- 偉い人の言うことは善悪の区別なしに受け入れる人たちだよ
- 強い者には媚びて、弱い者はイジメるよ
- この手の人々がファシズムを受け入れたのだとされているよ
- 最初は右翼的な心理だと思われてたけど、左翼にもやたらといることから教条的な服従の心理と今ではされているよ
人間の性格類型。 1930年代のファシズム台頭を受入れた当時のドイツ中産階級の社会心理学的分析を行なった E.フロムに始り,アメリカの社会学者たちによって明らかにされた。
因襲主義,権威への服従,人間不信などを特徴とした反民主主義的イデオロギーを受容しやすい性格をいう。
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・始めに言っておくと、この概念は比較的昔のものだ。今でも通用する部分は多々あるが、時代背景(ファシズム台頭以降の世界情勢やイデオロギーの争い)も注意を払った方がいいだろう。
根本的な部分、権威への無条件の服従、他者へのサディスティックな側面とマゾヒスティックな側面などは現代でも見られる。
権威主義的パーソナリティとは
・権威主義的パーソナリティをわかりやすく言えば、バカでマゾでサドという三重苦の変態なんだが。
悲しいことにこれは一部のカワイソウな奴らの特徴ではなく、社会全体に偏在する大衆の心理とされている。
・権威主義的性格とも。
エーリヒ・フロムの社会的性格分類の内の一つ。
権威ある者への絶対的服従と、自己より弱い者に対する攻撃的性格の共生と定義される。
同じものを指してマゾヒズムとサディズムの共生とも。
絶対的服従とは、善悪や正邪の判断よりも権威を優先させることを指す。このため受容的性格とも呼ばれる。
・権威主義的パーソナリティ/受容的性格は、同じくフロムによる搾取的性格(他者の自由や権利を奪い取り、社会的・経済的に阻害する)の犠牲者でもあるのだが、共犯者でもある。
言い方変えれば、テイカー(持ち去る者)に媚びておこぼれをもらおうとする。このため共犯関係や共生関係とも言われている。
テイカーは得ることしか考えず、与えようとはしないため、結果として権威主義的パーソナリティは被害者ポジションにはなる。ただし集団への所属が目的の一つのため、まだ媚びる。依ってマゾ。
・思考の柔軟性に欠けている。バカというよりは頭が固い感じ。
強者や権威に、ただそれだけの理由で従う単純な思考を持つ。
・自分の意見や関心が、社会でも常識だと誤解して捉える傾向が強い。他人から見れば主語がでかいタイプ。
平たく言えば全体主義者なので、個人の自由や意見を認めない傾向がある。人間不信と言われるのもこの辺りからだろう。
この上でマイノリティや弱者(つまり「自分の全体主義」を損なうもの)へは高い攻撃性を示す。
・フロムはこのタイプの人々が、ファシズムを受け入れたのだとしている。
アドルノによる権威主義的パーソナリティの診断(Fスケール)
・権威主義的パーソナリティの概念規定に重要な役割を果たしたのはフロムだが、実証的研究として注目されているのはアドルノだろうとされている。
・テオドール・アドルノは、「ナチスに協力した一般人」の研究として権威主義的パーソナリティを解明した。これを測定するためのものがFスケール(F尺度)。FはファシズムのF。
ここからテストできる。全30問。:アドルノF尺度
高いとファシスト臭い。低いと臭くない。ただ、9つの要素がこれにはあるが(下部に出る)、極端に高い物があるようならそこが自分の弱点だと思ったほうが良いかもしれない。
・9つの要素は以下
- 因習主義:
中産階級の諸価値に対する執着 - 権威主義的従属:
内集団の理想化された道徳的諸権威に対する無批判な態度 - 権威主義的攻撃:
因襲的な諸価値を侵犯しようとする人々を探し出し、非難し、拒絶し、処罰しようとする傾向性 - 反内省性:
主情的で、想像力に富んだ、柔軟な考え方への敵対 - 迷信とステレオタイプ:
個人の運命について神秘的な規定要因を肯定しようとする信念。
固定したカテゴリーで考えようとする専有傾向。 - 権力と「剛直」:
支配者-服従者、強者-弱者、指導者-追随者、という思考枠組みへの先入観。
権力をもった人物への一体化。
自我の因襲にとらわれた諸属性を過度に強調すること。
強さとタフネスについての誇張された主張。 - 破壊性とシニシズム:
人間的なものに対する一般化された敵意と誹謗。 - 投影性:
この世の中には野蛮で、危険なことがらが横行していると信じたがる傾向。
無意識の情緒的衝動の、外界への投射。 - 性:
性的「現象」についての誇張された関心
・ここでは「迷信とステレオタイプ」という形でこの2つを一括にしている。「盲信」という点では同じだしな。
民主主義的パーソナリティ
・社会学者のテオドール・アドルノは、権威主義的パーソナリティの対として民主主義的パーソナリティを定義した。
権威主義的パーソナリティに対する語。自発性と個性を具備して安定した統一的なパーソナリティで,その特徴は,自我の独立と同時に他者に対する寛容,偏見からの自由,合理的判断などである。
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・権威主義的パーソナリティは、これの逆と考えたほうが早いかもしれない。
つまり自分がなくて、付和雷同で、依存的で、他者に厳しく、偏見に満ち、感情的判断をする。まぁ人間そういうとこある。
・なおフロムによる社会的性格は5つあるが、その内「生産的性格」以外の4つはロクでもない存在扱いされてるので権威主義に限った話じゃない。