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原因帰属の三次元:分析、反省、犯人探し。

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・手法ではなく、自分が自然と行う成功・失敗に対しての認知の「分析」。

※引用

Rotter, J.B. と Weiner, B. (ロッターとワイナー)は、達成課題における成功と失敗の原因を何に帰属させるのか、人はあるスタイルを持つと考え、「原因帰属理論」を提唱しました。もっとも代表的な帰属理論です。

http://psychologist.x0.com/terms/163.html

・要するに、ある事象(成功失敗)の原因がどこにあるのか()を認知する際のクセ。個人レベルでの認知バイアスの型。この認知は、その物事の特性に対しての考察や推論の材料にもなる。
Heiderによればこの際、比較的安定している要素を見出そうと推測する傾向があるともされる。要はパターン化するための要素探し。これが間違っていた場合、偏見や決めつけとなるだろうね。

・また、何に帰属するかは、他の類似した別の経験をする際の期待値に大きく影響を及ぼすとされる。簡単に言えば、原因が何であるとするかは、「今度は/今度も上手くやれる」と思えるかどうかに関わる。

■ルーツ

・Weinerは、Rotterの社会学習理論とHeiderの帰属的学習理論から、「人が成功や失敗を説明するときによく使う言葉」を抽出した。

帰属の4つの要素であるそれは、能力、努力、課題の困難度、運である。

・これらを元に、統制の位置(内的か外的か)と安定(安定か不安定か)の2つからなる原因次元を設定した。

例えば異性に振られたとして、自分に魅力がなかったと考えるならば内的、安定(能力)となる。

自分が相手の好みに合わなかったと考えるなら外的、安定(課題の困難度)。

もっと自分を磨くべきだったかと考えるなら内的、不安定(努力)。

そういう話をする気分・状態じゃなかったんだろうと思うのなら外的、不安定(運)。

逆を言えば、このような場面を想像して「どう思いたいか」「どのような原因なら納得するか」がそのまま当人の認知のクセだとも考えられる。

・どのような要因に帰属させているかで、同じ成功・失敗でも成功の誇りや失敗の恥は感じ方が違ってくるとされる。

成功した時に運が良かったと思うよりは、努力が実ったとか自分には才能があったと思ったほうが嬉しいだろう。

逆に失敗した時に努力が報われなかった、自分には才能がないと思うよりは、運が悪かった、誰か何かのせいで片付けられるならダメージは少ないだろう。

・2つの原因次元の他にも気分や体調など、他の要因もあると言われてきた。これを受けて更に研究は進んだが、Weinerは統制が可能かどうか=統制可能性を追加し、3つの原因次元のモデル、原因帰属の三次元を構築した。

統制が二回出てきてんじゃんと思った人は大体合ってる。一回目の「統制」はRotterが名付けたが、Weinerは物理的に内か外か、Rotterは強化の随伴性が内か外か(強化対象が内か外かだろうか?)で見ていたらしい。統制=内的―外的、としたのはRotter。

その後Rosenbaumが行った試みで「意図的か無意図的か」という次元の可能性が出てきたことを受け、Weinerはこの辺りを織り込んで、内的ー外的、安定―不安定、統制―非統制の3次元とした。この場合の「統制」とは、その要素が自身のコントロール下にあるか否か、と見て構わないだろう。例えば努力は統制だが、感情や気分は非統制になる。Weinerの挙げた例によれば、能力も統制不可能に属するらしい。自分のことではあるが、今すぐなんとかなる話じゃないって辺りの要素は非統制扱いと考えられる。自分の内的な要素=全て統制に当てはまるわけではない事に注意。

■原因帰属の三次元

■内的 ― 外的 (内在性)

・「原因が自分(内的)にある」のか、「周囲(外的)にある」のか。

身もふたもない事を言えば、自分のせいか自分以外のせいか、どちらだと考えるか。

■安定 ― 不安定 (安定性)

・原因が「将来なくなる」か「将来においても続く」か。

その原因は、時間に拠って変化するかどうか。このため運が原因だったと考えるならそれは不安定に属することになる。コンディションとかも含める。

■統制 ― 非統制

道徳的判断や、行為の責任の知覚に関わるとされている。簡単に言えば、「自分で決めてやった」ことと「しかたなくやった」ことでは責任感違うだろう、と。後者では薄い。

Weinerの統制―非統制は研究者間でも誤解や混乱が見受けられる、とされている。つまりややこい。

結果ではなく帰属の要素が統制か非統制かという話であり、当人だけでなく他者の統制可能性も問われる、とされる。なるほどわからん。

別の研究者は統制―非統制の測定として「原因が自分にとって統制できるかどうか」を調べたそうだが、これはWeinerの統制―非統制とは別物だ、とする指摘もある。

Weiner自身が外的要因かつ統制可能という謎のポジションを作った挙げ句自分で「こんなのあるか?」とか言っちゃったとかそういう話があるため、気にしないほうがいいかもしれない。まぁなんだ、考察段階ではこういうこと、あるよね。

1984年に日本で学生を相手に行われた調査では、この統制―非統制と内的―外的がほとんど被っていると結論付けられた。だがWeinerの統制―非統制とそれは別物だ、ともされる。

もういいだろうか。頭が限界だ。二次元のままの方がよかったんじゃないのかこれ。実際二次元として紹介してる所あるし。

■全体 ― 特殊 (普遍性)

なんで4つ目があるんだよ、っと。少なくとも現代では3つ目の次元は全体―特殊とされているようだ。内在性、安定性、普遍性(全体性)の3次元。統制―非統制がややこしかったのかもしれない。

「こうした問題に限られる」か「他のことにも影響する」か。

例えば人見知りが特定の状況・相手に対してだったら(共通の知人が居ない相手とは何話したら良いかわからないとか)特殊に該当するし、知らない人には誰に対してもだったら全体。

■帰属と抑うつ

抑うつ

内的、安定、全体の状態だとなりやすいとされた。

自責の念

「何もかも自分が悪い」って言葉で解釈すると、何もかも=全体、自分が=内的、となる。まぁそれが続くってことは「いつも=安定」だろうから、抑うつになりやすい状態と言えるか。

学習性無力感

自分はいつも何やってもダメ、ってのは自分=内的、いつも=安定、何やっても=全体で抑うつになりやすいと言える。このことだけはいつもダメだろう、とするなら内的、安定、特殊。だから逆に「これだけはやれる」みたいなのがあるといいかもね。

■メモ

・ブレーマー=認知レベルで全部人のせいにする者の場合は外的、全体となる。安定不安定は明言できないだろう。なんというか、人のせいにするバリエーションがやたら豊富だし。

・要するに、私達が「結果」をどのような形で認知して「取り込んでいるのか」、それが「次」にどのような影響を与えるかにはクセがあるという話。このクセを表す言葉は、認知バイアスとか、認知の歪みとか、色々あるわけだが、これが今の所一番体系化されている印象を受ける。

・内的な帰属をすることはストレスになりやすいが、「自分で解決できる」可能性を含める。外的な帰属をするとストレスにはあまりならないが、「自力では解決できない」という結論を出していると言える。

・重要なのは、無意識的に行われるこの「」は、現実とはあまり関係ないということだ。個人の解釈でしかない。しかも判断でも思考でもなく、無意識的・自動的に近い。

これは「」と呼べるレベルですばやく、強く結論付けられるため、あとから気づいて修正するしかない。傾向はあるはずだ。自分の「クセ」を知っておいたほうがいいだろう。

・統制―非統制は面白いことになったわけだが、Weinerはおいといて「今、自分が、その要素をコントロールできるのか」を問うことは重要だとも思う。例えば感情をコントロールできると思ってるとか、思い浮かぶことをコントロールできると思っているとか、自分の行動をコントロールできると思っているとか、まぁ大体はそうなわけだが、「そうじゃないときもある」。

というか、怒りやすい奴が「次は怒らないようにしよう」と言いながら速攻怒った、みたいな例はたくさんあるだろう。感情をコントロールできないのに出来るはずだとしている例。この場合怒るような機会を避けるなどの「別の有効なやり方」があるのに、帰属先がおかしいからそれが思い浮かばない。出来るはずだ→できなかった、を繰り返す。

常に出来ると思っているならそれはもう決め打ちだし、例えば感情の発生の否定などは極度の精神的負荷を当人に与えるため(感情労働、深層演技)、あまり常用するべきじゃない。

■参考文献
http://counseling.st/hr/terms/terms352.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E5%B1%9E%E7%90%86%E8%AB%96

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/4002/1/kana-14-7-0004.pdf







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この記事は【2018年10月11日】が最後の更新のため、記事の内容が古い可能性があります。

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