やる気

ラスボス前症候群/ゲームクリアできない病

投稿日:2019年1月11日 更新日:

ラスボス前症候群/ゲームクリアできない病

・言葉通りゲームクリア直前でクリアしたくないと感じる症状。DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)で定義されているわけがない。

アクションやシューティングではなく、ストーリー性のあるもの、特にRPGに於いてよく見られるとされる。

論文であったりする

遠藤雅伸氏の論文では「温存」と呼ばれている。
ゲームを途中でやめる理由の調査。
流石にこれの研究、というわけではないのだが、統計の中の目立った特徴としてコメントされている。

(9)温存:2要素

・未完/クリアするとゲームが終わってしまうためゲーム世界に居続けるためにプレイを凍結

・他目的/クリアする前に他のクエストをやり終えるつもりでプレイしない、他にできることをやり込む予定でプレイしない

http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf

「他目的」の場合でも、エンディングを迎えたら終わりだから先に他のことを済ませる、という心理だろう。この場合でも「ゲームを終わらせたくない/やり尽くしたい」念はあると思われる。

本調査で特に新たな要素として浮かび上がったのが「温存」という離脱理由である。これは離脱というより実質プレイしていないにも関わらず「プレイ中」であるという意識に他ならない。

しかし温存という行動自体が、数人の外国人からヒアリングした範囲では理解されず、日本ゲーム文化に特徴的な行動である可能性は否定できない。

http://endohlab.org/paper/whydoplayersdrop.pdf

以前やった「眠れない」じゃなくて「寝たくない」という気持ちの話とも通じるかも知れない。どの道プレイヤーはもっとその世界に浸りたいと思っているわけで、クリエイターの勝利ではあるだろう。

ゲームに対して人は正直だ。「好き嫌い」の領分だから。このため当人の素と共に国民性は出るのかも知れない。

バートルテスト

日本語訳バートルテスト:http://aladaka.blogspot.com/2016/05/bartle-test-jp.html

・バートルテストと呼ばれるゲームの楽しみ方の性格分析では、アチーバー(達成者)、キラー(殺人者。PVPとか)、エクスプローラー(探検家)、ソーシャライザー(社交家)の4つのプレイヤータイプがある。要は何を楽しみを感じるかは人によって分かれる。

ゲームを終わらせる、というのは「達成」だろう。では終わらせたくないと思うゲームにはそれは求めていないことになる。この時点でアチーバーではないし、キラーだったらラスボスと戦いたいはずだ。ソーシャライザーはゲームを元に他者との交流を好むものであり、エンディングは話のネタとして見ておきたいところじゃないのか。

体験というか、没頭というか、そういったものの維持に努めているわけで、エクスプローラーだと思うが、すっきりしない。エクスプローラーにしたって物語の終りに興味はあるはずだし。

バートルテストはバートルさんが考えたわけで、日本人ではないし。外国人は理解を示さなかったこの「温存」という気持ちは、この4つには入らないのかも知れない。

予測だが、海外はゲームクリアという「達成」がゲームに対しての目的であるのに対し、日本人の場合「その世界に入り浸ること」を求める傾向は比較的強いのかも知れない。世界観が良いとか、雰囲気ゲーとかは一定の人気があるものだし。

・手段としてはツァイガルニク効果。つまり未完のものに対して人はいつまでもそれを覚えていやすい傾向がある。「ゲームの世界を終わらせない」のが目的である場合、未完で止めることは理に適っている。

先が見えたから

上記論文内ではもう一つ、先の展開が読めたからゲーム止めた、というのがあった。「わかったからもういい」なのか、「わかっちゃったから終わらせたくない」なのかは知らないが。

シナリオの先が読めたかどうかとは別に、RPGだったらなんぞ盛り上がってラスダンとか始まるわけだ。城が飛んだり塔が建ったり別次元の穴が空いたりとかするだろう。もうすぐ終わりだとは悟りやすい。

・また、これとは別にスポーツなどで「もうすぐゴールだ」と思った瞬間にスペックが落ちるという話がある。脳のモードが切り替わってしまうらしい。これがゲームにも当てはまるなら、「もうすぐ終わりか」と思ったらやる気を無くすのは自然なことだと言える。そうなると後は消化作業だし、そのままフェードアウトも不思議ではないかも知れない。

・これはネタバレの害にも通じるだろう。ちょっと前にニュースで南極基地だったかな? そこにいる二人の内、一人がもう一人を刺した。死んじゃいないが。

3年位通してことごとく本のネタバレしてきたから我慢の限界だったらしい。で、結構同情的な意見も見かけたんだよね。ネタバレされた側に対しての。楽しみもあまりないような所でそんな事されたら気持ちはわかる、と。

この二人は日本人ではなかったはずだ。ネタバレされたらぶっ殺してやりたくなる気持ちは世界共通かも知れない。知らない状態から、自分の意思で知っていく、というのは思いの外重要なのかも知れない。そしてそれに楽しみを見出しやすい。

この見方で行くと、物語の結末は「楽しさの終わり」ではあるかもしれない。終わった時感じるのは達成感ではなく、寂寥感。ではプランB。楽しさをこれ以上求めるのを止めて、「期待感」を保持しよう、となるのかも。

・個人的に思うが、「もうすぐ終わり」と思ってやる気が出るのって嫌なことやってる時の方が自然だよなと。じゃあ逆になるのって好きだからじゃないのかと。

対処する必要があるのか?

・何故かオールアバウトでゲームクリアできない病の対処法とかやってるが、幅広いなあそこも。

ただ、個人的には対処する必要性を感じない。クリアは「義務」じゃないからだ。これに対しての対処することは、ゲームを「タスク」にしている様に思える。

某フリーゲームのRPGでRTA(Real Time Attack)している動画を見たことがあるが、「このゲームを好きでいたいならRTAなんてやらないほうが良い」とか言っていた。いやまぁ私はRTA動画見るの好きなんだけど。

「効率化」は物事を楽にはするが、つまらなくさせる。単純に刺激が減る分、飽きやすくなる。時には苦行にさせる。終わるのが目的だから道中は辛い。成果を出すことが目的であるなら話は別だが、もしも「世界観を楽しみたい」のが目的なら、クリアに義務を感じないほうがいいだろう。

「好きだから終わりたくない」とでも言うようなものに対して、むしろ終わらせなきゃ行けないと思っていることの方がなんか変に思える。

ただまぁ、そうしてる間にネタバレ食らいそうで怖いね。

メモ

・私はゲームではこれはないけど、本でならやたらあったな。子供の頃。

・最近はクリアして終わり、はむしろ珍しい気もするけれど。二週目があったり、二週目から選べる選択肢とかエンディングがあったり、エンディングAがエンディングBのフラグだったりと、結構周回することを織り込んだ作りになっていると思うのだが。wiki見ないとクリア前に知る術はないだろうし、楽しみたい人はwiki見ないようにするし難しいな。







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