学習性無力感の治療と前向きさの学習について

前回の「カマス理論」では、学習性無力感を解除するには何も知らない新しいカマスの投入が有効だった。正直、人間の場合はできる奴を見た所で「あいつはすごいが自分はだめ」みたいな感じにもなり得るから微妙だったりする。

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特に人間が無力感を「学習」するのは、自分の能力、自分の可能性、自分の「考える力」だとか、「自分」に付随するものが多い。

片やカマスやノミやゾウの逸話で語られるこれらビジネス都市伝説やセリグマンの犬の実験の場合は、餌が食えないだとかガラスに頭ぶつけるだとか電気ショックだとか、「対象」や「事態」が割とはっきりしている。

つまりこれら動物たちは無力感の対象が「アレは無理」「コレは無理」という形になっているのに対し、人間の学習性無力感は「自分には無理」「自分にはできない」「自分にはわからない」という形になっているように思える。

じゃあ「自分にはできる」、そうじゃなくとも「自分にもできる」って思えるようになるしかなくないか。

■学習性無力感の治療

・自動的な学習により構築された「自分には無理だ」という認知を書き換える必要がある。

※引用

セリグマンらは、学習性無力感における「反応しても無駄であるという信念」を変える方法に認知行動療法を挙げている[11]。人間で効果が確認されている方法は、自尊心を回復したり、行動随伴性を示したり、失敗は別の理由で起こったと説明し励ましたりすることである[12]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F

・これは治療者としての視点で語られているようだ。自分でなんとかしたい場合には、自尊心の強化、プラスの行動随伴性の経験を積む、失敗が自分のせいではないと知る(当然自分のせいじゃない場合に限るが)、となるか。

・「自尊心」って言葉は口にする者によって色々と意味が違ってくるが、セリグマンが言っているのはセルフ・エスティーム(自尊感情・自己肯定感)としての自尊心だろう。これは「一般化された肯定的な態度」とされる。何かとの比較ではない、素の状態で自分を肯定的に思っているってこと。

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・「説明・励まし」は自分に行うことも、人に励まされることも、人によっては難しいかもしれない。「言い訳」にしか思えない、って人もいるだろう。「分析」の方が向いているかもね。

・行動随伴性は以下。

■行動随伴性とは

・行動分析学の用語。特にオペラント条件付け。オペラント条件付けは簡単に言えば、自分がやったことに対して良い刺激が返ってきた場合にはその行動が強化=その行動の頻度が高くなる、嫌な刺激が返ってきたらその行動は弱化=その行動の頻度が低くなるされること。

まぁ要するに、味をしめて積極的になるか、懲りて控えめになるか。もちろん無意識的な学習である。学習性無力感そのものが、「自発的な行動」そのものに対しての弱化と言える。

・行動随伴性とは自発的な行動の発生頻度(簡単に言えばその行動が積極的か否か)と、その強化・弱化の変化のこと。

学習性無力感の状態だと「自分は無力である」という認知からスタートする。それ以外の成果などには目が行かなくなりがちだ。このため、「出来てることもある」「出来ることもある」という情報に気づくことでそれが「無力感の弱化」となる。

特に今回では積極性の話だから、「自分が何かをできた」という経験を積む、というか認知すること。

オペラント条件付けには「消去」、つまり一時はあった反応が今では有効ではない、という状態があるとされる。

■三項随伴性/ABC分析

オペラント条件付けから発展した理論と言われている。

  • A:先行刺激
  • B:行動(オペラント行動=強化・弱化される対象)
  • C:結果(強化子)

この3つの流れで行動を説明・分析する理論。

例えば人見知りで話しかけるのが苦手、という人がいたとする。

  • A:話してみたい相手がいる
  • B:話しかける
  • C:会話ができた

この場合、B=話しかけるという行動は「強化」される。

逆に会話が失敗に終わった場合、Bの行動は「弱化」される。これは「負の強化子」と呼ばれ、「取り除くことでBが強化されるもの」とされる。

学習性無力感で考えれば、「負の強化子」がてんこ盛り状態ってことになるだろう。

■:前向きさの学習と不平等な評価

・どの道、負の強化子を打ち消すためには正の強化子、つまりは目標達成経験や自己効力感を得られるような経験は有効になる。

・学習性無力感が厄介なところは、積極性そのものが失われた場合、これらの機会も失われることだ。拠って長期化しやすい。これが自分のパーソナリティだ、と思っている人も恐らくいるだろう。

・また、達成経験だ何だと言っても大それたことは別に必要ないだろう。むしろ人間が気質的に「正の強化子をスルーして負の強化子をかなり集めやすい」ことに注意したほうが良いと思われる。

・例えば明日ゴミの日だったとするだろう。そして明日ゴミを出す予定を立てた。そしてなんやかんやあってゴミを出しそびれたとする。寝坊でも、忘れてたでも、会社に行こうと外に出て、集積所にゴミが集まってるのを見て、そこで初めて思い出すだとか、なんでもいい。

この際に割と人は自分を責める。「こんなこともちゃんとやれないのか」みたいな。人によってはこれはかなり強い。自分への失望とも言えるかもしれない。

じゃあ逆にちゃんとゴミ出したとしようか。自分を褒めるか? 褒めないだろうね。当たり前になってるから。

・だが今回の観点で見れば、「自分で予定を立て、達成した」という意味で加点対象にはできる。でも、人間の普通の価値観ではこれは「当たり前」であり、ノーカンである。

行動力・積極性に対して正の強化をしたいなら、このような日常の中での「達成」に対して、気づけるようになったほうが良いだろう。

・もっと簡単にしようか。トイレで用を足すのは当たり前だよね。いい年こいて自分で自分を「トイレをちゃんと使えた!偉い!」とかやってる人間はまぁ、みたことないだろう。いたら正直怖い。年取りすぎるとそういうこともあるかも知れんが。

じゃあ逆に人前で漏らしたらどうだ。人によっては人前に出られなくなるかもしれないね。

人は「起きてほしくないことの予防」ほど「当たり前」に仕立て上げる=義務化。だがそれは当たり前なんじゃなくて、「あってはならない=当たり前じゃなきゃいけない」と決めているという意味だ。プライドが高い者ほど些細なミスを気にするだろう。

起きてほしくないことを予防できたなら、自分を褒めても良いと思うが。流石にトイレ行くたびにってのはアレだけど、些細なことでも。

また単純に、ちょっとやりたくないなとか大変だなと思ったようなことに「手を付けたら」、褒めていいんじゃないか。積極性発揮したんだし。

■参考文献

http://www.counselorweb.jp/article/441261060.html

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