しかもかなり効果が強い。ベタなのだと「ノンアルコールビールで酔っ払う」などがある。

どれくらい強いかと言うと、新薬の効果を測るにはこれを想定して新薬を試すグループ、試さないグループ、新薬と同じ効果だと言って偽薬を与えるグループにわけないとならないほど。この上で薬を試さないグループと偽薬グループとではかなり差が出る。

これが例えば痛み止めなどと言った主観的な、「気の所為」「思い込み」で済む話だけではなく、血液検査などで明らかに変化が現れたりもする。

そんなわけで、特に医学的な試験・研究では患者にも、そして医者にもその効果を知らせずに薬や治療法を試す「二重盲検法」が使われたりする。これによりプラシーボ効果や観察者バイアス(観察者が効果を知っていると、それしか見ようとしない傾向)を防ぐ。

「プラシーボ」という言葉はラテン語で「私は喜ばせるでしょう」を意味するのだとか。そこから患者を喜ばせるための作用も副作用もない薬(偽薬)を指すようになった。この場合、乳糖、デンプン、生理食塩水が使われた。

現代的ではない文明に於いて、シャーマンは医者の役割も持っている。で、まぁ頼られるくらいには効果があるのは、信心故に、かもしれない。

面白いのが、電気ショックの実験。鎮痛剤(とした偽薬)を飲ませて電気ショックを与え、どれだけの痛みを感じるか調べるもの。他と違うのが、AとBの2つのグループに分け、両方に同じ偽薬を飲ませたこと。片方を「高い薬」、もう片方を「安い薬」と伝えて。

結果はご想像の通り、高い薬と伝えられたグループはプラシーボの効果(つまり鎮痛の暗示)が強く出た。「値段」がその薬に対しての「効果」を想像させたのだろう。この実験はダン・アリエリーが発表し、2008年のイグノーベル医学賞を取った。

1955年に麻酔学教授のヘンリー・ビーチャーが発表した論文では、10を超える症例に対して偽薬を投与した所、三分の一が症状の改善が見られたとのこと。ただしこの研究は自然治癒の存在を考えていないとの指摘がある。

■ノセボ効果:マイナスのプラシーボ効果

「薬だ」と言って偽薬を与えれば効果が出る。同様に「毒だ」と言って偽薬を与えれば調子が悪くなる。このようなマイナスの現象を引き起こすプラシーボ効果は「ノセボ効果・ノーシーボ効果」と呼ばれる。

プラシーボ効果に於いても、「副作用がある」と説明してしまうと、副作用の症状が強く出るなどのノセボ効果は見られる。例えば「副作用として眠くなります」と予め言われた場合、眠くなるなど。

「死刑囚の血を抜く」と言って、本当は何もしなかったのにその死刑囚は死んでしまった、という話があるが、あれは「ブアメードの血」と呼ばれる話で、残念ながら事実かどうかは疑わしい。

■プラシーボ効果は利用可能なのか

結構な数「プラシーボ効果を利用して自分から効果があると思い込みましょう」的な話があるが、まぁできる人間もいるだろうが、大半は無理だろう。プラシーボ効果には医者と患者との信頼関係が大きいとされ、顕著に効果が出るのは「信頼できる他人がそう言った」時が多い。この時点で個人では難しくなる。協力者を用意するにしたって、「自分にこういう嘘をついてくれ」と頼むわけだから、まぁナンセンスだね。

ただ、アンカリングなどのその気になるための一定の手順・儀式や、アファメーションなどと言われるような、長期的かつ高頻度である自身への言い聞かせは効果がないとは言えない。

これらはどの道「当人がその気になる」ことが効果を発揮するし、そのための認知的習慣の作成だ。じゃあ、ただ単にやる気になる方法、その気になる方法とかで良かないか。

またこれは、認識したことが脳内では「決定」されることを意味する。「そのことに対してどう振る舞うか」がまず決定され、肉体と精神はそのように振る舞う傾向があるということ。確かに都合よくコントロールできれば心強いだろうが、認知・認識をコントロールなんぞ簡単にできるんだったら認知療法とかいらねーだろと。つまりは無理じゃないかもしれないが、難易度は高い。

知識は「予測」に使われる。今回の場合だと「この薬を飲んだら自分はどうなるか」という予測が、そのまま身体に影響を及ぼしている。ここが本質だろう。このため、狙った効果を「予測」させるための嘘。

展望記憶、つまり予測、推測、想像などが少なくとも「方針」には影響を与えるだろう。モノの見方、捉え方、考え方、態度や振る舞い、身体的反応などまで。これだと一見してネガティブなのはマイナスになるかもしれないが、基本的に人間はネガティブな部分に目が行く。これは危険回避のためであり、これをオフにするのは自賠責に入らないで車運転するようなものだ。「痛い目」にあうまでは金が浮いたと喜べるというだけの。まぁこの場合痛い目会うの事故られた側だが。

また、プラシーボだと知らずに鎮痛剤として処方され、4回効果があった場合、プラシーボであると明かされた後も鎮痛効果があったそうだ。ただ、一度効果があっただけでプラシーボだと明かされた場合は効果はなくなったらしい。要は「数回効果があった」という実績がある場合、それは継続して機能する。このことから考えると、最初から自分にプラシーボかけようって思ってる時点で積んでる。

■メモ

これはかなりめんどくさいことになる。例えば特定の病気に於いて、これのおかげで治りました、なんて言う者がいて、それがプラシーボ効果だったとしよう。あるいはどこぞの老医者の思いつきの民間療法(実際、思いつきの上に雑な研究で効果があると言い張り、金払って仮説の論文を乗せる雑誌に論文載せてもらった西日本の医者とかいる)だとか、あるいは詐欺的な健康食品としてもいい。

この際プラシーボ効果という概念の存在は、信じれば治る、信じなければ治らない、という新興宗教のようなミームが蔓延る下地として機能する。物事を疑う意味が消え、都合のいいことを信じることのメリットが強調される。

ヘンリービーチャーの発表した論文、「自然治癒を加味していない」点が指摘されているわけだが、例えば民間療法や健康食品などでも同じことをやって「成果」と言い張ることができる。要するにほっといても治ってた分を「これのおかげだ」ということが可能。

まぁ治りゃ良いってのもあるだろうが、特にガン治療に取り組んでいる人たちがよく言うのが「民間療法を勧められるのは本当に迷惑」だとか、もう死ぬ覚悟ができているのに「諦めちゃダメだよ!」みたいな熱血がモラハラレベルに苦痛だとか。自分が同じ目にあった時にどうぞ頑張ってください、というのが本音であることもあるようで。

実際、その胡散臭い治療法を行うということは、今までの治療法を止めるということだ。「試しにやってみる」というのは不可能で、わざわざ危険な目に晒そうとしていることになるのだが、「親切な人」にはそれがわからないらしい。総じてプラシーボ効果が発生した所で、「他人にその手段を勧める」ことの正当性とはなりえない。プラシーボ効果は自己完結するべきだ。実際には、民間療法がオカルト的な「流行」を生むのは、プラシーボの自覚なく効果を実感し、人に勧めて拡散する現象なのだが。

私達は、プラシーボ効果に於いて限度や法則を知る必要はあるだろう。利用するためというより、もはや身を護るために。特にノセボ効果などの「意識しすぎ」が実際に毒となることを心得る必要が。

まず主観的な領域では機能する。プラスにもマイナスにも。つまり精神面。肉体的に変化が訪れるとしたら、脳(認知)→肉体という間接的な流れを取る。つまり自然治癒力以上の効果は期待できない。

ノンアルコールビールで酔っ払うっていうのも、そもそも酔いはアルコールのせいで大脳新皮質(理性)の活動が低下し、大脳辺縁系(本能・感情)が活発になるからだ。つまりアルコールがなくても「自演」できるポテンシャルは脳は持っている。奇跡ではないし、魔法でもない。逆を言えば、自分のポテンシャルを引き出すことには使えるとは思うんだが、今度は嘘や間違いの存在がネックになる。

まぁ、何かを信じるのは、よく考えてからのほうが良いだろう。正直検索で調べると、「信じましょう信じましょう」の大合唱でやべー雰囲気が漂ってる。

■参考文献

http://www.page.sannet.ne.jp/onai/Healthinfo/Pracebo.html(現在アクセス不可)

https://swingroot.com/placebo-effect/

https://blog.goo.ne.jp/shunbessho/e/7810eb9fa154ed64a36ca37cdc22c9b9/?cid=7ff520c1f215c9036e5fba502ceacc8f&st=0

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