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人が口にする「世間」、「社会」、「みんな」とは何か

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人が口にする「世間」、「社会」、「みんな」とは何か

「みんな」って誰だよこの野郎。とか思うこと一度くらいあるだろう。結構昔からそう思う人は居たようで。

 

夏目漱石

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

夏目漱石 草枕

この「向う三軒両隣」は、現代ではメディアやSNSやらなんやかんやに入れ替えるべきだろう。結局の所、「ちらちらするただの人」には変わりないが。

現代は「情報洪水」とも呼ばれることがあるほどに情報量が多い。昔の人間の数年分、数十年分の情報が現代人の一日の量だ、なんて意見もある。また、SNSなどが特にそうだが、「見せたい自分」を多数の人間に見て貰う機会を現代人は手に入れた。自分の最高、は言い過ぎかもしれないが、ベストな感じの一瞬を。

また、メディアや広告によって「理想像」が作られている点もある。これは結構深刻な問題となってる場合もあり、ベタだが無理なダイエットをさせる動機が「モデルのような体型になりたい」、エスカレートしてそうじゃなきゃ見向きもされないという「世間」のイメージが出来上がっているケースもある。

イスクラ・ローレンスはこれらを「自己肯定感を攻撃する大量破壊兵器」と称した。

 

まぁやたらと比較をする人間のシステムにも問題はあるし、なんとか出来るとしたらそっち方面だとも思うけどね。業者にしたって売れない広告は金払って出したりはしないだろう。実際に「攻撃的な」ものが多いのは、それで目的は果たせるからのはずだ。

何かを知り、理解するのも大事だ。しかし結局の所は、向こうからこちらに飛び込んで来る情報は、誰かが何かを目的とした「見てもらいたい情報」だけだ。

こちらにとっては不要なものも、もちろんある。スルースキルは必要だし、「アンテナを畳むべき方向」もそれぞれにあるだろう。

太宰治

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、

「世間というのは、君じゃないか」

という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)

(いまに世間から葬られる)

(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗、冷汗」
と言って笑っただけでした。

けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

太宰治 人間失格

まぁ女癖は置いといて、「世間」に対してのそれまでのイメージと視点は注目に値するだろう。

「強く、厳しく、怖いもの」というイメージは、恐らく多くの人が持っている「世間」のイメージと合致するはずだ。だからこそ完璧主義者は社会規定型が一番多いし、過敏型の自己愛だって気にしているのは「世間」だし、親の予防的態度だって想定しているのは「世間で通用するように」だ。

何よりも、「恥」の概念が人の言動に与える影響がかなり大きいのもこれだろう。ともかく多くは、そのおっかない「世間様」に必死こいて合わせようとする。

その世間様が、夏目漱石の話やイスクラ・ローレンスのトークとも繋がるが、「実在」が怪しい。せいぜいが当人の目に入ったものの、更に特徴的な要素の集合体であり、言ってしまえばツギハギだ。キメラやフランケンシュタインの怪物に近い。そして作ったのが当の本人。

ここまでの「世間」は当人の脳内で出来上がる、言わば「自分以外のすべての人」のイメージだ。顔のない人々。そのモデルは、当人が見聞きし、想像した人々。

 

もう一つ、「世間」という言葉を使う人々の、その時の動機について。「世間というのは、君じゃないか」って所だね。

これは裏を返せば、個人の意見を「世間」の皮を被って言っているということになる。何せ強くて、厳しくて、怖いものだからね。「怖がって言うことを聞くだろう」と思えば、まぁやるだろうね。

 

二種類の「発言の意図」

雑に分ければ、人は「表現」と他人を「操作」することを目的とした2つの目的で言葉を使う。
「目的」が違うのであり、言葉が違うとは限らない。

例えば腹が減ったから「お腹が空いた」と言うならそれは「表現」だが、飯でも作ってくれそうな相手に向かってそうしてくれることを予測/期待してそう言うのなら、これは「操作」にあたる。

だってほら、相手が「へぇそうなんだ」で話終わらせたら不満に思うだろう。人によっては「あいつは空気が読めない」とか言ってヒス起こすね。

後者は心理学で言えば、ダブルテイクやトリプルテイクにあたるだろう。言葉には二重・三重の解釈の余地があること。そのうちのどれかが「目的」で、それ以外はまぁ、発信者にとってはハズレだ。

もちろんストレートに「指示」とかの場合もあるが、これはあんまり歓迎されない態度なのはご存知の通り。

これを避けてなのか、人は婉曲的(遠回し/回りくどい)表現を好む傾向がある。相手からしても断りやすいので、本来はWIN-WINだね。本来は。

さぁ、素が回りくどい「人間」という生き物が、相手に自分が意図した影響を与えたければ。ある程度「世間体」も加味した方法は、と考えれば、まぁ世間を騙るのは思いつくだろう。

割と簡単に思いつく、あるいは真っ先に思いつくことでもある。子供でもよく言うしな。みんなやってるよー、みんなと違うよーみたいなな。親が子供を操作するためにも言うからどっちが先かもうわからんが。

見方を変えれば少なくとも現状「よく使われている手段」になっているかもしれない。

まぁ操作が必ずしも悪いとも限らないのだが。相手が自立どころか自分の身も守れそうもないなら尚更に。ただ今回に限って言えば、自分の発言に「威力」をもたせよう、という動機にはなる。そして有効な手段としての「世間様」。

 

、「過度の一般化」/早まった一般化

本気で、みんなそうなんだとか思っているから世間とかみんなとか言っちゃうケース。これは前述の「当人が思い込んでしまった世間のイメージ」の一因にもなる。

自覚がない分タチが悪いこともある。「親切で」言ってくることもあるからだ。親切とか正義はブレーキかからんからね。間違ってたら当然脅迫、暴力になるのにね。

認知の歪みの一つとしてあげられる過度の一般化とは、少ないサンプルから全体もそうであると思いこむこと。

例えばある男が付き合った女3人くらいに貢がされた挙げ句浮気されて捨てられて「女はみんなろくでもない」とか言っちゃうケース。少なくともその男の女を見る目か女運はろくでもないと思うが。

まぁ、言うまでもなくサンプル3人だ。地球人口が2017年で75.3億人だ。めんどいから半分女ってことにしよう。37.65億人ろくでもないって言っちゃうのは、まぁ飛ばしすぎだね。これが過度(飛ばしすぎ)の一般化(全部そうだとすること)。

「早まった一般化」も似たような意味で使われる。違いは、前者は心理学であり根拠が個人の経験、後者は類推の危険とも言われて研究者バイアスのような扱いをされていることくらいだろうか。

まぁこういった勘違いというか、歪んだ認知の仕方を人はしやすい。ある意味では間違いではなくて正しくもある。さっき女運か女を見る目はロクでもないだろうなと書いたのは余計な茶々ではなくて(八割そうだが)、彼の結論は頭に一文添えれば正しくなる。

即ち「自分にとっては、女はろくでもないものだ」と。はい、個人の経験からの個人の主観になった。これにケチをつける筋合いがある人間はいないし、「彼」当人も気が変わったらその意見は捨てればいいね。

さらに「今の所は」とつけるのもいい。暫定になるし、本来元からそうだ。

過度の一般化の場合、「一般化」なのがネックになる。要するに世間、社会、みんな、即ち「」としてしまうから、当人のイメージを否定するような現実に直面してもレアケースだと判断する。「この人は違う。でもそれ以外は世界観の通りだろう」、みたいになりやすい。この人は違うって思うまでに相当苦労するだろうし。

 

エコーチェンバー現象/二度聞き効果

「いいや、確かにみんながそう言っている/やっている。あの人もこの人も、みんなそうだ。これについては間違いない」とか思うケースもあるわけだ。まだ間違ってる可能性はあるんだけどね。

エコーチェンバーと二度聞き効果は似たようなものだが、ちょっと分けよう。

二度聞き効果から。

閉鎖空間の二度聞き効果とか、交差ネットワークによる二度聞き効果とも呼ばれる。
これは繰り返し流れてくる情報を信じてしまう現象。噂が広まるのは早い。でも時間差はある。Aがあなたに話して、Bもまたその話題をあなたにしてくるかもしれない。

1つの情報源から流れた情報が、時間差で何度も耳に入る。脳は「何度も聞いた情報だから」、その情報の重要度を上げる、つまり信じてしまう。まぁそのような流れ。

よく例に出されるのが「豊川信用金庫事件」だが、まぁ噂が信憑性を持って広まりすぎたせいで信用金庫が一つ潰れるところだったという実際の事件がある。海外では似たような流れで現実に会社かなんかが潰れたことがあるらしい。

別に閉鎖空間じゃなくてもいいわけで、例えば繰り返し嘘を発信し続けたら。「嘘を百回繰り返せば真実になる」なんて言葉が、ヒトラーが言ったとかゲッペルスが言ったとかで伝えられているが。誰が言ったかはともかく、繰り返されると信じやすいのは確かなようだ。

次。エコーチェンバー現象。本来のエコーチェンバーは音がよく反響する残響室のこと。録音とかするところだね。そこで自分の声が響いて、また自分の耳に届くかのように、自分と同じ意見が、自分の耳に入ることで、「確信」を深めてしまう現象。ネット上で起こりやすい。

これが起きる環境の説明をしたほうが早いだろう。特定のコミュニティ=意見を同じくする者たちが多数いる環境でやいのやいのやってると、まるで自分たちの意見が「世間/社会の意見」の様に思えてくるって話。まぁ、他の意見流れてこないからな。

その意見を誰も疑問に思わない。

その意見に誰も異議を唱えない。

その意見に誰もが賛同する。

なぜなら、

そこはその意見を支持する者たちの集まりだからだ。

 

この状況に「気づいていない」場合、「誰もがそう思ってる」と認識する。また、わかりやすく「壁」があるとは限らない。自然発生したコミュニティは境界がはっきりしていない。

スレでこの意見ばっかだしーツイッターでもこの意見ばっかだからーこれ間違いないっしょー(間違い)とかザラ。

さっきちょっと書いたけど、正義も親切も間違ってたら脅迫・暴力だ。ネット上での冤罪なんかがまさにそれで、調べてみれば色々出てくる。まぁ紹介は今回しないけど。パターンとしては義憤に駆られて盛り上がり、別人を殴り倒す感じ。

「良いこと」には躊躇はあまり働かない。方向がどうあれ、盛り上がり過ぎたら少し頭を冷やしたほうがいいんだろう。

後は程度の問題もある。大体限度をオーバーすればプラスだろうがマイナスだろうがダメになる。エコーチェンバーは「やりすぎ」になりやすい。

 

「これは違う、自分には、自分が見たくない情報ばかり流れてくる」なんて人もいるかも知れない。まぁコンプレックスを刺激して購買意欲に、なんてのは古典的且つ今でも有効な「売り方」だし、そういうこともあるかもね。でもそうじゃないかもしれない。

例えばツイッターで同じ意見ばかり見かける時。そいつらフォローしたのは当の本人だろう。この時点で自分で見たいものを選別してる。

例えば憧れからリア充をフォローしました、としたら、まぁ当然リア充な画像やらなんやら四六時中流れてきますな。

なんてことはない、イスクラ・ローレンスの言っていた「自尊心を攻撃する兵器」を自分でチューニングしてるわけだ。自分にクリティカルヒットするように。まぁ向上心を刺激するのも大事だが、自分の色々な方面の耐久力も視野に入れようね、と。

あー、これはお節介だが、今の自分に不満がありすぎる人には、自分に「刺激」を与えまくって自分を変えようとするタイプがいたりする。結果、「居心地のいい場所」を自分から居心地の悪い「訓練所」に作り変えてしまうこともあり得る。どこで休むんだ。これまた耐久力とか視野に入れたほうがいいんじゃないか。

 

不当に主語がでかいのは

私も多分そういう時あるから言いたくないねぇ。

基本的に不当に主語がでかいのは「過度の一般化」、あるいは意図的に「コントロールしようとしている」かのどちらかだろう。雑なだけかもしれないが。このコントロールというのは、まぁ悪意を持った人間が自分が都合のいいように相手を支配しようとしたり騙そうとしたりってのももちろんあるが、もっと些細な、日常的な範囲も含める。

即ち、

「信じてもらいたい」

「助けてもらいたい」

「よく思ってもらいたい」

「好きになってほしい」

「すごいと思われたい」

などなど。

「相手の心/感情に訴えかける必要性」がある場合。

まぁこれ、自己愛がハッタリかます動機と手段でもあるだろうけれど。別に「普通」の範疇に収まっていると自認している者たちも例外ではない。

厄介なことに、こういった主語のデカさはそれこそ「世間」には織り込まれている。試しに自分だけ「正確に」表現して一日を過ごしてみればいいよ。すごく控えめなキャラが誕生するか、自分の意見が軽視される可能性に不安になるかだろう。

こういった主語がでかいことを言ってしまうことに対してのよくある分析は「自分の責任は回避しつつ、発言に権威性を持たせたいという動機から」だとされる。まぁそれについて異論は無いんだが、自分だけ良い子になったところで流されるだけな気もするが。難しい所だね。

どの道、言われた側には「嘘/誇張」に過ぎない。主語がでかいってのはついうっかりやってしまうって範囲の話ではあるが、あまりにもそれが多いよう相手なら嫌うなり、遠ざけるなり、警戒するなりが妥当だろう。まぁそっちは今回どうでもいい。

また、言葉狩りをすれば良いってもんじゃない。即ち「なるほどじゃあ世間、社会、みんなという言葉を使わなければいいんだな!」みたいな頭の悪いこと思われるのはちょっと。エゴイスティックな目的の達成のための「手段」としてこれらの言葉をある有効(笑)に使うのってどうなんだ、って話だからこれ。

メモ

厄介なのは、自分が、自分に、このような嘘/誇張を言い聞かせている状態だ。僅かなサンプルから捏造した「みんなはこうだ」「これが世の中だ」という嘘を。

 

>引用先
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html







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