「一緒にいて、つまらない人間だ、と思われるのが恐い。相手が楽しいと思えるような話をしたいけど話題が見つからない。対人恐怖であることが知られるのが恐い。知られたら嫌われるし相手にされなくなる。友人がいないことが人に知られたら恥ずかしい。ひとりで何かやっても虚しいし楽しくない」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tgkt/22/0/22_KJ00004266070/_article/-char/ja/
まぁ、相手にされなくなるっていうのは「人が苦手なようだからそっとしておこう」みたいな配慮であることもあるけどね。それもまたつらいようだね。
症状
・人前に出るどころか、人目に触れることを考えると身がすくむようなレベルなこともある。
強迫症に関連しているという見方もある。曰く、人前に出ることを気にするものであり、「羞恥恐怖」と名付けたほうが適切であるとか。
赤面恐怖症
・あるいは赤面症。会話などをしていると顔が赤くなってしまう。対人恐怖症によくあるものの一つとされる。
実際にはその前から「顔が赤くなったら恥ずかしい」という羞恥感情があり、自意識過剰(この場合は自分の状態を過度に気にすることだと思っていい)となり、結果赤面したり、赤面してなくても苦しい、となる。
表面上フレンドリーな振る舞いをする者でも赤面恐怖症であるケースが存在する。根本的な部分の対人関係への苦手意識が前提。
実際には、恥ずかしくても必ず顔が赤くなるわけではないらしい。「気にする」ということが時に原因となることはある。
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/赤面
視線恐怖症
・これは4つに分けられる。
「見られること」だけじゃなく「見ること」に関連する恐怖もある。
正視恐怖
・他者と視線を合わせられない。相手と距離が近い時に目を合わせることに恐怖を抱く。
これは「自分の心や性格が見透かされる気分になる」という心理だとされている。自己漏洩。見透かされるじゃなくて「伝わってしまう」と感じる場合もある。
他者視線恐怖症
・他者の視線を恐れる。視線恐怖という言葉に多くの人が連想するものだろう。
社交不安障害に多い。注目される恐怖、監視される恐怖のようなものを感じているようだ。
「誰かに見られていると感じる」ことも多いとされる。誰も見てなくてもね。
自己視線恐怖症
・自分の視線が他者に不快感を与えるのではないか、という恐怖。
自分の視線に何かしら意味があり、他者がそれを汲み取ってしまうのではないかという自己漏洩の恐れらしい。
また、それにより他者を傷つけてしまうという加害妄想的な恐れも含める。
対人恐怖症の範疇だとされる。症状が重い場合は醜形恐怖症(後述)に分類されることもある。
脇見恐怖症
・他とは違い、こちらは対象を不自然な頻度/程度で見てしまう。脇見恐怖症だけ論文がまだ見当たらない。俗語?
視界の端に入ってくる人が異様に気になる。対象が物である場合もある。それに目が行き、注視してしまう。学生ではカンニングを疑われることもあるようだ。
どうも何度もチラ見するレベルからガン見するレベルまであるらしく、このせいで周りに嫌われるという話も多い。
または他者の視界の端に入ることで相手を不快にさせたのではないかと思ってしまう。
視線恐怖を活性化させる要因
・会話能力が低い事によるコミュニケーションへの苦手意識。失敗しないかと相手の顔色を伺うことが多いため、結果視線も気になる。
・失敗過敏。失敗に対して過敏になることだが、これは「失敗の可能性」に対しても過敏になる。●●してはいけない、●●でないといけない、というべき論とかコアビリーフとか呼ばれるもの。強迫観念に近い。
完璧主義にもある。完璧主義は必ずしも病的ではないが、この失敗過敏が強い場合は精神を病みやすい。
・自己嫌悪。自分が自分を嫌いだから他人も自分を嫌うだろうという推論。
・孤独感。自身へのネガティブなイメージを中和するような他者からの肯定を得られないため、イメージが強まり、他者が怖くなる。
・全体的には自信のなさと悪い思い込みだね。ただいくつかは「自分は対人恐怖症ではない、友人もたくさんいるのだ」と当人が言っているケースが有る。自覚がない対人恐怖というのはある。違う理由である可能性もあるが。
ぶっちゃけて「友人がたくさんいる」という言葉自体が他者から見た自分を意識した言葉に聞こえるが。大体はわざわざ言わないだろう。
対人恐怖症ではないという主張をしたいなら、一般的には自分は人前であがることはそんなにない、緊張することはないとかそっちを主張すると思う。自分の主観からの主張をね。それより先に他者目線が出るということは、まぁ可能性くらいはあるだろう。
・明らかに目が「心の窓」のような扱いをしているな。
だから見透かされるのではないか、または自分を嫌っているとかが見えてしまうのではないか、そういったことで視線恐怖になっているように見える。
ガン見する方も、「相手が自分をどう思っているか」を気にしているとも考えられる。ただ、脇見恐怖症は相手の目を見てしまうとは言われていないし、対象が物である場合もある点から幅が広そうだ。
後述するがこれも日本の文化的なものだったら笑う。
書痙
・人前でまともな字を書けない。手が震える。時にはもう片方の手で抑えなければならないほどに。
字を書く時に限らず、飲み物を注ぐ時などに現れることも。
この原因が、他人を意識することからだと言われている。
参照:https://www.hyogo.med.or.jp/health-care/028%E3%80%80-書痙/
・重要なことだが、このような人前でだけ出る症状は当人的には知られたくない、恥ずかしいものとなる。そして悩んでクリニックに行くわけだが、医者に対しては隠そうとせず、症状を説明しようとする。治そうとしているから当然だが。
ヴィクトール・フランクルの逆説志向や反芻除去の心得のある医者が、自分の前で「その症状を出す練習」を指示した所、(狙い通りに)うまく症状が出ない。やろうとすればするほど症状が消失していく。
これを何度か繰り返すと症状が消失するか、軽快する例もある。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/1163/”]
これは「抑えよう」「出さないようにしよう」とする意志自体が原因だったことを示唆する。
吃音
・どもり。トゥレット症候群(チック症)という病気の症状でもあるが、対人恐怖症でも吃音はあり得る。
ある女性の受講生ですが、幼少の頃、親から何か問われた時すぐに答えないと叱られたことが、人から何か問われる際にすぐに答えなければと焦りが反動的に浮き出て、吃音が出るようになってしまいました。
また、喋り方などをからかわれるなどの経験から人前で喋ろうとするとうまくいかなくなるなどもある。
反対に元からのトゥレット症候群の症状をからかわれたり叱られたりなどでトラウマになって悪化、と言うパターンも有る。
・工夫として「言いやすい言葉を選ぶ」というのもあるのだが、完璧主義が強いとそれを「逃げ」だとしてやりたがらず、自分から難易度の高いことを選び、なおさらボコボコになるというパターンもあるとのこと。
日本人に非常に多い
・総じて気にし過ぎが対人恐怖症を悪化させる傾向があるが、気にさせるような文化というか民度というか、そういうのはある。
対人恐怖症と呼ばれる神経症は欧米に比べて日本では非常にポピュラーな神経症であるといわれている。
このことは対人恐怖症を手がけてきている多くの研究者達,特に精神病理を専攻する精神科医の多くが一致して認めているところである。近藤(喬)(1960),加藤(1964),近藤(章)(1964),浦上(1956)
・というか、日本人の文化依存症候群(特定の地域や民族の文化が原因で発症しやすくなる精神障害)が対人恐怖症だと言われている。まぁ簡単に言えば、俗に言う国民病。
文化依存症候群とされている障害には、
日本の対人恐怖症 (Taijin kyofusho symptoms)
対人恐怖症が日本人固有の症状というわけではなく、日本人にやたらと多く、文化的背景が原因ではないかということ。
ただ、オーストラリアは身体醜形障害が文化依存症候群だとある。簡単に言えば自分がブサイクかもしれないとか身体が変かもしれないとか悩むということ。
これがDSMでは強迫性障害関連症群に含まれている点、そして外見の悩み=他者の目に触れることの過度な意識という点は似ているかもしれない。
ちなみに韓国の火病やアフリカのブードゥー死なんかも文化依存症候群とされている。
自分がそうじゃないとしても、身近な人の結構な数は対人恐怖症気味ではあるかもしれない。
・裏を返せば、日本が対人恐怖症の研究の最先端でもある。問題視される機会も、患者の数も多いのだから。需要が高い。結構昔から気にされていたようだ。
西園(1970)によると,1960年までの精神分析学に関する文献をすべて網羅したThe Index of Psychoanalytic Writingsには対人恐怖に関する報告は21篇あり,そのうち,対人恐怖と題したものは僅かに日本人のものが一篇あるに過ぎず,
「要するに,全世界の古今の文献のなかで, 21篇中6篇はわが国からの報告であり」,
「他の種の神経症についてのわが国の学者の報告の比率を考えあわせてみると,対人恐怖がかなり文化的に関連をもって偏在していることを示すものであろう」
と述べられている。
以上のことからも,対人恐怖症の研究がわが国の学者の手によってもっぱらにおこなわれていることがわかる。
まぁゆうてもフルオープンな感じの欧米がベタベタしすぎてCOVID-19感染しまくったりしてるもんで、一長一短な部分もあるのかもしれないけどね。
・ハッキリ言わない「察する文化」なのも拍車をかけているだろう。これに適応するためには「汲み取る能力」を発達させなければならない。
これは当然ながら「他者の視線に過敏であること」「他者の視点で考えること」を発達させることを意味する。
もしもそれが過剰となると、まぁそりゃノイローゼ気味にはなるだろう。
ちなみに大上段に構えて空気読めと言う輩もいるわけだが、よく観察してみると
1:自分の要望を言語化する能力がない/自分がどうして欲しいのか自分でわかっていないのに相手に「なんとかしてもらおう」としている
2:直接言うのはかっこ悪いから察してもらわないと困るという「甘え」(自己愛的甘え)
3:察してもらうことに喜びを感じているため自分からは絶対に言わない(試し行動)
この3つはかなり多い。この手の類の人間に付き合っていたらまず悪化するだろう。
人の何が怖いのか
・DSMではこのように表記されている。
アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』第4版(DSM-IV)に、対人恐怖症が日本における特異的な恐怖症として挙げられている。DSM-IVの「付録I 文化に結びついた症候群の文化的定式化と用語集の概説」に記されている。
taijin kyofusho 対人恐怖症
日本における文化特異的な恐怖症であり、DSM-IVの社交不安とある意味で類似している。この症候群は、その人物の身体、その一部またはその機能が、外見、臭い、表情、しぐさなどによって、他の人を不快にさせ、当惑させ攻撃的になるという強い恐怖のことである。この症候群は、公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入れられている。
他人を不快にさせるという加害的な予測と、それにより他人が自分に攻撃的になるという被害的な予測とで成り立っている。
攻撃と言っても大抵は直接ぶん殴られるなどだけではなく、今後は阻害されるとか冷遇されるとか、「村八分」とか「イジメ」的なものも大きいと考えることができる。こちらのほうが身近だろうからね。
こうなると、アメリカの文化依存症候群の加害妄想も、オーストラリアの身体醜形障害も、日本の対人恐怖症も、似たようなもんじゃないのかとも思う。これらは自分の見た目や振る舞いによる「加害」とそれによる他者からの「差別/報復」への恐れだろう。
以上から、日米問わず人目を気にする心理の多くは「良く見られたい」という向上心や野心ではなく、「悪目立ちしたら困る」という予防的態度と考えることができる。
この上で、加害かどうかを決めるのが「他人」であり、要するに自分で大丈夫と思った所で意味はなく、他人を気にしなくてはならない。だから基準があいまいで、過剰に気にするような。
この話で連想するのが社会規定型完璧主義(他者に完璧であることを求められていると感じる)だが、こちらは若い世代に多く、年々増加傾向にあるというし。
目は口ほどに物を言うか?
・多分この点が文化依存症候群に拍車をかけているかもしれない。
日本の顔文字と海外の顔文字を比べたという発表があるんだが、これが面白い。
日本の例:(>_<) (^_^) (;_;)
欧米の例: :-( :-) :-p
(わかんなきゃ首を左に90℃傾けよう)
もちろん (´・ω・`) とか \(^o^)/ とかもあるんだが、明らかに日本は「目」がメインで感情を表現するものが多い。一方で欧米は「口」メインで表現している。
これらは反対方向、つまり「感情を読む」場合に目を見る、口を見ると分かれることにもなる。本当に読めてんのか甚だ疑問だが。空想じゃないの。
この点から考えて、「目」と「気持ち」を無意識レベルでつなげて考えるこの日本の文化的背景は、特に視線恐怖に一役買っているだろう。
参照:https://togetter.com/li/1251462
ついでにいうと、歯並びを異様に気にするのは欧米なんだよな。八重歯すら矯正するものらしい。で、さっきの顔文字、欧米の感情表現は「口」がメインだったよね、と。
心理的な要素
・まぁ他人の心なんてわからんが。要素単位でなら結構ある。
公的自己意識
・他者が観測できる部分の「自分」を意識する心理。この時点で醜形恐怖症、加害妄想、対人恐怖症全部当てはまる。全部自分の外側を気にする心理だ。
・公的自己意識を高める要因が大きく2つ。
1:他者に観察されること
2:自己のフィードバックを与えられること
1は衆目にさらされるなど。何かしら発表の場では普段どおりにできなくなるなどもこれに含まれる。
カメラの前で緊張するというのも多くの他者が見ることになるだろう、と言う予期からだ。「他人の目」を意識した時点で公的自己意識は強まる、と見ていいだろう。
2は撮影された自分の振る舞いを見るなど。指示などせずとも醜態を晒していることを指摘するだけで大体は改めるわけで。
例えば「上着の裏表が逆だ」と指摘するだけでそいつは勝手に直す。ほぼ確実に。この後「他におかしなところはないか」と気にすることだろう。
まとめると「今、見られている」と認識することと、「自分はどう見られることになるか/見られているか」を考えることなどで公的自己意識は強化される。
私的自己意識
・対となるのが他者の目に触れることのない「自己の内面」を意識する心理。こちらは「私的自己意識」と呼ばれている。
こちらはこちらで対人恐怖症に似ているような部分がある。
私的自己意識が高められると、そのとき感じている感情が強化される。このような感情強化は、歓喜、恐怖、悲しみ、憂鬱、敵意などあらゆる感情にあてはまる。
また、感情的なものだけに限らず、自分の身体状態や態度などをより正確に知覚できるようになる。
・高める要因としては、自分の感覚、感情、動機などに注意を向けること。他に内省、日記、小さな鏡など。
基本的には警戒されているような扱いは受けていない。足りない奴のほうが多いのかもしれない。
・赤面恐怖症や書痙など「気にすればするほど酷くなる」と言うタイプの症状の原因は「強すぎる自己監視」だと言われている。これは私的自己意識が強いことに加え「それ(手の震えや赤面などの当人にとっての人前での失態)を許さない」という監視の目だ。
皮肉なことにこれらは元から「緊張の症状」として現れるとされるものだ。自身を緊張させることで、悪化するのは道理だろう。
・このようなものに対しては気にしない、他のものに意識をそらすなどは有効になる。
マインドフルネスのアクセプタンスもそうだが、ヴィクトール・フランクルの逆説志向もこれに属する。
前者は受容。なんとかしようとしないでありのままを受け入れること。
後者は「わざと症状を出そうとする」ことで自己監視をやめさせ、症状を発生させないという変わり種だ。
ただ、「人前での失態」自体が当人的には絶対に避けたいものであるため、「気にしない」ということが非常に難しい状態になっている。
・対人恐怖症として考えれば、公的自己意識で人目を気にすることと、私的自己意識での「自己監視」とのハイブリッドに見える。あるいは他人の目がトリガーで、症状の強さは自己監視のせい。
この場合単純な「他人への恐怖心」というよりも、一歩進んだ「だからこうしよう」って点でのエラーのように見える。
対人恐怖症の原因
・色々。
完璧主義
・またかよ。性格というよりは精神状態として捉えたほうが良いと思うけどね。
緊張しているとか調子に乗っているとかと同じようなノリでの「今、完璧主義になっている」みたいな。
・対人面での振る舞いを完璧にしよう。とか思えば公的自己意識も私的自己意識も跳ね上がる。
理想が高いこと、そのためには自己コントロールを完璧に行う必要があること、結果強い自己監視が始まる。
また完璧主義単品で考えても、理想が高い事自体はそれほど害にならず、失敗したことやできないことに対しての自責の念こそが病む原因だという研究結果もある。「失敗恐怖」と呼ぶほうが適切かもしれない。
侵入的な母親
・
対人恐怖症者が、「あなたのことはすべて知っているのよ」といった侵入的な母親をもつことはよく体験することである。秘密を保証することは大切である。
親からしてみると難儀なことだけどね。親にも言えないことってのはよろしくないことを連想するし、心配になるだろうからね。実際無理にでも聞き出す必要があるべき場面ももちろんある。
ただそれが日常だと、子供からしてみれば「心の中すら自由はない」ということにもなりかねない。
ただでさえ子供は意識無意識を問わず親の期待を察知し、そう振る舞うような所がある。すべてを知られてしまうと感じたのなら、心からやりたくてやっているのだ、という演技をしようとするかもしれない。これは感情労働の深層演技と呼ばれ、大体病む。
・
秘密を無 理やり聞き出すことは禁物である。侵入しすぎないことが大事だと、私は思う。対人恐怖的心性を強めてしまうと思うから。対人恐怖症者は、自分の内面が見透かさ れる不安をもつ人であ る。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tgkt/22/0/22_KJ00004266070/_article/-char/ja/
秘密を持つというのは、「個人」であることの証でもある。誰にも、何にも属さない部分だ。
それを許さないのなら、もう他人の望む姿となるしか生き方がない。実際たまにだが、人間に裏と表があるということを理解できない者はいる。これは自分がなく、その分他人を気にしてきた結果ではないのか。