飲み込みが早い人=成長が早い、習得が早いとする。主に技能方面だが、「理解が早い」というのにも使える。
実際に「効果的な練習・学習」はある。逆に効果が薄い手法が存在する。
ここではいかに「飲み込みが悪い人」の努力が効果が薄い手法であるか、「飲み込みが早い人」とどれだけの違いがあるかを説明する。
飲み込みが早い人とコンフォートゾーン・ストレッチゾーン
コンフォートゾーン、ストレッチゾーンという概念が有る。
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コンフォートゾーンは居心地のいい領域と説明される。自分が安定してできること、やれること。
「ぬるま湯の領域」とも呼ばれることがあり、ここにいる限り成長できないという有る種のよろしくないモノ扱いされることは結構多い。
ただ、エドアルド・ブリセーニョはTEDにおいてこれを「パフォーマンスゾーン」と呼んでおり、そのとおり「安定してパフォーマンスを発揮できる領域」でもある。
コンフォートゾーンから出られないのは、怠惰ではなく、殆どの場合は間違えるわけにはいかない、失敗するわけにはいかないという「緊張」や「責任」の要素だと個人的には思うが。
ストレッチゾーンはそのとおり「背伸び」をしないとできないような、少しの無理が必要な領域となる。必要性があるので自然と全力が出せ、パフォーマンスはストレッチゾーンのタスクが最も高い傾向がある。
別名「ラーニングゾーン」。学習領域。「成長」を求めるなら、その練習はこの領域の難易度であることが望ましい。
なお、無理が過ぎればそれは「パニックゾーン」となり、パフォーマンスは落ちる。学習効率も然り。難易度が高ければ高いほど良いというわけではないということ。
慣れることが目標だと、慣れたら成長・学習が止まる
慣れる=成長率が落ちる。
コンフォートゾーンではほぼ成長しない。ストレッチゾーンでは伸びる。目的が「慣れること」であると、慣れた時点でほとんど伸びなくなる。多くの専門職でも、3年ほどで止まるらしい。
初心者にとっては全てがストレッチゾーンとなるため、その環境にいる・その環境に食らいついていくだけで成長しているような錯覚がある。だから中級者までにはなれる。
「早く仕事に慣れよう」というのは、その業務内容をコンフォートゾーンに取り込むこととなる。ここが目標。慣れる=コンフォートゾーンに取り込むだから、以降それはコンフォートゾーンのタスクとなる。
慣れる・こなせるようになるのは結構なことなのだが、それで終わるならここで成長がほぼ止まる。30年医者やってて、2~3年の医者に手術の腕で負けるなんて調査が有る。「時間」だけでは伸びないということ。
エリクソンの研究。約30年の経験が有る医師と、医大卒業後2~3年の医師と、手術などのパフォーマンスを比べた。
結果、30年の経験が有るベテランは劣っている事がわかった。エリクソンはこれを、コンフォートゾーンから出ようとしなかった、上達に必要な「目的の有る練習」をしなかったから、としている。
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ただ単に「次に慣れたいこと」を見つけて目指せばいいという話でも有るが、そういった課題発見において弱いと、一見周囲と適応できるようになった→もう安心だ、となってそれ以上伸びなくなる。
社会的な問題として、そのような訓練的な時間を作れず、正確なアウトプット=コンフォートゾーンで居続けることに日常的に強いられている、というのもあるのだが。
これは忙しい、時間がない、責任はある、慣れちゃってるからもう成長しない、と結構大変な環境だと言える。
後は最悪な可能性として、「ヘタなやり方に慣れる」ということもある。いかんせん、受動的な成長に期待するのはリスクが高い。
人は結構、コンフォートゾーンのままでさらなる成長ができると思っているところがある。というか、例えばパイロットの総飛行時間みたいな感じで、かけた時間=経験値やレベルだと思っているところがある。
「飲み込みが悪い人」は、ただ単に長いことやってれば、質が向上すると思っている。それでは良くてそのやり方に慣れるだけ、悪くてただ単に飽きてくるだけとなる。
こういった「慣れ」というのは、新しい技能の習得や、技術の質の向上にはつながらない。
これが一見奇妙に見えるのは、前述の通り初心者にとっては全てストレッチゾーン・パニックゾーンであり少なくともコンフォートゾーンではないこと。そして当人的には「慣れるつもり」でも、やっていることは自分の実力以上の物事に取り組む限界的練習となっていたからだ。
総じて「今まで成長してきたのに伸びなくなった」という自他の評価になる。
これは、「最初は飲み込みが早かったけど、今では飲み込みが遅い」となりえるということ。
小さくまとまったと言うか、鳴かず飛ばずの状態で成長が止まったと言うか。まぁ簡単に再び成長できるようにはなるので、大して気にする必要もないか。
飲み込みが早い人と限界的練習
コンフォートとストレッチの概念と共通する、「成長する練習法」がある。限界的練習。ディープ・プラクティスとも言う。
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今の能力(コンフォート)よりも、少し背伸びをした目標(ストレッチ)を意識して、集中的に練習すること。
本当に些細な目標であり、御大層な目標はむしろ邪魔となる。今よりもっと早くしよう、今よりもっと正確にしよう、などでいい。
「今より」というのがコンフォートで、「もっと」というのがストレッチだから。
ディープ・プラクティスの名の通り、スキルを「深堀り」すること。表面だけ撫でていても、もう伸びないから。
「飲み込みが早い人」は自然とこのような練習を行うようだ。
音楽学者のロバート・デュークは、17人の学生に練習曲を課題を与え、その上達具合を見た。
時間さえ指定せず、好きに練習させたらしい。この時点で、8分半から57分弱までの個人差があった。翌日に本番。
結果も個人差がでるわけだが、興味深いことに練習時間と実力との関連はなかったという。「練習時間に何をやっていたか」の影響が大きかったと考えられる。
好成績を出した(=ここで言う飲み込みが早かった)者たちは、自分がミスをした部分を集中的に練習していた。
ミスの原因を特定し、修正し、正しく弾くためにゆっくりと、自分を試すために早く弾いたりもしていた。この上で安定して正しいアウトプットができるようにその部分を繰り返しもしていた。
(間違った場所をゆっくりと練習したのが最も効果があったと考えられている。ここでいう限界的練習やディープ・プラクティス)
一方で、案の定というべきか、それほど伸びなかった(=ここでいう飲み込みが悪い)者たちは、ミスしてもとりあえず最後まで弾く、何も考えずにただ繰り返す、という方法を取っていた。
やはり「頭使わないと練習は普通に嘘つくよ」というのは正しいのだろう。
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目的がぼやけた努力と目的を意識している努力の違い
総じて飲み込みが悪い人は「物量」で目的を果たそうとする傾向がある。飲み込みが早い人は具体的な目標(先程の例で言えばミスの修正)を狙い、結果を求める分、行動に「質」を求めている。この違い。
なんてことはない、よく言われる「目的を持って練習しろ」というのが如何に正しいか、という話。
これだけならまだいいんだが、ここに変な信念みたいなのが加わると、「フィードバックをしないでただひたすらに続ける」という状態になる。
これは手法的な意味での間違いや「進んでいない」ことに気づかず、永遠にそれを続けることを指す。
例えば努力は必ず報われる、やっただけは身につくはずだ、あれだけの苦労をしたんだから、せっかくこれだけ頑張ったんだから、など。
この心理はほとんどサンクコストの誤りで説明がつくだろう。
飲み込みが早い人の努力は、「課題」を意識して(あるいは作り)、それを「克服する」形になっている。だから自然とストレッチゾーンになるし、できたかどうか気にする必要があるからフィードバックもする。
飲み込みが遅い人の努力は、「経験値」を「貯めるつもり」なので、最悪の場合ただひたすら同じことやってりゃいいだろ、という態度になる。
これらは性格というよりは、成長へのイメージの違いだろう。直接的に成長するつもり(挑戦と達成のイメージ)か、間接的に成長するつもり(我慢すれば報われる系のイメージ)かの。
もっとシンプルな構図にしてしまえば、「受動的」だと伸びない。「能動的」だと伸びるとも言えるか。
これにより、努力が成果に変換されるレートは大きく差が開く。コスパの良い努力、コスパの悪い努力があるのだから、同じ時間があっても結果は変わる。
「理解」についても同じことだ。人はわからないことをなんかわからんまま、なんとなくわかった気分にはなれてしまう。そうなるとその物事はコンフォートゾーンに入り、それ以上理解が深まることはない。
まだ「知らない」「わからない」部分があるという意識がない限り、関心自体を持たなくなる。後はアウトプットしかしない。だもんで「昔は専門家、今はやっかいさん」みたいなのもまぁ割と。
我々はトースターを使えるが、トースターは作れないわけで。『ゼロからトースターを作ってみた結果』って本あるけどな。鉄鉱石と銅を鉱山で拾う所からスタートしてるわけで。
では極めてしまったら後は腐るだけか、といえば別にそうでもなく。新しいことがあるかもしれない、他の分野から取り込めるかもしれない、と、少なくともやることを探す鉱山はそこら中に有るだろう。
なお、「計画よりもそれを修正するほうがよほど大事だ」という話もある。定期的なチェックをして自分の練習内容を修正できるなら、それで済む話かもしれない。