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ヨナコンプレックス:マズロー

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マズローは人間が大成できない大きな理由、その2つの内の1つとしてヨナコンプレックスを提言した。

幸せ恐怖症成功恐怖症、インポスター(詐欺師)症候群などに見られる「自分にとってプラスになる結末を迎えることを避ける/それに恐怖する」症状と類似している。

預言者ヨナ

『ヨナ書』の主人公はアミタイの子、預言者ヨナ(イオナ)である。ヨナは、神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネヴェに行って「(ニネヴェの人々が犯す悪のために)40日後に滅ぼされる」[4]という預言を伝えるよう命令される。

しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対の方向のタルシシュに逃げ出す[5]。このため、神は船を嵐に遭遇させた。船乗りたちは誰の責任で嵐が起こったかくじを引く。そのくじはヨナにあたったので船乗りたちは彼を問い詰めると、彼は自分がヘブル人で海と陸を造られた天の神、主を畏れていることを告白する(神から逃げていたことは既に話してあった)。

ヨナは自分を海に投げれば嵐はおさまると船乗りたちに言う。最初、船乗りたちは陸にたどり着こうと努力したが、激しい嵐のためできず、ヨナの言うとおり彼の手足をつかんで海に投げ込んだ。

ヨナは神が用意した大きな魚に飲み込まれ3日3晩魚の腹の中にいたが、神の命令によって海岸に吐き出された。

ヨナは悔い改め、ニネヴェにいって神のことばを告げると、意外なことに人々はすぐに悔い改めた。指導者はニネヴェの人々に悔い改めと断食を呼びかけ、人々が実行したため、神はニネヴェの破壊を考え直して、中止した[6]。

ヨナは、1度滅ぼすと言ったがそれを中止し、イスラエルの敵であるニネヴェの人々をゆるした神の寛大さに激怒する[7]。

ヨナがその後庵を建ててニネヴェがどうなるか見るためにそこに住んでいると、その横にひょうたん(トウゴマとも)が生えた。ヨナはひょうたんが影を作り日よけになったので喜ぶが、神は虫を送ってひょうたんを枯らしてしまう。

ヨナが激怒して、怒りのあまり死にそうだと訴えると、神はヨナに向かい、ヨナがたった1本のひょうたんを惜しんだのだから、神が12万人以上の人間と無数の家畜がいるニネヴェを惜しまないことがあろうかと諭す[8]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8A%E6%9B%B8

怒ってばっかりだなこの子。

敵国に「お前の国滅びるから」とわざわざ言いに行ったらボコボコにされることは想像に難くない。まぁ逃げたくもなろう。嵐にしたりでかい魚用意できるなら自分でやれよと神に対して思わないでもないし。

ともかく、ヨナが信仰心篤いと仮定して、「自分の使命から逃げ出した」と取れるこの話が、ヨナコンプレックスの由来となっている。

マズローのヨナコンプレックス

・成長しようとしない、自身と向き合わない、逃げ癖、先延ばしなどを指す。「安全」に恋い焦がれ、挑戦を怖がる。

・マズロー自身は至高体験(マズロー曰く「瞬間的な自己実現」。ゾーン・フロー状態に類する集中・没頭状態)や最高の状態への「恐れ」の気持ちのことを指した。これは自己実現を妨げるとされた。

・この言葉が現在一般で使われる際は、成長、挑戦などを避ける傾向を指すのに使われることが多い。総じて「自分のためになること、自分がやらなきゃいけないと本人が自覚していることからの逃避の心理」として。

恐れや行動に価値を求める

興味深いのは、ヨナが預言を伝えた後。
ニネヴェの民のリアクション(ヨナを素直に信じ、悔い改めた)に不満を感じたとも、それを見て滅ぼすのをやめた神に不満を感じたとも言われている点。

要するにこれは「自分の苦悩は何だったんだ」という不満だろう。この話は、ヨナが「言われたとおりにしていたら」、とてもスムーズに終わったことになる。ヨナはさんざん遠回りをした挙げ句、それを悟る。

恐れた「意味がなかった」。逃げた「意味がなかった」。いっとき恐れ、或いは逃げ、その果てに「諦めて」立ち向かい、克服した経験があるものならわかる感情だと思われる。

船上での下りを見る限り、ヨナは基本、正直者のようだ。自分を海に投げろと言う辺り、責任感もあるのだろう。

そんな彼でも自分の恐れやそれによる逃走に「意味」を求めた。これは執着と呼べる。逃げた「理由」、恐れた「根拠」を求めている。済んだ後なのに。

薄々思っていたのだが、人間「やってしまったこと」の正当化に対して非常に執着する。ヨナの場合は逃げてしまったこと。

例えば怒り狂ったニネヴェの人々に殴られでもしたら、神が預言通りにニネヴェを滅ぼしたら、ヨナは「納得」しただろう。自分の恐れと逃走は「意味があった/正しかった」と。

だがこれは本来の道から逸れた、「納得だけ」を求めた望みと言う他ない。普通殴られたかないし、滅んだなら伝えに言った意味はないからね(これは預言を警告とするならの解釈だが、40日の猶予があるのだから恐らくそうなのだろう。神がサイコパスではない限りはね)。

・仕上げにひょうたん、或いはトウゴマだ。そもそもヨナが庵を建てた理由が「ニネヴェの行く末を見届けるため」でかなり自身の「行動の結末/成果」に執着している様子が見られる。

神は「お前もケチなんだから俺もケチだわ」という屁理屈を言うためにわざわざひょうたんを生やした上で枯らしたらしいが、まあそっちはどうでもいい。
ここでのひょうたん、つまり日よけとは肉体的な安楽。それが失われた事によるヨナの怒り。スタートである「神から預言を賜った」地点から見れば、随分と肉体的、感情的な意思に囚われていることになる。

・要するに、「叶わなければ怒るほどに望んでいることが、本来の目的とズレてる」という結構どうしようもない事態になっている。

思考と肉体

大義だ使命だミッションだなどと御大層な呼び方をするのは好きじゃないが、自分で決めたやるべきこと、或いは使命感を感じるようなことというのは論理的思考に近い(大体人生設計に関係あるだろう)。当然直感的、感情的な思考/意思とは別次元であり、対立しやすい。

このような長期目標に対しての努力は、見方を変えれば肉体的・感情的には「わざわざ辛い目に会おうとしている」ことに他ならず、抵抗も激しくて不思議ではない。

いつぞやの冷水シャワーの話は自ら、特に意味もなく、肉体的に不快な目に会いに行くという構図だ。これが意志力/達成力に関わり得るのは、構図としては人生レベルでの「大義」を果たすために今、すぐに得られる何かは無い物事を、自ら辛い目に会おうとすることの縮図だからだろう。

直感レベルではこのような「大義」はメリットが一切無くストレスしか無い様に見えているはずだ。視野が時間的に狭いため、恐らく「やった最中/直後にどうなるか」しか見えてない。褒美はない。疲労はある。他にも辛い要素がある。その様に見えている。

それにより将来報われるとどれだけ確信していても。いっそ相手にせずに振り切ったほうが良い場面と思うが。

・人間は時間的に「遠く」にある大義よりは目の前の「欲求」が大きく見える。この辺りダン・アリエリーなどが詳しいが。
言い方を変えれば、「将来」自分のためになることよりも、「今」快楽を得たい、或いは「今」不快になることを避けたい、という気持ちが強く働く。

ヨナコンプレックスの名付け親のマズローにしても欲求階層説の提唱者だ。生理的欲求などが一番優先度が高く、社会的な欲求や自己実現などはそれらが満たされない限り目が行かない、とされている。少なくとも欲求の次元で見れば、自己実現よりも肉体的感情的な快不快への対処の方がプライオリティは高い。

人がプレイヤーとして「目指す/維持する」物事は基本的にこう言った肉体的/感情的安楽と両立し得ない(努力の余地はあるかもしれないが)。朝は無理にでも起きねばならぬ。夜は無理にでも眠らねばならぬ。殴りたい相手に無理にでも笑顔で接しねばならぬ。etc。

自覚もなく「当たり前」として受け入れているこれらにより削られる、日常的な消耗も原因の一つだろう。「これ以上しんどい目に自分からは会いたくない」と。即ちスペックではなくコンディション。といっても、日常に原因があるのなら、休んだ所でまた擦り減るのだろうが。

メモ

どちらかと言えば、ヨナが逃げたことよりもその後の行動、感情の方が目につく。自身の苦痛、恐れ、逃避に価値を見出そうとしているかのような。

一般においても不幸に意味がある、苦しみに価値がある、努力は「報われなければならない」、などの考えは多い。これらが「すでに支払われたリソース」であり、尚且「自分はまだ対価を受け取っていない」かのような認識が人間にはないか。

いや多分それは思いっきりサンクコストだろう。ドブに財布落としたって対価得られるわけないだろうに。「支払った」ことと「失った」ことを混同している。役に立たない不幸、役に立たない苦しみ、役に立たない努力はある。

その上で更に「元を取ろうとして」執着し、そのせいで更に損を呼ぶ状態。ただの損失が、いつの間にか「負債」になっているかのような。







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