自己愛と言えば一般には性格が悪い、自分勝手な人間のようなイメージを持たれている。まぁ大体合ってるが、「別の自己愛」があり、こちらの方が日本人には多いとされている。
「健全な自己愛」の存在
まずはちょっと違う話を。オットー・カーンバーグによる定義では自己愛は3つある。
- 健全な大人の自己愛
- 健全な子供の自己愛
- 病的な自己愛
単純に「健全な自己愛」という概念があることを知ってくれればいい。大人にも子供にも、それぞれの形で。
そもそも自分のことを第一に考える、つまり自己中心性は字面は悪いが当たり前の話だ。その上での他者への配慮があれば上等だろう。
本来の自己愛的な機能が弱化された状態がアダルトチルドレンとも言える。彼らは環境に適応することを強いられ続けた結果、他者を最優先とする傾向が強い。逆を言えば自己中心性が必要以上に抑制されている。後述するが過敏型の自己愛といくらか特徴が一致する。
「自己愛」そのものは「要素」でしかない。自己愛が問題なのではなく、自己愛「に」問題が出る。
逆を言えば、自己愛をこじらせれば誰でも「病的な自己愛」になりえる。病気と診断されるほどではないかもしれないが、特に人間関係において生き辛さの原因となるかもしれない。
関連ページ:
_アダルトチルドレンの6つのタイプ
自己愛の病理
・一般で言われる言葉としての自己愛、例えばナルシシズム的な自己陶酔、転じて他者への迷惑を顧みなかったり侮辱などを好んで行う傾向などは自己愛の病理と呼ばれる。
この病的な自己愛やそれよりもっとひどい自己愛性人格障害などが代表的な「自己愛」のイメージだが、それ以外にもタイプが居ることがわかっている。その中には他者への攻撃性は比較的持たないタイプも居る。
・それぞれの研究によりマスターソン、ブロウセック、パーステン、ロゼンフェルド、ウィンクなどが自己愛性人格障害の分類を行った。それぞれ2~4分類に。
多すぎてちょっとめんどくさい。
・実際めんどくさかったのだろう、これらを包括した2つに分類してスッキリさせたのがグレン・ギャバード。ネット上で自己愛のレポートを探せばまず名前が書かれているだろう「Gabbard」。
グレン・ギャバードによれば自己愛は誇大型と過敏型に分けられる。これが「現代において広く受け入れられている」とされている。
誇大型・無自覚型 oblivious type
・無関心型とも。一般のイメージ通りの自己愛。自己愛性パーソナリティ障害で言われているのはこちらになる。
- 他の人々の反応に気づかない
- 傲慢で攻撃的
- 自分に夢中である
- 注目の的である必要がある
- 「送話器」はあるが「受話器」はない
- 見かけ上は他の人々によって傷つけられたと感じることに鈍感である
この尊大さはWikipediaによれば、「強力な劣等感、及び決して愛されないという感覚に対する防衛」と考えられているとなっている。
また、脆い自尊心のため自己に向けられる批判を処理できず、自己正当化を試みるために他者を軽んじるとされる。
カーンバーグによれば誇大自己、他人への要求がましさ、高い攻撃性が挙げられている。
・「送話機はあるが受話器はない」というのは自分はよく喋るが人の話は聞くつもりがないってことだ。
これはアサーティブ(自他尊重)における「不適切な自己主張」であるアグレッシヴ(攻撃的)タイプと共通する。
勝ち負けで考え、早口でまくし立て、相手に喋らさなければ自分の勝ちだと思っており、過剰な自己防衛で相手を傷つけ、相手を見下すことで自分は優位にあると見せようとする、とされる。
繰り返すが、これは誇大型自己愛の描写ではなく「このようなコミュニケーションを取る者がいる」という分類である。どう考えても人格障害者だが。
挙げ句に「根底には自己否定的な感情がある」とされ、これも自己愛の病理に共通する。
早口でまくし立てて相手に喋らせないのも「他人の意見を聞くのが怖い」という心理にも見える。えらく攻撃的な拒否回避欲求だが。
・なお「悪性自己愛」というものもある。上記の誇大型の自己愛の病理に加えてパラノイア(妄想性の人格障害)の特徴を含めうる。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/1922/”]
関連ページ:
_アサーティブについて
_承認欲求について
過敏型 過剰警戒型 hypervigilant type
・日本人はこちらのほうが多いとされる。
福井(1998)によると,「日本の症例における誇大的な自己の現れ方は,どちらかと言うとそれほど派手ではなく,臨床像はむしろ自己評価の低さ,抑うつ感,引きこもりといった形をとりやすい」。
これは,Gabbard(1994)のいう過敏型に近く,日本の臨床場面では,過敏型自己愛傾向の事例が多いと考えられる。
- 他の人々の反応に過敏
- 抑制的、内気、表に立とうとしない
- 自分よりも他の人々に注意を向ける
- 注目の的になることを避ける
- 侮辱や批判の証拠がないかどうか他の人々に耳を傾ける
- 容易に「傷つけられた」という感情を持つ。羞恥や屈辱を感じやすい
これらをまとめて「恥」の感情が強いとされることもある。
回避性パーソナリティ障害と重複する面があるとされる。
対人恐怖症の原因とも見られている。
自己愛的脆弱性
過敏型の特徴は自己愛的脆弱性とも呼ばれる。定義は以下。
上地・宮下 (2005, 2009) は,自己愛的脆弱性を“自己愛的欲求の表出に伴う不安や他者の反応による傷つきなどを処理し,心理的安定を保つ力が脆弱であること”と定義した。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/list/HU_journals/AA11616129/–/12/item/34588
自己顕示への不安、他者反応に対しての打たれ弱さ。
下位尺度として4つの要素がある。
出典:自己愛的脆弱性尺度短縮版
承認・称賛への過敏性
・人にどう思われているのかをとても気にする傾向。
- 自分の言動が他人に良く評価されないと気になってしょうがない。
- 他人が自分に注目をしていない時、無視されているように感じる。
- 長所を褒められたり、認めてもらえないと自分に自信が持てない。
- 批判をされると、それがずっと気にする。
- 相手が自分を避けているように感じたら、とても落ち込む。
これは他者からの扱いを根拠に自分の価値を決めていることを意味する。
恥傾向と自己顕示抑制
・自己顕示を恥ずかしいものと強く感じ、抑制つまり「我慢」する、しなくてはならないと思っている傾向。
- 自分のことを話しすぎたと思って自己嫌悪に陥ることがある。
- 人と会話した後、「あんなに自分を出すのではなかった」と後悔する。
- 誰かと会話している時、自分の話題で時間を取りすぎてはいけないと思って気にしている。
- 人前で自分のことを話した後に、その内容について後悔する事がある。
- 他の人に自分のことを自慢するような話をすると、後で後味の悪い感じがする。
なんか、ほとんど被ってるように見えるんだが、短縮版の尺度でこれだから多分意味はあるんだろう。
自己開示したくない欲求(自己開示抵抗感)が見て取れる。ただその場合の抵抗を感じる要因は、開示の内容、開示した相手からの評価、言われた相手が困るのでは、など様々だ。
潜在的特権意識とそれによる傷つき
・自分への特別の配慮を求め、それが叶えられないと傷つく傾向。
- 周りの人の態度を見て、自分への配慮が足りないと感じることがある。
- 周りの人に対して「もっと自分の気持を考えて欲しい」と思う時がある。
- 周囲の人がもっと私の能力を認めてくれたらいいのにと思う。
- 他の人が自分に対して丁寧な態度ではないので、腹が立つことがある。
- 周りの人に対して「もっと自分の発言を尊重して欲しい」と思うことがある。
全体的に、自分が周囲の人間に蔑ろにされていると感じている。だがそれは誇張された自己との対比(不当に自分は尊重されるべきと思い込んでる事による現実とのギャップ)であり、周囲の扱いは妥当である可能性も。
自己緩和不全
・自分の強い不安や情動などを自分で緩和する力が弱いこと。自分でそれができないので、他者に調節、緩和してもらおうとする。
- 精神的に不安定になっている時には、誰かと話をしないと落ち着くことができない。
- 不安を感じている時には、誰かから「大丈夫だ」と言ってもらわないと安心できない。
- 悩んだり落ち込んだりした時に相談できる人が身近に居ないと、自分は生きていけないと思う。
- 悩みや心配事がある時には、自分の中にとどめておけずに、すぐに誰かに話したくなる。
- 辛いことや苦しいことがある時には、身近な人にそれを理解してほしいと強く期待する。
まぁ余程の不安になればこうなっても不思議でもないが。逆に「余程じゃなければやらないこと」が日常レベルの頻度なら他人にとっては重いだろう。
実際にこれらの不安に対して「少しも耐えるつもりがなく、条件反射的に他者に頼る」人間をいくらか知っている。
メモ
・自己愛的脆弱性の特徴を雑にくっつけると、自分は他より凄いから特別扱いしてもらいたいとは思っているけど自己顕示はみっともないから我慢してその結果ストレス抱え込んでる。
実際には経緯も様々、内心も様々だと思う。
・誇大型に至っては、自分へ決して愛されないから相手を侮辱して自分を上だと思わせたり、相手の弱みを握って支配したりして捨てられないようにしよう、というまぁだいぶ悪い感じになる。そんな言動したら確実に「縁を切りたい人」になるため、最初の「自分は決して愛されない」との信念を自分で叶えていることになる。
多くの人格障害が、内面の処理ができずすぐ行動に移す(行動化と衝動性)。この「行動」が社会的、対人的に問題になるから障害とされる。逆を言えば、行動に出す前に処理しているなら珍しくない心理ではある。劣等感も恥の感情も、一般的だろう。
・無自覚型と過敏型は、アッパー系コミュ障とダウナー系コミュ障に対しての世間のイメージにそのまま当てはまる。「自己愛の病気」ほどではない無自覚型と過敏型の内、いくらか浮いている者たちがこう呼ばれているのではないか。種は誰にでもあるのだが。