夜ふかしの時の行動が、さらなる寝たくない気持ちを招く可能性について

何かやってる

・夜ふかしは3通りある。

  1. 気づいたら寝る時間を過ぎていた
  2. 寝たくないから寝ない
  3. 眠れないからなんかやる

1は時間を気にすることを忘れた状態。没頭、集中。結果的に夜ふかし。

2は寝ることを避ける。理由は、例えば明日が来るのが怖いからだとか。睡眠への苦手意識だとか。意図的な夜ふかし。寝ないと言っても部屋の真ん中で突っ立ってるわけでもなく、何かしらやるだろう。特に気を紛らわせるようなことを。

3は睡眠障害かも知れないし、気分かもしれない。どの道寝れないからなんかやる。なお、眠ろうとして布団の中に長時間いるのは逆効果だとされる。

全員なんかやってる。理由はともかく。中身はバラバラなはずだが、本来寝ている時間であること、多くは時間を有効利用しようと考える傾向から、その内容は好きなことか有意義なことのどちらかであることが考えられる。というか人間の意思決定は当人的に何らかの有意性を必ず持つ。客観的に賢いか愚かかは関係ない。遊びにしても精神的なメリットを得るためだ。

自由時間

・人の日中はだいたい不自由であり、夜になってようやく自由になるという形が多い。昼夜逆転とか仕事が交代制とかもあるが、どの道一日の「前半が不自由」、「後半が自由」だろう。

自由な身でスケジュールを作るとしても、この形にする人は多い。起きてから働いて、それが終わって好きにする、というのが自然と思い浮かぶ一日のサイクルなのだろう。

・夜ふかししたくなるか、すんなり眠れるかは個人差がある。同じ学校や職場で日中を過ごすとしても分かれる。性格や価値観もあるが、「自由な時間」での活動により差が出る可能性はないか。

・「人はその一日に満足したら寝ようとする」と仮定する。まぁ他にも「時間だから寝る」という理由が強いが、それとは別の要素として。

これは「時間だから寝なくては」というのが、「まだ満足していないから寝たくない」という気持ちに負ける可能性も生み出す。結果として意図的な夜ふかし。寝る時間だけど寝たくない。まだ寝たくない。

尤も最初に並べたように、寝る時間になんぞ楽しいことや意味あることをするからと言って、一日が物足りない証拠とはならない。眠れないからそれをやっているだけ、という可能性もある。

体感時間

・自由時間において(つまり夜)、満足感または充実感を得ることが当人の目的だとする。でまぁ、楽しいことや熱中することをしたとする。この場合、フロー状態即時フィードバック(すぐに反応/手応えがあること)による体感時間の変化があり得る。

簡単に言ってしまえば、あっという間に時間が過ぎる。集中したり、テンポが良い作業をしているとそうなりやすい。

・あるいは何かやる気力もなく、寝たくないなと思いながらスマホでもいじってたとしよう。これまた時間が速く感じる。デジタルなものは即時フィードバックとなりやすい。

Googleは検索結果の表示スピードをかなり気にしているし、SNSは1分間目を離していたら、まず間違いなく更新すれば新しいものが流れてくるだろう。これを追いかけている内に時間は吹き飛ぶ。加えて気力がない時は「行動の切り替え」が難しくなる。いつまでもやり続けかねない。

脳的には夜は「寝る準備のための時間」かもしれない

・面白いことに、電気がない暮らしをしていたとしても、睡眠時間は7時間弱しかないという話がある。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/101900290/

照明の発明により、人は夜も活動できるようになり、結果人の睡眠時間は減ったのだ、と言う話は根強い。だが電気のない暮らしをしている3部族ともに、平均睡眠時間は7時間弱だった。日没後には一家団らんや一日の成果の整理、明日やることを考えるなどするという。

・思うに、日中の仕事というか義務というかが終わってから、いくらかのゆっくりとした時間を過ごしてから眠るというのが、人の自然体なのではないだろうか。

では、日中の不満を「取り戻そう」として、何かを頑張るような必死さを持って夜を過ごすのは、不自然とならないだろうか。テンション的にはこれらは「昼間やること」だろう。寝る前にそれをするなら、寝るつもりがますますなくなるんじゃなかろうか。

・電気のない暮らしをしている彼らと我々の決定的な違いは、こちらは環境的に、その気になれば夜でも昼とほとんど遜色なく動けることだ。やれることが異常に多い。

電気のない暮らしをしている彼らは、自由ではあるが「夜」という環境的制限下での自由だ。焚き火ぐらいはするだろうが、昼のように明るいとは行かないだろう。暇つぶしのネタも比較的少ないと思われる。ネットないし。

逆に我々は「もうやることないし仕方ないから寝るか」という状態になるハードルがかなり上がっている。

情報も無限に入ってくる。知りたいことがあるし、やりたいことがあるし、面白そうなことがあると知っている。夜に何か有意義なことをやろうとすれば、やれることがあると気づいてしまう。そして手を付ける。

結果、体感時間は歪み、あっという間に時が過ぎ、さすがに寝なくてはいけない時間だ、しかしまだ寝たくない、となっても別に不思議はないだろう。

文明により便利になった分、自制心が求められる機会は確実に増えている。現代人にとって、睡眠は意識して行わなければならない「タスク」になりかねない要素はあると言って構わないのではないか。眠ろうとする動機づけは、時に身体的な眠気だけでは足りない可能性。阻害要因が多すぎる。

・最も危惧するべきは、いつまでも「物足りない」と思い続ける可能性だろう。質的な意味で満たされないのではなく、体感時間の喪失あるいは減少により量的な実感がない。それをやったら朝が近くなる。焦る。なお縋る。悪循環の可能性。

・「夜」とは、成果や記憶、感情などを整理/消化するための時間なのではないか?
寝る前にテレビとか消して日記書いてからだとよく眠れるみたいな話もあった気がするが。

ニクセン

・niksen。オランダ語。「何もしない」という意味を持つ。ストレス解消や創造性を高めるとされる。燃え尽き症候群対策としても行われる。

・何もしない、というのもハードルが高いわけだ。それよか有意義なことをしたいというのが本音だろう。で、先程の「夜」の時に書いたが、寝る前までそれでいて、いつ内面の「消化/整理」が行われるのか。
起きてる限り有意義なことをしようとするのなら、寝てる時に脳が自動でやるしかないね。
起きてる限り有意義でいようとすると睡眠時間が減るというのなら、面白いぐらい詰んでる。

じゃけん起きてる時もちょっとはぼーっとした時間持ちましょうねと。

・ちなみに、他にも北欧文化的な人と集まりゆったりした時間を過ごす的なものはあるのだが、どうも日本人がそれやろうとすると「オモテナシしないと!」となって余計疲れてダメだそうだ。もうこれ国民病だろ。

・ニクセンはマインドフルネス認知療法で言われる「することモード」と「あることモード」に通ずる所がある。

これは人間の意識状態の2つであり、することモードは私達は「普段の意識状態」として認識しているだろう。
即ち、何かしら問題や目的を見つけ、解決をしようとするという指向性を持っている。時間だから寝なきゃいけない、とかね。論理的な物事の解決にも使われる。特徴は、

  • 半自動的である
  • 心の中の出来事にも反応する
  • なんともならなくてもまだ考え続ける
  • 思い浮かんだだけのこと(不安予期など)を現実と捉えて反応する

何よりも半自動的だということは抑えておいたほうがいい。侵入思考とか自動思考とかもそうだが、人が思っている以上に、人の脳は自意識の外で言語や思考を自動的に使っている。

「これから寝よう」という時に「あれをやらないと」という気持ちに勝手になるということだ。もちろんすることモードが必要な場面は多く、だからこそ人の意識はこちらに寄っているのだが。

・することモードは頭の中にいるような感じ。一方あることモードは、それらがオフであり、目の前の「体験」に目が行くようになる。つまり「目的意識をオフにする」という状態。ニクセンとつながった。

まぁめんどくさいこと抜きにして言えば、「寝る前にまず脳を休ませましょう」ということで。その方法はすることモードではないゆっくりとした時間を過ごすということで。楽しかったり有意義である必要はない。

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