睡眠

「寝たくない気持ち」と「死んでいる時間」

投稿日:2018年12月21日 更新日:

https://embryo-nemo.com/388/に関連して。

チェ・ゲバラ曰く、「人は毎日八時間かそれ以上、商品として機能する。つまり比喩的に言うと、個人としては死んでいる」。

自分のために使えない時間を、ここでは仮に「死んでいる時間」と呼ぼう。

24時間のうち、7時間を睡眠に割くとしよう。残り17。8時間は「死んでいる」としても (8時間で済むのも稀だと思うが) 、例えば朝の支度、通勤時間、明日の準備など「備えるため」に時間は取られるだろう。

トータル2時間だとしたら、残り7。この時点で起きている時間の内、「死んでる時間」のほうが「生きてる時間」より多い。

更に自分の時間と行っても、近所付き合いや友人付き合いなどの、ドライな言い方をしてしまえばこういったことへの「コスト」もある。社会的動物たる我々は、こういった「付き合い」は無視できない量になる。しかも相手のタイミングで唐突に発生することも多い。特に電話とか、SNSとかの「通信」に拠って。

これを残り7時間から支払わなければならない(まぁ気にしないで済むならそれに越したことはないが)。

自分のためと言えば自分のためだが、「自由な時間」と言うよりは習慣的か社会的な要素である。気の合う友人と楽しむ、というよりは「付き合い」的な人間関係の話し。少なくとも「自分の時間」のイメージにはあまり合致しない。

さらに食事や入浴などの、日々の習慣的要素。これは人によっては楽しめるだろうが、人によっては機械的に消化されるタスクである。人によっては時にカットされる。付き合いと生活の諸々、適当に二時間くらいってことにしてみようか。残り5

「自分として生きられる時間」は一日5時間しかないとしたら、「寝るのがもったいない」と感じるのも道理だろう(思ったより結構残ったな)。事実として希少な時間だ。それと同時に「朝が来てほしくない」という気持ちも一定の共感はできると言わざるを得ない。また死ぬわけだし。

一日の約20%の自分の時間。

さて、死から目覚めて5時間の「自分の時間」を生きるとしたら、まぁ気合入るだろうね。憂さ晴らしのように、何かを取り戻そうとするかのように、自分の時間を充実させようとするかもしれない。

充実させる/満足するために時間が足りず、捻出する必要があるとしたら、死んでいる時間は大体削れないから次のターゲットは「睡眠時間」になるだろう。他にはないし。

例えばむしろ仕事が終わった後こそ張り切っていないだろうか。エナジードリンクやコーヒーなど飲んだり、何もしなくても勝手にテンション上がったり。

後は普通に目の前に「やりたいこと」があり、それが可能である場合、人は集中状態というか、興奮状態と言うか、ちょっとテンション上がってる。あるいはそうなれるものを「探し続ける」結果の夜更かしだとか。

ドーパミンがどうこう以前に、充実感と睡眠は関係があるのかもしれない。一日が「不満」だから、活動に拠ってその価値を取り戻そうとする。あるいは日中が充実感のない「死んでいる時間」だから、それを避けようと抵抗する。

なんか、早起きして朝に「自分」として活動すれば良いような気がしてきたが。個人の予定だけで済む話だけではない場合も多いからなんとも。

やはり「死んでいる時間」に充実感を見出せるかは一つのテーマになるだろう。つまり死んでいる時間を、生きている時間に変える。

ただ「死んでいる時間」に対して、人によっては学習性無力感のような、どうしようもなくて、そして苦痛を齎すものと言ったイメージを強く持っていることも多い。

このページの前半の「時間割」がピンとこない人は多分そのイメージはない。逆に同意するなら、ちょっと「死んでいる時間」に対して嫌悪感が強いと思われる。死んでいる時間が不快で、無価値で、「もったいない」と思っている視点での話だからだ。理由はそれぞれだろうから単純に見方を変えろとも言えないが。







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