「待っていても決してやる気にはならない」:コンフォートゾーン内の自動運転・非常ブレーキ

探しものしてて動画に行き当たったので、勉強がてらのメモ。

メル・ロビンズ 「F」で始まるあの言葉― 自分をだますのを止める方法

説教されるぞ!気をつけろ!!


以下メモ。

「シンプルだが、簡単ではない」。というのは多くの物事に当てはまる。一方で人々は同じものを「難解であり、理解さえすれば後は簡単」というイメージを持ってはいないか。
脳の情報処理的にはそっちの方が多いんだが、こと「実行」となると、基本的に「シンプルだが、簡単ではない」の方が多い。
実行に於いては、量的な苦労や、自分で決めたルールを守るという苦労もある。運用とか、継続とかの方面。

「ドラフティングの科学」とは、ロードレースとかのドラフティングのこと、でいいんだろうか。
簡単に言えば、人の後ろ走ってると50%くらい労力が軽減される。空気抵抗は先頭の者がモロにかぶり、後ろにひっついてるやつにはそれほどかからないから。自転車のレースで妙に綺麗に並んでいるのは、こういった狙いがあったようだ。
要はこれ、人の真似してスムーズに行け、みたいなことを言ってるのだろう。

FEARだと思ってみてたらFINE(大丈夫)だった。意外。
ああまぁ、「大丈夫かどうか考えた時点でだいたい大丈夫じゃない」みたいな言はたまに見かける。
もっと掘り下げてみれば、「大丈夫」って言葉、既に感じた不安や恐怖を「打ち消す」ための言葉だから。そして「何もしなくていい」という結論を得る。
これは認知バイアスレベルで存在する。恒常性バイアス
これは普通だ・取るに足らない・対処の必要はない、つまりは「大丈夫、と感じてしまうこと。

400T分の1、ね。これ一瞬で台無しにしてやれるけどどうする? やめとく? やめとこうか。


ベッドで二度寝の話だが、マルクス・アウレリウスの「自省録」に似たようなこと書いてあったな。第五巻の一。

褥の中に横たわり、ぬくと温まるために私は作られたというのか。
「だが、それの方がより快い」。
すると快を楽しむためにおまえは生まれてきたのか。
つまるところ、受動のためというのか。それとも活動のためなのか。

マルクス・アウレリウス『自省録』

以降虫すら自分のロゴスに従っているのにおまえときたら、という説教が続く。二度寝したんじゃなくて「朝寝起きが悪いことについて」でこれである。


まぁ自省録は自分への説教ノートだからな。ストア派だからなおシビア。
やっぱ防衛的ペシミズムとストア哲学相性いいんじゃないの。ダメ出し中毒になりやすそうってことでもあると思うが。

「心のスヌーズボタン」は、要するに先延ばしのことか。
後述される「やる気が湧いて5秒立つとブレーキかかる」という観点から見れば、先延ばしした時点で二度とやる気が出ない可能性も高い、となるか。

「あなたは決してやる気になりません」。まぁこれはね。積みゲーとか、詰み本とか、片付けようと思ってそのままのそこら辺の何かとか、やろうと思って書いたのに未着手のTodoとか、よく聞くからね。

活性化エネルギー。ここで言う「やる気」の本質だろう。自発的な行動意図。自発的なんだから待ってても沸かない。


自動運転か非常ブレーキか。人間の自由意志は一瞬しか沸かないという話に通じるか。
自動運転は、コリン・ウィルソンの「ロボット」の概念と同じか。習慣的なことに対してこの身がやったのに実感は湧かないという自動モード。

非常ブレーキは本能レベルで有る。「新しいことをやりたがらない」心理。これはコンフォートゾーンから出たがらない、とも言える。

ただしこれは見方を変えれば、「安定を望む」という一つの方針に従っている。動物でも腹が減っても幼い時に食べたものしか食べない傾向があるタイプがある。

確実に言えるのは、本能という「自動運転」としては仕様どおりだが、人の意識的活動においてクッソ邪魔だと言うことだな。

これらは対象さえ調整できれば、どちらも追い風となりえるのだが。望む方向に自動運転、悪い習慣に対して急ブレーキ、と。

まとめれば、人間の通常状態は「コンフォートゾーンの中での自動運転」であり、「そこから出ようとしたら非常ブレーキがかかる」という状態だと言える。

エラーとは言えないだろう。実際にコンフォートゾーンの外では、改めて意識して取り掛かる必要自体はある。非常ブレーキが、強すぎるのが問題か。あるいは止まった後の再発進の問題か。

「コンフォートゾーンから出る」と一口に言っても、その先は成長できるストレッチゾーン、テンパってヘタれるパニックゾーンの2つがある。パニックゾーンに入らないため、という観点から見れば、非常ブレーキは仕事している。

問題は人の行きたい場所=なりたい自分が確実にコンフォートゾーンの外にあることであり、転じて「必ずブレーキがかかる」ことである。ストレッチゾーンに入る際には非常ブレーキへの攻略が求められる。

リスクを取るのではなく、ぬるま湯からの脱却、と語っている。この考え方はいいな。じゃないと張り切ってパニックゾーンに突撃する奴がでるからな。言い方、表し方での工夫の余地はあるか。


強制的に居心地を悪くする。これは限界的練習に於いてのハードルをちょっと上げるような話と通じるか。パニックゾーンに入らないように注意するべきだとも思うが。

彼女の仮説では、行き詰まりを感じたらそれは「探求」が不足しているというシグナルであるとのこと。例の「景色」の話にも繋がるかもな。飽きの方の話と。

「スピーカーを設置して、あなたが自分に語りかける内容を放送したら、あなたは施設行きになるでしょうね」
「自分と話すあの感じで話してくるような人と、仲良くなろうとは思わないでしょう」
このあたりは昔書いた気がするな。まぁ、人の頭の中ってデフォでこういうもんよ。


感情に耳を傾けていたら、望みは手に入らない、としている。

ソクラテスはなんやかんやあって性格の悪い3バカに訴えられて死刑になった。
プラトン著「ソクラテスの弁明」では、ソクラテスはその裁判において、自分にはダイモニオン(神霊的な何か)というものがあるとしている。
それは間違いを起こさぬように、しばしば「声」の形でソクラテスに警告をした。しかし「何をするべきか」を教えてくれることはなかったという。

私はただ単にここで言う「ブレーキ」の擬人化だと持ってるが。これはメル・ロビンズが言う「人には自動運転と非常ブレーキしか無い」という話に通じると思う。「(理性的な)何をするべきか」、つまりは(理性的な)目的とそのためのやる気は備わっていない。

これらは感情的・直感的「ではない何か」から発するのだろう。決められたルートを巡るだけの自動運転と非常ブレーキだけじゃ、「知らない道は走れない」。

一方で熱狂じみたやる気は明らかに感情だ。衝動性とすら言える。片や理性的な、例えば自分のためになる、今は辛くて将来報われる努力のような「やるべきこと」に対して、持続的には出ない。せいぜい初手だけか。

何度も「決してやる気にはならない」としている。ここでのやる気は「行動に足る自発的な意思」だろう。もうこの時点で待ってて出てくるもんじゃないとわかる。

まぁ「決して」とは言いすぎかもしれないが、仮に何かの間違いでやる気が出たとしても、その時の自分のやる気が、事を為すまで続くと自分で思うだろうか。

今日のやる気が明日まで続いていると自分で思えるのだろうか。やる気なんて「気分」だろう。気分は毎日同じとは限らないよな。毎朝「気分ガチャ」を回すか? 一生かかっても足りんだろう。

つまるところやる気が出るのを待っていて、仮にやる気が出たところで、明日またやる気が出るのを待つことになる。かなり分の悪い賭けだ。湧いたらラッキーと思ってもよかろうが、当てにするものじゃないのではないだろうか。

5秒ルール。
湧いたやる気は5秒でブレーキが掛かる。それまでに物理的な行動に移せばブレーキはかからない。

私は「正しさ」や「道徳的」と当人が瞬間的に確信した行動が間違いであった事例を多く知っている。時にこれは死人を出す。なのでそれこそ瞬間的におえーってなった。

まぁ思いついたとおりに動けとは誰も言っていないし、メル・ロビンズも言っていたとおりメモをとるくらいでとりあえずは良いのだろう。

これを活かすには、瞬時に、それこそ5秒以内に、良し悪しが判断できなくてはならない。これを可能にするためには、予め有る価値観、方針、目的、そして何をやるべきではないか、もちろん対応のための状況把握もある。

まぁ、行けるっちゃ行けるか。ホワイトリスト方式で行けば手っ取り早いだろう。自身の進みたい方向に合致するアイデアだった場合、それらは状況が許す限りは全て拾い上げる、みたいな。

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