好きなことが見つからない人
・将来の夢、理想の自分、それらの指針ともなり得る「好きなこと」が自分でよくわからないとか。あるいは単純に趣味がないことを気にしているだとか。
これも「自分の考えがない」と悩む人の一つのタイプだろう。やりたいことが見つからなくて、いつも漠然と時間を過ごすだとか。
なんか、あれな。ぐぐると外向型向けの解決法? ファッションだの一人旅だの何かに夢中になってみろだのそういうのが豊富だから、正反対に内向型向けの内面についての話でいこうか。
理想が高い可能性
いつもの。要は「好きなこと」のハードルが高い。
好きなことが「素晴らしいこと」じゃないと嫌だって感じで気づかないふりをしている可能性。
完璧主義とか理想主義者じゃなくても、前述の通り将来の夢だとか、進路だとか、そういったことを考えるために「自分の好きなこととはなにか?」を考える時、こうなりやすい。目的がある探し方をしているということ。
これはトップダウンであり、初めに答えの「使い方」が決まっている。この場合は使えなさそうな答えはカットされる。使い方が「人に自慢できる趣味」だった場合には、二度寝が趣味でもカットされる。
つまり合理主義な状態。人間は全体的に(真面目なことに対しては)合理主義に傾いている印象を受けるため、恐らく多いだろう。
まぁ自分の将来考える時に、蟻の行列を眺めるのが好きだって気づいてもパッとしないのは確かだが。だが見方を変えれば「スタート地点が気に入らない」と言って拒絶しているわけで、いつまでもスタートしない。
一旦「利用目的」は忘れて、些細なことに目を向けたほうが良いだろう。そこから考えを広げていけばいい。ボトムアップで考えるというか、まずは材料集めに専念してから、後で組み立てを考えたほうが効率的だとは思われる。
そもそも好きなことが一つしかないってことは滅多にないわけだし、「とりあえず拾っておく」くらいの気持ちで。
「お手本」が間違っている可能性
好き嫌いもそうだし、感情もそうだが、「内面」というのははっきりと他人と見比べることはできない。
つまりは内面に対して「自分はこれで正解/正常か」は、比較に依って確信できる属性のものではない。このため大体はそこはかとなく自信がない。
例えばラスボス前症候群を書いてる時に見かけたが、
- ラスボス前でゲームやる気なくなった
- 自分はこのゲームそれほど好きじゃないんだろう多分
という自己解釈は結構多かった。それほど好きじゃないからやめるんじゃなくて、やめたから多分そうなんだろう、という考え。
元から、そのくらい自分の好き嫌いは明確に把握するのは難しいところがある。好きなものでも飽きたり嫌いになったりはあるし、安定しているわけでもない。
昨今は各分野のそれはおかしい、それは病気だといった「喧伝」も多いため、「自分が異常なのか、まともなのか」を気にしている人も多い。
内向型は内面に対して敏感なため、この傾向は高いだろう。
なんでもそうだが、自信がない物事に対しては、人は周りの人間を見て、参考にしようとする。「見て学ぶ」機能/本能が殆どの動物にはある。
この場合は「好きなものへの態度」のイメージが既になんらかのお手本(つまり他人の好きなものに対する姿勢)になっており、「自分はそうなったことはない」から好きなものが見つからない、と悩んでいる可能性。
で、まぁなんというか、感情表現とか、内面とかって根本的な部分から人それぞれ割と違ったりする(パターンはあるが)。それこそ「性格」ってやつだね。それがお手本にしちゃいけないタイプの可能性。
「自分の『好き』という感覚」ではなく「他人の『好き』という表現」を宛にしているから見つからない可能性。
例えば人格適応論という性格分類で「感情型:演技型/熱狂的過剰反応者」というのがある。
名前の通り。オーバーリアクション。興奮しやすい。情緒不安定ともされる。そういう性格。悪い例としては、すぐ興奮して黄色い奇声上げる奴とか。歓声でも悲鳴でも。まぁ普通は演技型にしたってここまでじゃないが。
そういった人間が、好きなものに対して思う存分に熱狂/興奮している様を、「あれが好きなものに対する態度だ」と当人が学習し、基準とした場合。
当人が本来好きなものに対して「ああいう態度」を取らない性格ならば、そりゃ好きなことゼロって結果にはなる。モノサシが間違ってるね。
もっとシンプルに内向型、外向型で分けてもいい。
外向型の「わかりやすさ」をお手本にした内向型は、自分には何もないと考えるだろう。
何も同じ様にはしゃがなきゃいけないわけじゃないのに、当人がそうあるべきだと思い込む。
これらの場合はまず、静かに楽しむ/好きでいるというスタイルの存在を知るべきだ。そもそも内向型は特に感情表現には頼らないため(逆に外向型は嘘を付く回数が多いなどコミュニケーションに傾いている)、表には出ることが少ない。
当人が「ああいう楽しみ方」「ああいうはしゃぎ方」「ああいう『好き』」とは別の「好き」の形を持っている性格の可能性。
拠って自分の「好きなことに対しての態度」が如何なるものか、把握する必要がある。それが指針となる。外向は外向で全員パリピのウェイ系ってわけでもなし、そもそも多くのヒトは内外両方持ってる両向型だしで、誰もが自分を知った方がメリットがあるだろう。
関連ページ:
_内向型について
好きなことを見つけるには
・まぁ切り口をさっさと変えよう。「好き」から一旦離れてみよう。
自分はどういったことに安心するか。
自分はどういったことが嬉しいか。
自分はどういったことに癒やされるか。
自分はどういったことに和むか。
自分はどういったことに一生懸命になるか。
自分はどういったことに積極的になるか。
自分はどういったことに時間を忘れるか。
自分はどういったことに無心でいられるか。
これらは「好きという感情」ではなく、好きなことに対しての「反応」であることが多い。
考えてわからなくても良い。気にしながら普通に過ごしてみればいい。いつ、どういった時に、自分の心が動くのか。
あるいは嫌いなことと正反対のことは好きか、考えたり試してみるのもいい。
やるべき理由をあれこれ考えてると脳は「これは嫌なことだ」と覚える。
反対に考える前に自然とやってるようなことだと脳は「これは好きなことだ」と覚える。
そんな話がある。
「自然と」、やっている/続いている、或いは無心になれるようなことは、その者が好きなことかも知れない。それを継続するのもいいし、拡張しても良い。