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「いまここ」と「自分の大きさ」:マインドフルネス

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簡単な「いまここ」

例えば受験勉強とか、テスト勉強とかで。ここまで勉強しよう、これだけの時間は勉強に集中しよう、として。

まぁ5分位で部屋の片付けしたくてしょうがないとか、スマホ見てぇとか、テレビ見てぇとか、外の音うるせぇって状態になったとしよう。気が散ってるね。

この状態、「集中することを学ぶ」という観点に於いてはそんなに悪い状態じゃないそうだ。

まず自分がどのくらい集中できないのか知ったという点。

次に意識を一箇所に向け続けるのが元から非常に難しいという事実と直面した点。

そして自分の意識が「いまどこに向いているのか」を自覚している点。つまり「気が散っている」ことに「気づけた」点。

これらは集中、つまりは意識の扱い方の入り口だとする解釈もある。

「いまここ」も同じで、気にしていればすぐに分かると思うが、意識なんぞ一日に100回はかっさらわれるだろう。いや、人間の思考が一日に数万回だと言う説もあるし、そうだとしたら数万回誘拐されていることになるな。まぁ別に常に「いまここ」にいなきゃならんのかというのもちょっと怪しいんだが。

まぁ大体はいまここにはいない。つまりは「いまここ」の初歩としても、「いまどこ」に注意を向けているのか、それを自覚する所から始めるのは有効と言える。

「それを自覚している/しようとしている部分」が「あなた」であり、いま、そこにいる。

 

「自分」の大きさについて

「いまここ」について一つ注意する必要がある点。多分、マインドフルネスに於いて最も重要なこと。

いまここは「現実」に注意を向けるわけだが、その現実には私的なもの、つまり自分の思考、感情、感覚、記憶などは「含まれる」。これらを無視して目を凝らし耳を済ませるようなことは間違いだということ。

加えて「自分」の範囲について。思考、感情、感覚、記憶などは観察対象たる現象/現実ではあるが、「自分の外」という位置扱いになる。

ここでの「自分」は「いまここ」にある意識のみと定義され、それ以外は全て違う。

これらはナチュラルに自分の管轄下だという認識をしていることのほうが多いだろう。だからこそ自分の考え、自分の感情、自分の頭の中なのに、自分の思い通りにならない、と悩んだりしたり。なんてことはない。元から管轄外だ。

・実験で、刺激/合図があったらボタンを押す、というシンプルなものがあるが、測ったら刺激を知覚→ボタンを押す→刺激があったからボタンを押さなきゃと思うという順番だったという話がある。

 

自発的運動に関する研究から、意識的決定の体験は行動に先んじない事が確認されており(つまり後追いする)、脳内で神経細胞の活動が始まってから数百ミリ秒後に意識的決定の体験が起きる、という順序が確かめられている。

このことから「意識とは自分の現状をモニター(監視)する機能である」と結論付けられつつある。 つまり意識はモニター監視した結果をフィードバックする事で、その後の行動に反映するという形で間接的に行動を制御できるが、その瞬間瞬間に行動を直接的に制御しているのではない、といったことである。

簡潔に、私たちが持つのは自由意志(free will)ではなく自由拒否(free won’t)だ、と表現されることもある。意識的決定と運動に関する先駆的な研究は1980年代にアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットにより行われた[26]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98

ベンジャミン・リベットの実験によれば「ボタンを押そう」と思ったのは、「ボタンを押してから200ミリ秒過ぎたあと」だった。これにより「自由意志」が疑われ、代わりに意識の役割は「自由拒否」である可能性が挙がってきた。

ダニエル・デネットがこれは被験者の主観的な報告に依存していることを指摘している。実際そのとおりであり、まぁ鵜呑みにするわけにはいかないのだが。ただ、再現実験でも同様の結果になるという話も確かあったはずだし、軽視もできまい。

これらだけで考えるならつまり、「私達」の本業は、観察ってことになるね。認知を認知できているメタ認知の状態こそ「私」であり、それ以外は「私じゃない」ことにもなろう。

つまり「いまここ」とは「自分を取り戻す」こととも言える。手始めとして、見失っていることに気づくことも挙げられるだろう。

そして恐ろしいことにそれ以外の「自分」は勝手に動いているってことになる。こうなると自分に向かっての罵倒や叱責も無理はないな。
まぁこれは判断、決断、思考などではなく反射反応の領分の研究ではあるが。

反射反応の領分ではあるが、だからこそ「思い浮かんでしまったこと」「思い出してしまったこと」「気にしてしまったこと」などに人は弱い。それをなんとかしようとして、そこに意識が囚われる。

これは現場責任者が「持ち場」を離れることを意味するだろう。そうなれば「全体」がグダグダになる。まとめ役がどっか行ってんだから当然だ。何かを一日中気にしていて凡ミスが多い、とかがその状態と言える。

「心ここにあらず」とは上手いことを言ったものだ。







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