楽観バイアスの例

・予測が甘いもんで責任感もない感じ。それで良いのか、それじゃ悪いのかは環境次第か。
命がかかってても普通に発生するので、総評としてはよろしくない。

・物事を楽観的に予測し、失敗や事故につながる楽観バイアス。客観的に見ると甘く見たツケでしかないが、実際には状況判断とそこからの予測に対してかなり根深く存在する。

・重要な点として、心配性や悲観主義でも楽観バイアスはかかる。地位や名誉や命や財産がかかってても楽観バイアスはかかる。自分は無縁とは思わないほうが良いだろう。

・希望/期待ややる気による暴走的なものと、考えたくないから楽観視する逃避的なものとがあるようだ。

計画にかかる楽観バイアス:計画錯誤

・計画を立てても、計画自体に楽観バイアスが掛かっており、非現実的になる。

認知心理学者のダニエル・カーネマン(ファスト&スロー=システム1、システム2の概念を発展させた)は、楽観バイアスがかかっている状態を「計画錯誤」と呼んだ。

内容としては、必要なリソースの過小評価、計画遂行の容易さの過大評価。
要するに、妥当な計算と比べて「安く済むだろう」「簡単に終わるだろう」と思い、それに従った計画になる。


・別の心理学者の実験でも、これは観測されている。

学位論文を書いている大学4年生に「いつごろ書き終わるか」について、最短でどれくらいか、最長でどれくらいかの2つを尋ねてみた。

平均で最短27日。最長は49日。

実際に掛かった日数は平均で56日

最短での予測どおりに終わった者は一握りしかいない。
最長での予測どおりに終わった者も、半分もいなかった。
「最長の予測すら足りてない」ということ。


・カーネマン自信も計画錯誤を経験した例を語っている。教科書執筆の期間にて、チームメンバーの予想は最短1年半、最長2年半だった。

実際には8年かかった


・締切とか自分で決めたことを守れなかったって凹む人割と見かけるが、「計画立てた方の自分」が悪いことが普通にあるということ。


・五輪の話。「世界一コンパクトな大会」と宣言していた東京オリンピック2020は、当初の経費の見積もりは7,340億円だった。これでコンパクトらしい。

2020年の12月に公表された段階で1兆6,440億円となっている。楽観バイアスから正気に戻ったと言うよりは、実際にやってみて見落としや楽観に嫌でも気づいたという感じか。

実際の開催経費が1兆4530億円となる見通し。当初の予算の二倍ほどとなった。

ちなみに一年延期とコロナ対策として追加に必要になったのは2,940億だけとされているため、やっぱり最初の計算は楽観的なものと言える。

参照:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211222/k10013398611000.html

・日本では悲観主義が遺伝的に多いはずなんだが、このような重大な物事への致命的な楽観視の話も散見される。

コロナと五輪と楽観バイアス

・五輪開催にあたり、民衆が楽観バイアスにかかっているとの指摘。

臨床心理学が専門の筑波大学の原田隆之教授は「オリンピックの開催で、コロナを軽くみてしまう『楽観バイアス』が強まり、緊急事態宣言が意味をなさなくなってきている」として、具体的な対策の必要性を指摘しています。

原田教授は

「もともと選手のことは応援したい反面、感染拡大への危機感から五輪に反対するという、相反する気持ちを抱えていたことや、コロナ禍で長い間我慢し、外出もできず、うっ屈した感情がたまっていたこともあり、日本選手の活躍という明るいニュースに触れることで、五輪に熱狂するようになっても、自然な人間の心理だと思う」

と現状を分析しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210728/k10013165771000.html

・用心深くある状態自体が人にとってストレスで、この状況から「開放されたい」という願望は抱えることになる。

このように何らかのきっかけがあると、そこに全力で乗っかるようなことはあり得る。多くは現実を忘れさせてくれる何かへの熱狂や没頭。

それ自体は結構なことだが、状況(事実)よりもそちらが優先されると問題になる。

戦争での楽観バイアス

・1914年、12/24から25日にかけて。当時第一次世界大戦で戦闘中だった英国軍とドイツ軍が停戦している。

「クリスマス休戦」と後に呼ばれたこの停戦状態は美談ともされるが、実際には、元からあった戦死者の回収などにおいて一時的に停戦を行う暗黙の了解が、エスカレートしたもの言える。

「今これを塹壕の中で書いている。凍るほど寒く、まさにクリスマスの気候だけど、たき火をしていてわらもたっぷりあり、居心地はまあまあだ──今日、僕が見たものは、これまでに誰も見たことがない驚くべき光景だったと思う。

朝の10時、塹壕のパラペット(土で盛った壁)越しに外をのぞいていると、1人のドイツ兵が腕を振っているのが見え、すぐに別の2人が塹壕から這い出て、僕たちの方に向かって来た」


「僕たちはただ彼らを撃つところだったが、向こうは銃を持っていないのが分かった。それで味方の1人が出て行った。

すると2分もしないうちに、2列の塹壕の間には両軍の兵士や将校があふれかえり、互いに握手を交わしてクリスマスを祝福し合った」

https://www.afpbb.com/articles/-/3035085

まぁ美談に見えなくもないが、戦争中にやることでもない。

この現象は同時多発したようだが、その殆どは当時は戦局的に有利なドイツ側からだったという。ドイツ側に英語が話せる者が多かったのも理由の一つ。サッカーやったり歌ったり合同葬式やったり。

当時上等兵だったアドルフ・ヒトラーは「このようなことはするべきではない」と反対派だったそうな。


・私がこれを楽観バイアスの例として挙げたのは、クリスマスを祝おうと塹壕を出て、普通に撃たれて死んだ者も多数いるとされているからだ。
危険の過小評価。交流分析ではディスカウント(値引き)と呼ばれる。

戦場の人間性がどうこう、紳士的な戦争がどうこうと持ち上げられることもあるが、ただ単に長く続く戦争に誰もが嫌気が差していたとも取れる。
丁度「コロナ疲れ」「自粛疲れ」なんて言葉が生まれ、そのような状態の者がやらかしたように、ストレスに耐えきれなくて楽観視(状況の軽視)が始まることはあるように思える。

個人的にはこの話もまた、「戦争の狂気」の一つだと思うが。

・楽観バイアスは事態を予測する際に、直感的かつ間違ってる感じのパターンが多い。大体判断材料が欠けている。だがこのように偽の希望に飛びつくこともある。ストレスフリーな状況から抜け出す、あるいはその状況自体を否定するために。

一説によれば、人間は「これさえあれば幸せになれる」という考えを持ちがちで、それが大体間違ってるため人生を無駄にするという。もちろん「これさえなければ」という形の偽の希望もあるだろうが。

保育での楽観バイアス

・保育においての楽観バイアスは2つに分ける。
幼児の楽観バイアスと、保護者の楽観バイアス。

幼児の楽観バイアス

・ポジティブ面が挙げられている。

例えば自分が積み木で城を作っていて、相手がそれを壊した。この状況に対して七歳以下の子供は「わざとやった」と捉えやすい。これは結果に基づく逆算だとされている。悪いことが起きた=悪意があった、と。

中にはこのような解釈をせず「悪気はなかった」と解釈する子供がいる。この違いが、楽観バイアスの存在だと考えられている。つまり楽観バイアスは、相手の意図を否定的に解釈する傾向を弱めると。

・このため、楽観バイアスは子供の社会性に寄与すると考えられている。

調査の結果、楽観バイアスが強い子供は、弱い子供と比べて自己統制や協調などの社会的スキルは高い。攻撃的な行動も低い。
ただ、引っ込み思案な行動傾向も高いとされている。

参照:幼児の意図判断におけるバイアスの役割(九州工業大学)


・どの道「積み木を崩した奴」には変わりないんだけどな。このため「悪意がないのは認めるがとりあえずこっち来んな」となってもおかしくはない。

・この場合の楽観バイアスは「群れへの適応のため」に見える。社会スキルが高いのに引っ込み思案なんてまさに「良い子」的である。
「楽観」ではなくて、「問題は起きていない」とする合理化なのではないだろうか。

・やっぱりお人好しな感じになるため、悪意を持って味方ヅラするタイプ(フレネミーとか呼ばれる)とは相性が悪いだろう。保護者としては心配しそうだ。

保護者(責任者)の楽観バイアス

・平成30年の保育所・幼稚園での重大事故の件数は1632件とされている。元から子供はどう動くか予測がつかないところがあるため、大人はその分安全に配慮する。その上でこの件数であり、原因として楽観バイアスは疑われている。

・重大事故に関わる心理的要因として3つ挙げられている。

  1. 楽観バイアス:
    過信。「滅多に起こらないから私の周りは大丈夫」。
  2. 帰属の誤り:
    帰属は「何が原因だったか」と逆算する推論。深刻な事故が起きた時、保育者や園が問題を抱えていることが原因であることが多いとの認知(自分が原因ではない)。そして重大事故は珍しい出来事であるとの認知。
  3. 「見守る保育」に対する過信:
    見守っていれば問題は起きない、あるいは常に見守っていなければならないという、見守ることへの過度の信頼(見守ると言っているが、見張りとするなら企業内でも多い)。

つまり、油断と無責任と迷信。保育現場での話であり、当人たちは責任感と緊張感は持っているだろう。
現場の人間は恐らく「子供は何するかわからない」という共通認識は持っていると思われる。それでもこのようにバイアスがかかる。

・楽観バイアスは、「深刻な事故が起こるかどうかは偶然による所が大きい」とする信念と関連する可能性が示唆されている(安全に対する外的な帰属傾向と正の関係がある)。

簡単に言えば、「ミス」は滅多になく、起きるとしたら「不幸な事故」だろうとする。自分が注意する動機をあまり持たないとも言える。

この場合、事故が起きた際に「当事者に問題があるからだ」とする傾向とは弱い負の関連が見られた。つまり、それほど当事者を責めない。

参照:安全に対する過信と認知バイアスとの関連性


・一方で別の研究では、楽観主義者はネガティブな出来事を「自分のせいじゃない」と思う傾向が示されている。

セリグマンによれば彼らは、「望ましくない出来事」に対して、

  • 自分以外に関係があり
  • 長くは続かなく
  • 特定の場合のみに作用する
    これは主義かバイアスかに関わらず、楽観視することそのものの認知だろう。
    やはり無責任に見える特徴が多い。一つ目は特に。

楽観主義は性格に近い話だが、楽観バイアスの場合は悲観主義者でも発生する


・楽観バイアスがあると「悪質な自己責任論」とは少し遠くなるようだ。それは結構だが、度が過ぎて身内にやたらと甘いとか、非現実的な博愛主義者などへの懸念もある。

楽観バイアスが少ない場合は、安全に関する内的な帰属(自分が気をつけていれば問題は起きない)の傾向が上がる。これは安全確保へ向けた自己制御を促すとされる。要するに気をつければ大丈夫なんだから気をつけようとする。

ただしこれは、

  • 「事故が起きたのは気をつけていなかったからだ」とする安直な解釈とそこからの自己責任論(これにより他の事例から学ぶ意識を阻害する)
  • 「見守っていれば大丈夫」という過信の悪化

などの可能性が示唆されている。安全に関する内的な帰属=自己責任の世界観とも見える。

・見守る保育の過信は、対処法の捏造と言える。他でもこのような「AさえしていればBになるはずだ(またはBを避けられる)」という根拠がない信念を持つケースはある。
形骸化した対処、ただの「おまじない」に成り下がるため、意味がなくなる。

客観的に根拠があるならやりゃいいが、根拠がないのにひたすらそれをやる場合、裏目に出るかもしれない。少なくともリソースの無駄遣いになる。
なお悪いのは、偽りの対処法で事が済んだつもりになり、必要なことをやらなくなる余地。

災害時の楽観バイアス

・災害時の楽観バイアスとしては「自分だけは大丈夫」と思うことが挙げられている。この時、大丈夫な根拠は別にない

事故にあった人のコメントが大体「まさか自分が被害に会うとは思わなかった」なのも良い証拠だ。

・似たような台詞としては、「自分が事故を起こすとは思わなかった」なんてのもある。「怖くなって逃げた」と続くことが多いな。

ネガティブなイベントの「自発者」となり得る認識の欠如。やはり責任感のなさに関連しそうな要素。


・災害時のバイアスは、楽観バイアスだけではない。

・災害時は、どちらかといえば正常性バイアスの方が多い。異常事態を見て「これくらいは問題ない」とする心理。

例えば今、火災報知器が鳴り出しても、火事だと思うより検査や誤作動だとまず思わないだろうか。これは非日常的な出来事を「日常」の範疇に当てはめようとする心理。

このせいで逃げるのが遅れて死んだりすることがある。非日常的なものには、現実感を感じづらいとも言えるか。

・「前回何もなかったから今回も大丈夫だろう」は確証バイアス、「警報があってもいつもなにもないし、どうせ避難しなくても大丈夫だろう」等の繰り返されることによる信頼性の低下をオオカミ少年効果と呼ぶ。

その他の楽観バイアスの例

  • 「身内の贔屓目」も楽観バイアスに入る。「自分」じゃなくても肩入れする相手が関わっている場合に、楽観バイアスは動く。
  • 老後破産の原因とされる。つまり人生がかかっている計画すら失敗させる。
  • 投資の失敗の原因ともされる。シミュレートでは落ち着いた取引ができるが、本番では「期待」をしてしまいその通りにできない。
  • 賭博者の錯誤として「次は勝つに違いない」と思う心理がある。
  • 命がかかっており、情報も十分であるはずの消防士ですら負傷し、「火がああ動くとは思わんかった」と言う。予測できるだけの情報があった上で。
  • 離婚率が高いと知っている専門家でも、自分が離婚する確率はかなり低く見積もるという話。(「自分」がシミュレートに入ると、計算結果がおかしくなる。おかしいと言うかおめでたく。)
    • ちなみに楽観主義者の離婚率は変化ないが、再婚率は高いという。まぁ否定的に見ればこれは「こりてない」「学ばない」とも言える。

メモ

・対象はやはり「推論」。やったらどうなるか、このままだとどうなるかの予測に楽観バイアスはかかる。未来に対して間違った確信を持つため、用心深さが失われる。

・楽観バイアスは楽観を目的とすると言うよりは、「ネガティブなものからの目くらまし」にも思える。
だからこそ場面次第では有効に使える。やるしかない場合には萎縮しないために働くだろう。

だもんで楽観視そのものはTPO次第でアリだという解釈だが、バイアスも性格もTPO弁える前に出るからな。どの道、自分の自動思考を自覚してからの判断が望ましいと思うが。


・極限状態において、「狂わなければ適応できなかった」みたいな言はたまに見かける。
そのような生存本能、フロイトの言う防衛機制が働いた結果が楽観バイアスなのだとしたら、やっぱ楽観は臆病による過剰反応だとも言える。ロジックがどうあれ結論が常に「大丈夫」としたがるのなら。

・ただ、フラットに物事を見通してやる気がでんのかって問題はあるんだよな。
やること全部箇条書きにした結果、やる気が無くなるようなことはあるわけで。

どうも本能レベルで、

  1. 行けると思って手を付けた
  2. そうでもなかった
  3. 途中までやったんだから頑張ろう
  4. できました

みたいなパターンで、「間違いだと薄々わかってて自分を騙してる」みたいな所があるように見える人間はいる。作業興奮を織り込んでいるというか。

で、これで2の段階で迷惑掛けたり問題が発生したりしないんだったら、「着手してやり遂げた」結果が残り、評価できるだろう。
この場合、「楽観バイアスのおかげで気軽に着手できた」となる。

トラブルやアドリブを受け入れるバッファがある限りは、まぁ問題ないのかもしれない。例えばスケジュールに余裕がある時など。
命かかってると洒落にならんけど。

・多分だが、「マイペースで居て良い状況」でなら、楽観バイアスは有利に働かせることができると思う。緊張や焦燥によるパフォーマンスの低下が甚だしいのもまた事実だし。

だからこそ、バイアスのように自覚なく掛かっていたり、性格としていつでもどこでも楽観主義、というのは歓迎されることはないだろう。


感情バイアス

・前にも言ったが、楽観主義は自分の気持が楽になることに特化している。

楽観バイアスは、認知バイアスではなくて感情バイアスではないのか。感情バイアスの特徴が、

  • 例え否定する証拠があっても、心地よい感情をもたらす選択を選ぶ
  • 苦痛を感じる事実を否定する

と、いかにも楽観バイアス臭い。

判断基準が「自分の感情」で、心地よいものを選び、苦痛を避けるために現実を捏造する。

・この場合、楽観主義者の認知に見られるエゴイスティックな面に理由が付く。心情的な快楽主義。

ただ、例えば「死を受け入れる5段階」でも「否認」から始まる。「受容」は一番最後だ。防衛本能として楽観バイアスはあるのかもしれない。

その場合、楽観主義者は潜在的には臆病だということになるが、他の研究読んでるとどうもそうっぽい所はある。


他の要素次第では大分性格が悪い

・まぁ「性格」って概念が複合的に考えるべきものである。人が「性格占い」みたいに安直に型にはめたがるのは、むしろ複雑さによる煩わしさへの反動だろう。

・今回挙げた例では、楽観バイアスのポジティブ面として、何かあってもそれほど人を責めない(not自己責任論)ような話があった。

ただしこれは「自分のせいじゃない」というのが核の信念であり、それを他人にも適用しているだけに思える。

逆に自分のせいじゃないから誰かのせいに違いないとする「楽観主義者」は普通にいる。ちょうど正反対に、何でもかんでも自分のせいだと思う人もいるのだし。

全部他人のせいとする場合は楽観バイアスではなく、自己奉仕バイアスが酷い嫌な奴とかそんな呼ばれ方をするだろうが。現代だと自己愛と呼んで終わりだろうか。

・また事態の矮小化も目立つ。事が起こる前は「大丈夫大丈夫」、何かあったら「仕方ない仕方ない」。集団から見てこの態度は、始めは油断を誘い、次になかったことにしようとしていることにしかならない。
こういうの多いが、やっぱり自分の精神衛生しか考えてないし、それ以外に対してかなり無責任だろう。

この手の奴が犯人だった場合、割とサディスティックな気持ちになることも吝かではない。

また、この手の人間は他人が用心深くあることを嘲笑してやめさせようとする傾向が見られる。見てると自分が不安になるからかもな。

・バイアスではなくて楽観主義の話だが、SO(普通の楽観主義)とUO(病的なレベルの楽観主義)がある。

楽観バイアスも、まだ周囲に理解されるレベルと病的なレベルはあると考えられる。

・まぁ悲観主義は悲観主義で困ってる人も多いが、ノンアクティブな分、迷惑度は低い事が多い。結論が「やっぱやめとこう」とかになるから。
これが被害妄想のようになると問題はある(楽観主義と同じく、悲観主義も普通レベルと病的レベルがある)。


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