フェルトセンスとフォーカシング

・フェルトセンス、フォーカシング、これらは何か。

フェルトセンス

・「気がかりなこと」を考えつつ、体の中心に注意を向けた時、そこに有る感覚だと説明される。

まだはっきりしない、何か意味を含んだ、身体の感覚。胸がもやもやするとか、喉の辺りが掴まれてるような感覚がするとか。(本来は心地よさを感じるフェルトセンスもあるんだが、基本的にカウンセリング来てる人(=悩みとかある人)の話が多いため、どこかしらネガティブさを含んだ例が多い)

「本当に自分だ」と感じられるもの。なじみの感情よりも「私」であるものとして感じられるとも。

・身体の真ん中とは、のど、胸、お腹の辺りを指す。肩やふくらはぎにフェルトセンスが出る例もあるので、範囲は広い。

・この感覚は弱く、意識を向けなければ気づかない。

・これを知覚し、日記に書くだけでもストレスやメンタルに対して良い効果がある。

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ジェンドリンのリサーチ

・カウンセリングを受けて良くなる人とならない人がいる。

ユージン・ジェンドリンはカウンセリングの成功要因を探るための調査をした。カウンセリングで良くなる人は言いよどむような、言葉を探しているかのような逡巡がある傾向が発見された。

ジェンドリン自身が「患者たちが何を話すかという点に違いはない。違いは患者たちがいかに話すかという点に有る」と記している。

これはフェルトセンスに注意を向け(フォーカス)、それをなんとか言葉にしようとしたからだとされる。
これが自分の気持ちへの受容や理解となり、良くなった。

ここから、クライエントが自分の心の実感に触れられるかどうかが重要であると見出された。

2つの発見

・厳密には発見は2つある。

  1. 心理療法の成功と相関があったのは、クライエントが「何を」話したかではなく、「いかに」話したかであった。
  2. 心理療法が成功するか失敗するかは、ごく初期の面接から予測できてしまう/ある種のクライエントは治療が失敗することが予測できてしまう
    (最初の面接を分析するだけで患者が「内面で決定的な行為を行ったか」がわかるとしている1

・実際には、先行していた研究者たちの流れをジェンドリンが継承したようだ。

2

・1は、フェルトセンスとフォーカシングにつながる。

2の「治療が失敗するクライエント」は、例を挙げた方が理解が早いだろう。

池見 (1995)は、「自己理解が深まらない場合」として、次のようなセラピストとクライエントの会話例を挙げている。

彼との旅行を急に彼からキャンセルされて行けなくなったクライエントに「どう感じているんですか?」とセラピストが問いかけても、
「感じるも何も、そういう言い方がヒドイと思うのよ」とクライエントは述べる。

急に行けなくなったことへの彼の言い訳について「言い訳されると、どう感じているんですか?」とセラピストが問いかけても、
「とにかくズルイと思いません?」とクライエントは述べる(池見,1995,pp.86-87)。

フォーカシング創成期の2つの流れ : 体験過程尺度とフォーカシング教示法の源流

まぁなんつーかそこら辺にいるよね。

上記は別の話での例なのだが、今回の話として解釈してもこのクライエントはダメだろうねと引用元で言われている。

上記の態度は、「感じられた不安の原因や解決を外に求め、状況に対処する内的資源が欠如しているグループ(要するに自分でコントロールする気がないしエネルギーもない)」に入るとされる。
(後にジェンドリンはカウンセリングに効果がない様式に「知性化」「外在化」の2つを挙げた。上記は外在化。)

カウンセリングが効果ある人と効果ない人の違い フェルトセンス
カウンセリングが効果ある人と効果ない人の違い・カウンセリングを受けて意味がない、効果が感じられない、という人はいる。数年通って金と時間の無駄だった、なんて話も。・いくつか言われている理由としては、問題意識がない。...

フォーカシング

・フォーカシングは日本では、健常者によるセルフヘルプ(自助)として普及したとされる。

・「カウンセリングのエッセンスを抽出する形で生まれた」とされる、カウンセリングの技法。フェルトセンスの認知と表現を促す。

ただしジェンドリンはカウンセリングでは第一に信頼関係、第二に傾聴であり、第三でようやくフォーカシングが来るとしている。

・クライエントに対して、心の実感に触れる方法を教える必要があるとジェンドリンは考えた。このためには理論が必要だった。

なもんで体験過程理論というものを作った。(唐突に雑になる説明)

体験過程理論

・「体験過程理論」とは、ジェンドリンが提唱した「人の心の中に感じられ、刻一刻と変化し流動していく体験過程に関する理論」。

体験過程は意識と無意識の境界(辺縁とかエッジと呼ばれる)に注意を向けることで、直接に身体的に感じられるものであるとされる。

(無意識とか言うと胡散臭さも有るんだが、ジェンドリン曰くフェルトセンスは思考や感情よりも「全体的」な解決に通じるものである。少なくとも「感情は部分的な対処にしかならない」との説には同感だ。
また思考も「知性化」と呼ばれる症状がある。もう症状って言っちゃっていいだろう。何かショックなことがあった時、無理に理屈で納得しようとすること。これまた痛み止め程度にしかならず、解決でもないし、本心でもない。)

体験過程は7段階あり、全く心理的でない状態から始まり、気づきと統合が生じるまでの流れ。後述。

・体験過程は、言葉などで表現(象徴化)されることによって、人が成長する方向へ向かって流れていくとされる。言い方を変えれば、ここで初めて意識と無意識が合流する。

しかし意識が体験過程に向けられず、象徴化の機会が奪われると、体験過程は滞り、様々な心理的困難が生じてくると考えられている。

そして自らの心に触れるための具体的な方法がフォーカシング。フォーカスするからフォーカシング。日本語では「焦点合わせ」ともされる。

・フォーカシングは日常的にも体験する余地がある。そういった人は精神的に健康である傾向が高い(元々がフォーカシングは「良くなるクライエント」が自分でやっていたことの再現だしな)。

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体験過程の7段階

・1が最も低く、7に向かうほど高い。

体験過程・追体験と体験過程様式より

  1. 自分が関係していない出来事を語っている
  2. 自己関与が有る出来事の描写、または抽象的発言
  3. 出来事への反応としての感情表明
  4. 出来事への反応ではなく、自分自身を表すために気持ち、気分、フェルトセンスなどを用いる
  5. 仮説提起、問題提起、自問自答「~かな」などの話し方
  6. 新しい意味の側面が開いてきている。気づき、声が大きくなる、笑う、涙するなどはっきりした変化がある
  7. 気づきの応用・展開

・フォーカシングもまた「いま、ここ」が重視されるものである。フォーカスの対象はフェルトセンス、つまりいま感じているもの
「あの時に自分はこう思った」よりも、「あの時のことを思い出すと、、こんな感覚がある」との表現のほうが体験過程としては評価が高い。

体験過程チェックリスト

・EXPスケールとか、EXPチェックリストと呼ばれる。7段階ある。

・オリジナルのEXPスケールにはいくらかの問題点が挙げられている。

  • 段階2と4がよくわからん
  • 7つじゃなくてよくね?
  • 絶対的な指標が欲しい
  • 日本語版は訳語がわかりにくい所がある
  • 欲求の表現についての記述がない(言ってることがただの事実か感情表現なのかの区別)
  • どこからレベルが高くてどこから低いのかわかんない

とまぁなんというか、まだ伸び代があるよね!という(前向きな解釈)。

そんなわけで、改良されたものがこちら。体験過程様式の推定に関する研究 : EXPチェックリストII ver.1.1 作成の試みより。

体験過程様式の推定に関する研究 : EXPチェックリストII ver.1.1 作成の試み

・レベル1の「知性化された様式」について説明しておきたい。
知性化は、防衛機制と呼ばれる「受け入れがたい状況に対しての不安などを減らすために無意識的に作用する心理的メカニズム」である。
要するに、理屈で無理やり納得したり諦めようとしている状態で、自分の気持ちを受け入れられない、または理屈でねじ伏せようと(否認)している状態。

「フォーカシング」の2つの意味

・フォーカシングという言葉は、厳密には2種類の意味を持つ。

  1. 現象としてのフォーカシング
    人がまだ言葉にならない意味のある感覚(フェルトセンス)に気づき、その感覚と共に過ごすこと。
    (解決や対処は必須ではない。ジェンドリンの弟子のコーネルによるステップでは、フェルトセンスに焦点を合わせるが対処はしない(共にいる、受け取るなどで終わる))
  2. 技法としてのフォーカシング 体験過程(後述)に注意を向け、象徴化を促進する技法。(早い話が1の再現を目指したもの)
    1. ジェンドリンによる「技法としてのフォーカシング」をショートフォーム(簡便法)と呼ぶ。

メモ

・フェルトセンスは「本当に自分だ」と感じられるものと言ったが、その「自分らしさ」の感覚自体は「本来感」や「本来性」と呼ばれ、これまた研究されている。

・本来性の内訳は、

  • 気づき(自分の感情に気づいていられること)
  • 歪みのない処理(感情や認知を歪めないこと)
  • 行動(自分の意志に率直に行動すること)
  • 関係(親密な関係で、自分を偽らずにいられること)

となっている。
それぞれ、

  • フェルトセンスへの気づき
  • ハンドルを見つける
  • 実行する
  • それらが受容される人間関係的な意味での環境

とか言えるかもしれない。

・特に「歪みのない処理-ハンドルを見つける」ところ、つまりわざわざ感じようとしたり探そうとしない限り感情や認知は歪んでいる状態だとも考えられる。人は日常的に自分を誤魔化していることにもなって面白い。まぁ誤魔化してるっつーか、実際には適応のために不要だと判断して押し込めてるんだろうね。悪いとも思わない。ただ、不要なときにオフにすることはできたほうが良いとも思う。

本来感 自分らしさを実感すること
 自尊心、自尊感情の要素の一つ。何かを根拠とするのではない、自らの内から湧く「自分らしさの実感」。どちらかと言えばポジティブ心理学。アイデンティティに近いが、より外部の影響を受けず、直接的に「私は私である」とする感覚。引用...

・なお本来感は社会的に評価されることと負の相関が有る。自分が好きでやってることを褒められるとそこはかとなく嫌悪感を感じることの理由の一つだろう。実際に本来感=やりたいことをやってる感覚が損なわれるのだから。まぁ褒め方にも依るだろうけどな。

  1.  jendlin, 1981 
  2.  この発見にまつわる話は詳細がはっきりしていない。ジェンドリンの著書『フォーカシング』に記されているのだが、それは啓蒙書のため、原著でも研究の厳密な情報がないとされている。
    1の研究では主導的な立場に居たのは確からしい。
    2に対してはカートナーの研究への途中参加で、初めは否定的立場だったようだ(ジェンドリンだけではなく、初めは「一同激怒した」とされている。カートナーの出した結論は、共通の師であるロジャーズが当時公表した理論と食い違うものだった)。

    cf.フォーカシング創成期の2つの流れ : 体験過程尺度とフォーカシング教示法の源流

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