距離感が近い人に感じる気持ち悪さや不快感について

  • 人にキモイと思っちゃう自分が嫌いかもしれないけど、キモいと思って当然なことが多いよ
  • 人は不自然に近づかれると怖いと思ったりキモイと思うものだよ
  • 相手が悔い改めることはあまり期待できないから逃げようね

・この時の気持ち悪さは権利、尊厳、テリトリーを侵された不快感だと言える。
端的に言えば侵入者、侵略者を相手にした感情に近い。そこから来る恐怖心、警戒感が「嫌悪感」となる。

このため距離が近い/距離を詰めてくる相手に明確に「怖い」と感じている人もいる。

・物理的にも心理的にも、距離感が近すぎると気持ち悪さを感じるのは割と自然なことだ。
仲が良くてもやらないような接近をしてくるのなら、なおさらに。

強引なマルチや宗教の勧誘と変わらない。こちらは用がない。あちらは用がある。で、ガンガンくる。拒絶なり妥協なりと応対する手間とストレスがある。不快に感じるのも自然なこと。

・距離感が近すぎる人は、相手の気持ちより自分の都合や欲望を優先する自分勝手なタイプが多い。

  • 相手が嫌がってることがわからない思い込みが激しいタイプ
  • 「常識としてはそうだが自分だけはそれをやっても許される」と思いこんでいる頭がおかしいタイプ
  • 好意が言動の免罪符になると思っているアッパー系コミュ障

自分勝手というのは、その分相手のことを軽視することになる。まぁ好かれはしない。

「距離感」とはなんぞや

・人間と人間の距離という意味での距離感を、今回は物理的、心理的、情報的なものに分ける。

どの距離感も、近ければ近いほど害を及ぼすことが可能になる

・物理的な距離感としてはパーソナルスペースがある。

・心理的な距離感と情報的な距離感はいくらか重複する。

心理的な距離感は、関わり方(態度)に現れる。親身か淡白か、馴れ馴れしいかよそよそしいか。

情報的な距離感は、プライバシーに関わる。

パーソナルスペース

・物理的な他人との距離感の分類。これに侵入されると、相手に対して不快感や不安感を抱く。満員電車やエレベーターでなんか気持ち悪くなってくることの原因ともされる。

自分を中心とした球形の、あるいは腰より上は円筒状の「持ち運びできる縄張り(テリトリー)」と考えられている。

・結論から言うと、他人に許せる物理的距離は 50 – 75cmくらいが「限界」。仲がそこそこ良くてもだ。
それ以上の距離でも、用もなく近づいたり居続けるなら違和感を感じるのが自然。

エドワード・T・ホールの定義によるパーソナルスペースは、近接相と遠方相に更に分かれる。
これの詳しい説明が見つからないんだが、近距離用と遠距離用があるとの解釈で今回は進める。

今回はソーシャルかつフォーマルであるべき場面という前提で行こう。遠方相。

  • 密接距離:15 – 45cm:ごく親しい人にだけ許される距離。
  • 個体距離:75 – 120cm:相手の表情が読み取れる距離。
  • 社会距離:2 – 3.5m:手は届かないが会話はできる距離。
  • 公共距離:7m – :複数の相手が見渡せる距離。

・密接距離は遠方相でも「相手に手が届く距離」と言われている。

要するに「殴れる距離」でもあるし、「セクハラできる距離」でもある。
特に理由もなくこの距離まで近づいてくる時点で、充分に異常と言える。

・密接距離かつ近接相(0 – 15cm)の場合は「身体に用がある」可能性が高い。

身体的接触もしくは身体的関与の可能性が大である。愛撫、格闘、慰め、保護の距離。

http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/6347

そういう仲じゃないんなら、もう殴っても合法なんじゃないかという気がしてくる。
対象からの干渉(相手も同じことができる)は気にしていない。そういう意味では対象を舐めている。

・個体距離(75 – 120cm)にしても、病気とか感染る距離になる。
(ちなみに厚生労働省による新型コロナでの「濃厚接触者」の定義の一つが、「互いに手を伸ばしたら届く距離(1m程度以内)」で15分以上接触があること。)


・エドワード・T・ホールはアメリカ生まれのアメリカ育ちなアメリカ人であり、そのパーソナルスペースもアメリカ人のものだ。

一方で、日本人はこれ以上にパーソナルスペースが広い(=距離を取りたい)とされている。このため日本人によるパーソナルスペースの定義も紹介しておく。

・西出和彦氏の定義では、

  • 排他域:50cm以下。絶対に他人を入れたくない距離。会話目的でも近づきすぎ。
  • 会話域:50cm – 1.5m。日常の会話が行われる距離。「会話がないと不自然」と感じる距離でもある。会話無しでいるならそれなりの理由を要する
  • 近接域:1.5 – 3m。会話をするための距離で、かつ会話がなくても不自然ではない距離。
  • 相互認識域:3 – 20m。知り合いかどうか判別が可能な距離。挨拶が発生する距離。この内 3 – 7mでは知り合いを無視するのは難しい距離となる。

となっている。微妙に広め。
加えて会話域でも「会話がないと不自然」となる。
当然これ以上近づきたがるなら悪目立ちするだろう。


・物理的な距離とは、近ければ危険であり、遠ければ安全(逃走可能かそもそも干渉できない)である。

他人による異様な接近を前にして身の危険を感じて不思議はないし、それは直感レベルでは「気持ち悪い」と感じてもおかしくない。

自他境界

・心理的/認知的な距離感に関わる。自分と他人の区別をつけること。自分と他人の境界線。「バウンダリー」とも呼ばれる。
これは固定的ではなく、変化することがある。この境界線は「超える」と不快感となりやすい。

加えてそもそも境界線を認識できないという重症例もある。例えば自分の頭の中で思ったことを相手もわかっているという前提で話したりする。
この場合はどちらかと言えば、境界線を乗り越えているのではなく、自分と他人が別物だという認識自体が弱い。自分と他人の区別を全くつけない言動をしかねない。

・バウンダリーは「自分自身を保護する機能」があるとされている。自分の領域を侵すものを拒絶し、自分の成長や回復に必要なものを受け入れることで。

適切にバウンダリーを形成できれば、自他をお互いに尊重し、適切な距離感を保った人間関係の維持につながるとされる。


・パーソナルスペースは段階的だが、こちらは自他の区別が本来ははっきりとある(日本人は曖昧な傾向があるとする説もある)。

境界線があいまいな人間は、他者を侵害しやすい(バウンダリーオーバー)。

・自他境界があいまいな例としては、自分の領域を他者に広げるタイプ(加害者的)と、他者の領域を自分にまで広げるタイプ(被害者的)がある。

・自分の領域を他者にまで広げるタイプは、他人が自分とは違う意見や経験を持っていることを考えなくなってくる。

簡単に言えば「お前に関係ないだろう」と言われるようなことを、自分がやっていることがわからない。

・「自分の領域」に対しては、人は主体的に動くとされている。つまり他人のことを自分の領域と間違えた場合、ものすごく干渉してくる。

・他人の意見や考えが自分と違うことは「間違い」であると捉え、それを正そうとする言動は指示的、他者操作的な言動になりやすい。自分がこう思うのだから、相手もそうだろうという間違った自信を持っている。

・上から目線で自分ルールを押し付けたり、おせっかいだったり、過干渉だったり。基本的に他人が自分に合わせるべきだという態度で「改宗」を迫る。宣教師か。

当然、距離感が近くなる。ついでに「自分の考えは相手も分かってくれてるはず」とも思いやすい。

・距離感が違い人間に対しての気持ち悪さは、「相手が境界線を超えた/越えようとしているから警戒している」と言い換えることができる。


・他者の領域を自分にまで広げるタイプは、他人の考えと自分の考えを区別できず、そのまま受け入れてしまうこともある。

「お前に関係ないだろう」と言えるようなことを、やられていることがわからない
境界線の維持は自身の回復や保護の役割を果たすが、それがないため心の余裕は少ない。

責任の所在の区別ができずに他人のケツを拭かされたり、嫌だと言えずに言いなりになるなどもある。

こちらは被害者側で、前述の侵害するタイプに振り回されやすい。


アドラーの3つのライフタスク

・個人心理学(アドラー心理学)では、人間の問題は全て対人上の問題だと考えられた。

ライフタスク(人生の課題)を3つに区別したが、これは「相手」との社会的距離で分類される。

  • 仕事のタスク:永続しない人間関係。
  • 交友のタスク:永続するが、運命を共にしない。
  • 愛のタスク:永続し、運命を共にする。

・相手に「距離感が近い」と思われていることは、仕事のタスクの立ち位置で、交友や愛のタスクとして振る舞っていると捉えられていることになる。

まぁ片思いだな。

「気持ち悪い」とはなんぞや

・今回大きな理由となりそうなものとしては、「意味がわからない」ものに対する気持ち悪さだ。これは警戒心と言える。

通常、人は一定の感覚を保とうとする。近づくにはそれなりの間柄、またはそれなりの理由があることが前提になる。

この前提を破棄して、そんな仲じゃなく、理由もなく近づいてくるならそりゃ気持ち悪い。普通じゃない、つまり異常なのだから。


・古くはチャールズ・ダーウィンが、気持ち悪いと感じることは進化上の意義があるとしている。そう感じるものを避け、あるいは注意を払うことで生存してきたのだと。

・人のネガティブな感情、例えば怒り、嫌悪、罪悪感とそれに基づく当人の行動が、身体の免疫機能と同じ役割を持つのではないかとの仮説がある。行動免疫仮説。

これは生存や繁殖上の適応を脅かす存在や状況に対して働き、当人に対処を促す

・実際に物理的に距離感が近くて気持ち悪い例が、顔を近づけてくる奴とか触ってくる奴など、「異性」+「接近/接触」という属性が含まれた話がやたらと多い。

心理的に距離感が近い場合でも「彼女/彼氏ヅラをする」というのが多い。相手に性的というか男女関係的な視点が背景にあること多いってこと。繁殖上の適応が脅かされているね。

同性同士の接触は嫌悪感がもっと強く感じるという調査結果がある。案外「同性であることを盾に触ってきやがる」という話も多い。別にゲイでもレズでもバイでも知ったことじゃないが、それはセクハラをしていい免罪符にはならない。


・もちろん個人の価値観や経験、偏見などにより気持ち悪いと感じる場合もある。ただし「生理的に気持ち悪い」みたいな感情を多くの人間が感じる距離感もまた実際にある。

・「気持ち悪い」とは嫌悪感だと言えるが、人が気持ち悪いという理由については怒りや恐怖などが含まれていることもある。

・今回は
「相手の注意が自分に向いている」
「自分に影響を及せる物理的/情報的距離にまで近づこうとする」
「支配/コントロールしようとする態度である」
「馴れ馴れしい(心理的距離が近い)」
などへの気持ち悪さであり、「本能的に身の危険を感じる」または「侵害されている」と感じている。

まだそこまではっきりしていない「違和感」であることもまた多い。これが気持ち悪さと感じられるため、人によっては「根拠もなく他人を気持ち悪いと感じる自分」に罪悪感を感じ、気持ち悪さを押し殺し、相手は調子に乗り、被害は深刻になる。

物理的な距離感:パーソナルスペースが狭い人

・顔を近づけてくることと、接触してくる話が多い。これは普通に気持ち悪い。

話す時に距離が近い、顔を近づけてくる、肩を組んでくる、触ってくるなど。

・物理的な距離感の場合、近接距離に理由もなく近づかれた時点で「気持ち悪い」と感じる。これをやっている。

・異常性癖のこともある。好んでやっているタイプ。

・パーソナルスペースへの他者の侵入は、必ず不快や緊張を生むとは限らない。相手との仲、例えば恋人同士の場合は快感や喜びを生むともされている。

同様に、パーソナルスペースに侵入しても拒絶されない=「他人に受け入れられた」と解釈する人間もいる。我慢しているとは思わずに。

あるいは「相手は自分に抵抗できない」という実感を得るために、意図的に侵害するものもいる。コントロールフリークなど。この場合は心理的、情報的にも侵害する。まぁ、そこまで変態なのもいる。

顔が近くて気持ち悪い

・直視に耐えられる顔面してたところでダメ。

・異性で多い。特に話す時に顔を近づけるという話が多い。

被害者が女性では顔が良ければ許せる派と、それでもキモイ派に分かれる。ただ、顔が良ければ許せる派は想像で語ってるだけのような気がする。

別に男が女にやられてもキモイ。

・自分がモテるとか、顔面偏差値が上の方だと思ってるのも多いようだが、「顔が良かろうが男だろうが女だろうがその距離感は気持ち悪い」というのがよくある感想で。

これはパーソナルスペースで言う「近接距離に他人が来るととにかく気持ち悪い(=嫌悪、怒り、恐怖を感じる)」ということだろう。

トナラー

・他に席あいてるのにわざわざ隣に座ってくる輩のことをトナラーなんて言うそうな。

どこにでもいるらしい。ロッカー、駐車場、ジム、飲食店、銭湯etc。

一般的にはパーソナルスペースがあるため、可能なら1つ分は空けるほうが多いだろう。

・「他にも場所があるのに」ってのがポイント。
パーソナルスペースの話にもあった「理由がないと不自然な距離」に、理由がないのに来るわけで。緊張感や警戒感が「気持ち悪さ」に感じられることもあり得る。

駐車場ではウザイとの声が多いが、それ以外ではキモイとの声がやっぱり多い。

・広場恐怖症で、開いている場所を避けてわざわざ隣にならないと落ち着かないとの声もある。キッチリ端から詰めていきたい性癖であることも。
ただそれが、人が自然に持っている距離感を侵害してまで優先されるため、「社会的に受容される個性の範疇」には収まっていないと思う。一般的な人間心理って意味での社会性ではね。

・なんか単純に密着して身体をこすりつけたい変態もいるっぽい。これは後述する窃触症に近い。要するに痴漢

異性にだけ狙ってやるタイプもいるようだが、ナンパか痴漢かのどっちかだろう。女同士なら許されると思ってるのもいるが、女でもキモイとのこと。

スキンシップ好き

普通は他人に触らない。というか触れる距離に近づく時点で割と論外だっつってんだろうが。
好みの問題よりも、それをやってもいいと思っている/我慢ができないことの方がやばい。これは個性ではなく、異常性だ。

・これも窃触症に近い。
脱抑制型の愛着障害にも近い。

他人に触りたがる障害

ASD:自閉症スペクトラム

・他人の体の一部などに強い関心を抱き、「いつも触っていたい」と思うことがあるとされる。

https://www.blog.crn.or.jp/lab/07/10.html


愛着障害(脱抑制型)

・脱抑制型対人交流障害。特徴は、「不適切な過度の馴れ馴れしさ」。相手を選ばず見境なくベタベタしたがる

・愛着障害自体が本来は子供の症状だが、大人でも疑わしいのがいるとされる。少なくとも脱抑制型は思春期までは見られるとされる。ただしまれな障害。

・ADHDとの区別が難しいとされる。


窃触障害

痴漢の別名。パラフィリア(性的倒錯)に入る。

・接触じゃなくて窃触。窃盗の窃。窃の一文字の場合、意味はひそかに取って自分のものとする、あるいは盗むこと。

同意していない他者の身体を、触ったり自らの体を擦り付けたりすることで性的興奮を感じる性的倒錯。

・精神医学的に障害とされている。この上で犯罪でもある。世の中のイメージほどには精神障害=無罪とはならない。

診断基準は、

A 6ヶ月に渡り同意しない相手に触ったりこすりつけたりで性的興奮を得ることに対しての、空想、衝動、あるいは行動に現れること。
B 同意しない相手に対して実際に行動に移したことがあること。社会的、学業的、職業的などの面で機能の障害を引き起こしていること。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%83%E8%A7%A6%E7%97%87

まぁ普通に考えと行動が痴漢なので、これは被害者サイドが気持ち悪いと思って当然だろう。

・「同意を得ていない相手」であることが条件の一つである。まぁ同意があるならそういうプレイってことで済むしな。

ただし認知の歪みと言うか、勝手に同意を得ていると思いこんでいる可能性も高い。性犯罪の裁判でも大体焦点の一つとなるし、セクハラで訴えられたジジイは大体「嫌がっているとは思わなかった」とか言うだろう。

・ちなみに窃視症もある。覗き見の病気。出歯亀。


・法務省による『犯罪白書』によれば、痴漢型の犯罪で初犯だった性犯罪者には、既に条例違反の前科があることが多い

再犯率も高く、その「気持ち悪さ」は氷山の一角かもしれない。

調査対象事件で初めて実刑に処せられた痴漢型の者56人について,条例違反による前科の内容を詳細に見ると,43人に罰金前科があり,30人に単純執行猶予前科があり,7人に保護観察付執行猶予前科がある(重複計上による。)。

また,罰金の回数では,複数回の者は7割強を占めていた。再犯率は44.7%と,他の類型と比べて最も高く, 再犯者の7割が条例違反による再犯である(6-4-4-3図CD-ROM参照)。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_5_2_6.html

距離が近い人とセクハラについて

・根本的な話、性的に興奮している動物は大体気持ち悪い。それしか頭にない感じだし。
また、自分が「そういう対象」として相手に見られることもまた大体気持ち悪いというのが正直なところだろう。「身体に用がある」ってことだからな。身の危険を感じるのが道理であって。

・セクハラ的な場合は、接近や接触を行うターゲットが限定されている場合と、異性になら誰でもそうというケースがある。同性でもセクハラは成り立つので、そういうのもいるかも知れない。

・距離が近いだけでも被害者的には十分セクハラだったりはする。
恋愛感情が動機でも、やってることが痴漢のストーカーならアウト。

・物理的に「触れる距離」に近づいてくる。警戒心の表れとしては、距離が近いだけで「気持ち悪い」と感じても妥当。

・心理的な距離としても、プライベートを根掘り葉掘り聞くなどは元からセクハラ扱いされる。で、性的な話題はプライベートの究極の一つだ。

・際どい話題ってのは「秘密の共有」にもなり得るため、相手と仲良くなりたいアッパー系コミュ障なども好んでやりたがる。

心理的距離が近すぎる人

・心理的な距離感としては、主に関わり方の話になってくる。態度や姿勢。親身か淡白かみたいな。
共感的か非共感的か。適度な距離感はその中間辺りにあり、人それぞれで塩梅は違う。
ただし中には「共感的であればあるほど良い」という共感狂いがいる。

面識のない赤の他人に将来の心配されたら気持ち悪いだろう。
反対に家族に気持ちが理解されなかったら「心の距離がある」と感じて不思議はないだろう。

親しいかよそよそしいか。馴れ馴れしい奴は誰だって嫌いなわけだが、親しい仲に余所余所しくされたら大体凹むわけで。お互いの「仲への認知」がズレてるとこれが出てくる。

・相手のことを分かってるフリ、または分かってると思いこんでいることを含める。
態度としては距離が近く、しかもその「分かってる」がハズレてる場合、「違和感」としてはかなり高いため尚更に気持ち悪いかもしれない。

・心理的な、つまり「不可視の領域」へむやみに立ち入ることは、例えば「人の心(またはプライベート)に土足で入り込む」と呼ばれる。

元から丁寧さと慎重さが必要な分野であり、それをしないならまぁ嫌われる。

心の距離感がおかしい人/間違えてる人:心のパーソナルスペース
・人との距離感を間違えると、人格とは無関係に嫌いになったりする。むしろ「好ましい人」の条件には、距離感がまともであることは含まれるだろう。それ以上に、精神的な他者との距離感、特に自他の境界線に問題があると、相手の巻き込まれ...

社交的(?)な人間

・自分のことそう思ってるとアクティブになる。

的はずれな自信があるのか、相性が悪いのか。

・仲良くなりたいってのは、人が人に近づくわかりやすい理由になる。下心とか含めるが。
この場合は接近する当人なりの動機となる。

言動の内容がよろしくなかったり、近づき方が急すぎれば、拒絶として気持ち悪さを感じる余地もある。また人は、関心が自分に向いている事自体に居心地の悪さを感じることもある。

・仲がいいと思いこんでいる場合は、馴れ馴れしいことに気持ち悪さを感じる余地はある。相手からは態度そのものが異常となる。

自己愛性人格障害やサイコパスなどは外向性が高い。彼らは「表面的な魅力」を持っているとされているが、その辺りが数字として出ている。この上で誠実性や協調性が低いためアレだが。

まぁ社交性って言えばよろしいことのように思われがちだが、一般に言われるものはせいぜいが対人への積極性程度の意味しかない。

嫌われる理由にもなるし、あれば偉いってもんじゃないよということ。他人の社交ごっこにどこまでも付き合うのは考えものだ。

・実際には「自分のことをコミュ障だと思ってる人間」が、対人面において己を「鼓舞」しようと虚勢の自信を保つことにより、加減を知らない馴れ馴れしさを発揮する場合がある。まぁ調整スキル持ってないからな。

馴れ馴れしい

・下の名前で呼んできたりお前呼ばわりなど。

やっぱり男が女へ、ってのが多い。やっぱり女でもいるんだが。

・あぶねーやつにしか見えないため、やっぱり気持ち悪いと思っても自然だろう。


・他人の呼び方ってのは、相手との距離感を象徴するものの一つだ。だから普通は結構気を使う。

仲が良くなってきてもいつ呼び方的な意味で近づいて良いのかわからんなんて悩みのほうが多い。

人前とそれ以外とで呼び方違う、なんて間柄もあるな。恋人同士とか、子供から親への呼び方とか。大抵は親しさや幼さを軽くマスクしてフォーマルな形にする目的で呼び方を変える。

・逆はまずない。自分から不自然に距離が近い呼び方なんて普通はしない。関係の進展が先で、呼び方が後なのが自然だから。

これやるのは距離感がわからないやつか、無理して積極的に振る舞ってるキョロ充が多い。後者の場合は大体相手をナメてる。

・距離感や関係性を勘違いしているか、周りに自分たちは仲がいいとアピールしたいかなどの可能性も高い。後者の場合、相手の気持ちよりも既成事実っていうやべー考えしてると言える。

・なぜか知らんが、自分のことを人気者だと思ってることも多い。

相手を支配しようとするコミュニケーション

・交流分析の「ゲーム」という概念がある。どちらかが不快な感情で終わる、他者とのお決まりのやりとりを主に指す。
相手を半強制的に巻き込むことが多く、不快感や疲労感がある。

この目的はラケット感情(偽物の感情)を獲得することであり、これにより、自分の本当の問題から目を逸らす。例えば自分が弱者だと思っているものは、強者だと感じられるラケット感情を目的とするなど。

あるいは自分の世界観の自己証明が目的のこともある。嫌われ者だと思いこんでいるものが、嫌われることを行い(挑発など)、嫌われることによってそれを確信するなど。

ゲームのパターンはかなりの数があるのだが、一人の人間が他人に仕掛けるものはいくつかに限られる。目的(お気に入りのラケット)が決まっているため。

・裏面的であり、常にディスカウント(値引き)が含まれるとされる。
何らかの過小評価を行うこと。相手の過小評価、自分への卑下、状況の軽視など。

これにより表向きの言葉や態度からではありえない感情を味わうことになる。
例えば「親切にされたのに不快に感じる」など。この違和感が気持ち悪さになる。


・「世話焼き」のゲームは、求められてもいないのに他人の世話を焼く。

「あなたのため」といいながら近づき、干渉し、支配しようとする。

優越感というラケット感情が目的。

拒絶されると相手に罪悪感を与えるようなことを言ってくる。それこそ「あなたのためだったのに」など。


・「さあ捕まえたぞ」のゲームは、マウントを取りたくて他人のミスを血眼になって探している。発見したら怒鳴りこんでくる。どこの職場でも大体いるとされる。

相手の襟首掴んで捕まえて、さあ説教してやろう、みたいな感じ。これも優越感が目的。

強者であるとアピールするのが目的のこともある。対象は相手じゃなくてギャラリーかもしれないが。1:1ではなく、「大勢の前で注意してくる」とされているので。

・当然過干渉かつ高慢な態度であるため、距離が近く不快な相手。

・ラケット(偽物、詐欺)感情として立場が上だと感じようとしている時点で、実際には不安や自信のなさがあることになる。

・いくら指摘どおりにした所で必ず他のイチャモンを付けるため、まともに相手をすると疲弊する。

適当にヨイショして距離を取れ、と言われている。


・交流分析のゲーム自体は、やったことのない人間なんていないと言われるくらいありふれている。

ある意味人間はそもそもが気持ち悪いのかもしれない。性悪説。

・フランクリン・アーンストによる「OK牧場(ある種の人間観や世界観)」で言えば、この2つは「私は良い、あなたは良くない」という態度になる。

これは「虚勢の自信」ともされ、悪い意味で積極的になる。心理的な領域への侵略者はこれが結構多い。普通は嫌われることを恐れるため、それがブレーキとなり感覚が保たれる。これを虚勢の自信で誤魔化せば、まぁそうなる。

元が失礼であり、なおかつ積極的に絡んでくるため、その違和感は気持ち悪さになっておかしくない。

情報的な距離感

・例えば相手に「給料いくら?」って聞くのがまともと思うかイカレと思うかって話。

・「信頼」ができるかどうか。信頼を得ていないのに知りたがるようなら、当然気持ち悪い。


・初めにはっきりさせとくが、プライベートとは「個人的なこと全般」を指す。多くはその中での「異色なこと」だけ気をつけりゃいいと思ってたりするが、そうでもない。何が嫌なのかからして人それぞれだし。

「名前」すらその対象になり得る。日本、中国、東南アジアなどで「本当の名前は知られてはいけない」との習俗が見られている。本名で呼ぶことは親や主君などの身に許され、それ以外の人間が呼ぶことは極めて無礼だと考えられた。

・情報的な距離感は、プライバシーに連なるものとする。これも情報が多ければ多いほど(距離が近いほど)害することが可能になる。助けることもできるけどね。

例えば、特定の食べ物に対してアレルギーを持っていても、それを隠そうとする人がいる。食ったら死ぬレベルのアレルギーの場合などで散見される。
その理由が、「気合や慣れの問題だ」っつって食わせようとする馬鹿への対策だったりする。
割と知った上で食わせようとする輩がいるらしい。

このように「情報」を無闇矢鱈と知ろうとすることは、相手から安心感を奪おうとすることと同じになる。この上でどれが地雷かはそれぞれだ。


・セーフアウトは相手が自分で公表しているか否かでだいたい分かるが、同じ情報でも自分で言ったのと他人が広めたのとじゃこれまた違いがあるわけで。

フェイスブックで自分から顔写真と連絡先公開してるのと、他人がネットにばらまくのじゃ違うだろう。後者は訴訟案件になる。

・もう一つ。プライバシーの定義としては、「本人がその情報への他者の接近をコントロール可能であること」が挙げられる。当人だけが持つべき権利であり尊厳に近い。

他人が知った時点で、そいつからもその情報にアクセスが可能になる。別に知られて困らないはずのことでも、信用できない奴には知られたくはないと思っても自然だ。

「口が軽そうなやつ」かつ「知りたがり」ならまず危険視される。片方だけでも大分嫌だろう。この危険性も「気持ち悪さ」として感じられる。


・今回は便宜上距離感としているが、割と赤の他人があっさり踏める所に地雷があったりもする。
このため好奇心を向けられた時点で、恐怖や不安を根拠とした「気持ち悪さ」を感じてもおかしくはない。

・端的に言えば、情報的に距離を詰めようとすることは「弱みを握ろうと探りを入れてくるやつ」と区別がつかない。というかやってることは同じ。


・致命的なのは、この距離感は「離れる」ということがかなり難しい点だ。
殴って記憶を失ってくれればいいのだが、傷害罪になる方が先だろう。通常忘れることはできないし、他人には確認が不可能だ。

他者のプライベートを尊重できるかどうか、実際にそのとおりに振る舞える自己制御能力があるかどうか、不明瞭のままでは信頼できない。例えばリベンジポルノのように、後から地雷化することもある。人間性への信頼が必要になるし、それがあっても用心するに越したことはない。

何よりも他人のプライベートや秘密に対しては「知ることの責任」があるだろう。第三者に対して沈黙を貫くなり、聞かなかったことにするなり。

・気を使うことが増えるため、他人のカミングアウトは端的に言って「重い」と感じられることも多い。
それを自分から知りたがる時点で大分浮いている。

距離の詰め方が気持ち悪い

  • 最初はまともだったのに後からイカれてくるタイプもある。
  • 単に距離感がおかしいのとの違いは、「さらに距離を詰めるつもりが明らかにある」という点だ。
    • このため加害者側は被害者側に対して「好意」「親しみ」を持っていることが多い。被害者側にはこれはないため、この温度差もまた気持ち悪さになる。
    • 一度遊びにでも行った翌日から恋人ヅラ、親友ヅラで下の名前で呼び捨てにするようになってきたとか、そういうの。
  • 他人からの好意自体に「気持ち悪い」と感じる余地はある。
    • これは相手が自分に関心を持っていると認識した状態であり、今後「近づいてくるかもしれない」と思うには十分だ。
    • 自分は相手に関心がない場合、相手からの一方的な関心だけが残る。「向こうから距離を詰めてくる可能性」しか残らない。警戒心が湧く。それは気持ち悪さとなり得る。
    • まぁ実際の所は、急激に距離詰めたりしなけりゃ大丈夫だろうけど。
      • 逆を言えば急激に距離を詰めてくる奴は相手が許容してくれる「落とし所」を探るつもりがなく、自分の「目的地」まで行くつもりでいる。
  • 一方で、好意が拒絶される、あるいは気持ち悪いと思われると夢にも思ってないようなのはいるし、なんか剥き出しなのもいる。
    • 見かけた例だと、自分が好かれる側になってその行動が気持ち悪く感じられると知り、自分も好きな相手には同じことやってたことを思い出して悲しくなった、なんて話がある。
  • よく聞くのは男が女に、ってパターンだが、女が男に急接近して気持ち悪がられている例も普通にある。
    • なんというか、おかしさのレベルが一定を超えると男女関係ない所がある。
    • 大抵態度から「自惚れ」を感じ取られており(要するに調子こき始めたことが見て取れる)、そこら辺がキモイようだ。虚勢の自信かもしれんが。
  • ただし被害者は、最初から相手に馴れ馴れしさなどの違和感を感じていることは多い。第一印象は覚えておいた方がいいだろう。

なぜ改めようとしないのか

・ガチで性格が悪いことは多い。
「俺はそれ嫌じゃないから」
「嫌がるほうがおかしい」
「このくらい当たり前」
と、「相手の気持ちを分かろうとしないくせに自分は相手に受け入れられたい」という根本的に自分勝手で迷惑な態度を取ることが多い。

まぁ端的に言えば、自分のことしか考えてない/見えてない感じ。交流で取る態度じゃない。

・無自覚なことも多いが、一部は分かって好んでやっている。

物理的にも気づく能力がないタイプがいるが、確信犯のことが多い。痴漢目的のほうが疑わしい。威嚇のこともあるけど。

・好みの距離感は人それぞれ違う。それは確かだが、通常は相手と自分の差異に気づき、修正する

修正するべきは大抵は「近付こうとした側」である。まぁ「俺のほうが偉い/正しいんだからお前が俺に合わせろ」みたいなのもいる。当然嫌われてる。

ここで修正すれば相性の問題や「ミス」で済む。距離感が近くて気持ち悪いと思われるようなタイプは修正せずに継続する。

・相手の苦痛を想像できないからというのはある。
人間が他人の心理を想像する際には、自分の経験を参考にするとの説がある。

ベタベタな関係がウェルカムな人間で共感能力がないのなら、それこそ「想像すらしなかった」ということだろう。


・窃触症などの異常性癖としての場合は病院行ったほうがいい。元から再犯率が高い「病気」である。

勘違いする人が割といるから言っておくが、病気も障害も免罪符にはならないし、させない。そもそも免罪符の概念がだいぶふざけてるな。

例えばインフルエンザに罹ったのは仕方がないとしても、そのまま治療をせずに出社したら戦犯扱いが妥当だろう。
「仕方がない」の部分に自分の欲望をタダ乗りさせようとするのは割といる。


・コミュ力に変な自信を持っていることもある。人は事を荒立てたくないため、キモいからと言って殴り倒すようなことをあまりしない。

やんわりと拒否するか、我慢するかといったリアクションを「自分は受け入れられている」「押せばいける」と歪んだフィードバックで強化していけばまぁそんな感じになる。


・立場の上下や強弱に敏感であり、「相手は自分に逆らえない」または「自分はそれをやっても問題とならない立ち位置」と思っている者もいる。

これは無意識レベルのことが多い。例えばおっさんたちを集めた、セクハラ予防の講習でこんな話がある。

講師がNG行動の考え方を説明する時、「自分の娘に同じことが出来るかを考えろ」と言っても理解されなかった。

「上司の娘に同じことができるか」と言い直したらようやく自分が普段やっていることを理解し、顔が青くなったそうな。

相手が目上やそれに関わる存在じゃない限り、自分がやっていることが異常だと気づけなかったということ。裏を返せばそれ以外に対しては悪いとも思っていなかったし、異常なことを普通だと思っていたことになる。マウンティングが自然体というかそんな感じ。

他人が急に気持ち悪く感じるようになる

・普段平気なのだが、突発的に他人が気持ち悪いと感じることはあるようだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13149675963

ここでは同性(女性)の柔らかさや、他人が自分に向けている好意が「気持ち悪い」と感じるとの言がある。
恐怖心ではなく嫌悪感だそうな。しばらくしたら戻るっぽい。


・ただ、人間関係の疲れとしての症状にも思える。内向型の「充電切れ」みたいな感じの。

人付き合いが面倒・疲れる理由と、気楽に人付き合いをするための方法
・特定の相手とではなく、「人付き合い」そのものがめんどくさい、疲れることについて。人付き合いをめんどくさいと思っている人たち歩いてる時に対面から知り合いが来たらルート変更スマホや時計などを気にするふりをして目を合わせない話...

何よりも「時間を置けば戻る」点は、疲労と回復とも考えられる。

内向型が、社交で疲弊し、孤独によって(または静かな時間によって)回復するとされている。これは体質であり、好みではない。別に人付き合い自体は好きなこともある。

感情面のエネルギーがなくなると、燃え尽き症候群のような状態になる。この症状の中に「脱人格化」があり、これは同僚や顧客などと会話もしたくない、顔も見たくないという気持ちになる。

人間関係リセット症候群にも似ている。

・面白いことに「かわいい」と思ったものに対して「攻撃したい」と感じる変な心理なんかもある。
好ましく思っているのは間違いなく、その上でなんか気持ち悪いと感じることもあるかもしれない。

職場の距離感が近すぎる

・大体プライベートの開示か、個人の時間を集団のために使うことを職場が強要する形。

上下関係、命令関係がある程度肯定されるため、アレな奴が正体表したりはする。

学生気分(特に体育会系)が抜けないというか、精神年齢的に幼いのもいる。


・同僚で距離感が近い場合、自分がモテると思い込んでたりと異性関係に近い理由が多い。

職場の人間関係は厄介で、その場を立ち去ることがしづらい。数年単位で継続すること前提で立ち回りたいため、我慢することも多い。結果として相手が我慢してることがわからない、あるいはそこに付け込むような人間が幅を利かせる。

愛想笑いなどはせず、淡白にあしらうことを根気よく続けたほうが良い。一部は頭がお花畑なため、愛想笑いだけで「あいつは俺に気がある」と確信する。

同性でも同じで、なんというか「親友」を作りたい欲求が溢れ出ているタイプはガンガンくる。こちらもあまりフレンドリーにしすぎない方がいいだろう。

心理的/情報的な距離としては「そういうこと話す仲じゃないから」って拒絶するのが一番手っ取り早い気がするが。

物理的には「カバンでガードしろ」とかそういう話になってくる。無意識に近いだけなら「ちょっと近い」と言えばそれで済むが。


・一番の代表例は「呼び捨て」だろうか。上から言われない限り直さないとかは多い。

・休日にも連絡してくる(違法)、プライベートに干渉してくる上司などの中には「職場としてそれが普通」または「自分はそこまでやる責任/権利がある」と思っているのもいる。やりたくてやってるのもいるが、「やらなきゃいけない」みたいな迷惑で間違った責任感のこともある。

・コントロールフリークと言って、過干渉による支配で相手が自分から離れないようにする、または自分を印象づけたい、あるいは自分が他者を操作できることそのものを実感したい欲求を持っていることもある。「そうしなきゃいけないから」というのを隠れ蓑に、その欲を満たすタイプもいる。

・個人じゃなくて全体がおかしいこともある。強制参加の飲み会が定例化してるとかね。勤務時間外で強制参加な時点で法律守ってなさそうだが。

距離が近いと言われた

・まぁ相手にとっては近かったんだろ。

・急ぎすぎで拒絶されることもあれば、「お前はここまでだ」みたいに通行止めのこともある。

今回の話は「相手による」って言葉がふさわしい。

・相手の好みの距離感もある。受け入れるかどうかは相手の権利だ。
その権利を侵害しようとするなら、実際に距離感が近い気持ち悪いやつとして扱われて妥当だと思うし。

メモ

・「当たって砕けろ」なんて言うが、これは激突される側のこと考えてないね。そりゃ嫌われるね。

・馴れ馴れしい奴に対しては大体が気持ち悪いとか嫌いだと感じるわけだが、むしろ反対にそう思われたくないから近づくのが怖いって悩みも多い。

ヨーロッパに古くから伝わる言葉で「ゆっくり急げ」ってのがある。

「良い結果に早く至るにはゆっくり行くのがいい」「歩みが遅すぎても求める結果は得られない」
この2つを同時に意味する。

まぁ、相手がいる話で自分だけ急いでもしょうがないし、気にしすぎて動けなくても何にもならない。

交流は、人間関係を形作る最小単位だろう。その1つ1つを丁寧にやってりゃいいんじゃないですかね。キャラのゴリ押しとかじゃなくて。

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