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心の理論とはなにか

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・特にADHDやアスペルガー障害などの発達障害者が、自分でこれができない、わからないと気にしているもの。

 

心の理論とは、他者の心を類推し、理解する能力である。

特に発達心理学において、乳幼児を対象にさまざまな研究が行われるようになった。

ヒトおよびヒト以外の動物が心の理論を持っているかどうかについては、誤信念課題によって調べられる。

 

この課題で他者の信念についての質問に正答することができた場合に、心の理論を持っていると結論される。

一般的に4歳後半から5歳の子どもはこれらの課題に通過することができる。自閉症患者では障害が認められる。

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

 

 

・大体においては、複数人が登場する短いシナリオを読ませ、その中のある人物の認識・心境はどうか、その後どう行動するかを答えさせるパターンになっている。

 

・定型発達者(特に発達障害じゃない人)では4~5歳で正当することから、知識や思考ではなく「能力」的な物だと言えるだろう。

 

サリー・アン課題

 

サリーとアンは最初、同じ部屋にいる。

部屋にはサリーのバスケットとアンの箱が置かれている。

サリーがビー玉をバスケットに入れる。

そしてサリーは部屋の外に出ていき、その間にアンがビー玉を自分の箱に移動する。

最後にサリーが部屋に戻ってきて、ビー玉を取り出そうとする。

 

そして、子どもに「サリーがどこを探すと思うか(信念質問)」、

「ビー玉は今どこにあるか(現実質問)」および

「最初にビー玉はどこにあったか(記憶質問)」を聞く。

 

3歳児の多くは前者の問に箱と答えるが、4~5歳児はバスケットと答える。

これは3歳児にとっては、自分が見て知った現実(ビー玉は今、アンの箱にあるという現実)と、サリーの信念(ビー玉はバスケットに入れておいたというサリーにとっての現実)が異なることを理解するのが難しいために起こる。

また、3歳児は現実質問と記憶質問には正しく答えられる。

 

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

 

スマーティ課題

 

この課題では、子どもにとって中身が明白に分かっている箱、ここではスマーティ(イギリスやカナダ、その他欧州諸国で販売されているカラフルな糖衣でコーティングされたチョコレート。日本での類似品はマーブルチョコレート)の箱を子どもに見せ、1)箱の中身が何であるかを聞く。

そして、その中からチョコレート以外の物(たとえば鉛筆)を出してみせ、2)また、箱を閉じる。

そして3)この箱の中をまだ見ていない第三者に、中に何が入っているか聞いた場合に、何と答えるかを聞く。

 

心の理論を持っている子どもの場合は、最後の質問に「スマーティ」と答えるが、多くの3歳児は「鉛筆」と答える。

また、3歳児は、最初に箱の中身が何であったと思ったか聞くと、「鉛筆」と答える。

 

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

 

他にもマクシ課題がある。この3つが有名所。

 

・要は「他者視点」でのシミュレート能力と言えるだろう。このためには自分(または別の他者)の視点と混同してはならない。

 

結果的に相手の「行動原理」を察することができるわけだ。「人の気持ち」なんて言われたりもするね。

 

実際の所は心の理論の仕組みは、今私が言ったシミュレート説と、パターンやシステムとして理解しているのだという理論説がある。

 

理論説はさらに元からそういった機能がある「モジュール説」と、後天的に学習する「子供の科学者説」があるようだ。今回は割愛するが。

 

 

・心の理論を提唱したプレマックとウッドルフによれば、「自己と他者を区別し、それぞれが心を持つ存在だと認識する能力」とされる。

 

改めて心の理論の課題の「間違え方」を見てみれば分かるだろう。自分と他人の視点の「混同」が見て取れる。

 

 

・さてまぁ、わかりやすい問題としてはこうなんだが、実生活に於いて発達障害じゃないやつでもできてねぇ奴多いわけで。

 

例えば「自分の普通」と「他人の普通」、または「世の中の普通」を混同する奴。

 

わざと混同してるならどちらかと言えば人格障害者か何かだろうが、素で違いがあると分かってない奴とか普通にいる。

 

「正義」が時に醜く横暴であるのもこのためだ。つまり善悪も然り。

 

 

・そんなわけで「どうでもいい」というのが個人的な感想かね。

 

これらの課題で分かるのは「やろうと思えばできる」というだけだ。普段からやっているか、どれだけ出来るのかとは別問題だろう。

 

サイコパスは「何かを企んでいる時だけ他人の気持ちが理解できる」なんてとんでもない話もあるわけで。

 

 

・興味深い話だが、より高次(ジョークを理解する必要があるなど)で自然なストーリーになるほど発達障害者たちにとっては正当が難しくなってくる。

 

これは定型発達者でも多分変わらないだろう。実際に前述の「普通」についての話みたいに理解できない奴らは出てくる。

 

 

・ただ、定型発達者のこれらが発達障害と違うのは「やるつもりがない」などの認知的状況、あるいは人格的な理由であるということだ。「できない/わからない」とは違う。

 

 

アスペルガー障害と心の理論

 

・アスペルガー障害は、自分は感情があるのだが、他人にそれがあることがわからない、と言われたりする。

 

本当にそうだろうか。

 

どうも男性脳(論理脳)がでしゃばりすぎて共感脳(女性脳)を抑制しているだけに見えるのだが。

 

実際、女に相談された男がアドバイスしたら気持ちをわかってくれないとか言われるなんてザラなわけで。まぁこの場合、女も女で懲りないよなと思うが。

 

オキシトシンとか嗅がせまくったらどうなるんだろうな、と思ったが、実際にオキシトシンで自閉症の対人コミュニケーションは改善されるという研究結果は存在する。

 

 

・ただ、こんな研究結果もある。

https://www.amed.go.jp/news/release_20180629-02.html

 

これによればオキシトシンの効果はプラセボ効果と大して変わらんという。効果自体は「対人コミュニケーションの障害については有意に軽減した」となっている。

 

逆を言えば「これで対人コミュニケーションが改善する」という思い込みで改善している。

 

だとするなら、能力自体は元からあることになる。

 

アスペルガー障害は心の理論がわからない、というよりは、「そちらに切り替えができない」と表現したほうが適切ではないだろうか。

 

 

・いつぞややった「視点」で言えば、主観と俯瞰の視点はあるが客観(相手の立場のシミュレート)がない。

 

後は彼/彼女たちは好んで感情、感覚、ランダム的な物を切り捨てているようにも思える。確実なもの大好きで。これは「相手の視点を持つつもりが最初から無い」ようにも見える。

 

 

ADHDと心の理論

 

・これはもう、衝動性のせいだろ。平たく言えば「何かに勝手に注目してしまい、周りが見えなくなる」だけではないだろうか。

 

また、「心の理論課題の間違え方」のもう一つの解釈として「最後の事実だけ覚えている」場合、同じ間違え方が可能になる。初めとか途中とか忘れるってことね。

 

で、ADHDはワーキングメモリ(脳の作業領域)に難儀しているから不注意なのだとも言われることがあるわけで。あれはあれで容量不足じゃなくて情報の過大評価なんじゃないかと思える余地もあるが。HSPに近いかもね。

 

・だとするなら、こちらも必要な場面で「アクセスできない」だけで、能力自体は保持している可能性はある。

 

まぁアクセスできない結果、言動は時に無神経だったりにはなるだろう。

 

 

・アスペルガー障害も「理論」に注目する=ある意味周り(この場合は人の気持ち)が視界に入らないのかもしれないが。

 

 

・「視点」で言えば、主観と、相手が人間の場合は客観も一応あるが、俯瞰の視点が無い。

 

 

メモ

 

・以上から、個人的には彼/彼女たちは脳内にある心の理論を「実行できない」「アクセスできない」だけで、持ってはいるのではないか、と考えることができる。

 

ただ、これが直感レベルで機能しているのが定型発達者なわけで、「考えれば分かる」では判断や認知が発達障害では変わってくるだろう。

 

これは転じて定型にとっては「やろうと思わなきゃやれないこと」あるいは「わかっててやるなんてありえない」ような言動になりえる。

 

また、悪意を持ったときにも普通はいくらか手加減するものだが、特に相手の心の傷つき具合がわからないのならオーバーキルの可能性もあるだろう。

 

 

・重要な話、処理流暢性は恐らく関わっている。つまり「自然にどこまで分かるか」はその人間の言動に関わる。

 

 

・私は心の理論を他者視点でのシミュレート能力と言ったが、他者視点をシミュレートしたまま自分の視点に戻ってこれないのも「高い共感能力」を持つとされる人にいないか。

 

彼/彼女たちはまるで「自分のことのように」共感するわけだが、自分と他人を混同していないか。

 

 

・スマーティ課題がわかりやすいが、相手が何を知っていて、何を知らないのかが推測できなければ正当できないようになっている。つまり「他者の事前情報の推察」も必要となるか。

 

例えばあなたが招待した西洋人の友人が、あなたの家に土足で上がったとしよう。

同じ様にあなたが招待した日本人の友人が、あなたの家に土足で上がったとしよう。

 

あなたの印象は違うはずだ。

前者は知らずにやらかしたと思うだろう。

後者はわかっててやりやがったと思うだろう。

 

「相手の心」を察するのが心の理論だという前提だとすると、理論説は無理がないか? シミュレート説じゃなきゃ通らないと思うのだが。

 

でも元から誰でも持ってるんじゃないかと考えれば理論説のモジュール説だし、断言できないな。

 

「モジュールを使ってシミュレートしているのではないか」というのが個人的な意見に一番近い言い方かな。

 

・ところで、

 

旅人がエルサレムに向かう途中、一人の男とすれ違った。

彼は7人の妻を連れ、

彼女たちは7人の子を連れ、

子どもたちは7匹の羊だかラクダだかを連れていた(忘れた。ぶっちゃけエルサレムだったかどうかも自信ない)。

 

さて、エルサレムにたどり着いたのは合計で何人と何匹か?

 

なんてクイズがどこぞにあったな。

 

正解は1人だね。7人のなんちゃらは「すれ違った男」の話だ。すれ違ってるんだから同じ目的地に付くわけがないな?

一生懸命計算した人はご愁傷様。これは引っ掛け問題である。

 

で、これ心の理論の課題に似てないか。実際には手品に近いトリックだが。要するに「難易度(特にフェイクの質と数)が高くなると脱落者が定型からも出てくる」のではないか。

 

さて、日常においてどの程度が適切なレベルなのやら。相手がおかしい場合もあるしな。







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