・同じことでも、気分によってやる気が出たり、出なかったり。毎日やるタスクで多いだろうか。
取り掛かる意欲、モチベーション。何が「やる前のやる気」を決めているか。
確立操作
・梱包材のプチプチを潰すとかあるが、仮に頼まれても熱心には潰さないだろう。
だが暇を持て余したら自分からやるだろう。
これはタスクの価値が変化しているとも言える。めんどいことからやりたいことへ。
・同じ人間が、同じものに対して、違う「やる気」レベルになることがある。これは誰もが認めるところだろう。勉強してる時に部屋の掃除したいとか。
この場合に何が違うのかと言えば、それはそのタスクより前にある要素、即ち「状況」。
ペットボトル一本の水道水に千円払う奴は普段は居ない。高いからだ。
だがそれが砂漠のど真ん中だったら安いかもしれない。そういう話。
状況が違えば、価値が変わる。状況自体がタスクの好悪、難易度を測る「判断材料」になっている。状況や環境が基準。
・これに類似しているのが、オペラント条件づけの「確立操作」という概念だ。
スキナー箱に絶食させておいたネズミを入れ、ブザーが鳴ったときレバーを押すとエサがもらえるようにしておくと、やがて、ネズミはブザーの音に反応してレバーを押すようになり、ブザーが鳴った直後にネズミがレバーを押す頻度(確率)が増加していく。これが正の強化の一例である。
このとき「レバー押しの動作がエサで強化される」と表現される。
エサは出現したことによって直前のオペラント行動の自発頻度を高めたので好子と表現される。絶食させたことが、餌に強子としての特性を与えた(確立した)ので、絶食を確立操作という。
ブザーはエサに先行して出現しているため先行刺激と呼ばれる。
ブザーが鳴っているときにはレバーを押し、鳴っていないときには押さなくなった場合、ブザーは弁別刺激と呼ばれる。
確率じゃなくて「確立」。
腹が減っていたからエサに対して欲求が生まれた。この結果エサがレバーを押すという行動の「ご褒美」となりえた。ネズミが腹いっぱいなら、エサは「ご褒美」にならない。
このように、前提条件によって物事の価値が変わる。価値の高低どころかプラスかマイナスかが変わることがある。
タスクの見え方が違ってくる
・例えば一人のサラリーマンが居たとする。
彼は望んだ会社には就職できず、妥協で入社した所で稼いでいるとしよう。
仕事は彼にとっては楽しくない。やりがいはない。特に仲の良い同僚がいるわけでもない。自由気ままな一人暮らしで、家では趣味に没頭する。
毎日、仕事中は「早く帰りたい」と思っているとする。
そんな彼が、今日は残業だと知ったら、うんざりするだろう。
・全く同じ流れで同じ会社に入り、同じ仕事をして、仕事に対しての意欲も社内の人間関係も同じなもう一人はどうか。
こちらの場合妻子持ちで、妻は家にいる間小言を言い続け、自分の言ってる言葉にヒートアップして最終的に物を投げてくる。
子供はバットを振り回し、盗んだバイクで走り出す。
飼っている犬は噛んでくる。そんな賑やかな家庭だったとする。
ぶっちゃけ家には帰りたくないが、絞りに絞られた毎月の小遣いでは外で時間を潰すこともできない。
そんな彼が、今日は残業だと知ったら、嬉しいだろう。
……まぁ冗談抜きで出社拒否ならぬ「帰宅拒否」ってあるらしいよ。
ともかく、同じものに対して感じ方が違うわけだ。この二人の違いは「家」だ。そこで過ごす時間は片やフリーダム。片やストレスフル。ここは明らかに違う。
この明らかな違いが、同じ「残業」という部分の価値をプラスかマイナスかに分けている。事前の状況が、残業の価値をそれぞれの形に「確立」したわけだ。
・前提状況のせいで、それが「やる気が出るタスク」なのか、「やる気が出ないタスク」なのか変わるかもしれない。
「退屈」が動機となる
・プチプチから考えるに、「暇つぶし」は動機になりえる。交流分析の『ゲーム』、つまりお互い嫌な思いをする不快なコミュニケーションの動機の一つにも暇つぶしがある。
裏を返せば、別にタスクに価値がなくても人はそれをやることがある。
「暇だから」が、自発的な行動の動機として機能する。
・だから、やることに集中したければスマホ片付けろ、って話が多い。
ベタだが、作家が締め切り前に旅館に籠もる「カンヅメ」なんかもそうだろう。
これも他にやることがない環境に移動し、加えて締め切り前の特殊な集中状態にもなるだろうし、対処としては理にかなっている。
計画実行能力としてはそうなった時点でなんかアレですが。
一番多そうなのは、喫茶店や図書館での受験勉強だろうか。まぁ喫茶店は結構迷惑になるらしいけどね。
・人間は退屈を嫌う。面白い実験がある。
200人程を対象に、なにもない部屋で6~15分間何もせずに過ごさせるという、ただそれだけの実験。
だが、何かを考えようとしても集中するのが非常に困難だった。なにもない部屋が原因なのでは、と考えて、今度は自宅でそれをやるように指示した。
今度は三分の一がその指示を破り、スマホをいじるなどしたと白状した。
「何もしない」ということに、耐えられなかったということになる。
次に電気ショックを用意した。
強さは、数値としては不明だが、実際に電気ショックを与え「これを避けるためなら5ドル払うか」という質問に、殆どの人間がイエスと答えるような強さ。
この電気ショックを「希望するなら使っても良い」として、先程の「なにもない部屋」に再び入れる。
男性被験者18名中12名=67%が、暇すぎて最低一回は自分に電気ショックを与えた。女性は24名中6名が。
この被験者たちは事前に電気ショックを与えられ「これを避けるためなら5ドル払うか」という問いにイエスと答えた人々と同じ。
つまりどれだけの電気ショックかわかっていて、自分からやった。
・金払ってでも避けたい「嫌なこと」よりも、15分の退屈の方が嫌だという人がいるということになる。
電気ショックを流した男性の平均回数は1.47回。
ちなみに15分で190回電気流したおかしな奴がいたらしいが、平均からは除外されている。
参照:https://wired.jp/2014/07/07/men-would-rather-give-themselves-electric-shocks/
・要するに、「他にすることない」という状況は、気持ちをタスクに向ける上では有効になる。
暇を持て余した上でそのタスクをやりたくないのなら、恐らく心理的な阻害要因がある。
大抵は苦手意識が恐怖。学習性無力感とか、「完成したら人に見せなきゃならない」というのが怖いとか、まぁなんかそういうのが。
もっと漠然とした「嫌いだから」という認識かもしれないが。
だが「退屈」は、その「嫌いだから」という理由を上回るかもしれない。
・とりあえずは時間泥棒を遠ざけたほうが良いだろう。退屈になればあらゆる「行動」の魅力が上がる。
ここでの時間泥棒はつまり、「タスク以外に暇を潰せるもの」が該当する。
裏を返せば「作業中に別のことをやってしまう」というのも非常に合理的な行動になる。
目的が「退屈から逃れる」だから、手軽さが高い方が選ばれる。近くにそれらがあれば、そちらに流れるだろう。
・前述の実験は、「自発性を発揮できない、自分がコントロールしていると思えない環境」への嫌悪感ではないか、と考えられている。
これは、「やらなきゃいけない」という義務感から動くより、「暇だからやるか」という自発的な動機の方がやる気がでるのではないかとも考えることができる。
幸いにも、15分かからずに、大の大人が耐えられない程の退屈になる。
数分のつもりで、じっとしてみるくらいは、やってみても良いのではないか。
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