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積みゲー・積み本はいかんのか

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・いんじゃねーの。

・他にも積みDVDやら積みプラモやら。

 

なぜ手をつけないのか

意識的停滞

・以前のラスボス前症候群の記事でちょっとやったが、ゲームクリア直前でゲームを止めるような行動、クリアしたくない感情は、後に「意識的停滞」と名付けられて発表されている。

動機としてはゲームの世界にまだ浸っていたいとかそういったもので、独自の世界観を持った「大作RPG」と呼ばれるようなゲームで特に多い。

 

・一方積みの方だが、ワインに例えている例を見たことがある。ビンテージもののワインを飾っているようなもので、それ自体にもある程度の意味/価値がある、と。

見方を変えれば「ゲームを始める前」の状態で、意識的停滞を行っているように見える。「楽しみにしている感情」のキープ。

 

・人は暇になるのを嫌う。暇になるくらいなら自分に電気ショックを流すことを選んだなんて研究すらある。
「積み」は、少なくとも購入時には金払う価値を感じる物だ。要するに「楽しみな予定」として機能する。「暇になった時のストック」と言ってもいい。

この場合、ストック状態であることに意味がある。日課やタスクとして手を付け始めるとそうではなくなる。

期限切れの防災グッズを処理する時に、全く無駄だった、と思うだろうか。その間は「安心」は比較的あっただろう。

 

鮮度は落ちる

・詰んでるモノに対しては「まとまった時間にやろう」、という結論になりがちだが、実際にまとまった時間ができても消化しない、ということが結構ある。

興味や情熱には鮮度があり、時間とともに落ちる。その間に別のものを知ったりやったりするからしょうがない。

興味が冷めても、モノは残るわけで。

 

もう一つのコスト

・金を払えば物は買える。対象が商品である限りはそりゃそうだ。これは「入手」の話。

では、本でもゲームでも堪能するためには。少なくとも読破するまでの、クリアするまでの「時間」というコストを支払うことになる。

これは「まだ払っていない」。やってないんだからそりゃそうだ。
このコストが惜しい、あるいは払えない状態の可能性。時間がない、あるいは時間が惜しい、またはどのくらい時間がかかるかわからない。

 

・一気にやりたいって人はいる。この場合、まとまった時間が必要になる。中断されることを嫌うなら。

厄介なことに、対象が好きなほどに、楽しみなほどに、つまりは没頭したいと当人が思うほどに、始めるハードルが上がる。

 

・購入して確保するまでには、手間は殆どかからない。Amazonでポチってほぼ終わりだ。「とりあえず」のつもりで買っていたのかも知れない。

消化するかどうか決める前に買ったと言える。まぁ売り切れとか怖いからね。しょうがないね。シオランの『カイエ』とか7万5千円になってたからね。定価からして2万とかだけど。

 

手に入れることがゴールだった

・ラスボス前症候群のような、個人的なゴールの設定は、後にパーソナルゴールと名付けられた。

当然、個人的な目標設定であり、客観的なゴール=ゲームクリアよりも奥にある場合もあれば、手前の場合もある。

 

・釣った魚に餌をやらない、みたいな言葉がある通り、手に入れること自体がゴールである者がいても、別に不思議はない。人聞きは悪いが。

例えば旅行において、「計画立ててるときが一番楽しかった」みたいなのもこれに属する。Amazonの箱が届いても未開封のまま、ってパターンもあるな。受け取るまでがゴール。

加えて、消化のためには「時間」というコストを追加で払う必要がある。入手が主目的だった場合、相対的に消化が億劫になってもおかしくはない。当人的には、自覚がないとしても「ゴールしたのにまだ走らなければならない」という状態。

だったら義務や罪悪感を抱えて嫌々消化する必要なんて全く無いだろう。今回の場合は売上に貢献してるんだし、当人は手に入れた時点で満足してるんだし、何も問題ないのではないだろうか。そういう趣味ってことで。処分に困りそうだが。

 

・また、例え消化する時間はなくても手元に置いておきたい、という気持ちもあるようだ。手元にありさえすれば安心できると。

 

半端に手を付けてそれっきり

・説明書を読んでそのままとか、序盤だけやってそれっきりとか、そういうこともあるようだ。つまらなそう/つまらなかったというわけではないのに、なんかそこで終わってるという状態。

こうなる心理として考えられるのは、人が「もうすぐゴールだ」と思うと脳のスペックがガタ落ちするという話がある。タイミングとしては「あとはやるだけ」みたいな時に起きやすいだろう。

ジムや教室に入会したのに行ってないって人もいる。
気が早い性格なのかもしれない。この場合、本来は消化するつもりはあったことになる。

 

「やり遂げねばならない」

・始める前のプレッシャー。

本なら読破するまで、ゲームならクリアするまで、プラモなら組み立てるまで、「これのゴールはここ」みたいなイメージは初めから持っている。そこまで行けるかどうか、時間などのリソースに不安がある場合。

「途中で投げ出した/諦めた」という自己認識を人は持ちたくはない。結果、これまた「それだけの時間と気力がある時に」になる。

完璧主義の中には「完璧にできないから手を付けない」というタイプがいるが、傾向としては同じ。

 

消化より買うペースが早い

・そのまま業界に貢献してください。

実際消費者としては理想的だろう。消化する時間がないのに買ってくれてるんだから。

少し入手しようと決める基準を、今より厳し目にしたほうがいいかもしれないが。

 

・全てを追いかけるには時間が足りない、というのはよく聞く話で。例えばyoutubeにある動画の再生時間は、一人の人間が一生を掛けて見れる時間をとっくに超えているそうだ。

 

 

なんとなくめんどい

・いつもの。

 

・好きである限りあんまり気づけないものだが、楽しむためには結構な「勉強」が必要だったりする。世界観だとか、登場人物だとか、操作方法だとか、なんやかんや。慣れてれば全く平気だが、門外漢からみたらめんどくさいことを作品ごとに毎回やっている。

始めてしまえば楽しめるが、やる前にはめんどくさく感じるのかも知れない。大概のことはそんなんな気がするが。

 

・一見、気力的なコストの問題に見えるのだが、実際には予測や日課との織り合わせなどの「計算」で頭に負荷がかかっている可能性のほうが高い。

ある程度酒飲んだほうが文章が書ける、プログラミングが捗るという話があるんだが、アルコールは脳の機能を低下させる。アッパー系ではなくダウナー系。酒で頭良くなってるわけではないことになる。

これで捗るというのなら、その者に必要なのはやる気を出すとか気合とかじゃなく、リラックスが必要だったということになる。

つまりそれまで緊張や脳の興奮の状態だったと。大抵の「めんどくさい」は、やる気が無いんじゃなくてこっちだと思うね。

深く考えずに、「迂闊に」手をつけたほうがいいかも知れない。

 

没頭への警戒

・人は没頭ように気をつけている所がある。本やゲームで言ったら、夢中になって寝る時間がズレて翌日しんどいとか、そういったものへの危惧。生活サイクルが乱れることなど。

 

・もう一つは、没頭状態のある種の「自動的」である感覚を嫌っているという話。自分が自分の意志でコントロールできるという状態を維持したいという欲求。

何かに強く興味があるのに、「ハマったら困る」という理由で避けている、という人は別に珍しくない。

 

・これらは、過集中への懸念に近い。別にADHDだけの話じゃなく、子供の時などに時間を忘れて遊んでいて、帰るのが遅れて親に心配されるとか、何かに夢中になった結果に宿題忘れて親にめっちゃ怒られるとか、そういう経験はあるだろう。

まぁ怒り方は親次第だが、ともかく子供時代の過集中じみた自動的な没頭は、大体面白くない終わり方や、面白くない結果を招く。こう言った「経験」は、大小問わなければ誰もが持っているだろう。

子供の没頭しやすさは、単純に他があんまり目に入らないためだ。それと比べると、成人になれば認知能力も上がり、他のことも視野に入るようになるため、没頭は単純にしづらくなってくる。目的に対しての意識の純度は下がる。展望記憶などの予定を意識している部分もあれば、単純に情報量が多くなるためその処理などでも。

逆に認知症などで認知能力が低下すると、また他が「目に入らない」状態になるため、彼らは時に異様な行動力を発揮する。

 

・閑話休題。童心に帰ることになる「没頭」と、大人の自分とがうまいこと両立できんから手をつけることに「危険」を感じている可能性。

じゃあまとまった時間に存分にやろう、そうすれば大丈夫、となり、まとまった時間が取れなくて詰む/積む。

 

 

義務感について

・むしろ積んでることに罪悪感やら責任感やら義務感やら感じてることの方が気になる。

雪崩とか床が抜けるとかならわかるが、どう見ても「タスクを消化してない」という社会人的な価値観の悩みだろうこれ。プライベートのことなのに。

ツァイガルニク効果

・買ったら消化するのはまぁ、通常の「流れ」ではある。これを中断されると気になり続けるという現象がある。やり遂げないとスッキリしない心理

 

サンクコストの見誤り

コンコルド効果。「買ったのだからやらないともったいない」という心理。やろうがやるまいが支払った金は戻ってこないから「見誤り」。

「もったいない」という気持ちだけで消化するのなら、さらなるコスト(=時間)を費やすことになる。

 

消化したいという気持ちもある

・やるつもりはある、という場合。まぁ普通に考えて大体がこれだろう。ただ、その間に新作が発表されたり、興味は薄れたりで、やはり何かしらに追う/追われる気持ちは出てきてしまう。マイペースでいるのは難しい。このための焦燥。

 

メモ

・好きにしていい領域の話だ。競争社会の合理的価値観を持ち込みたくはないところ。

やりたいものがたくさんあるというのなら、どうしても時間的ライフハックとかそういう話になる。

つまらないと感じたらさっさと次へ行く、やりこみ要素は手を付けずクリアしたら次へ、などのルール設定だとか。なんか株やFXのパターンに似てるな。損切りとか利確とか。

 

・バートランド・ラッセル曰く、楽しみには受動的な楽しみと積極的な楽しみがある。受動的なのはSNSとかテレビ見るとか、そういったもの。

積極的な楽しみは、自分から取り組むもの。で、ラッセル曰く人類皆効率厨になった結果、積極的な楽しみはしなくなった、と。そのため喜びや充実も遠のいた、と。

積極的な楽しみをしない理由として、気力体力が足りてないから、という説もある。

振り返って、「積み」は、楽しむつもりがある/あったものなわけで、おそらく積極的な楽しみの位置にある。

では、それに手を付けられないのは。

「効率」が気になってしまうのかも知れないし、積極的な楽しみに取り組むには疲弊しているのかも知れない。

 

 







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