なんとなく苦手意識があるケース。
元からそんなもん
これまたいつもどおりのオチだが、人間がイメージしている「正しさ」やら「普通」やらが不自然なもの。間違ったステレオタイプ。
まず環境と相手に依る。必ず依る。だから特定の場面、特定の相手の前では意見が言えないというのはザラにある。
だがこの話題、ほとんどが「自分は意見を言えない人間だ」みたいな、自分だけに原因があるかのような捉え方をしている人が多い。
もうちょっと自分+相手+環境という構図で見た方がいい。
意見を言うことに苦手意識を感じる心理
意見を言うことに苦手意識を持つ心理的理由はたくさんある。例えば、
日本人の文化依存症候群は「対人恐怖症」だと言われている。
ミレニアル世代は社会規定型完璧主義が増えてきているとされる。これは主に他人に何を期待されているか、自分がそれに応えられているかを気にする。他人を気にすると、同じだけ自分は出せなくなる。良し悪しは別の話だが。
人に見損なわれたくない、バカにされたくない、悪い評価を得たくない拒否回避欲求がある。
「ジョハリの窓」という概念がある。これで言う「盲点の窓」、つまり自分は気づいていないが、他人は気づく部分が自己開示により発覚してしまうのではないかという恐れ。
ついでに言えば、人付き合いが苦手な人による雑談の後の「脳内一人反省会」の中身の一つが、
「あんなに自分を出すべきじゃなかった」
「何か変なことを言わなかったか」だそうな。
特に若者に多いが、キャラクターとして表面的な演技での振る舞い・付き合いをし、深入りはしない・させない傾向があるとされる。
自分の意見を言うことがキャラクターを崩壊させる、あるいは内容がキャラと合わない、他者に深入りする行為、あるいは自分が深く知られてしまう行為だという警戒感。
もちろんこれらの反対の位置にある「承認欲求」を始めとした社会的欲求も有るんだが、なんか社会自体に対して「もううんざりだ」という念もあるように見えるが。
承認欲求・称賛獲得欲求・自己呈示の欲求などはこれらの問題を別にクリアはしない。懸念・不安・恐怖に対して「安全」だという理由にはならず、「踏み越えさせるもの」として機能する。簡単に言えば思い切ってやってみようってことだが、これは普通に危険なのでそれに対してもまたブレーキが働く。
なので後述するが「逆説」は起こりやすい。つまり自分の意見を言おうとすればするほど言えないという状態に。
総じて現代では特に距離感を広く取りたいのだが(+付き合う相手を選びたい)、アッパー系理想主義なステレオタイプにより「我慢している」というのが多いと思われる。
望みと比べて密着する距離にならないといけない義務感と、その一部としての自己開示への義務感(自分の意見は言えなくてはならない)という構図が見て取れる。
また、自分の意見が言える必要性の理由の一つが「押し付けてくる奴らへの抵抗」であることも間違いない。元から距離感ベッタベタなのがいることが前提である。
自分の意見を述べることに、元から要因やリスクが有るのは事実だ。これに対してただ単に「できるべきだ」というのでゴリ押ししようとするのも無理がある。
「いついかなる時でも」という前提で考えれば、自分の意見を言う事に抵抗を覚えるほうが自然。言える方が特殊だとすら言える。真似しなくて良いタイプの。
意見を言うという「場面」での緊張の要素
意見を述べることに於いて、苦手意識、あるいはちょっとした緊張を感じるのは普通では有る。
人目を気にする傾向は、まぁ並よか高いと仮定して。
スポットライト効果。「発言者」は現実以上に自分に注目が集まっていると感じる。
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理由としては、このような時は「(ヘマやらかさないようになどの理由で)自分が自分に注目している状態」なのだが、その注目度がそのまま「他人が自分を見る注目度」として参照されてしまっているからだとされる。実際にはそれほど見てない。
「不安のディスクレパンシー活性化モデル」。自他の「どれだけ不安か」の温度差。自分はしゃべる。相手は聞いている。リアクションは対してない。
これで「焦る」。もっと喋ろうとする。自己紹介で緊張して早口で大量に喋ることの理由ともされる。
(スポットライト効果で現実以上に注目されていると感じているが、現実にはそうでもないというのも、理由の一つだろう。)
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緊張をなるべくしない意見の述べ方についての考察
基本的に、時と場所と相手は選べ、というのはある。内容がどれだけご立派でも、どれだけ一生懸命でも、不適切な時や場所、絶対に人の話聞かない奴、というのはいる。
意外とこれが盲点で、意見を言わなくてはということで頭がいっぱいだとすっぽ抜けやすい。せっかく決心して発言してもこれらの理由で「失敗」となり、嫌な思いをし、更に苦手意識が強まる、ということもある。
たたき台として相手に開示するのが一番手っ取り早い。
簡単に言えば、「完成品として披露する」つもりでいるから意見を言うのが怖くなるし、緊張する。それなりにご立派じゃないと実力や能力を疑われる、そういったものを「賭けている」つもりだから。それを繰り返せば苦手意識も出てくる。それを前提とするなら必要量の緊張感だとも見れるが。
逆に「試作品やサンプルを見せる」つもりでいれば相対的に気楽にはなる。自分でもそのように扱っていれば、より良くするための手直しもできる=相手の意見も受け止められる。
まぁこれは社会に対してのメタな立ち位置(というか舞台裏とか訓練場)になるので、親しい相手の方がよろしいだろう。このような「慣れる訓練」をしていると、不要な萎縮は和らぐとはされる。
シンプルな心理的な要因のみだというのなら、場馴れすればいい。
「不安」の最も厄介で強い中身は、「何が起きるかわからない」というワイルドカードにも程がある形だ。これは経験則に依るフレームの定義・再定義、要するに「酷い結果になるとしてもここまでだ」という不安の精度を上げる形で過剰な分は削ぎ落とす。
緊張というものを見てみると、やはり場馴れすれば和らぐとされる。つまりは自分のパフォーマンスを発揮できるため(ここで言うなら苦手だと萎縮せずに意見を述べること)には、「状況」に対しての慣れや耐性も必要だということ。
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緊張してパフォーマンスが発揮できない仕組みの仮説が2つ。
- 気が散るから
- 過剰に自分を見張る = 意識せずにできることを意識してしまう → できなくなる
後者は逆説的な効果としていくらか実例が有る。字を書こうとすると手が震えてまともに書けなくなる「書痙」は、字を上手く書こうとするのをやめたら治った、という話など。
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時に集中や意識の「やりすぎ」により、過度に緊張する。この状態自体が苦手意識の要因となりえるし、これにより失敗の確率は上がるため、トラウマともなり得る。
「発表のトレーニング」は、重要だし、有効だと言える。
そしてほとんどの人が今苦虫を噛み潰したような顔してるであろうことも想像に難くない。まぁ発表自体がそれくらい嫌で緊張するものだな。
それほど短所でもないことと、面接で短所を言う時のプラス表現
結構面接で短所聞かれた時に困るって話があるようだ。実際短所なのかと言えば、気にするほどには短所じゃないだろう。
協調性がある。協力的である。
実際性格分析のビッグファイブの「協調性」はそんな感じ。
調和性とも呼ばれ、高いとそんな感じになる。で「高いことのデメリット」として、自分じゃ何も決められない、自分からは動けないみたいな傾向が高まる。
これは「共感能力」でもあり、「チームワーク」に向いているということでもある。
なので「自分は意見を主張して先頭に立つようなタイプじゃないが、その分周囲に気を配りサポート・フォローするのが得意だ」みたいななんかそんな売り込み方とかできるのでは。
日本人は協調性が高い傾向が有るから、別にレアな人材ではない。だが、協力的な人間は別に数揃って困らないから問題ないんじゃなかろうか。
なお同じくビッグファイブの1要素である「外向性」が高すぎても「自分がない」という感じになるのだが、このページをここまで読んでいるようなら、協調性が高いタイプだと思われる。実際にテストしてみたほうが良いと思うけど。
まぁなんだって自分の性格なんざ短所として捉え、長所として活かす、というのが自分とのいい感じな付き合い方だとは思うが。個人的に。