やる気がでない時、何も考えない方がうまくいくこともある。少なくとも動けることが多い。

理由は大きく2つ。
1:考えすぎはブレーキとなる。
2:動けばブレーキがリセットされる。

考えすぎの害

例えばうつ病とかは、考えがまとまらない割にネガティブなことずっと考えてたりする。

繰り返される終わりのない思考(反芻思考)が心身を侵す。
繰り返される理由は「解決しないことを解決しようとしているから」だとされる。このため無限ループにハマる。

見方を変えればこれは、「考えてる時点で間違っている」とも考えられる。既に思考ではお手上げなわけで、それ以外の手を打つ必要がある状態。

思考万能みたいな、考えりゃなんとかなるはずだ、失敗しないはずだ、そうじゃないのは考えが足りないからだみたいな、「思考論」みたいな世界観が人にはあると思う。努力主義や根性論と同レベルの。
これは、そのとおりじゃない出来事に遭遇すると、大体死ぬ。


かと思えば水平線効果というものがある。例えば将棋における人工知能で10手先までしか読めない場合、15手目で必ず負けるが、10手までは問題ないのならそれを「良い手」だと判断してしまう。

人間も似たようなもので、一定以上はおつむのスペックの都合で「考えられない」ため、予測不可能になる。こうなると「わからない」となるのだが、そのわからなさに対して都合のいいポジティブな、あるいは都合の悪いネガティブなイメージを割り当てる。

わからないけどなんとかなるだろ/わからないから怖い、の個人差。特に思考により安心/確信を得て動くタイプは、わからない場合は「怖い」となりやすい(防衛的ペシミズム)

この場合はどこまでも演算できる脳みそでもあれば良いかもしれないが、少なくともその間は動けない。確証がないから。機会を逸するだろう。ほとんど完璧主義に近いが。


 「わからないから動けた」というのがある。

例えば「今まで泳げてたけど、溺れて死にかけてから泳ぐのが怖くなった」というのは、溺れることを(自分が溺れる余地を/水場の危険性を)知らないまま、そしてそれで今までうまくやってこれたことになる。リスクを知らないことが、動ける理由だった。

なので考えてない奴が思いつきで動いて勝っちゃうことがあったりもする。これを真似しようとした奴は大体穴に落ちる。

つまるところ考えすぎは、「なんとかなる」という可能性をあらかた潰して「怖いからやめとこう」とする余地が間違いなくある。
同時に考えすぎる理由は「見落としているリスクがあるかもしれない」という動機が大きいのではないか。

考えないほうが動けるが…

作業興奮のページでやったが、如何に自分はこれをやるべきか、なんて考えるとやる気が無くなるって話がある。逆に作業興奮そのものだが、手を動かしてりゃその気になってくると。

考えすぎが、ほぼ間違いなく動かない理由を強化する方向に働く。
やるべき理由は義務となり、失敗への恐怖を呼ぶ。
ゴールを見渡す展望は刺激を失わせ、やる前から飽きる状態につながる。
成果の想像はすでに手に入ったつもりにさせ、原動力となる飢えを削ぐ余地がある。

この上で、分からないと怖いから分かってからやりたいので、まぁ人間デフォルトでめんどくさい。

考えることで報われるのは、気づいていないことに気づき方針を改めたなど、計画自体に関わる部分であることが多い。この場合の考えるというのはほぼシミュレートと同義だから、当然といえば当然なのだろうか。どの道、元からやる気とはあんま関係ない。

考えりゃ考えるほどいいってもんじゃないと言うか、適度に頭を使うのが結局賢いっぽい

過ぎたるは猶及ばざるが如し。
というか頭使う場面じゃない時に頭使ったらやっぱ馬鹿だろう。これはよくあるわけで、その理由は頭使う場面じゃないとの判断ができないからなのが多い。
これをやりがちな辺り、やっぱ知能万能主義みたいなとこある。ハンマー釘病ではないか。

優秀なプログラマーは愚かで怠惰でなくてはならない、なんて話がある。
怠惰が発明の動機となり、無駄を省く。
そして愚かさが10回の内1度の失敗をするまでに9回成功してりゃいいじゃんと判断し、行動し、結果優秀さとなるとか。

参照先では相対的に賢すぎる人が10回の内5回を正確に処理し、5回は何もしないと表現されている。これは賢さではないだろう。考えすぎて動きが鈍いと表現したほうが正確だ。反対の「とりあえず動いといたほうが得」という場面で確実に損をする。

本当に適切な思考をしているのなら、「動いたほうが得」と気づけ無いことがおかしい。気づいて実行できないのなら、まだそこに何か動けない理由があることにもなる。


コリン・ウィルソンは、天才は右脳的意識と左脳的意識(=直感と思考くらいの意味)のバランスが良い人だと書いている。

IQには言語性IQと動作性IQがあり、発達障害はこの2つに差が大きい傾向がある(ディスクレパンシー)。
この場合、できないことが出てくる。例えば勉強には全く問題がないが、客からチケットを受け取り、半券をちぎって返す、というタスクで混乱するなどがある(言語性IQが高く、動作性IQが低い例)。

これらは「考えれば考えるほどいい」という信念/世界観の否定となる。

心のブレーキの正体の一つ「本当にこれをやっても良いのか」

もっとも、その他色々とやりたくない理由というか、心のブレーキと言うか、そんなものがあるのだけれど。これはそのまま、勝手に頭が動き出す理由となる。

やる気がない理由の一つに、「本当にこれをやっても良いのか」という自己行動に対しての懸念が挙げられることがある。
もっといい方法があるんじゃないか、これより重要なことを忘れているんじゃないか、などなど。

「より良い選択を逃すことへの恐れ(FoBO:Fear of a Better Option)」とも呼ばれる。これは身近なものとされる。
例えばあれだ、テレビ見てて、その番組を続けて観るつもりではいるけれど、裏でどんな番組やってるか気になって番組表チラ見するみたいな。

一方で、何か行動する、タスクに手を付けることは、確実に、一定時間それ以外のことはできない。ある種の行動不能状態に自らなることだと捉えることができる。

で、「もしかしたらもっといい選択があるかもしれない」というからには、それがあるならそちらに行きたいわけだ。つまり、それを探していたいか、待機状態でいたい。チャンスに備えていたい。

これでジレンマが生まれる。やるべき理由と、やらない理由とで。

「やるべきだが、やったら損(機会を逃すから)になるかもしれない」みたいな状態で、これは実質的にはやるという決断ができていない。これはそのまま、物事に集中したくない理由でもあると考える。

似たような理由で夜ふかしするのがリベンジ夜ふかし。「このまま寝て良いのか?」。

そして、決断は別にしなくていい。そのままやってしまえば、「もうやってしまったから考えることを諦める」という形で、ようやく気が向くようになる。

まぁ動けない理由がFoBOであること前提だけど。


・先延ばし関係のまとめ

先延ばしについて 目次
先延ばしの理解多くの大学生が先延ばし傾向がある75%がギリギリまでやらないタイプ効率性重視の方略の一種だとされるこの上で期限に間に合わない場合は、自己調整能力が必要とされるここでは期限に間に合えばとりあえずセーフ扱...
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