カウンセリングの効果が出ない人
- カウンセリングの効果が見られない人と言うのはいる。数年通って無駄だったという人も。
- もちろんヘボカウンセラーというのはいる。カウンセリングの資格の内、専門性が高いと言えるのが国家資格の公認心理師、民間資格だが指定校の大学を卒業しないと受験資格すらない臨床心理士の2つがある。それ以外はまぁ、ピンキリ。
- 某生涯学習の所には「たった4ヶ月で学べます」なんて講座もあったり、ネットじゃ無資格が「相談受け付けます」なんつって金とったりでカオス。[efn_note] cf.ニセカウンセラーに要注意 - 心のケアを誰に任せればよいのか・・・ [/efn_note]
- 最悪なのが、海外の理論をカテゴリ錯誤して適用し、ゴリ押しした結果に事件の遠因となるというクソみたいな実績が、教育界にありますね。[efn_note] cf.カウンセリング・マインドという概念および態度が日本の生徒指導や教育相談へ与えた影響
「傾聴」のロジャーズの理論が日本に伝わる中で発生した問題について。特に「きわめて優秀な大学の学生相談室のカウンセリングを拠り所に構築された理論」が、日本で特にひねりもなく小中学生にもそのまま通じると解釈したことなどが挙げられている。そもそも人間の「悪」を見ていないとも。
『そうした「ポジティヴな」「クライエント中心の」指針や助言が何の役にも立たず、むしろ危険性を放置してしまう可能性があるということは酒鬼薔薇事件でも明らかになったところです』
コーチングの分野で、再び傾聴が同じ解釈をされていると個人的には思える。後はポップな教育論の類。
恐らく軽率な奴らのせいで、二番煎じの人災が発生するだろう。 [/efn_note]
防衛機制
- 閑話休題、クライエント(カウンセリング受ける側)の特徴の中にも、カウンセリングの効果がでないと予想できるタイプがある。ジェンドリンは(クライエントの話し方から)「ある種のクライエントは治療が失敗することが予測できてしまう」ことを発見した[efn_note] 恐らく本当の発見者はカートナーなんだが。ジェンドリンは当初は否定的立場だった。 [/efn_note]。
- その「効果が出ないと予測できるタイプ」として外在化と知性化を挙げた。 外在化と知性化は「心の防衛機制」であり、ストレスに対しての心の防衛本能みたいなもの。意識してやってるわけではなく、ストレスに対してそういう反応をしてしまう、との認識でまずは良いだろう。
- 簡単な話、カウンセリングでよくなるためには自分の認知のある種のデバッグや自己理解などが鍵となる。防衛機制が出まくってる=自分と向き合ってないわけで、その状態でそのまま進んでも良くはならないだろうと予測される。
- 重要なことだが、これはクライエントの当時の態度であり、性格や人格よりも一時的なものと捉えた方がいい。要するに「こういう奴は一生治んねーよ」と言ってるわけではない。「そのままでは治んねーよ」とは言ってるかもしれないが。
- ジェンドリンは、このような状態のクライエントでも自己理解が深まる所まで持っていく=体験が変わるために、クライエント自身にコツを教え、カウンセリングで誘導することを考えた。その理論が体験過程理論であり、その技法がフォーカシングである。
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- 防衛機制はレベルによる分類が有る。レベルが低いほどよろしくない。
- レベル1:精神病的防衛(自己愛的防衛)
- レベル2:未熟な防衛
- レベル3:神経症的防衛
- レベル4:成熟した防衛
- 外在化と知性化は、共にレベル3。多くの人間に見られる。レベル3には割と有名な「合理化」や、社会的な上向き下向きの「比較」など、「一般的な人間」によく見られるよろしくないものもある。
- 多くの人間に見られはするが、それでも多くの人間が客観的に見たら違和感を覚える認知をしている。
- 例えばレベル3には「反動形成」があり、これは抑圧されている本心と逆の行動として現れる。憎んでいる相手に親切にするなど。これ一つとっても「歪んでいる」との印象は受けるだろう。割りとあるけれど。それぞれの心理でね。
- なおレベル4は「高度に適応した防衛」ともされ、アクセプタンス(受容)、勇気、節制、忍耐、昇華、予想や想定(感情を伴ったリハーサル)など。字面の通りよろしいものとして扱われる。
- つまり、防衛しようと考えることそのものは問題じゃない。手段が汚いかヘボいのが問題になる。
- つまり、防衛機制=悪いってわけじゃないよってこと。レベルだね問題は(なお意識していないとレベル4から3に落ちるとも) 。
- ちなみにレベル4は誰でも身につけることができるとされている。[efn_note] つまり、生まれや学歴、IQとは関係なく身につけられるらしい。http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/27514392.html [/efn_note]
外在化とは
- 二番煎じだが、具体例が有る。
池見 (1995)は、「自己理解が深まらない場合」として、次のようなセラピストとクライエントの会話例を挙げている。
彼との旅行を急に彼からキャンセルされて行けなくなったクライエントに「どう感じているんですか?」とセラピストが問いかけても、
「感じるも何も、そういう言い方がヒドイと思うのよ」とクライエントは述べる。急に行けなくなったことへの彼の言い訳について「言い訳されると、どう感じているんですか?」とセラピストが問いかけても、
フォーカシング創成期の2つの流れ : 体験過程尺度とフォーカシング教示法の源流
「とにかくズルイと思いません?」とクライエントは述べる(池見,1995,pp.86-87)。
会話しようぜ。
上記引用のクライエントの姿勢は、感じられた不安の原因や解決を外に求め、状況に対処する内的資源が欠如しているとされている。
これは視点を変えれば、自分の不安感や問題解決に対して自分でコントロールできると思っていないし実際できない人とも言えるかもしれない。[efn_note] ・私には単に共感を求めているように見える。同意、同調、「スッキリできればいい」という井戸端会議的なものを、わざわざ金払ってセラピストにやる意味がよくわからんが。というか愚痴を吐く所だと勘違いしとらんか。
ともかくやってることが、どの道注意が自分に向いてない。
・ただ、これはレベル1の防衛機制の「行動化」に近い話だが、自分の中に「絶対に見たくない/認めたくないものが有る」とかそのレベルだと、認知しないために「行動化」することもある。行動化の中身としては自傷行為や破壊行動など、内外問わず攻撃性になることも多い。一部の人格障害はこれが見られ、このため衝動性を抑える薬が処方される。
圧が強くてめっちゃ喋るタイプはそういったものを連想させる。ただでさえ、話題が「自分のこと」にならないように会話の主導権を握りたがるとか(中身がない会話である必要があるため、大体ゴシップ一点張り)、自分が黙ってるとみんながどんどん不機嫌になると思ってるとか、よく喋るタイプに問題が有る場合も多い。
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手段としての外在化
- 外在化は、手段としては肯定的に扱われることが有る。例えば『外在化技法』は、自分にそうさせている「外部の何か」があるという前提で会話を進め、「自分が問題を内在している」という苦悩から開放させることを狙う。問題を自分から切り離すことで客観視できるようにするのが狙い。
- 「私の中のもったいないオバケが暴れ始めました」みたいな。妖怪リモコン隠しは多分違う。妖怪一足りないは判断できんな。
- 真面目に「魔が差した」とか「悪魔の囁き」、他には「腹の虫がおさまらない」「虫が好かない」なんて、割りと自分が何かの影響を受けていたり、「中」になんか居るかのような内面の表現は多かったりする。
- これは自分を責めすぎる人、他人の責任に気づかない人には有効な場合がある。
- 「私の中のもったいないオバケが暴れ始めました」みたいな。妖怪リモコン隠しは多分違う。妖怪一足りないは判断できんな。
- 問題の所在が自分の意志、性格、人格、衝動性など内部または自分そのもの(自分という存在が問題)であるという考えから、「自分の行動が問題」と意識させる効果もあるとされる。
- 要するに「やってしまう」のは「やらせようとする奴」が「自分以外に」いるからだから、「君は」それのコントロールを考えよう、みたいな。
- 「その気持ちにどんな名前をつけますか」と聞くのも外在化技法に含まれるとされる。フォーカシングの『ハンドル』は「(表現として)ぴったりな言葉を探す」ため、これとは少し違うが。
- なお、フォーカシング関連の論文で「未確認暗黒生物」なんていうパワーワードを見たことも有る。併用された別の分析で使われたもので、フォーカシングのハンドルではないが。ネーミングセンスは別にどうでもいいのかも知んない。
知性化
- 一見賢そうに見える言葉だが、実際には無理に理屈で納得しようとする試みである。
- 感情や衝動を、考えることによって統制すること。または知識を用いて頭で理解しようとすること。
- 具体例を挙げれば、例えばペットが死んだ時、「この子は平均よりは長生きだった」と考えようとすることが該当する。
- 別にそれは間違いではないんだが、この様な「データ」で納得しようと(その件をそれだけで片付けようと)するなら、「自分は悲しんでいる」という内面的な事実からは目をそらしているかもしれない。[efn_note] 個人的には、時間稼ぎとしてはそれが必要な人もいると考える。
つまり「今はこの感情を処理しきれない」と判断し、先延ばしとして一時的な安定を得ようとする分には、まぁ良くある話だろう。
ゆうてもこれ防衛機制の話だから、あんまりそこまで考えて自分で選んでやってるわけでもないんだけど。[/efn_note]
- 別にそれは間違いではないんだが、この様な「データ」で納得しようと(その件をそれだけで片付けようと)するなら、「自分は悲しんでいる」という内面的な事実からは目をそらしているかもしれない。[efn_note] 個人的には、時間稼ぎとしてはそれが必要な人もいると考える。
- 理屈っぽく、理路整然としているようで、本質を欠いている。
- 過度に理路整然と考えることで、感情を喪失させようとする。これにより、受け入れがたい衝動から生じる不安から自身を防衛する。
- 知性化は、社会的(表面的)には有効だとも言われる。ただし常習的だと、無感情、無表情などに思われるだろう。
合理化との違い
- 同じく防衛機制である合理化(いわゆるすっぱい葡萄)とは違うとされる。知性化は理屈によって物事を情緒から切り離そうとする。
- 葡萄に手が届かない→あの葡萄はどうせすっぱい→元から取ろうとする必要なんてない、みたいな。頭では納得するかもしれないが、感情処理はしていない/避けようとする点は知性化と似たようなもんではある。
- まぁ要するに、自分の現状の正当化(というか問題意識の否定?)であり、合理化の方が自分に嘘をついてる面が強い。
- ゆうても全部顔面キャッチしてたら生きていけないだろうし。知性化も合理化も、受け入れるしかないものに対しての擬似的な受容とも取れる。
- 防衛機制は、脳で生まれるストレスから身を守る脳の機能というめんどくさい立ち位置に有るかもしれない。だから認知行動療法みたいにそもそも脳でストレス生まれない認知の仕方を練習するとかが有効なんだろうね。