エーリヒ・フロムの性格分類

エーリヒ・フロムの性格分類

エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(1900-1980)はユダヤ系の社会心理学、精神分析、哲学の研究者。新フロイト派。

彼の性格分類は、「人が社会でどのようなポジションを取るか」を主にしている。

 受容的性格/権威主義的パーソナリティ

  • 社会構成員の大多数とされる。
  • 現代でも「人間の醜さ」として語られる要素が大体揃っている。
  • 強者や権威を無批判に受け入れ、少数派を憎むとされる。

・権威ある者への絶対的服従(マゾヒズム)と、自分より弱いものへの攻撃的性格(サディズム)の共生とされる。
(現代では「弱者の特権」を捏造あるいはフル活用しようとするアレなのも割といる。それへの攻撃性や嫌悪は権威主義的パーソナリティではないだろう)

・思考の柔軟性に欠けており、強いから/偉いから従おうとする単純な思考が目立つ。

・自分の意見や関心事が社会でも常識であると誤解して捉える傾向が強い。

・ブルジョワ(金持ち)とプロレタリア(労働者)の所得格差、生活水準の違い、主従関係などを受容し、抵抗することが出来ない権威主義者とされる。

・個人が集団に属し、庇護を得るために無批判に権威者に同調・支持する。つまり媚びを売るため。

国を問わずそのような者が居ることは認知されている。例えば「アンクル・トム」という言葉は「白人に媚を売る黒人」「卑屈で白人に従順な黒人」などの意味を持ち、黒人が黒人をそう呼ぶことがある。

・ナチズムは権威主義的パーソナリティとサディズムが結びついたもの、とエーリヒはしている。

・権威主義的パーソナリティは、一部の集団のみに見られるものではなく、社会全体に偏在する大衆の心理であるとされる。

・社会学者アドルノは、権威主義的パーソナリティの対として、民主主義的パーソナリティを定義した。

要素としては自発性と個性があり、自我の独立、他者への寛容、偏見からの自由、合理的判断など。

貯蔵的性格

保存、所有への執着。秩序、安定を求める。

これも社会構成員の大多数とされる。

中流階級以上のブルジョワに多いとされ、金利・利権を貯蔵することで安心/保証を得ようとする。

搾取的性格

奪取。他者から利益を得ようとする。

労働者階級の労働を不当に搾取する資本家階級が代表とされる。

他者の自由や権利を奪い取り、社会的・経済的に阻害するとされる。

市場的性格

「交換」の原理に従う。

市場経済を支える典型的なパーソナリティとされる。

市場の受容に合わせて自分の価値観を変えることができるとされる。社会的な意味でフットワークが軽いと言うか、適応力が高いと言うか。

エーリヒは、「個人の自由・尊厳を捨てて、権力構造/経済システムに迎合している」と評価している。

でも一番金稼げる性格だと思う。何より搾取者よりはマシだろう。

生産的性格

利他的。エーリヒが最も高く評価した性格とされる。

自身の能力、才能、権力を社会全体の利益、発展のために惜しみなく使う、とされる。

搾取的性格の反対に、他者の自由や権利を拡大して、相互利益を高めていけるとされる。

メモ

・んー、あんま趣味じゃない。いやエーリヒ自体はいいんだけど。社会の話はめんどくさいな。

・まぁ少しは真面目に考えるとすると、これらは「生活」がかかっている。社会といってもぶっちゃけ金、金、金の話だ。拠って社会情勢にもかなり影響を受けているだろう。景気が悪くなれば貯蔵的傾向は強まっても不思議じゃない。

受容的性格は自分を慰めながら金を絞り取られ、搾取的性格は金を搾り取り、貯蔵的性格は金を溜め込み、市場的性格は金を稼ぐ。

また、受容的性格は搾取的性格の被害者にも見えるが、「共生関係にある」ともされている。

受容するということは、黙認とも取れる。尻尾を振れば他よりは自分をかわいがってくれるだろうという計算をする輩も多いだろう実際。これはもう支配・拘束・搾取されていることは織り込み済みになっている。

生産的性格は、社会についてとともに自由や自己実現についても考えていたエーリヒにはお気に入りだったようだ。

この性格だけ浮いている。他の性格は、ある意味生物らしい。生産者的性格の「利他的」はこれらと比べると奇異に見える。理想主義的な。

他の4つは「非生産的構え」ともされる。やはり生産的性格は特別扱いのようだ。

エーリヒから見た人類は、全時代的な社会的不自由さからは抜けだしたが、自己実現を果たせず、却って不安を作り上げた状態となっている。

生産的性格は、そういった意味での「社会的自己実現」を為した完成形としての立ち位置なのではないかと考えられる。

・ここで終わるのも落ち着かない。

安直に生産的性格が一番いいと思ったのなら、エゴグラムを是非やってみてほしい。AC高いかどうか教えて。意外とCPかもな。

例えば生産的性格の人間がいて、生産的なことやってるとしてさ。

クレッチマーのH型、P型人格適応論の行動型などを悪い方向でこじらせた連中、自己愛やサイコパス、そしてエーリヒの搾取的性格なんかが見逃すと思うか? エサに見えるぞ多分。「やりがい搾取」なんてまさにそれだろう。

それこそ性格を適応・生存のためとして考えれば、本質的に生産的性格の人間がいたとしても、表面上は別の性格として振る舞っていると思う。今現在。

或いは思いっきり貧乏くじ引きまくってるか。それに気づかなければいっそ幸福かも知れないが、そういうこともあまりないだろう。

真に自己実現/社会貢献している者が報われることが難しい時点で、それどころかそう振る舞うことが難しい時点で、手遅れ感があるな。

だからこそ現代ではあんまり仕事に生きがい求めない者が増えたのだろう。

で、そうなると彼/彼女の正解は市場的性格になってくる。用があるのは金だけだ、と。金のためにやっているのだ、と。これはこれで正解だろう。

仕事は金のため、金は生活と生きがいのため、生きがい/やりがいは他に求める、というのも十分正しいのではないか。

・生産的性格で生きていけるならそれが一番いい。仕事に生きがいを求めないなら市場的性格も悪くない。と、思う。

参照
http://digitalword.seesaa.net/article/97501781.html

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