「自己責任」について

「自己責任」という言葉について

 

・助けが必要な人間を突き放す言葉でもある。その分、蚊帳の外から首突っ込んでこう言うのなら「誰だお前」って話になるが。

 

・「自分でなんとかしろ」という意味でもある。

 

・「自業自得だ」、という意味でもある。実際そのとおりなことももちろんある。

 

・「人のせいにするな」という拒絶。実際に全部人のせいにして生きてる奴もいるが。

 

・総じて「知ったことか」って方向だ。まぁもうちょっと柔らかく言えば「それはあなたの問題だ」ってところか。一番困っている者が、一番解決する必要性があるのは確かではある。

おかしいのが蚊帳の外からやってきて必死に唾飛ばしながら喚いてる連中だな。イジメがやりたいのか、なにか投影してるのかは知らんが。

ともかく、言葉自体は別にどうでも。ただ、使う相手や機会を間違えているように見えるケースも多々。

 

責任とはなにか

・どこぞで「責任は 取るものではなく 果たすもの」って見たことがある。まぁ最初から気をつけてろよって話だな。

一方責任を取る、というのは「償い」に近い。「ケジメ」ってやつ。責任を取ったところでなかったことにはならん。覆水盆に返らず。

よく社長や政治家が「責任を取って辞任」してるが、まるでそれで手打ちになったとでも言わんばかりに平常運転に戻っているだろう。
犯罪者がブタ箱にぶち込まれることを「罪を償う」なんて言うが、犯罪を犯さなかったことにはならない。

どれもやらかしたことは別になんともなってない。溜飲を下げる以外の意味がない。それすらできないかも知れない。大体はそうだ。

やはり責任とは持つ/果たすものであって、取るものではないように思える。責任を取る、というのは実質的には罰や見せしめの意味合いが強く、起こした事案へのフォローがメインであることは殆どない。

世間で言う所の責任というのは、犯人探しに使われる方が多いだろう。これは言い換えれば「後始末を誰がやるか」という押し付けあいである。

一部の関係ないのに自己責任だと言う者には、その事案に強く感情移入している=スルーできないというだけの場合もある。迷惑にも「自分のことのように思うから」、まるで当事者のような言が出る。

 

悪意

・その言葉の意味を考えると、どうにもズレているというか。「自己責任だ」というのが「それは罰だ。それが償いだ。甘んじて受けろ」と言ってるようにも見えてくる。

そうだとした場合、非生産的にも程があるので窮地に陥っている人間からしてみたら少なくともアドバイスにはなってない。

また、そういった人にこういう事を宣告することでカタルシスを得ようとする変態は結構な数実在することは述べておかなくてはならないだろう。

ダークトライアド、ダークテトラッド、他者志向型完璧主義者、あるいは純粋にサディスト、インターネットトロール、自己愛性人格障害、一般で言われている意味でのサイコパスなど。要するに、加害行為が好きな連中。

 

・上記のような傾向を測るダークコアのテストもある:https://www.idrlabs.com/jp/dark-core-personality/test.php

簡単に言うと、闇の特性(要するに性格の悪さ)がその者の人格の中にどれだけあるか、という話。

問題文を見りゃわかるが、いくらかは「他人を裁きたい」という欲求と関連している。正義は悪の側面を持つ。正義から正当性を取り上げれば間違いなく「攻撃」だ。その者の「自分が正しい理由」がポンコツなら、その正義は悪となる。
他にはサディズムや特権意識などの要素もある。

私が正直にやったら平均よりまともだった。自分で意外。

 

・「悪意」というのもダークコアの1要素に過ぎないようだ。テスト後にはグラフが出るが、悪意はそのうちの1つに過ぎなかった。

逆を言えば、「悪意なしに」、闇の特性は発揮されることもある。世の中には「悪気がないから悪くない」という考えや、「悪気はないから許すべきだ」という考えがあるようだが、いかがなものか。

 

・ただし、言われてもしょうがないようなケースもあることもまた事実だ。が、それ以上に巷で自己責任という言葉が飛び交ってるのも事実だろう。

 

自分でも自己責任だと思う人

・自分でも自己責任だと思う人。これは競争社会の弊害みたいなことを言われている。全てが勝ち負けで価値を決められ、負けた=実力や努力不足=だから自分が原因、という構図。

 

・本当の責任者からしてみれば都合がいい存在だ。勝手に自分のせいだと思いこんでくれるんだからな。飼い殺しにされるリスクが有る。大抵は「もっと頑張れ」とか言ってる奴ら。

 

・この勝ち負けの視点は一種の世界観であり、基本的に全てがパイの奪い合いやゼロサムゲームに見えている。あらゆるモノの上下、優劣、勝敗などが目につくようになる。

そうして自分の負けを見つけるたびに、そうではない自分の自己責任だ、と思うようなこともあるかも知れない。いちいち自分を責めるほどに「悔しい」というのなら、少しこの時点でおかしい。負けず嫌いだろう。「自分もああでなくてはならなかったのに」というタイプもいるが。

 

またはっきり言ってしまえば、この価値観の持ち主ならば、自分が負けているから「自己責任だ」と自分を責めているだけで、自分が勝っていたなら「自己責任だ」と他人を責めている姿は想像に難くない。逆もまた然り。まぁこっちはそうなった途端に人のせいにする奴もいるが。

何れにせよ、勝負から離れたモノの見方を学ぶべきだろう。

 

メモ

・余談だが、自己責任論が日本独特、という話がある。しかし海外でも似たような批難(特に軽率さからトラブルを起こした者への)は変わりはないようだ。

 

・実際に他人にケツ拭いてもらうつもりでやりたい放題する確信犯もいるわけで。こういうのが自己責任だと言われる分には全く何も思わないのだが。

日本はあんまり信仰というものがないとも言われたりもするが、どうも「言霊」染みた信仰を持っている者が多い。つまり「言葉自体に」正しさがある、みたいな。だから反対に、安直な言葉狩りもしたがるな。まぁこっちは日本だけじゃないかもしれんが。

言葉なんざ使う場面を間違えたらただの間違い/失敗だ。それなのに「正論はいつでも正しい」なんて信仰を持ってはいないか。相手や場面を間違えたなら、サディズムのサイコ野郎になる。自己責任って言葉を使うのも自己責任だろうね。

相手が間違っていることと、自分が正しいことは、必ずしも対になるわけではない。

 

・というか単純に、この言葉は他人の良し悪しを勝手にジャッジしてるようなもんなので、普通は嫌われるから大体の人間は言わんのだが。

 

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