人のことを考えない人と、そうなる・そうである理由などについて

人のことを考えない人

自己中、自分勝手、独善的。我田引水とも言うか。
私の語彙力で最大限柔らかい言い方すると、マイペース

そもそもなんで人のこと考えなきゃいかんのかと言ったら、そこら中に人がいるからだな。

その上でなんで群れるのかって言ったら、仕事だったり、腐れ縁だったり、あるいは仲良くしたいからってのもあるが、全てに共通するのは「これからもそれが続くこと」が前提である点が挙げられる。

そうじゃないなら「なんか気に食わん奴がいた」と夕食時にでも話しておしまいだ。

なのでこのトピック、些細なことで理不尽にケチつけられてる率も結構高い。動機として「自分が快適じゃないから」「目につくから」程度の。言ってる側が明らかにアレなこともね。

元から時と場合にかなり寄る。「おまえのことを考える必要がない」とか、むしろ「おまえが空気読め」とかも普通にある。これは明確な基準のない「価値観の違い」であることも多い。だから話が永遠に平行線のこともあるかもね。まぁこれに勝とうとしてクソマナーとか持ち出したり主語がデカかったりステレオタイプを捏造したりするのもいるが、まぁそれやった側が自分勝手確定だよね。


原因も内訳も幅があるが、そもそも人には返報性が有るとされる。つまり、やられたらやりかえしたいし、やってもらったらお礼をしたくなる。

これにまつわる感覚が周囲と違うと、相手からは「返ってくると思ったものが返ってこない」=利己的である「人のことを考えない人」、とは思われやすい。

人のことを「気にしてない」「目に入っていない」ケースが多い。後から考えれば自分が何やったかは分かるし、それは「わかってたらやらないこと」であることも多く、自己嫌悪に陥ることもまた多い。
これは返報性の感覚自体は周囲と共有できているが、実践に於いての当人的失敗。

一方で、ソシオパスや悪性自己愛など、人のことを考えないのを通り越して「獲物」かなんかに見えてる人間も実際にいる。
これは他者の返報性などを「利用する」視点になる。

また、人は信念(世界観・思い込み)や価値観という形で能動的な行動をするが、そこに原因がある例も考えられる。
瞬間的に何らかの目的(欲や、他のことに気を取られていたなど)でスルーしていたなどの社交上の「ミス」も含める。
この場合、返報性の感覚が機能しないか、機能しても却下される。違う基準で動いているから。


これは状況との和の問題だ。それがわからないなら文句を言った側が「独善的」ともなる。

ぶっちゃけて迷惑じゃなければ別に他人が何やってようが興味ないしな。裏を返せば「迷惑になると予測できない・わからない」のなら、何やってもリスクがある。

以上から、「不当な正義」から身を守るためにも、もちろん自分が嫌われないためにも、罪悪感に駆られないためにも、可能なら気を払ったほうが良いとは言える。


人のことを考えない人は、大抵生まれや育ちがよく疑われる。「自然体」と言う点では確かにそれは影響は大きい。

甘やかされて育ったからわがままだ、とか。末っ子や一人っ子で人のことを考えない人の場合、これが原因だと思われることが多い。「謝れば許してもらえると思ってるだろ」、との声もあったな。

逆に幼少期に厳しくされすぎて願望を押し殺してきた結果、その分親元を離れると自己中になるパターンもある。これは「しつけ」としては我慢が身についているが、その必要性への理解や自発的にそれを行う経験の不足だろう。


人のことを考えない病気


アスペルガー症候群(ASD)

空気が読めないことが症状としてある。結果、自分勝手な言動になる。

100人に1人ほどの割合とされていたが増加傾向にあり、2018年アメリカでは59人に1人だという。

代表的な症状の一つとして「対人関係の障害」が挙げられている。ただ精神疾患を併発しやすく(ASDの内70%が1つ、40%が2つ併発しているとも)、空気が読めないことが直接の原因とも限らないが。

心の理論関連の、相手の気持や意図を想像するのが苦手、暗黙の了解を理解するのが苦手、などがある。

また、想像力の障害が原因で、アドリブ力がない。このためパターン化された手順、スケジュールに強く拘る傾向がある。この点は他者からは「自分勝手」に見られてしまう余地はある。

これらの症状の現れ方が個人差があり、タイプ分けがなされる。

  • 一人でいたい孤立型
  • 人と関わりたい積極奇異型
  • 言われたらやるが自分からはやらない受動型

これらもまた、見方によっては協調性はないと見られる余地がある。


そもそも日本の協調性の高さが異常なので、ASDに限らず自立心が高いと浮く傾向がある。日本が成長しろという念も些かある。

ビッグファイブでの「協調性」は、高すぎると「自分ひとりじゃ決められないレベル」を表す。この国は文化的にはそっち側に傾いている。世代レベル、個人レベルだと違いは有るが。

要は、自立している、あるいは自立心を持っているだけで「協調性がない」と言われかねない国だってことだ。ベタベタすぎる。甘きこと醴の如し。

ADHD

こちらも「空気が読めない」ことが挙げられる。のだが、ADHDの特性としてはそのような項目はない。

実際には特性である衝動性(我慢しない・できない)や多動性(じっとしてられない)により「どうなるかを考える前に動く」事が多く、結果的に空気クラッシャーになる形。

ADHDもいくらかタイプがあるから病名だけで決めつけるのもよろしかないけどね。

ただ、ASDを併発している率が43%だという報告もあり、そういった可能性がある。臨床上、「両方に片足ずつ突っ込んでるのが結構いる」とは言われていたらしい。
(https://www.asahi.com/articles/SDI201610250926.html)

あとはまぁ、元からマイペースだとの指摘は多いか。遅刻とか。
ギリギリまでなんかやってるせいらしいんだが、客観的、俯瞰的、結果的に見ればマイペースな行動選択ではある。

自己愛性人格障害や悪性自己愛

一般に自己愛と呼ぶ場合自分勝手であり、自分を誇張して見せ、評価を得ようとする物を指す。出番に飢えてる売れない芸人が近い。自分のことで頭がいっぱいでは有る。自己顕示欲、承認欲求。

競争的な思考の持ち主であり、勝敗にこだわり、優劣にこだわり、評判にこだわり、故に積極的に他者を攻撃する、損害を与える動機を持つ。

誇大型、過敏型など種類があるが、いずれも「自分はもっと評価されるべき」との念を持つ。そう扱われないと不満。


サルバトール・ダリや三島由紀夫も自己愛だと言われており、三島はともかくダリは経緯を知るとアイデンティティの確立に苦しんだ人、という印象。実際奇行が目立つ彼だが、プライベートでは常識人だったそうな。

オットー・カーンバーグの定義では、健全な大人の自己愛、健全な子供の自己愛、病的な自己愛の3つがあり、自己愛と言う言葉も幅がある。


悪性自己愛はナルシシズム、ソシオパス、攻撃性、サディズムの「極端な混合」とされる。
サイコパスを含まない点を除けばダークトライアドやダークテトラッドと共通する。

ソシオパス

反社会性人格障害。自分の目的のために平気で嘘をつけるし、他人を利用する。一般的な、悪い意味でのサイコパスのイメージをそのまま当てはめればいい。

社会的規範や他者の権利・感情を軽視し、人に対して不誠実で、欺瞞に満ちた言動を行い、暴力を伴いやすい傾向があるパーソナリティ障害である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会性パーソナリティ障害

他者への共感能力の欠如、良心や罪悪感の欠如、思考が冷淡で自己中心的、面体を繕うのが上手で魅力的に見えやすいといった特徴がある。サイコパスにも有るとされる。

違いは、これら特性を獲得した段階。サイコパスは生まれつきの要素が元で発現する。ソシオパスは後天的。つまり本当に「性格が悪い」。

サイコパス

ジェームズ・ファロンの三脚スツール説によれば、いわゆる反社会的なサイコパスは遺伝、脳、幼少期の虐待の3つの要素で発現する。ファロン自身は肉体的にはサイコパスだが(家系には殺人者が7人)、虐待はなかったので自分は向社会的サイコパスなのだろう、としている。


共感能力がないとされる。つまり人の気持ちがわからない。ただ、やろうと思った時にはできるらしいとの話もある。逆を言えば「自動的に共感能力は働かない」ことになる。

自己愛と同様に世間の評価を求める傾向があるとされる。それが時に英雄的行動となることも。


感情の内、恐怖心のみがない、とする話もある。加えて道徳感情もないとされる。
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51999?page=2)

道徳感情は間接互恵性とも呼ばれ、これは進化的に獲得した一種の「協力関係」を構築するためのシステムであるとされる。これがない。

こうなると、対人面におけるリスクを踏むことに躊躇する理由も無くなる。自分の目的のみで動けることになる。結果、搾取的、支配的、攻撃的だと相手は感じる場面はあるだろう。

人のことを考えないことの治し方

まぁじっさいにゃ病気や障害ってほどでもないのが殆どだろう。「治す」って表現も違和感がある。
単にこのように言われる人のいくらかは「ケチ」で有ることが挙げられる。

ヒューマンの群れの中にはテイカー(取る、奪う、持ち去る者)って呼ばれる個体が実際にいることも指摘されている。

ついでにその逆のギバー(与える者)は、それが報われて幸福になるかならないかの両極端で、その決め手は「相手が感謝する奴かそうじゃないか」という身も蓋もない理由だとの話も見たことが有る。

まぁ相手は選ぼう、というのもあるんだが、今回はこのままだと「持ち去る者」かつ「与える者を不幸にする者」ですらあるのであんまよろしくないな。


貸し借りや損得で物を見ていると、ケチになる。損得基準の考えだから、かなり具体的なイメージを持ち、これは自身の言動に影響を与える。

ついでに言うと、貸し借りで物を見ていると自称する人は、大抵「借りは返そう」とはするが、自分からは与えようとはしない面がある。期待自体してないように見えるな。個人主義寄り。

これだけなら別に私はどうでもいいんだが、後述するバイアスの問題は有る。自分が借りだと思う量と、相手が貸し(とまでいかなくてもお礼くらい言われたいなーくらいは思うような)と思ってる量は結構違う可能性。


損得でものを見る上で返報性もないんじゃ普通にソシオパスかなんかだろう。


どうせ人間はバイアスが酷いので、自分で公正なレートだと思っているその貸し借りは、客観的に見てクソレートである可能性もそこそこ高い。この場合、当人は公正なつもりで周囲からはテイカーだと認識される。

特に、自分の親切は内的な動機(親切心など)に思え、他人の親切は外的な動機(世間体、利益目的など)に見えるバイアスがある。

反対に、自分の失敗は外的な動機(自分以外の何かのせい)に思え、他人の失敗は内的な動機(その者の性格や不注意など)に見えるバイアスもある。

ジョハリの窓で言えば、盲点の窓(他人は見えているが自分にはわからない自分の面)や秘密の窓(自分は知っているが他人は知らない自分の面)なども当てはまる。

裏を返せば、本来は利己的なドケチじゃなくて「義理堅い」と呼べる性格だったとしても、バイアスのせいでドケチだという評価が客観的にもふさわしい振る舞いとなることはある。

認知していることそのものが「そう見える」ので、当人は大体の場合「妥当な判断」をしていると自覚する。
簡単に言うと、「計算は合ってるが、そもそも式が間違ってる」という状態になる。

「当人的な公正さ」は、まぁ定期的にメンテしないと多分よろしくなくなる。


人のことを考えない人と思われる人の内面の考察

よく周りから「おまえは自分のことしか考えてない」と言われます。
自分でも他人の優先順位はかなり低いと自覚しており、自分にメリットがないと感じるとまったく協力する気になれません。
逆に自分が誰かに助けてもらったときは「してもらって当たり前だ」という態度が出てしまいお礼を言い忘れたりしてしまいます。
このままだと人が離れていってしまうことはわかっているのですが、なかなかこのやっかいな性格を直せません。

https://goope.jp/article/porkloin/08/

リンク先でも言われてるけど、素直だよね。こうやって相談内容書く事自体がカウンセリング的効果あったりするものだ。

「してもらって当たり前だ」は、よく聞きはするが、考えてみるとちょっと面白い言い方で。
「してもらった」と「当たり前だ」は矛盾している。

前者は感謝的な要素だが、後者は相手が当然の義務を果たしただけだ感がある。

損得に敏感なのが見て取れるが、相手に対して以前に何か「やってあげた」念でももっているんじゃないだろうか。つまり自分には相手に対して「貸し」があるとの認知。

これが初め「してもらった」と素直に感謝しているものを「当たり前だ」と思い直させたように見える。

「お礼を言い忘れる」と言っているが、じゃあお礼の必要性を感じていることになる。それが義務的なものなのか(マナー程度の動機)、それとも本心から言いたいのにもう言うタイミングがないとの後悔なのかが気になるな。

いやまぁ後者なら「あの時はありがとう」とでもいってうまい棒でも渡せばいいと思うが。うまい棒じゃだめだろうか。
「お礼」は割と後出しOKだと思うが、どうなん。フィードバックとして扱うなら、そりゃ早いほうがいいんだけどさ。執着と解放という観点から見りゃアリじゃないかと。


気になることがある場合、サイト内検索をしてみてください。

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