OK牧場から考える良い自信と悪い自信

 「きれいな自信」を考えてみよう。

 

自信の良い点

 自信というものがあれば、大抵は積極性が増す。それまで不安や恐怖に抑制されていた分が開放される。

実力を発揮できる。チャンスを物にできるし、チャンス自体を多く獲得できる。

逆を言えば心理的な「萎縮」に対しての中和の効果がある。

特に「他人の目」を気にしなくて済むだろうと期待している者が多いか?

 

自信の悪い点

 「傲慢」や「増長」と隣合わせなイメージは強い。他人の目を気にしなさすぎるとまぁそうなる。

度が過ぎた積極性が原因となり得ること全て。雉も鳴かずば撃たれまい。

 

 この2つをうまく分けられそうな概念が交流分析にある。

 

OK牧場

 ガッツ石松とは関係ないa)【元ネタは同じかもしれない。保安官とカウボーイが銃撃戦を行った“O.K. Corral”が映画化された際、コラルという概念が日本ではよくわからんため“OK牧場の決斗”と邦訳された。ガッツ石松の方はこれが元ネタになっていると言われている。交流分析の方は名前の由来の情報はないが、フランクリンがこれにちなんだことを否定する要素も特に見当たらない。】

フランクリン・アーンストによる心理学用語。

私はOK と あなたはOK の組み合わせで分かれる。

 

 You are OKYou are not OK
I am OK【1】一緒にやっていく

 

I am OK ,You are OK
(健康な立場)

【2】排除する

 

I am OK , You are not OK
(偏執的・被害妄想的な立場)

I am not OK【3】***からの逃避

 

I am not OK , You are OK
(憂鬱な立場)

【4】行き止まり

 

I am not OK , You are not OK
(不毛な立場)

wikipediaより

・ここでいう「OK」は主観的なもの。客観的な良し悪しではない。

wikiにはないが、後ろに“with me”と付けられているパターンもある。

だから「私にとって私はOK、あなたは~」などの意味と捉えた方がいいだろう。
ただ、主観的であるこれを、客観的であると勘違いする余地は大いにあると思われる。

なお、これは固定されているわけではない。4つを行ったり来たりするものと言われている。自信があったりなかったり、他人と仲良くやっていけそうだったりうざかったり、生きてりゃ色々あるだろう。

自分がどのあたりに留まりやすいか、考えてみるのも良いかもね。

 

 他人を見て「あいつは自信を持っている」と感じた場合、観測者は相手が “自分をOKとしている” のだろう、と見えている。

I am OK なら自信がある状態、としよう。これには他者をどう見るかで二種類ある。

I am OK ,You are OK(健康な立場)

I am OK ,You are not OK(偏執的・被害妄想的な立場)

前者は確かに健全に見える。

 

 後者は「虚勢の自信」とも呼ばれている。
虚勢となれば、他者を否定する必要がでてくるわけだ。相対的にしか自分をOKにできないから。

攻撃的、支配的、排他的、優越感と嫌悪感、などとされている。ぶっちゃけてパラノイア(偏執病)がこの心理状態だとされている。

また、自他尊重のコミュニケーションを目指す『アサーティブ』では、この態度はアグレッシヴタイプとされる。不適切な自己主張、攻撃的な言動、勝ち負けでしか考えない、相手に喋らせなければ勝ち、間違いを指摘されたくないなど、「虚勢の自信」と捉えるには十分な量が揃っている。

関連ページ:
 アサーティブについて

自信だけを思い込みで持とう、というのならそれは「虚勢の自信」に他ならず、まぁよろしくない感じになるだろう。
仮に実力が伴っていても、今度は度が過ぎるリスクがでてくる。

 

 

自信を得たとしたら

・自信がない人、つまり I am not OK な人が I am OK になる場合について考える。

・I am not OK , You are OK (憂鬱な立場)から:

周りを凄いと思って、相対的に自分はダメだと思っていた人間が、自分もなかなかじゃないかと思えたならば、誇らしい気分になるだろう。

憂鬱から開放され、周りと「一緒にやっていく」ことになる。
そうできるという認識=自信を持てた状態。

まぁ多分現実には、サイクルがあるだろうね。少し自信を持って、少し積極的になって、その繰り返しのような。

 

・I am not OK , You are not OK(不毛な立場)から:

周りを軽蔑し、かつ自分も同じく軽蔑していたものが、自分はなかなかじゃないかと思ったなら、まぁ調子こくだろうなと予測できる。

これは「自分が上だ」となるからだ。偏執的・被害妄想的な立場となる。

パラノイアの症状の例として、自己中心的(ナルシシズム)や異常な支配欲、自分はすごいという誇大妄想、自分は愛されているという色情パラノイアなど、まぁそれっぽいのが多いb)https://ja.wikipedia.org/wiki/偏執病#症状

自分の見る目が変わると同時に、他人を見る目も変わるかもしれないとも考えられるが。その可能性はあるだろう。そうだとしたら、とても世界が開けたように感じるだろうね。

 

きれいな自信とは何か

・ここで述べた材料からは以下の要素が考えられる。

・他人をディスる動機は自前で持っていない(I am OK ,You are OK)

相手がアレだったら話は別だろうが、基本的には「見栄を張る必要性を感じない」ことが前提。

勝ってないと不安、褒めてもらわないと不安、これらをいちいち確認しないと不安、というのはそもそも自信とは対極だろう。

 

・他者との比較による自信ではない(I am OK のみ)

これだと他者は関係なくなる。自分と、その自信の有無を問われている対象のみの関係。自分と向き合う形。

ただ、どうも自分と他人を見比べるのは本能レベルの可能性が高い。難しいかもな。

 

・能力相応の自信(過剰な積極性によるトラブルが起きない)

適切な成長と改善が期待できるだろう。一見地味だが、これは長続きする才能とも言える。

GRIT(やり抜く力)の例のように、継続できるというのは実際にはかなり強い。

 

・「自分もそこそこやれてるんじゃないか」程度のがきれいな自信じゃないだろうかと。

「武器」であるかのような認識を“自信”という概念に持ってると、よろしくないのかもしれない。

バフみたいなもんだと思っといたほうがまだマシなのではないだろうか。

 

メモ

・インポスター症候群は I am not OK、You are OK と考えることができる。

内心はこうなのに周囲から高い評価を得ているから「自分は周りを騙しているのではないか」と思ってしまうのでは。

 

脚注

脚注
本文へ戻るa 【元ネタは同じかもしれない。保安官とカウボーイが銃撃戦を行った“O.K. Corral”が映画化された際、コラルという概念が日本ではよくわからんため“OK牧場の決斗”と邦訳された。ガッツ石松の方はこれが元ネタになっていると言われている。交流分析の方は名前の由来の情報はないが、フランクリンがこれにちなんだことを否定する要素も特に見当たらない。】
本文へ戻るb https://ja.wikipedia.org/wiki/偏執病#症状
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